第15話 熒惑宇宙人保険(株)
この高校は車通りの多い表通りに面している。向かいが閑静な住宅街になっており、そこに隣接する小さなコンビニが一番手近な店屋であった。
数台ほど停まれる駐車場はいつ見ても満車なのだが、その割に店内の客は疎らだったりする。意外と憩いの場にはなっていない。
「次の時限はっしーかよ、だるっ! 寝れねえじゃん」
「てか今日当たるよね?」
「うわ最悪なんだけど。当たったら助けてね」
だがそんなコンビニも、昼間ばかりは客足が絶えない。休み時間に学校を抜け出した学生たちで大いに賑わうのだ。
(程度の低い会話……)
あくまで表情には出さず、リーベは真後ろに並ぶ生徒たちの会話を盗み聞いていた。あいにくと中身のある話ではなかったが、流石に上級生ばかりが来店しているようである。
「リーベ、リーベ」
くいくいと肘を引かれる感触に、彼女は冷えた目のままそれとなく隣に立つケイへと視線を遣った。
「これクッソ美味いわ、一口飲む?」
「おまっ……!?」
笑顔で紙パックのミルクティーを差し向けられ、リーベの思考は一瞬だけ停止した。傾けたことでコロ、とこちらに転がるストローの端に伝う紅茶の雫を見て、慌ててそれを取り上げる。
「飲むな!」
完全に飲み口の開いた紙パックは心なしか容量も軽く、本当にあと一口だけしか残っていないようだった。
気付けば後ろに並んでいた二人組はヒソヒソと内緒話を始め、店員はいつまでも空いたレジに進まないリーベを険しい顔で見つめている。
「リーベ、お会計」
いけしゃあしゃあと尚も幼い仕草で呼ぶケイに、彼女はその脇腹を強めに突いてやった。この場で異星人だと声高に正体を明かしてやろうか、などと暗い衝動を堪えつつ、精算時引き攣った笑みを浮かべたレジ店員に何度も何度も頭を下げる。
「信じらんない……! 会計する前に手を付けるなんて……!」
「どうせ金払うしええやん。タイミングが違うだけだろ?」
逃げるように店を出た二人は正反対の感情を剥き出しにしていた。
狭い駐車場にて反省の色のないケイが、飲み干したミルクティーのパックを当然といった様子でゴミ箱にスローイングする。
眉間に皺を寄せたリーベは、「あのねぇ……」と苛立ちを露わにした。
「いつまでお客様気分でいるつもり? ここは地球で、もっといえば日本です。あなたの持つ常識は偏見に過ぎない自覚を持ってください」
「いや俺客やし。問題ないだろ、誰も騒がなかったら」
「ああわかりました。あなた友達いないでしょ。だから今まで注意もして貰えなかったんだ可哀想」
「……効かねえなァ~」
(効いてるじゃん)
二人が帰る先は学校だ。縁石の上を渡り歩くケイは、拗ねたように僅かに歩くスピードを上げた。
最初から彼女を置いて行く気なんかないのに、「ちょっと困らせてやろう」という風な試し行動が、また人間臭くて不気味である。
「慧、車来てますよ」
けたたましい排気音に後方を見遣ると、一台の走行車が近づいていた。
人通りこそ少ないが、ここらは一軒家の立ち並ぶ住宅地である。一帯の制限速度を明らかに無視した速度に、リーベは老婆心から警告した。
「だから?」
縁石を飛び降り、あまつさえ信号のない横断歩道を渡ろうするケイは、提言の意味を図り兼ねて首を傾げる。
「だから、あれが行ってから……」
「お前、今までよく五体満足で生きて来れたな? 横断歩道は歩行者優先って決まりなんだが?」
「まあそれはそうなんですけどぉ……なんかお前に言われると腹立つなぁ……」
横断に歩みあぐねている二人のすぐそこまで、車は猛スピードのまま接近して来る。本当に止まらないつもりか、一時停止も無視してそこを通過しようとしていた。
「慧!!」
―――ガシャンッ!!
