第32話 宇宙人は女子トイレに入らない
「リベちゃん見て。このお花、スイセンっていうの。毒があってね、食べて死んじゃった人もいるんだって」
「……あの時みたいに、私を陥れるつもりですか?」
「でも心当たりがあるよね。他人の幸せを壊しておいて自分は幸せになろうなんて、そんなの虫が良過ぎると思わない?」
花瓶を抱えたキズミの瞳は、笑っているはずなのに酷く冷たい。瞬間、急速に冷えに包まれた世界に、リーベは息苦しさから彼女を遠ざけようと身動ぎした。
「親が親なら、子も子だね」
―――西日が目に痛い。
「あ、おはよリベちゃん。大丈夫?」
「……臥竜丘さん?」
「うん!」
リーベはバクバクと高鳴る心臓を気取られないよう、咄嗟に口を噤んだ。夢の続きのようで質が悪い。
寝ても覚めてもこちらを覗き込むくりくりした猫目に、知らず安堵と呆れの籠もった溜め息が出た。
保健室の見慣れぬ天井はやけに高く、事あるごとに軋むスプリングは肩肘が張って逆に休まらない。だがその寝心地の悪さが功を奏したのか、早くに目が覚めた事実がリーベにとって有難かった。
「どうして……?」
「あ、無理しないで。頭打っちゃったんでしょ? ヨシノ君から聞いたよ。あと、リベちゃんがわたしと話したがってるって聞いたよ」
キズミはスクールバッグに下がったお守りをユラユラと揺らし、忙しなく身振り手振りを交えて話す。
その頭部を慮るような手の動きに、自らが失神する経緯を思い出したリーベはすぐ布団を蹴り上げた。起き上がった拍子に視界に入った暑苦しいジャージ姿が、殊更あり得ない方法で強奪された制服の行方を気がかりにさせる。
「痛くない? 大丈夫?」
「ご心配なく、大したことないので。それに話したいなんて、私は言ってませんから」
「そうなの? シンのことかなって思って、脳内で色々準備してたんだけど」
(そういえばそんな話もあったな……)
「ほんとはね、わたしもまだシンのことよくわかってないんだ。あんま他人に興味ないみたいだし」
どうにも気が遠くなる。寝起きに親しくもない人間の話をされる不愉快さに項垂れると、何を勘違いしたのかキズミはますます空回ったテンションで語調を強めた。
「興味ないって言っても、別に悪い意味じゃないよ。ただ、一人でなんでも出来ちゃう人だから」
「ええ、そうでしょうね。蛭閒さんは相手がどんな言葉を欲しているか、どんな対応を望んでいるかを察する能力に長けているんです。そしてその通り振る舞える。……とんだ猫被りですよ」
「わかる、そういうとこあるよね! でもシンって、みんなが言うほどお人好しじゃないよ。誰にでも優しいけど、多分、そんなに考えてないんだと思う」
正直、リーベはその言葉に驚いた。
キズミもサナ同様、自分以外の人間を惹き立て役ぐらいにしか認識していないと思っていたからだ。「ドラゴン」も「蛭閒」も、ただのアクセサリーに過ぎないのだと。
考えてみれば、一見デコボコな彼女らは関係性が不明瞭だ。釣り合っているかと問われれば答えは否だろう。
今時校内にファンクラブが存在するほど常人離れした容姿を持つ蛭閒が、人除けにするにもわざわざキズミとつるむのは不自然である。自分と関わることで彼女にどんな謂れのない中傷が向けられるか、想像できないほど愚かではないだろう。
(でもまさか、臥竜丘さんがそれを自覚してたなんて……)
彼女が客観視に優れている、と判断したのは紛れもない自分自身だったことを思い出す。
「すみませんでした」
「この間もスーパーで一緒に『お客様の声』見てて……って、え? な、何が?」
「言い訳にもなりませんが、私、不測の事態に慣れてなくて。イライラしてあなたに当たってしまったことを謝らせてください。本当に、ごめんなさい」
「い、いいよいいよ! そんなの。リベちゃんは全然悪くない! 元はといえば、わたしが勝手なこと言っちゃったからだし」
キズミは虧けた月でも眺めるようなぼんやりした表情で、躊躇いつつ語り出した。
「それに、リベちゃんが言ってた自制が効かないって言葉、あれ全部当たってる。自分でもわかってるんだけど気持ちがついていかなくて、結局迷惑掛けちゃったから。だから全部、わたしがおかしいのが悪いの。ごめんね」
そのあまりの意気消沈ぶりに、リーベはまたも唖然となった。臥竜丘 創実が学校で見せる一面といえば、底抜けに明るくて、流されやすくて、向こう見ずな気まま極まりない人間性だ。それが見る影もない。
