第30話 宇宙人は女子トイレに入らない
トランペットだろうか、遠くで鳴り響く金管楽器の演奏にケイはゆったり耳を傾けた。賑やかしを受けて尚、一人の談話室はどこか物寂しい。
「お前も大変だったな。大丈夫か?」
「ウ シャンリィ」
窓辺に駆け登ったレビがその場で一回転する。
吹き込む風は落ち葉を浚うほど力強く、一日の終わりを予感させた。
ケイは宇宙空間のにおいを憶えている。
とろけるような甘いそれは、意識さえすれば「ああこいつ宇宙から……」と擦れ違うだけで判るものだ。事実彼も、引き連れた宇宙の香をいつまで経っても纏わせている。
最もそれは、常人より優れた嗅覚を以てして、ようやく違和感を感じられる程度のものだ。
「もうガタがきてんのか……そりゃ衝撃に弱いのにあんなことされたら、そうなるわな」
というのも、彼には今より死ぬ前の前身があった。
彼らは種の特性として、死の間際、同種族の生体に意識を癒着することがある。だから生まれた瞬間「働かねば……!」と使命染みたものを感じたのは真実であった。
偶然継いだ遺志に動かされているだけで、地球に来たことも労働についても、そこに直感以上の意味なんてないのだ。
なのに地球人と共生しようとするレビの、その儘ならなさといったら。
(いや、俺もそう変わらんかもな……)
ケイはふと今朝方の出来事を思い出した。オフィスで夜通しネットサーフィンに勤しんでいた彼は、日の出と共に出社してきた自社の社長にいきなり頭を小突かれたのである。
「緋月、君に良いニュースと悪いニュースがある」
「悪い方から聞きてぇや」
「先月の給料はありません」
「えっ……。あ~びっくりした~! 冗談キツイっすよ社長~」
「一件にかかりきりで成績悪いんだから、当然といえば当然だね」
「あれッ!? ガチなの!? じゃあ良いニュースは?」
にやりと薄く笑うと、彼女は芝居がかった拍手をしながら給湯室に身体を向けた。
「ジャン、事務所の冷蔵庫が新型になりました。いやはや喜ばしい」
「それ使うのお前だけやろ」
「だから旧式は君にあげる」
「要らない……」
しかしながら強く異を唱えようものなら、次こそどんな処罰を下されるかわかったものではない。相手は苦労や耐え忍ぶことを美徳とし、下っ端を洗脳しようとする人格破綻者だ。
まさか追い出されはしないと思うが、何にせよ後顧の憂いが大きすぎる。
「ところでお前、リーベどこか知らん? 全然来ないが」
そう問いかけられたレビは数刻の間を置いた後、ぽてぽてとその場で足を踏み鳴らし始めた。「ゼタロ」の言葉に不審がったケイが一歩廊下へ出てみると、隣室から人の声が漏れ聞こえてくる。
耳を澄ますと、その片方はまさに彼が待ち侘びていた声であった。
「ごめんな、梨辺」
「いえ、こちらこそ不注意でした。すみません」
「あ、いや……梨辺は悪くないよ。助けてくれたんだし」
ケイはこっそりと保健室を覗いてみた。
目的の人物、リーベはベッドに身を預け、見知らぬ男と何やら話し込んでいる。しかしながら彼女はいつもの制服姿でなく、何故か上下とも学校指定のジャージに身を包んでいた。
「なっ……なっ……!」
部屋の奥では養護教諭が洗濯機からセーラー服を取り出している。恐らくあれが彼女の服なのだろう。
(なんなんあの男!? あいつリーベのなんなん!?)
