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第4話 地獄に仏


「遅刻遅刻~っ!」


 わざわざ現状を口にしながら自転車を漕ぐ、セーラー服姿の女子高生。擦れ違う小学生やサラリーマンは、思わずといったようにその後ろ姿を目で追った。


(まさかあんなに寝たのに起きれないなんて、思わないじゃん!)


 教科書一式を積んだ前カゴは押しても引いてもずしりと重い。車道の専用レーンを爆速で走るキズミは、自動車もくやという勢いのまま青信号の横断歩道に突っ込んだ。


 しかしながら凄まじいスピード故か、その直前まで左折して来る車両に反応することができなかった。


「うおっ、嘘だろッ!?」


 車に負けず劣らずの速度を出していたため、急ブレーキをかけた衝撃で彼女は前方へと前のめりになって吹っ飛んだ。

 一回転したついでに何事もなく着地すると、背後でギギッと不快な音が轟く。

 不安感マックスで振り返ると、甲高い音を立てて倒れたキズミのママチャリと、接触した軽自動車の走り去るナンバープレートが見えた。


「大丈夫ですか?」

「ゥーン……」


 声を掛けて来たのはブレザーを着た男子生徒であった。胸元にはキズミとお揃いの校章バッジが輝いている。


 横断歩道のど真ん中で立ち往生するキズミに、遠巻きに眺める通行人たちの目は冷たい。


(あー、人生ってサイアクー!)


 大破というほどでもない。だがぐんにゃり形の歪んだカゴを見て、キズミは思わず涙ぐんだ。同学の青年には悪いが、今は冷静になれそうもない。


 ―――いっそ今日は一日休んで、自転車も何もかも置き捨てて遠くへ行ってしまいたい。

 そんな衝動に駆られる。


「なんだよあのへっぼい運転……」


 朝のスタートを挫かれたことで彼女の心は早々に折れていた。できることといえば、メンタルケアのために愚痴を零すので精一杯だ。


 青年は悲嘆に暮れるキズミの顔を見るなり「うわっ……」というような表情になった。実際に声も出ていた。


 彼はキズミと同じクラスに属する、蛭閒ヒルマ シンという名の生徒である。

 変人と名高い彼女の奇行も奇声もよく知っていたために、一瞬だけあからさまな嫌悪を浮かべたのだ。


「ほんとに免許持ってんのかぁ……」

「急ぎの事情があったのかもな。身内の危篤か、尊厳に関わる危機やも知れん」

「……ナンバー見た?」

「すまん」


 問いかけに対し、蛭閒は申し訳なさそうに首を振った。しかも彼が真っ先に駆け付けたことで周囲は「まあなんとかなるだろう」という雰囲気を醸し出し、救援の手を完全に引っ込めてしまっていた。


(そんなもんか、人間)


 多くが忙しない時間帯ということもあり、手助けを強制できるものでもない。

 悲しいかな、この状況では他人を思いやれる余裕がある方が異質なのだ。


 しょんぼりとキズミが俯く。無鉄砲に助けてくれ!と騒ぎ立てる空元気も、今は発揮できそうになかった。


「見たところ怪我はなさそうだ。良かったな臥竜丘」

「な……何?」


 これはひき逃げ事件だ。無傷だったからといって「良かった」、などとは到底思えない蛮行である。


 今更ながら不審の念を抱いた彼女は、そっと隣の青年を窺い見てみた。タイミング良くセンターパートの前髪が風に吹かれ、その輪郭が明るみになる。


 簡潔に言えば、その男子生徒はとてもイイ感じの見た目をしていた。


 彫りの深い、目鼻立ちがはっきりした端正な顔立ち。加えて身長も高く、上背に見合った体格が強健な印象を抱かせる。

 青みを帯びた黒髪は日に焼けた肌に映え、異国の王子染みたエキゾチックな雰囲気があった。


「わたしのこと、知ってるの?」

「昨日妙な挨拶をしていただろ。……ああ、おれがわからないのか。それもそうだな、おれは蛭閒ヒルマ シン……」


 芝居がかった口調も相まって、さながら絵画が喋っているようだった。

 不意のことにキズミの意識はすっかり彼へと注がれ、視界外の歩行者用信号がとっくに赤になっていたことなど露知らず。


「おい、邪魔だよ!」

「えッ……あ、すみません!」


 ひしゃげた自転車、道路のど真ん中で座り込む人影。どこからどう見ても事故現場そのものではあるが、有象無象の通行人には所詮障害物でしかない。

 心ない怒声と共にクラクションを鳴らされ、驚いたキズミは慌てて自転車を立て直した。


「……シン、だっけ? ごめん、怒られちゃって……」


 横断歩道上から退いたキズミは、同じように並び立った蛭閒を恐る恐る見上げる。


「気にするな。おれは気にしていない」

(この人感情とかないのかな?)


 理不尽な仕打ちを受けたというのに、意外にも蛭閒は笑っていた。

 もしかしたら優しいだとか温厚だとかの次元ではなく、底なしの楽天家であるのかもしれない。

 この状況の何が面白いのかキズミにはさっぱり理解ができないが、彼女にとってその気楽さは、割と真面目にあやかりたいところであった。


「……ねえ、なんですぐ来てくれたの? 遅刻しちゃうかもしれないのに」


 スカートのよれを直しながら、素朴な疑問として胸の内をぶつける。


 逆の立場だったならきっと、キズミは彼を助けなかった。関係ない他者の衝突が、日常ルーティンの優先を超えることはまずあり得ない。


 それに無意味に心情を推し量り、色々と考えた末に結局諦めるのだ。

 実際に身をもって体験したからこそわかるが、注目される快さより、被害を被った恥ずかしさの方が余程勝る。


「それがおまえを捨て行く理由になるのか?」

「おぉっなんかカッコイイ! 感動した! ……あの、本当にありがとう」

「礼には及ばん」


 それが本心でないことなんてわかるのに、聞いている方が居た堪れなくなるくらい立派な品行方正だ。


(わたしのクラスって、凄い人しかいないなー……)


 きっと普段の行いが良かったからだろう。入学早々気の合う友人ができるのも、聖人染みた人間に親切にされることも。

 キズミは相手を勝手に祭り上げることも祭り上げられることも大嫌いだが、それでも幻想を抱かずにいられなかった。


「一応乗れるけど、後ろ乗ってく? あ、前のがいい?」


 幸い自転車もフレームや籠が歪んでしまっただけで、運転動作に問題はなさそうだった。


 厄日かと思ったが、案外良い日になるかもしれない。

 是非そうなって欲しいと青春的な提案をするが、蛭閒は一度登校時間の差し迫った腕時計の針を見て、次いでサドル部分を見てから、ゆっくり首を横に振った。


「悪いが、そいつの乗り方を知らん。先に行ってるぞ」

「えっ……」


 結局キズミは一人、手押しで学校へ向かうこととなった。



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