「そんな、臥竜丘さんはおかしくなんてありませんよ。他の人と違うからこそあなたに価値があるんです」
さながら悲劇のヒロインのように、リーベは口元を覆って彼女への同情心を露わにする。
……無防備に曇り切った瞳を垣間見て、図らずも笑ってしまいそうになったのだ。
「自分で自分のハードルを上げるのは苦しいでしょう。クラスメート相手に接待でもしているつもりなんでしょうが、周囲というのはそれほど大事なものですか? 私は、気にするほどの価値が世間様にあるとは思えません」
思えば登校初日から彼女は奇人変人と祭り上げられ、分け隔てなく向けられる笑顔はまるで太陽のようだとおちょくられていた。他でもない本人がそうでありたいと、行動で意思を表明し続けた結果だ。
そうして愚かな大衆が好い思いをしたいがために押し付けた『太陽』を、全うしようと葛藤している。
人の不幸に付け入りたい身としては、キズミは理想の”お客様”だった。食べてくださいと言わんばかりの被虐に酔った自己憐憫が、何度反芻しても優越感を煽る。
「大事じゃないわけじゃないけど……そうかもね。わたしはお母さんに喜んでもらいたかっただけだし……」
「はあ。ご立派ですね」
「……あの、リベちゃん?」
「なんですか?」
「後ろ、誰かいるけど。知ってる人?」
後ろ、というのは部屋における背部だ。リーベが窓辺の方を振り向くと、鍵もかかっていないのに、外には見知った人影が立っていた。
「慧!? ちょっと、どこ行ってたの!」
グラウンドに続く掃き出し窓を開けてやると、初めて見るほど憔悴しきった顔のケイがぐったりと保健室に雪崩れ込んだ。その様子を指差しながらケラケラ笑うサナもいて、室内からは角度的に隠れていたが、どうやら一緒だったらしい。
「リーベ、い、生きてる……!?」
「馬鹿言わないでください、転んだだけですよ。あなたも見てたでしょ」
「えっ直久莉コケたの? ウケる」
「委員長まで……」
足元を確かめれば、ケイの履き靴は来客用スリッパのままであった。何故外にいたのか、一体何人に目撃されたかを考えれば考えるほど頭が痛くなる。
ひとまずは制服を取り返さねばと、リーベはポカンと呆けているキズミの肩をちょんちょんと叩き正気に戻した。
「すみません臥竜丘さん、委員長も。暫くこの子と二人きりにしてくれませんか」
この、と称されたケイはあからさまに目を泳がせた。悪いことをしたという罪悪感は微塵もないが、『幸運の象徴』が消失したという悟られたくない事実があるためだ。
そんな煮え切らない態度を取る彼の様子に、サナは突然「はあ~」ととびきり大きな溜め息を吐く。
「あー出よ出よ、創実。こんなヘンタイ共に構うことないから。どーせいかがわしいことする気なんでしょ、アハハ。死んだほーがいいよ」
「委員長……なんかあなた、この前から変じゃない? 生徒手帳も全然使わないし」
「あんなゴミとっくに捨てたわ! バーカ!」
「三年間使うのに!?」
「サナちゃんが言うなら」と雛の如く彼女を追うキズミは差し置いて、退室したと見せかけたサナはちゃっかり廊下で聞き耳を立てていた。
その気配に気付けないほどリーベは鈍くないが、それよりやけにサッパリした顔をした彼女の、”いかがわしい”という心外なワードが引っ掛かった。
「慧、早くそれ返してください。今回は流石に悪ふざけが過ぎます」
「いや、だからっ……ああもう! リーベ! お前は死ぬまで強固な城でいてくれ!」
「は?」
せっかくキズミを篭絡できそうだっただけに、苛々は既にピークに達している。ケイが意味不明な言動を繰り返すのは最早日常茶飯事だが、唯一聞き分けは良いのが長所であったはずだ。
しかし頑として着替える素振りを見せない彼に、リーベの脳裏にある一抹の不安が過ぎった。
「……お前、まさかとは思いますけど」
確信を得たような口上に、ケイはハッとなって慄いた。探偵に真実を暴かれる犯人のように、ただただ聞き役に徹するしかできなくなる。
「そのまま女子になろうってつもりじゃないでしょうね。人前でその恰好見せびらかして、変な商売なんかしないでくださいよ」
しん。訪れたのは静寂であった。
「うわ、その発想なかったわ。リーベエロっ」
「……」
「ったく脅かすんじゃねぇよ」
自棄になったわけでもない、心底安心した笑顔で揶揄う彼の憎たらしさといったら。
傍で恋愛脳が盗み聞きしていることも忘れ、リーベはつい、いつものように強く叱責してしまった。
「いいから早く脱いでよ!」




