第26話 クラス委員長は慥慥爾
「結局なんだったの? あの人。感じわる~」
「ね。頭おかしい」
擦れ違う生徒の愚痴に、リーベは足を止めてそちらを振り返った。
(きっかけは小学生の時……)
きっとあんな風に影で揶揄われ、表では腫れ物扱いされていたのだろう。無論、四三野 白凪のことである。
最近彼女の過去を知る生徒から新しい情報を得たのもあって、考えたくもないのに色々と憶測してしまうのだ。つい深入りしてしまうのがリーベの悪い癖である。
そんな問題児たるサナの拠り所が、当時六年生の『ミドリ』という男子生徒だったらしい。教師すら持て余した彼女を激励した唯一の味方であり、加えて上級生ならさぞ大人びて見えたことだろう。
その恋心は理解できなくもない。
(まあ、だからなんだって話ですけど)
心理学において『防衛機制』という言葉がある。受け入れがたい衝動から自我を守る働きのことだ。例えばあらゆる欲求を抑制せず、放任的に実行することもその一つだ。窃盗症やアルコール依存症が最たる例で、特定のものに執着しやすい傾向にある。
不満や不安がプラスに向かうことなんて、悲しいことに滅多にない。
人は日々抑圧され、度が過ぎれば爆発する。だからストレスとうまく付き合う方法を捜すのだ。「病気だから」は他者を害していい理由にならない。
(理解できるかはともかく、知らざるを知るは大事ですからね)
「リーベリーベ早く来て! 秒で来て~~~っ!」
「慧?」
ガシャン!
グラウンドから更衣室へ向かう道すがら、どこからともなく悲鳴と震動が聞こえてきた。慌てたリーベが体操服姿で保健室へ駆け付けると、そこで二つの人影が揉み合っている。
一方は薬品戸棚に追いやられ、もう一方が消毒液片手に襲い掛かっている状態だ。
「騒ぐなバカ! ゴミクズ! 社会不適合者!」
「ヘルプヘルプ!」
自分の口内目掛けて傾く消毒用エタノールに、追い詰められたケイが顔を蒼くして助けを乞う。しかしながらリーベには、それが危機的状況には見えなかった。
(なんでそっちが優勢なの?)
想定していた展開と違う光景に首を傾げる。確かにサナは腕っぷしが強そうではあるのだが、果たして一介の女子高生が人外と渡り合っていいものだろうか。
「あのぉ~……」
「後にして直久莉! 殺すぞ!」
「俺がお前を殺すぞ。さっきからチクチク言葉やめてくれません?」
リーベが把握している限り彼らは二度目ましてなはずだ。個々のコミュニティについて詳しくはないが、確かサナが勝手に自滅した初対面が先週の出来事なので、それほど日数は経っていない。
なのに、何がどうしてこうなるのか。
「慧、お前は短気が過ぎます。委員長にごめんなさいしなさい」
「はあ? なんで俺が」
両者共に興奮していて手が付けられそうにないが、どちらかを選ぶとすればそれは当然斯くの如しである。こんな状況でふざけられる胆力は流石の一言に尽き、何より彼には余裕が見られた。
青筋を立てて憤るサナなんかは「ああ、この人は追い詰められているんだな」と滑稽でこそあれ、とても話が通じる手合いではない。
「ほら早く。委員長が怒らない内に」
「いやブチギレの手本みたいなキレ方しとったけど……」
「ふーん。非を認めるって? じゃ、ちょっとだけ待ってあげよっか。いち、に、時間切れェッ!」
「あ、やめてやめて、沁みちゃう! ア!」
液体が僅かに垂れた瞬間、ビビり上がった猫を彷彿とさせる跳躍力でケイは壁ドンからの脱出を果たした。一瞬で天井まで跳ね上がった身体に逆にびっくりしたサナは、手にしていた消毒液を床にぶち撒けてしまう。
「ありえへんあの女……」
「同意します」
涙ながらにリーベの背に回るケイ。かわい子ぶった気弱な振る舞いとは裏腹に、サナの無茶とも呼べる暴挙から彼女を守るために移動したことは明らかだ。
「チッ」
彼らのそんなやり取りに対してか、あるいは内履きにかかった消毒液に対してか。サナは盛大な舌打ちをするや否や、ポケットから取り出した手帳に何やら書き込み始めてしまう。
「……そういえばそれ、ことあるごとにメモってますよね。なんなんですか?」
「21」
「はい?」
それとなく手元を覗くと、垣間見えたページの一面にはクラスメイト全員、それも教師の名前までがずらりと書いてあるのが見えた。その横に並ぶ、バラついた正の字のカウントも。
強い筆圧、その怒りを抑えたような乱雑な記述具合にリーベは一層不審がる。
するとサナは鈴のようなコロコロとした声で、「直久莉はにじゅーいち」と今度は可愛らしく言ってのけた。
「意外と溜まってないんだよねー、直久莉はねー」
「はあ……少ない方なんですね」
「ウン。まあ。お前は聞き分けいーし。……色々バレちゃうしな」
それについては風の噂で聞いたことがあった。察するに、自分自身についてより他人に重きを置いた日記、といったところか。寧ろそれだけで突発的な感情を抑えられるのなら、極めて有用なストレス発散ともいえよう。
それはいい。
それよりは―――感情の捌け口にした過去をさながら美談のように昇華しようとする、その性根に吐き気がした。
(私はあなた以上に苛々させられてるけどね)
