第23話 蓮華往生
「うわでっか……」
奇抜を好むキズミは、普段から身に着ける衣服もそれなりに目立つものを選んでいる。
今日は上下の繋がったオールインワンコーデで、全体に宇宙服のような意匠が凝らされている。フードを被るとより顕著にわかりやすくなるデザインは、彼女の一等お気に入りであった。
擦れ違った拍子にポロっと本音を零した通行人が、その後もチラチラと彼女らに意識を向け続ける。連れ合いと何やら囁き合う様子を見て、キズミはにやりと微笑んだ。
(ふふん。そうでしょそうでしょ)
ショートパンツから伸びた脚は生白く、その足取りは軽い。近所のスーパーをご機嫌で闊歩する姿は平和そのものだ。―――隣に並ぶ巨体を除けば。
「賞味期限が長いやつな。裏も割れてないか見ろ」
「はーい」
カートを片手で押しながらのっそり歩くアオイが、低い声でそう指示する。
買い物客の視線を一身に集めていたのは、ポップなBGMにそぐわぬ威圧的な巨躯であった。
片やクソデカ甚平、片やスモール宇宙服。異様な光景に周囲も気が気がでなく、否応ない見世物状態に晒されたキズミは、その何百回と見た反応にこれ以上ないほど気を良くしていた。
(ママさんとデートできるなんて、超ラッキー!)
休日の夕方ごろ。タイムセールを狙った若年層も多く、今日に限っては子供らが辺りを忙しなく駆け回って遊んでいる。特にお菓子コーナーの通りは人が通れないほど賑わっていた。
(まあ……先生が疲れてたおかげだけど。ママさんあの人には優しいし。……言ったら怒るかな)
今日はいつものように休日出勤を終えた八柱が、調子が悪いのか床に伸びたまま使い物にならなくなってしまったのだ。
そのためアオイは仕方なくキズミを連れて買い出しに来たわけだが、「軟弱者め」とぼやく愚痴には心配の念が隠しきれていなかった。
その拗ねたような態度がまるで構って貰いたい乙女のようで、やり取りを思い出したキズミは途端に気分が悪くなった。自分だって寝不足気味なのに、と無意味な不幸自慢を競いたくなる。万が一にもそんなことはしないが。
(ゆっくり歩こ)
この時間がずっと続けばいいのに。
大好きな母と二人きり、加えて衆目を集める優越感。ご満悦のキズミは手にした卵パックからついつい気を逸らしてしまった。
「おわっ! すみません!」
注意力散漫で狭い道を遮っていた彼女は、ふとタイミング悪く後ろを通ろうとした客に思いっきり肘鉄を食らわせてしまった。
痛くもないのに咄嗟に肘を押さえ、慌ててアオイの背後に身を隠す。
「……臥竜丘?」
「え! シン!?」
しかし名を呼ばれたことで、相手がクラスメイトの蛭閒であることに気が付いた。同時にハラハラ、と花弁が雪のように床に散る。
ラッピングされた花束を抱えた彼は、腕の中の花より不意打ちを食らった脇腹より、何より動揺しているキズミに心底驚いていた。
「怪我は無いか?」
「う、うん。ごめんね蛭閒。でも怖い人じゃなくて良かった~」
そこでキズミはハッとする。自分の盾とする先が母親であると改めて認識すると、なんだか物凄く気まずい感じがしたのだ。
「奇遇だな」
「マ……まあね! お母さんと、ちょっとね!」
誤魔化すように声を張り、ちらとアオイの顔を伺う。しかし娘の交友関係もさして興味ないのだろう、この場での用を終えた彼女はとっとと先を進んでしまった。
何気なく視線を追った蛭閒も、二メートルをゆうに超える巨体に下手に口を出すなんてことはしない。
(イライラってほどじゃないけど、なんかもどかしい……でもわざわざ言う感じでもないし……)
大事な友人と挨拶もしてくれない母に、キズミは胸の内にじれったい感情を抱いた。
何せアオイが去ったこと自体、彼女にとって逆に有難いのだ。
同級生に披露する表向きの人格と、家族と接するリラックスした状態は、絶対に両立しないからである。
こんなことは初めてでどうすべきかわからないが、きっとどちらを基準にしてもモヤモヤが残るのだろう。
「……母御の手は美しいな」
「え!?」
それは雨上がりの虹を見て、あるいは、よく整頓された背の順の本棚を見て。なんでもないけど感心した時の「美しい」だった。
母の手。とは。
キズミの意識が急速にクリアになってゆく。
並外れて巨大で、岩の如くゴツゴツとしていて、しょっちゅう爪の内出血を起こしている。治療を知らない指先はあかぎれやさかむけが目立ち、酷く痛々しい。
そんな、他人のために家事を負う手だ。
(こいつ、やっぱめっちゃイイ奴なの!?)
