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第17話 厭勝モラトリアム


『ごめんなさーい、十二位はおとめ座のあなた! 取り返しのつかない失敗をしちゃうかも~。ラッキーアイテムは動物の人形! 今日も元気に、いってらっしゃーい!』


 ふと、八柱ヤハシラの耳が甲高いアナウンサーを聞き取った。

 何気なくテレビに目を向けると、朝の星座占いは既に芸能ニュースへと移り変わってしまっている。


(マジでか)


 今までこんなコーナーは気にしたこともなかった。だからこそ偶然、無意識に自分に関係する『おとめ座』の単語を耳が拾ってしまったのだろう。

 それが不吉な予知でなければ、彼だって今日も元気に出勤できただろうに。


「おいシュー、遅れるぞ。とっとと出てけ」


 背広に腕を通したっきり棒立ちの八柱に、欠伸を噛み殺したアオイが腰辺りをチョンチョンと突いて急かす。

 そのジトーっと細められたつぶらな瞳を見て、甚だ遺憾ながら、なんだか彼女が可愛く見えた。


「動物……」

「あ?」

「いや、なんでも……」


 言われてしまえば厄日のような気もして、まるで小骨が喉に刺さったみたいな焦燥感がチクチク八柱を責め立てる。

 不安の正体も掴めないまま彼はアオイに背を向けた。そうしてルーティン通り、外出前に用を足そうとトイレの扉を開けた、その時だった。


「……」


 虚ろな目だ。生気すら感じられない伽藍堂の黒い瞳と、一瞬で視線がかち合う。

 中にいたのはキズミであった。腰掛けたついでに手櫛で寝癖を直している。


「…………オーマイガー……」


 一瞬だけ時が凍る。

 間抜け面を晒したキズミが「あ」と呟くと同時に、サーッと蒼褪めた八柱は叩き付けるようにして扉を閉めた。


「違う! 間違えた! すみませんの間違い!」

「鍵、忘れてた……」


 扉の外で叫ばれる謝罪と気配にうんざりしながら、カシャン、とキズミが改めて中から施錠する。


「別に気にしてませんから」

「本当にごめん……!」


 ドア越し、加えて他人行儀な返答がまた八柱の骨身に応える。

 そもそもキズミからすれば些細なうっかりを追求して、今後生活しづらくなるのも面倒臭いだけなのだろう。だから本心から彼のことなどどうでもよく、一秒でも早く水に流して欲しいだけであった。


「ごめん臥竜丘さん、わざとじゃないんだ! そういうの一切ないから!」

「うるッせえぞシュー!」

「ちょ、い、行って来ます! 臥竜丘さんも後で!」


 悪意もなければ故意でもないのに、八柱自身、どうして居候相手にこれほど低姿勢なのかがわからないのだ。

 なんせパラサイトの自覚がある彼女たちも、そのあまりの危機感のなさに若干引き気味なのである。


「なんだあいつ?」

「……さあ?」


 ―――『ごめんなさーい、十二位はおとめ座のあなた!』


 脳内でアナウンサーが朗らかに言い放つ。いかにも実現しそうな未来に身震いした八柱は、自家用車のシフトレバーを殊更慎重に引いたのだった。






「あ。八柱先生お疲れ様でーす。なんか事故ったって聞いたんですけど、マジですか?」

「マジ……」

「あらら」


 結論から言うと、その日、八柱は物の見事に不幸であった。


 家を出て間もなく、信号待ちの最中追突事故を起こした。後続車から接触されただけの八柱に非はないものの、諸方へ連絡しようと取り出した携帯電話は落とした拍子に画面がヒビまみれに。

 それだけならまだしも片手のみで運転していたことを警官に責められ、危うく謂れのない過失をでっち上げられるところであったのだ。


「まあテスト期間で良かったですよねー」

「本当だよ……」


 一見堅物そうな八柱に物怖じせず話しかけて来る若い男性教師は、この春から着任した新任教師だ。何が楽しいのかニコニコと上機嫌に紙面を見つめている。

 彼の言葉通り、幸いにして今日は一学期の中間試験の初日であった。規則上部活動も行われず、教師も皆、採点業務に追われている。


 しかし極めつけはヘトヘトになって高校に辿り着くなり、教頭から遅刻について言い訳の余地もないほど咎められた災難に尽きる。

 やっと座れたと思った席には答案用紙の山、気付けば時刻は昼になっていた。


「ところで今日お弁当なんすね。彼女さんですか?」

「え?」


 机の脇に退けられたランチバッグに視線を落としながら、男性教師が朗らかに言い切る。アルミ生地の眩しいバッグは仕事なんかより余程大事なのか、授業で使われるプリントの上に強かに佇んでいた。


