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第20話 親愛なる滄海の一粟


 時刻は深夜三時。

 日中の騒擾を洗浄するが如く、深海のような静けさが街並みを包んでいる。


 アルミブラインドから窺える夜空は、ある意味でケイの故郷と言って差し支えない。彼は物憂げな溜め息を吐いて、ただただけた月を眺めていた。


「君ね、適当に仕事回してるでしょ」

「それって駄目なん?」


 熒惑けいこく宇宙人保険会社のオフィスでは、丁度部下への洗礼が行われていた。

 部屋は互いが見えないほど真っ暗だが、両者共に灯りを点けようとする素振りもない。


「駄目じゃあないよ、駄目なのは君の社会性。成果の一つも報告しないところとかね。いやはや、女子高生の尻追っかけて社用のケータイで遊んで、毎日楽しそうで羨ましい限りだよ。こっちはそんなことを許可した覚えないのにね」

「信じてくれよ社長~、俺頑張ってんのに~」


 あまねく専業代理店とは似ても似つかない弊社は、営業から調査、保険金の支払いまでと一人が担う責務の幅が広い。

 変な話、宇宙人というワードの公然たる知れ渡り方と物珍しさから、「話だけでも」とやって来る客は絶えない。社員を無限の労働力としか捉えていないヤクザ社長が調子に乗って『業界ナンバーワン』を大仰に謳っている所為もあるが、そもそも同業他社がいないのだから当然である。


「頑張りは知ってるよ。それがどうした」


 闇の中で笑うように金の髪がふわりと揺れた気がして、ケイがそちらを仰ぐ。


「いやだから……」

「もっと頑張れるって? 頼もしいね、緋月アカツキ。ならもう一件お願いしようかな」

「辞めてェ~この仕事」


 ぐったりとデスクチェアに仰け反ったケイは、鼻先にとあるマンションの写真を突き付けられて瞠目した。

 赤いマーカーで印の付けられた部屋番号は、この住人が既に契約済であることを示している。


「”アオイ”、という女について調べろ」



***



「竜、最後の問題なんて書いた?」

「や……覚えてない……。なんっにも頭に入ってこなかった」

「大丈夫そ?」

「まあいいじゃん、そんなこと!」


「そこ、席に着いて。ホームルームを始めます。号令」


 ネヤが教壇に立つと、日直の生徒は慌てて「起立」と掠れた声を上げた。


 七限目のロングホームルーム、クラスメイトのほとんどは虚脱状態でまともに担任の話を聞いていない。

 無理もないだろう、ようやく彼らにとって高校生活初めてのテスト期間が終わったのだ。


「まずはテストお疲れ様でした。初めに挨拶した際も説明しましたが、我々が成績を付ける際、評価の基準とするのは課題とテストの出来具合です。だから皆さんはこの高校において平均値のためだけに修学してください。評定5を得るにはどちらもそこそこにこなせば良いだけなので。簡単ですね」


(まーたなんか言ってるよ)


 扉付近で傍に控えた副担任の八柱ヤハシラは、そんな生徒たちを威圧せんと胸を張るネヤの横顔を、白けた目で見つめていた。


「具体的に言いますと、課題に関しては小テストは直前に暗記すればいいし、提出物も体を成しているものならまず評価が下がることはありません」

「先生ー、やったけど忘れた時ってマイナス評価なりますかー?」


 一番後ろの席、お調子者のキズミが言い放つ。近くに座る友人はニヤつきながら彼女を振り返り、キズミ自身もまたへらへらと手を挙げている。

 疲弊しきった周囲を和ませたかったのかなんなのか、おどけた口調と声色は彼女の印象を著しく悪くした。


「やろうがやってまいが期日を過ぎたものに価値が付くとでも?」

「ヒエ~」

「そもそも自分の能力を過信するな。提出課題なんてものは解答を丸写しして、折に触れて誤答しておけば見栄えするのだから。真面目に取り組んだ跡を残すの、君たちどうせ得意だろう?」

「……」


 図星、としか言いようのない消沈具合でキズミが黙り込む。それに彼女だけでなく、クラス中が凍り付いたようにシンと静まり返った。


「それでも間に合わなければ、あらかじめボクか八柱先生に言いに来い。なんとかしてやる」


 不意に名を挙げられた八柱は逸らしかかった視線を戻し、露骨に彼女を二度見した。「何故またそんな面倒を……」といった抗議の念がありありと伝わってくる。


 態度こそ果てしなくデカいが、困ったことに、ネヤはまだ教師の中では『新人』として扱われる。今の発言を好意的に捉えるなら、一応は先輩の意見も聞こうという意志表明なのだろう。

 結果サービス残業に縛り付けられるのは八柱で、それを彼女がわからない、なんてこともあり得ないのだが。


「なっ?」


 無表情のまま、首を傾げて振り向くネヤ。生徒を見ているようでその実虚空を見つめている彼女の、底の見え無さ、不透明さは、全く以て浮世離れしている。

 ビビった八柱がたちまち頷くと、彼女は馬鹿にするようにフッと鼻で嗤った。


「じゃあ八柱先生、後はよろしくお願いします。あと、体育祭については説明だけ済ませておいてください」

「あ、はい。わかりました。お疲れ様です」


 意味深な会話に脱力していた生徒たちがおや?と顔を上げる頃には、ネヤは挨拶もなしに颯爽と教室を立ち去っていた。どうやら引き継ぎは前もって予定されていたことで、彼女だけ早退するらしい。


 労いの言葉を置き去りに、あっという間に姿を消した担任教師。困惑しざわつくクラスの中、キズミは「体調でも悪かったのかな?」と彼女を案じて扉から外を覗いてみた。

 しかし、ひらけた廊下の右も左も、最早人の影はどこにも見当たらなかった。



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