……通りがかりに同級生の親の手を批評する頭のおかしさはあれど。
そんな血の滲んだ肌をなんとかしてあげたいと思うと同時に、キズミは母の手こそが世界で一番美しいと考えていた。
だから前々から秘めていた繊細な思いに同調され、うっかり運命めいたものを感じてしまったのだ。
「あの、お花が好きなんて可愛いね! わたしも好きだよ、花。気が合うね!」
「そうか」
「アワワ……」
言う毎に首を折って下向く花たちに、罪悪感がグラグラ揺さぶられる。
意外かもしれないがキズミの花好きは本当だ。それもアオイからの影響である。アオイは昔から花を観賞するという密かな趣味を持ち、プレゼントを贈る際唯一好ましい反応を返してくれるのだ。
(しかもリンギクってことは、お供え用では……?)
大輪の花弁をつけた純白の菊は、仏花によく用いられる高潔で清楚な花だ。綺麗に包まれているとはいえ、このまま墓前に供えるには少々縁起が悪い。
「弁償します……」
「問題ないからそう気にするな。いずれ時機が来る」
「いいの、払わせて。だってそれお供えするやつでしょ」
「よくわかったな」
誰でもわかる。今更ながら蛭閒の見慣れた制服姿に疑問を抱いた彼女は、漂ってくる死を連想させるにおいに思わず泣きそうになった。
「お通夜……だったの?」
「ああ。おれは養護施設に身を置いているんだが、二日前に施設長が亡くなってな。寝食も儘ならんほど大わらわだった」
「あぇ!? あ、そ、そうなの」
これでもか!というほど詰め込まれた情報量に対して、キズミはどんな返事を返すべきかわからなかった。
施設に通っていたことに一驚するべきか、それとも身近な人の死を悼むべきか。なにせ一から十まで初耳で、どれから手を付けていいものか迷ってしまう。
「知ってるか臥竜丘、肉を焼き落とした後の骨は白色じゃないんだ。……よくあんなものを躊躇いなく触れる。地獄に幸福も安寧もなかろうが、あれが自然な死とは到底思えん」
「へー……」
見たくもない骨格模型を見せ付けられた蛭閒の胸中は大荒れらしく、ウンザリと菊の花を睥睨している。
案外おしゃべりな彼はキズミの相槌を聞くや否や、自分が天涯孤独の身であることや、最年長の立場であることだとか身の上を簡単に話してくれた。ますます触れづらい経歴である。
「ねーまだー?」
七歳ぐらいだろうか、蛭閒の長い脚に幼い子供がピタリと抱き着く。唐突な衝撃に僅かによろめいた彼は、宥める意を込め困ったように笑いかけた。
「今行く。……引き留めて悪かったな臥竜丘」
「いやっ、全然。こっちこそごめん! バイバイ、僕」
施設に入っているというのは真実らしく、年の離れた子供が磁石に引き寄せられるように段々と彼の元へと集まって来る。
しかしながら、人が死のうが生きようが、遊び盛りの少年少女にそんな都合は通用しないようだ。微塵も湿っぽさを感じさせない無邪気ぶりで、店内を縦横無尽に暴れ回っている。
(コアラみたい……)
キズミが軽く屈んで手を振ると、少年は嬉しそうな顔で手を振り返した。それでも脚にへばりついて離れない様子からは、蛭閒への信頼が見て取れる。
早々に遠ざけることを諦め、ただ笑って見守る姿は彼らにとって親も同然なのだろう。そんな心中を思えば健気で胸打たれるものがある。
「そうだ、卵は来週買った方が安いぞ」
「え」
一体どのタイミングだったのだろう。せっかく選りすぐった卵は、いつの間に手の中でひび割れていた。




