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第36話 0.7ナノ秒/21グラムのカフネ

ややグロ


『おまえの体は何者で、おまえの魂は何処にある』


 未来の火星都市で行われた裁判は、二百年に及ぶ長丁場となった。

 過去に遡り母体と自身の分身である胎児を殺害した主人公は終身刑を課せられたが、それは、輪廻を解脱する唯一の方法であったのだ――――――。


 エンドロールの半ばで席を立ったキズミは、余韻に浸る観客を後目に劇場を後にした。


 外はもう陽が落ち切って、大粒の雨が降っている。心臓を鷲掴みにされるような怖気と共に、彼女はひたすらに激情が過ぎ去るのを耐え忍んだ。




「ねえ、どうだった?」


 なるべく声を潜めたつもりだったが、想定よりキズミの声は通り良く店内に響いた。

 ジャズのかかるブックカフェはそのほとんどが読書を目的とした客層であり、ノイズとしか言いようのない無粋な問いかけに、少しピリついた雰囲気になる。


 並んで窓際のカウンター席に座った蛭閒も、人差し指を口に当て「静かに」のポーズを取った。


「……そういうおまえはどうなんだ。離席を急いただろう」

「あー……わたしは別に、あれでいいと思うけどさ」

「気が合うな。おれもそう思う」


 二階から見える景色は生憎の空模様だ。眼下には町の名所たる城跡が広がっている。

 天守を取り囲む水堀では、明かりを灯した遊覧船が緋鯉と共にぐるりを泳いでいた。涼し気な光景も相まって、雨風に曝された桜が舞い落ちる様が風情である。


「あのシーン凄かったよね、巨大ロボットに脳味噌リンクさせて隕石ぶっ壊すとこ。めちゃめちゃで面白かった」

「そうだな。無機質で破壊的なのがいいんだ、あれは」

「レビもああいう変形つける?」

「レビは愛玩用だろう」


 そんな話をしていると、店員がコーヒーの残り香を携えて二人の元へと立った。チャージ料として注文した甘めのラテである。実のところキズミは腹を空かせていたのだが、「夕餉が入らんぞ」の一声であえなくパンケーキを断念したのだ。


 カップを一気に呷ると、胸中に蟠っていた恐怖心すら解けるようだった。

 この凪いだ感情が恋心ならば、どれだけ味気ない情念だろうと。ラブロマンスを観て脳裏を過ぎる心当たりもないのだから、淡泊な人生だと心の中で自嘲する。


(人生、か……)


 ―――先日、母が失踪した。


 誰も知り得ない場所で、何も言わないまま。キズミを見離し、そしてキズミもまた、アオイを疑った結果である。


 いっそ八柱がそのことに追及してくれれば、何故盲目的に信じていたのだろうと目が覚めたことにして、忘れてしまおうと前を向けたのかもしれない。

 でも彼は訊かなかった。

 以前キズミが突き付けた不満を律儀に守っているのか、それとも、最早諦めているのか。一切踏み込もうとはしない。


 満ち足りた今、彼女はようやく自分の身に起きたことを俯瞰することができた。

 忌々しい現実を嫌う反面、ある日八柱がアオイを連れ戻して来てくれるのでは、という甘い夢想すらも捨てきれない。


「化け物だ……ッ!」


 キズミの隣の席に座った男性客がただならぬ様子で悲鳴を上げる。立ち上がろうとして失敗したのか、そのまま蹲ってしまった。


(化け物……ああ、化け物?)


 耳慣れた罵倒に反応が遅れた。周囲のどよめきを辿れば、視線の先は水堀に集中している。


 どうしてか、今さっきまで街並みを楽しんでいた遊覧船が転覆しているではないか。乗員は皆ライフジャケットを着ているが、死に物狂いの形相で水中を藻掻いていることが遠目からでも見て取れる。


 直後運河の底から()()が飛沫を巻き上げ浮上したことで、その正体はすぐにわかった。

 鰐に似た巨大な生き物が、彼らの行く手を阻むように姿を現したのだ。


「ママさん……!?」


 キズミのよくよく見知った化け物は、石の敷かれたそこを窮屈そうに、腹いせかの如く破壊して回っている。

 その大きさを知る彼女だけは、狭苦しそうに押し込まれた状態のアオイを咄嗟に案じた。優に十七メートルを越える体長も、マンションの五階に相当する背丈も、大抵のクジラより余程ヘビーであるにも拘わらず。一体どうしてあんな場所に。


 大穴染みた口腔が水流をかき乱し、逃げ惑う乗客たちを翻弄する。

 店内では危機的状況を理解できていない子供が、「モササウルスだ!」とそれを指差してはしゃいでいた。


「はは。パニック映画みたいだ」

「ちょちょ、シン! 危ないから伏せて……」


 警告の中途、なんとなく彼の隣にいた客が目に付いた。記録を残そうと豪胆にもスマホを掲げる若い女性だ。甲高い声で「逃げて!」と頻りに叫ぶも、行動と言動がまるで一致していない。

 その傍らでウロチョロしていた子供がキズミらの元まで駆け寄り、興奮気味に窓の外を覗き込む。


「やめろー! モササウルス!」

「あのねぼく、なんとかザウルスじゃないから! ドラゴンだから!」

「違うよ! モササウルスは恐竜じゃない!」

「えぇッ!?」


 長年の勘違いを覆す衝撃の事実に言葉を失う。直後、窓ガラスが割れると同時に、すぐそこで撮影していた女性客が物凄い勢いで吹き飛ばされた。


 野次馬やテーブルを薙ぎ倒し、壁に叩き付けられようやく留まると、それは上半身のみであった。傍にゴロ、と加工された鋭利な石が転がっている。

 飛んできた石垣の一つが、女性を真っ二つに磨り潰したのだろう。


「ヒッ……」


 惨憺たる最期を直視したキズミの足が竦む。激しい耳鳴りが脳内を劈き、世界の全てが遠のいて―――。

 直後、襟の辺りをグイと掴まれ、窓の外へ引き摺り落とされる。


 降り注ぐガラスと血の雨、日常が阿鼻叫喚の地獄へと変貌する様。悲鳴が耳から離れず、死を覚悟した視界がスローモーションになった。



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