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第31話 宇宙人は女子トイレに入らない


「怒ってるかなぁ」


 風の熱度はすっかり下がり、空は手すさびに千切ったような疎ら雲で覆い尽くされている。

 屋上に着くなりフェンスに凭れたケイは、暫くそうやって頭を抱えていた。たなびくスカートの裾を追いかけて、何もわからぬまま連れられたレビがぴょんぴょんと辺りを跳ね回っている。


 どうしてあれほどむしゃくしゃしてしまったのだろう。

 いざリーベへ向かう慈しむような視線を前にして、とんでもない不快感に駆られたのは事実である。無論、嫌がる素振りを見せない彼女にも。


「リィ ヒルマ」

「ま~たそれかよ」


 先客として様子を窺っていた一羽のスズメが、不意にレビの体に飛び乗った。するとレビは怯んだようにピタリとその場に静止し、助けを乞うようにか細い声を上げる。


「もうアホな人間の真似事はよせよ。『()()()()()』なんて。あんな爆笑アニマル共と同類になるつもりか?」

「ティットロロウ」

「お前にはわからんかもしれないが、神なんてものはとっくに終わったコンテンツなんだよ」


 小躍りするように降り立ったスズメは、するりとフェンスの隙間から身を乗り出した。パタパタと小気味よい音を立てて羽ばたくその尾を追って、仕様に抗えないレビが躊躇なく屋上の縁から飛び降りる。


「さすがに飛べるやろ、レビたん。…………いや、ちょいキツいか」


 かの女子生徒にサンドバッグにされていた光景を思い起こし、ケイは渋々ながらフェンスを引きちぎって真下を覗いてみた。


 校舎裏はあまり手入れが行き届いておらず、上からではレビがどこに落ちたのかはっきりと視認することができない。

 しかしながらパサパサ、という芝生の擦れる音が、比較的無事でいられそうな場所に落下できたのだろうなという希望的観測を彼に抱かせた。


「も~、手のかかる」


 一足飛びで空に躍り出ると、重力に従った身体があっという間に下降してゆく。外の景色から刹那の内に消え入る飛来物に、それが人間であることを理解した者はいなかった。


「お待たせしました~」


(……!)


 ―――柔和な印象を与えるため間延びした語尾。慇懃無礼な言葉遣い。


 ふと開いた窓から聞こえてきた声に、視線を差し向ける。そこでは名前も顔も知らない女学生たちが、黄色い声を上げ歓談していた。


(リーベ、じゃない……当たり前か。あいつ保健室で死んどるし)


 気付けば地面はすぐそこにあった。


「あぶねッ! やっば! ヒヤリハットぉ……」

「ゼタロ ゼタロ ラウヴィーネ」


 スピードを緩めないまま地面に突っ込んだケイは、瞬時に受け身を取ってゴロゴロと芝生の上を転がった。段々楽しくなって惰性でなんとなく転がった先、同じく怪我どころか僅かなパーツの損傷すらないレビが、覚束ない足取りで彼の元へと寄って来る。

 その表現し得る最大限の心配に、感激したケイは「レビたん……」と丸い輪っかに手を伸ばした。


「え」


 その手から逃れるように、レビは白い体をふよふよと浮き上がらせる。

 否、レビが自力でそんなことできるわけがない。誰かが持ち上げたのだ。


 では一体誰が?


「……」


 こちらを見下ろす青年の目がゆっくりと、地に伸びたケイと相まみえる。

 見惚れるほど端麗な容姿と、潮混じりの風と木々のにおいに混じった微かな死臭に、ケイはヒュッと息を飲んだ。


 死人の異臭。

 それも肉が腐っているわけでなく、恐らく死んだばかりなのだろう、生人の特質のみが失われた喪失のにおいである。

 それはいつだったか、リーベから証拠品として突き付けられた血の臭いと酷似していた。


「ヒルマ ヒルマ」


 呼応するように、レビが何度も何度もその名を呼ぶ。しかし祈りを捧げるというには些か喜色に満ちていた。


(『ヒルマ』……ってことはこいつまさか……まさか、ほんもの!? は、初めて見た……!)


