第40話 夕星と異種遺恨
「あーイライラする。ヤバ、自分で自分のキゲン取れないかも」
「いつものことでは?」
「アイツらのせいで糖分が足りないのきっと。てかスイーツバイキング行かね?」
アイツら、と自身の同級生を殊更吐き捨てるように言い放ったサナは、談話室のソファの上に足を投げ出した。
怠惰に寝そべる姿がどこぞの宇宙人を彷彿とさせ、リーベはなんとも言えない気持ちになる。
「委員長ぉ、ワタリさんの件、反省してます? 過去は過去で消えたりしないんですから、それを被害者に当たり散らすのってあなたの甘えですからね。本当、そういうとこ良くないですよ」
「甘えで済むなら甘えでいいでーす」
虚勢めいた気ままな振る舞いは、そっくりそのままサナの深層を表していた。
先日の諍いを経て、クラスの雰囲気は非常に居心地悪いものになっている。緊張感を孕んだ教室は、そこにいるだけで息が苦しくなるほどだ。
だから彼女は考えたくないことから逃げて、楽しいことの傍に居ようとする。そうやって、事の重大さから目を逸らそうとしている。
「どうしようもないですね~お前」
「つーかあたしはいうほどでしょ、ガチ目にヤバいのってあのアマだかんね。下手に出てたらつけあがりやがって、みんなの前で悪者扱いとかやることが汚ねーんだよ」
(一応自戒はしてるのか……)
「直久莉もそー思わない!?」
「そうですねぇ」
内省があったのは事実なのだろう。敵愾心と報復思考から脱したサナの態度は、以前に比べ明らかに軟化している。
カッとなっても罵詈雑言が飛び出さなかった時点でそれはリーベも薄々察しており、ここでとやかく蒸し返して更生の余地を奪うのは彼女としても本意でなかった。
「だからさ、今日ダメ? こんなん話せるのお前しかいないんだよ。お願ーい!」
そう言って哀れっぽく首を傾げると、スリスリと自身の両の手を合わせる。明らかにたかり慣れている仕草。
「……仕方ないですね。いいですよ、行きましょう」
「ヤッター! 急げ急げ~」
「急がなくてもバイキングは逃げません」
放課後話があるとリーベを誘ったサナの瞳は、主人を見失った犬のような健気なものであった。気の置けない友人と居たい心細さは本心であろう。
……まあ同じクラスなのだから一緒に居ればいいという話ではあるが、彼女らは別に仲良くはないのである。
コンコンコン。
何者かに窓ガラスを叩かれる。
律儀に三回ごと繰り返されるノックは、じわじわとその間隔を早めていった。
「直久莉! 開けないで!」
「え? なんで?」
「わかってんでしょーね! あたしとクソガキ、どっちを優先すべきか!」
「はあ」
小気味好いノックの音が、不当な物言いに抗議するかの如く激しいものになる。手のひらがバンバンと窓を打つようになると、リーベはガラスの耐久性を考え黙って鍵を開けてやった。
「よく聞いて直久莉、アンタ地味な上にチビだからそーいう精神年齢低い男に狙われやすいの。イヤならイヤって自分で言わなきゃダメだよ!」
「ご心配なく。あなたより幼稚な人間なんてこの世に存在しないんで」
「もー、ダルいって! そんなだから恋愛経験ないんでしょ。学生の内にできることやんないとか、人生の半分は損してるって」
「知ったところであなたレベルの人生でしょうが」
売り言葉に買い言葉で、サナは当初の純粋な心配を、あろうことか非難という形で本人へとぶつけてしまった。指摘の文脈が支離滅裂になっている自覚はないのだろう。
しかしながら以前であれば濁らせていた憎悪を思ったまま発言する内、この行為自体が諸刃の剣であることに段々と感付く。
「は~……。違う。ホントは、ムシして一緒に行きたいけど……」
深く息を吐きながら、ちらとリーベのほうを伺う。その視線は彼女の後方で、丁度カラカラ窓を開ける朝焼けのような瞳とかち合った。
続かない言葉の先を不審に思ったリーベは振り返り、いつになく唖然とした表情を浮かべるケイを見るなり小首を傾げる。
「……どうかしました?」
「えっいや。よくそんなごちゃごちゃと下らねぇこと言い合えるな、と思って……」
体裁だけおずおずといった具合に発言すると、少女二人の怒りが一気にそちらへ向かう。
「オイ、逃げてんじゃねーぞガキ。アンタがいるの観客席じゃなくて土俵の上だからな?」
「そうですよぉ。慧ってちょっと間が悪いというか、愚鈍が過ぎますよね~」
「ねー」
一つの揶揄が何倍にもなって返ってくる。こういう時は手を組むのか、とやはり納得がいかない様子で、彼はますます渋い顔になった。
「え、ていうかくっさ……なんですかこの臭い、イカ? 生乾きのイカなの?」
「あのなリーベ、殺しちゃ駄目な理由わかったぜ。血で汚れるからや」
咄嗟にリーベは、考えなしに罵倒を繰り出そうとするサナの口を手で覆った。尚もモゴモゴ文句を言う彼女の肩を掴み、強制的に身体を反転させる。
「委員長、悪いんですが先に行っててください。すぐに追いますんで」
「えー……絶対あたしのほー優先するんならいーよ」
「しますします」