彼の目には確かに見えた。
リーベと話す男子生徒が照れ臭そうに、さも甘酸っぱい空気を漂わせているのが―――。
(何か勘違いしているな、あれは……)
一方。見え隠れする挙動不審な人影に、リーベはシッシッと手を払う仕草をした。
ぴゅんと引っ込められた赤髪に、後でフォローを入れねばと煩わしい気持ちが募る。
「でも枝とかが刺さらなくて本当、良かったよ」
そんなことなど知り得ないヨシノが言う。彼は純粋な見舞いとしてやって来たただのクラスメイトであり、別に信頼関係があるわけでもないのだ。
居住まいを正したリーベは安堵の表情を浮かべる彼に、コクリと頷いて見せた。
「まあ臥竜丘さんを下敷きにした、の、で……」
全てが不運な事故だった。
双方の注意不足で渡り廊下から落ちかけたヨシノと、実際に落ちたリーベ。
中庭の木、並びに偶然木登りをしていたキズミがいなければ、ごめんじゃ済まない大怪我をしていたことだろう。擦り傷程度で済んだのは奇跡といって過言ではない。
(……思えば中庭にも人はたくさんいたし、名指しして手を借りるなり、大人を呼んで来て貰えば良かったのか。ちゃんと指示が出せてれば、あんな無様を晒す必要なかったのに……)
事態を遡り、彼女は怒りに任せてキズミに小言をぶつけたことを後悔していた。あの時は色々と整理のつかないまま、八つ当たり気味に不満を消化してしまった。
(その点委員長は最初から冷静だった……動くまですっとろかったけど。でもああなることを予見してたみたいに、俯瞰的に周りを見れてた。でも私は……)
そうして今更不安になる。上から落ちた自分と、下で受け止めた彼女。両者がここに揃っていないのはおかしくないか、と。
(臥竜丘さん、私に遠慮して保健室に来れないのでは……)
「梨辺?」
難しい顔のまま黙りこくってしまった彼女に、痺れを切らしたヨシノが声を掛ける。
リーベはその鬱陶しい視線を打ち消すように、躊躇いつつも口を開いた。
「あんまりこんなこと訊きたくないですけど……あの後臥竜丘さん、何か言ってたりしませんでした? 頭を打ったとか、背中が痛いとか」
「あっちは割と元気そうだったし、大丈夫だと思うけど。でも梨辺が謝りたいんなら、好きにしたらいいんじゃないか?」
「……本当、人の気持ちに寄り添えないですよね。あなたって」
「え?」
「梨辺さん、もう着替えたの?」
会話の切れ目にひょこっとベッドを覗いたのは養護教諭だった。それまで献身的にリーベの身の回りを世話していた彼女だったが、どうしてか不思議そうに目を瞬かせている。
「いえ、それは今から……どうかしました?」
「そうなの? ここの制服がなくなってたから、てっきり……」
「なんですって? 制服が?」
その時リーベは直感的に、「嫌な予感がする」と思った。秘密主義めいた自己韜晦、言ってしまえば自分の能力に自惚れを持っている彼女は、そういう勘ほど当たることを知っている。
「ちょっと待った!」
「ウ」
それは子供でも大人でもなく、男とも女とも判断付かぬ声であった。
デスクの上で仁王立ちするのは、紺色のセーラー服を身に纏った色白の少年だ。ついでに頭の上に鎮座するホワイトボールは、土足でそこらを往来するレビである。
見下すようにそこへ踏ん反り返ったケイが、呆然とする彼女らを睨め付けていたのだ。
「何してんだお前!?」
違和感なく女子制服を着こなす彼に、猫かぶりも忘れリーベが吠える。対格差ゆえあらゆる裾が危ういラインにあり、張りのある太腿が見え隠れするのがまた腹立たしい。
「リーベ、お前正気か? あのプライド高ーいお前が、他人なんかに謝れるのか!?」
「あ、あなた何しに……ほわっ!?」
咄嗟に立ち上がったリーベはサイズの合わないジャージの裾を踏ん付け、そのまま勢い良く転倒した。
あまりにスピーディにコケたため、傍にいたヨシノも養護教諭も反応できず、一拍置いてから慌てて介抱にあたる。しかしぐったりと床に伸びた彼女は、気を失ってしまっていた。
「安心しろ、お前の仇は俺が取ってやるから。そこで大人しくお寝んねしとけ、クックック……」
「おい待て! ……先生、今のは?」
「あー、あの子は梨辺さんの助手さん。悪い人じゃないから放って置いて大丈夫よ、それより梨辺さん運ぶの手伝ってくれる?」
「はい……」
うつ伏せに倒れたリーベはぐるぐると目を回して、頻りに誰かの名前を呟いている。
(助手の女の子、梨辺が怪我させられたから怒ってたのか? それとも……)