 木漏れ日を受けた輪郭が、日陰の中で鮮やかなクリーム色に彩られる。睫毛の影が落ちた眼差しは血を彷彿とさせるほど鮮烈だ。

 燃えるような出で立ちと不自然に蒼白とした膚色が、()()()()といった具合である。


「あのぅ、つかぬ事をお聞きしますが、神様でいらっしゃいますか?」


 一言も発さない青年―――蛭閒は、それこそ突然のことに絶句するように、「何が何だかわからない」といった曖昧な表情を浮かべていた。

 が、最早ケイにはそんな機微も一時逃れの演技としか思えなかった。上体を起こしながらしずしずと畏まって尋ねると、ようやく反応らしい反応が返る。


「面白いことを言う。神が好んで斯様な姿になるものか」

「わっ神特有の人間蔑視や! まさか生で聞けるなんて……!」


 衝撃を過ぎると、本来抱いていた様々な感情が次から次へと湧いてきた。彼が所謂超常の存在であるとして、リーベを襲った未知の嫌がらせについてもその信憑性が一気に増してしまったのだ。


「……ずっと不思議だったんだよ、ここの人間がやたらと造物主に気安いのが。だって、絶対碌な奴じゃないのに」


 何億年と前の記憶、その始まりに意味がないことをケイは知っている。同時に、死ぬには必ず合理を要求されることも。

 以前リーベは宇宙の神秘に興味がないと言っていたが、生命のサイクルは別に神秘でもなんでもないのだ。仕事や恋愛、金銭といった類いと同じで、それ自体に意味はない。


 そうしてはたと思い当たる。

 リーベが恋愛事に現を抜かすなどとは露ほども思わないが、彼女も所詮人間だ。ご多分に漏れず同種族の異性と馴れ合い、子を儲けて、平和ボケして死ぬのだろう。

 そんなの悪夢以外の何物でもない。


「頼むから、リーベを罰さないでやって欲しい。あいつが何かしたなら謝るからさ。死んだ方がいいやつなんて他にいくらでもいるだろ?」

「例えば誰だ」

「えっと、いきなり人の頭カチ割ってきた魚竜の女とか……」

「魚竜?」

「一番近いのは滄竜そうりゅうって魚。まあ、人っぽくなってたけど」


 ケイがこれまで毛嫌いしていた神様像といえば、勝手に天から罰を下し、気紛れに試練を与える「器の小さいサディスト」というイメージしかなかった。

 けれど今現在、自分の話にうんうんと相槌を打つ蛭閒を見て、心のわだかまりが融けていくような錯覚に陥る。


(常識が偏見に過ぎないって、こういうことか……)


 しかし。

 こちらには『仏の顔も三度まで』と言う言葉があるが、残念ながら彼はそういった神ではないのだ。

 既に何かしらの反感を買っているリーベを、他愛無く殺してしまう可能性だってある。


「そうか。もう怪我は大丈夫なのか?」

「え。あの」

「また何かあれば言ってくれ」

「は、はい……」


 傷痕一つない額をなぞって、蛭閒は幼い子供にするようにそのままナデナデと頭を撫でた。

 女子供のような扱いを受け腹立たしく思うことはあるが、いざ雲の上の存在にそうされると、ケイは抵抗する気すら起きずタジタジになってしまった。


 蚊帳の外で静まり返っていたレビがキュルキュルとご機嫌なモーター音を鳴らすと、ハッと我に返った彼はわざとらしい上目遣いで蛭閒を見上げる。


「そうだ、サイン、あの、良かったらサインくださ……」


「……何してんの?」


 冷ややかな声に振り返ると、そこにサナが立っていた。話し声を聞き付けて出歯亀に来たのか、はたまた放課後の校舎裏に用があったのか。

 とにかくただごとでない現在の状況に、至極嫌そうに眉を顰めている。


「見たまんまだが」

「ハ? いやマジで何そのカッコ、お前。死ぬか?」

「でもいいとこに来たなメンヘラ、なんか書くもんよこせ」

「キモッ! 何するつもり!? そんな棒状のもので! キッショ! キッッッショ!」

「おいはしゃぐな! 誤解すんなよ、俺だってリーベに言われなきゃこんなこと……」


 恥じ入った表情でスカートの裾を摘まむ。すると頭ごなしに糾弾していたサナは態度を一変させ、哀れみの籠もった目でつま先から頭のてっぺんまでをまじまじ観察し始めた。


「す、直久莉って女装までさせんのぉ……? へえ……?」

(おもしれ~)

「四三野委員長の知り合いだったのか」

「まさかあ、こんな女知りませんよお~。そんなことより、この木の枝を使って俺の手の甲を抉ってもらってもいいですか?」

「如何した……?」

「ガチでキショい」

「あ、『慧君へ』って名前も、せっかくだしソロモンの方に……」


 ケイは興奮気味に自らの左手をちらりと窺い見ると、暫く硬直した後に痛切な面持ちで独りごちた。


「……ない」

「何が? 生命線? あ、待てコラ」


 逡巡する内に重大な何かに気が付いたのか、彼は衝動のままに校舎へ向かって走り出した。

 昇降口に回るためだろう、そう算段を付けたサナも慌ててその後を追う。


 まさしく嵐のような騒がしさが過ぎ、一人になった蛭閒はふと欠落した屋上フェンスを見上げた。


「……なんだったんだろうな。なあレビ」

「ンミ」



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