「……ま、しょーがないか。言っとくけど、男女の友情なんてないからね」
「同性同士だってないでしょ」
捨て台詞「うるせーバーカ!」と共に、ピシャリとドアが閉められる。同じ馬鹿力でも悪意が無い分、ケイよりよっぽど質が悪い。
「ちょっと、急に変なこと言わないでくださいよ。よりによって委員長の前で」
「リーベ」
「というより凄い臭いですけど、あなた大丈夫なんですか? 保健室のシャワーなら借りれますから、せめて体を洗って来てください」
「誰か殺して来たって言ったらさ、怒る?」
追い縋るような言葉に、リーベはおもむろに窓から彼の足元までを覗き込んだ。次いで短いため息を吐く。
「何、叱って欲しいの? それで満足します?」
「いや……」
「前に駄目だって約束しましたよね。もっとわかりやすく言いましょうか? 人の迷惑になることはやめろって言ってんです」
その時、ケイは酷くショックを受けたような顔をした。今にも消えそうな声で、「迷惑? 俺が?」と言い訳がましく呟く。
彼女には全幅の信用を寄せているのに、いつだってこの世の全てを知っている風でいるリーベは、その真実を進んで打ち明けてはくれない。信頼されてないのだと勘繰れば、少しは気落ちもするだろう。
「人から妙なことされたくなかったら自分も余計なことするなって話です。他人の価値とか善悪を決める権限なんて存在しないので。それとも宇宙人にはあるんですか?」
「ようわからん。今までそんなこと、社長に言われたことないし」
「そう……」
苛立ちを隠そうともせず険しい表情をする彼女を、ケイはただ凪いだ目で見つめた。
「これは憶測ですが……。普通、人を殺めるという行為自体を赦したり、許容したりなんてできません。あなたの会社では、故意に悪人を育てている……という風な印象を受けます」
「でもそんなことして何になんだよ。俺の失敗なんて全部社長の責任になるのに」
「さあ? 誰もに正当性があると思っているならそれは間違いですよ。世界は美しくなんてないんだから。そもそもあなたは自分の力の使い方を知っているのに、どうして会社に逆らえない、なんて結論に至るんです?」
当然のように他人を品定め出来る側だと思い上がるのも考えものだが、逆もまた然りである。勝手に高望みして相手を疑わない、ケイの性質を形成したのもその社長とやらの思惑だろうか。まさに毒のような親である。
屑は生産元が悪いとか、環境が悪いだとか。リーベは面と向かってそんなことを言われた経験があるが、他人が思い通りにならないなんて当然の前提に過ぎないのだから。
「私は友人としてあなたを注意もするけど、それは私の思うように動いて欲しい思惑もあるから。それが嫌だったら、離れてもらっても構いません」
「え?」
「だって、もう手相は変わってしまったんでしょ? そのくらいわかりますよ。だから引き留めたりしません」
「いやいやいや違う! 今、友人って!」
「何。文句ある?」
少しムッとしたリーベが低い声を出すと、彼は恐れをなしたかのように言葉に詰まった。
ケイにとってネヤは師のような存在だ。彼女という異物と関わって初めて、この世に干渉する術を知った。具体的には、常軌を逸した能力の、その制御の仕方である。
周囲を傷付けてしまわないように、不当な暴力を振り翳さないように、ずっと気を張って生きて来た。巨大な図体を用いて蹂躙したり、嬉々として力を揮う怪物にはなるまいと、ずっとずっと戒めていた。
その想いが容易に反転する時がある。
果たしてあの瞬間が、世界が美しくない所以なのだろうか。
「いやっ……ないよ。……なんにもない」
けれど、ネヤが単に意表を突きたいがために妄言も吐く下衆であろうと、リーベが誤解を招く誘導をしていようと、絶対に覆らない信頼もあるのだ。
いつだったかカルトチックな眼鏡の男が言っていた。
『勉強したこと、覚えたことはどうしても忘れてしまうものだから仕方がない。でも、それでも心に残るような、忘れたくないと思える学びを与えたい』
幼い頃の恩師のおかげで、教師という職を志したのだと。
暇過ぎて学校中を付け回している中で、そういう自分語りを聞いた覚えがある。どんなタイミングの言葉だったかまでは記憶にないが、きっと、将来や夢に関するアンサーの一つだったのだろう。
今思い出せたのは必然だ。
この情けは友情や絆ではない。はっきりとした言葉にしようとすると不思議としっくりこないが、今になって彼の考えがよくよく理解できる。
ケイがリーベに生殖して欲しくないのも、偏に彼女にとって蛇足となるような、余計なことをして欲しくないからだ。どうせ死ぬなら「素晴らしい人間だった」で、綺麗に忘れさせて欲しい。
そんなことを言ったところでどうにもならないから、決して言わないが。
『友人』の一言を長々噛み締めるケイにやや引き気味のリーベであったが、普段以上に穏やかな表情をする彼に、嫌味の一つも言えなくなる。
「そう。それで、話はお終いですか?」
「あのな、俺会社辞めるわ。そんでこれから宝くじ当てる」
「そ、それはやめておいた方がいいと思う……」