いじめられる方に問題があるとはいわないが、まあ残念ながらそういうケースもあるということだ。日常的に人格否定された彼女がミドリ氏に変な執着の仕方をしてしまうのも、ある意味納得できる。
「不毛な習慣ですねぇ。ミドリさんの教えですか?」
「……なに?」
「ミドリさんが、そうしろと仰ったんですか?」
「ウソ吐きのクセに知った風な口きかないで。アンタみたいな詐欺師が、あたしのみどり君をバカにしないで」
「嘘を吐いてたのは委員長でしょ、怒りの矛先がいないからって八つ当たりしないでください。私がいつその方を馬鹿にしました? あなたはミドリさんじゃないでしょ?」
多少仕方のないことだがリーベは仕事柄、神聖視をされがちというか、厄介な人間に執着されることもままある。そして恐らくサナはそういった人種だ。一定の対象にとことん固執し、激しい二面性を飼い慣らせていない。
まともに生きてきた人間には到底理解し得ない。だから関わらないことが一番の対処法である。
……そんな風に割り切れたら楽なのかもしれない。
(そうしたいのは山々だけど……)
予鈴が鳴る。これは授業開始の合図だ。
しかも次は移動教室だった気がする。
未だ汗臭い体操着のままのリーベは、「行かなくていいの?」と訴えるケイの期待に満ち満ちた目に気後れした。すっかり学校生活に馴染んでしまった彼は、イレギュラーな事態が起こっているというだけでもう機嫌を良くしている。
ならいいか、と彼女は十分に絆されている自分に開き直った。
「だって、だって! 好きだって言ったクセに振るとか……あり得なくない!? ウソ吐いてたってことでしょ? 好きでもないのに付き合うなんて、そんなの詐欺じゃん」
(ここまで依存されて野に放つって、相手も大概……)
既に一度手厳しい指摘を受けた後だからか、呆気なく虚言が瓦解する。
当初の見解通り、サナの言い張っていた懇ろな間柄というのは、彼女の脳内に限り成立している妄想であった。まさに自我を守るための防衛機制症状である。
そもそも好きでもない云々は飛躍し過ぎだ。リーベはなんとなく、「本当に恋愛感情なく付き合っていたのはこっちかぁ」と複雑そうな心境を察してしまった。
「だからしてないのっ! 別れてなんかッ!! 勝手に終わらせたのはあっち! 待ってるって言っといて、自分で言ったこと一つも守れない中途半端なヤツが一ッ番キショいんだよ!」
「まあまあ。でもわかります、情熱を注ぐものには永遠に快くあって欲しいものですよね~。そういう気持ち自体は誰しもあって、委員長は決しておかしくないですよ」
「あのさ直久莉……ちゃんと聞いてる? アンタならわかるでしょ全部。あたしはただ、直接謝って貰いたいだけなの」
リーベがうんざりしながらもフォローすると、怒り狂っていたはずの彼女は大粒の涙を流しさめざめと泣き出してしまった。精神安定剤としてのツールも、感情の乱高下次第では最早意味を成さないようだ。
「だってあたし、普通に、幸せになんないといけないのに……。あたしの幸せってなんなの……!?」
しゃくりあげる声は震えている。
(生きてる世界狭すぎて、笑っちゃうんですよね~……)
人には相性があるのだから、何かしら不利益と判断したならまず離脱をすべきなのだ。そうやってミドリは離れて行き、でも、彼女の周りには現状たくさんの人がいる。
マイナスな面以上に、惹き付けられる魅力もまたあるからだろう。
サナはきっと、馬鹿は馬鹿でも許されるタイプの馬鹿だ。キレ散らかす態度に普段とのギャップをあまり感じない。
「こいつこういうとこあるよな」「元々アレだしな」と冷静に軽蔑できる心の余裕がある。
「委員長。これは、あなたが払った対価です」
おもむろにハーフパンツのポケットから百円玉を取り出したリーベに、サナもケイも一瞬だけギョッとした。何故そこに……?という懐疑の視線を受け流し、彼女は桜花模様を掲げる。
「この場でこれ以上悩む必要はないんです。これは提案なんですが、表が出れば決別、裏なら現状維持。そうやって運に委ねてみませんか?」
「……占いとか信じてないし」
「信じる必要なんてないでしょ。精神の安定性を図れるなら、その方法が自己暗示だろうがなんだって」
瞬きの拍子に涙が落ちる。癇癪の後に寄り添われるなんて、それこそ『彼』にしかされたことがなかったのだ。
「精神の安定とかって、それソースどこだよ」
「占いの価値って、実はメンタル調整の側面が大きいんです。まあ客なんて漏れなく馬鹿な情報弱者ですし、一種の病人ですからね。だから万人に当てはまる情報が大事なんです。私には馬鹿の考え得ることなんてわかりませんし」
「素面でスゲェこと言うなお前」
「よく生年月日とかカードを使うでしょ? これの重要なのが、意思が介入しないということです。不変なものには作為を感じづらいから、運命だと位置づけし易い」
―――ただし実施者の運は介入する。
さりげなくアイコンタクトを取った彼女は、ケイに硬貨を預け無言でピースをした。「やっちまえ」という圧である。
「信用ならない気持ちもわかりますけど、いいですね? 委員長。コインのどちらが出ても従う。約束できますね」
「……やっぱあたし、今のままでも別に……」
「慧。やれ」
「ちょっ、待っ……」