「……? ……!?」

「そんなびっくりします?」


 不意打ちを食らった八柱の左手から箸が零れ落ちる。かろうじて机上に留まったプラスチック製の二本は、まだ彼の手に馴染んでいないのだ。


「いやっ……そういうのじゃあないんですけど……」

「へー手作りですか? うわ茶色っ」

「やっぱり偏り過ぎですよね? これって」

「糖尿病不可避って感じっすねあははは!」

「はは……まあ笑いごとじゃないけど」


 当初の約束通り、アオイは家事全般において割とそこそこの貢献をするようになった。あんな馬鹿げたやり取りが果たされるなど八柱は露ほども期待していなかったが、意外にも当然といった様子で毎日弁当まで持たせてくる。


(子供のついでなんだろうけど……)


 肉料理ばかりとはいえ昼食の体を成している弁当は、彼女があれこれと献立を悩む様を想起させ、八柱をなんともいえない気持ちにさせるのだ。


「あ、ネヤ先生見てくださいよ、八柱先生の愛妻弁当!」

「ちょっ……!」


「愛妻…………?」


 バインダー片手に彼らの背後を通りがかったネヤ教員が、鋭い眼光でそちらを射抜いた。

 八柱は咄嗟に身構え固唾を飲む。ふわふわと跳ねる金髪が彼女の怒気に呼応し逆立つと、ぐあ、と職員室の室温が数度、急激に上がったような錯覚に陥った。


「……君にそんな相手が居たなんてね」


 金の瞳を三日月に細めたネヤは、憔悴しきった八柱の様相を見てフッと鼻で嗤う。


「そりゃあ他の女なんかどうせ自分の物にはならないんだから、粗雑に扱うのも頷けるよ」

「あの、朝はすみませんでした。クラスを一任してしまって……」

「滞りなかったよ。君が居ないだけでどうにかなるとでも思った?」

「いえ……」

「だろうね、今までそうだったんだから。これからも変わりようがない。……わざわざ話すことでもなかったか。互いに時間を無駄にしたね」


 コツコツとヒールを鳴らして遠ざかってしまうか細い後ろ姿に、男性教師はひっそりと止めていた息を吐き出した。


「……コエー。なんであんな怒ってるんすか?」

「あの人はいつもあんな感じだから」

「うわぁ、友達いなそー」


 いっそ機嫌が悪いという理由があるなら良かった。しかしネヤの嫌味的なコミュニケーションは基本人を選ばない。手当たり次第に皮肉を撒き散らすアイロニカルな人格は、度々教室を独裁的な雰囲気に形成する。


(不運だ……やっぱり十二位だから?)


 ―――否、本当は「不運」なんて言葉じゃ片付かないほど腹立たしくて、乱れた気持ちの整理がつかない。


 冷静さを欠いていることは彼も重々自覚している。怒りも哀しみも発散できない現状ではそれが正しい反応なのだろう。

 彼女の癖のある性格も今に始まったことではない。ただこういう時、なんのために生きていて、そしてなんのために理不尽を受け入れなければならないのか、うまく消化ができなくなる。


「そろそろ集中してやりたいから、ごめんな」

「うっす。邪魔してすみません」


 耳障りな占い一つでこうも振り回されるなんて、最早運命に弄ばれているとしか思えなかった。


(ん? 占い……)


 とんだ厄日に肩を落とす彼の思考に、不意に一縷の光が差した。雑念混じりながらテンポよく紙面を滑っていた赤ペンが、ぴたりとそこで止まる。

 テストの答案用紙、その氏名欄。


 『梨辺 直久莉』。

 そこに天才占い師の名があった。



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