車が来るタイミングに合わせて彼が一歩踏み出すと、最早どうしようもない距離で急ブレーキが踏まれた。黒いミリタリージャケットが大仰なほどはためき、リーベは腕を取ろうと伸ばした手を反射的に引っ込める。
(間、に合わなかった……)
ギュッと目を瞑った彼女は、身を揺るがす衝突音に恐る恐る様子を窺う。意外にも、凄まじい事故を想起させる轟きはすぐに静まった。
堅固な物体につんのめった車体のバンパーは拉げ、タイヤは未だ路面をキュルキュルと擦っている。
その先に、事故前と一つも変わらぬ人影が立っていた。
「お前無免許?」
騒然たる衝撃に耐えられなかったのは車体の方であった。ひび割れたフロントガラスの隙間から、身ぎれいな恰好をした中年の男が苦し気に呻いている様子が見て取れる。
どうやらエアバッグによって身体は守られたものの、とてつもない負荷に身動きが出来ないようだ。シートベルトのせいで肋骨も折れたのだろう、痛みから肩で激しく呼吸を繰り返している。
まるで何事もなかったかのように、ケイは衝突によって自らを押しやるボンネット部分を振り払った。車両は軽々と薙ぎ飛ばされ、損傷したパーツを撒き散らしながらその天地が引っ繰り返る。
途端に、辺りに焦げ臭いにおいが立ち込めた。
「……大丈夫なんですか?」
「痛くも痒くもない」
「あ、そう……」
やがて完全に沈黙した車の横へ回り、ケイがコンコンと窓ガラスを足先でノックする。
しかしエアバッグが稼働した勢いか飛ばされた衝撃からか、運転手は意識を失ってしまっていた。
「でかいの乗り回してる割に、大したことないやん」
一時停止の標識を掴んだ彼は足払いでポール部分を切断し、次いで思い切り振り被った。ポッキリ折れた三角標識は風を裂いて掲げられ、進退ままならない車体へ向けられる。
それが十分な殺傷能力を持つことなんて火を見るより明らかだ。
「ちょっと、それ以上は死んじゃうから! 殺す気!?」
事態を見守っていたいよいよリーベが叫ぶと、彼は少し間を置いて、少女のように愛らしい顔を迷惑そうに歪めた。
「駄目なん?」
「え?」
「なんで殺しちゃ駄目なん?」
邪魔立てを心底から厭わしく感じている表情だ。不可解な制止に不満を露わに、凶器を構えたままリーベの了解を今か今かと待ちかねている。
(駄目だって、解らないの……?)
『殺されかけたから、相手を殺してもいい』。
それではあまりに倫理観に乏しい。見た目にそぐわぬ価値観の幼稚さに、さすがの彼女も驚愕を禁じ得なかった。
元々ケイは思い込みが激しい方ではあった。
例えばテレビのエンターテイメントの大半をアドリブの産物だと思っていたし、ネットに転がる情報を無根拠に鵜呑みにする危うさもある。
だが、まさか殺害の是非を疑問に思うに留まらず、口にするほどまでとは。
道交法を語る一方で進んで秩序を乱しているのだから、なんとも可笑しな話である。
もしや取り繕わないことを美徳だとでも考えているのか……いや、影響されやすい性格ならあり得る。時と場合を考えられない様は、如何にも分別の付かない子供そのものではないか。
リーベは痛む頭を抱えた。
「慧……お前は神を信じますか?」
「別に、居てもいいと思う。居なくてもいいけど。なんだ、宗教の話かよ」
早く甚振りたくてたまらないのだろう。手慰みに標識で素振りを繰り返す光景は、夢かと見紛うほど非現実的だ。
「そういうわけでは……」
因果応報に基づく簡潔な説得を試みようとした彼女の声は、尻すぼみに消えてしまった。果たしてこの世の道理から元より外れた存在に、人間の業なんて考えが通用するとも思えない。
「リーベ一人だったらどうしてたん? 殺されてたかもしれんのに」
「……殺していけないのでなく、正義でいるためにはルールがあるだけです」
「ほーん。綺麗事って綺麗なだけやな」
先にルールを破ったのはそっちなのに、と口を尖らせたケイは素直に手を降ろした。もうリーベを振り切ってまで襲い掛かろうとはしないだろう。
(宇宙人なのに……)
彼はそれが倫理に悖る行為だと理解が出来ずとも、見事理性で衝動を抑えて付けてみせたのだ。
宇宙人なのに。人間ではないのに。
「つまんな。もういいよ、帰って飯食おうぜ」
ようやくだ。
ようやく幸運に愛された緋月 慧という人物の底が見えた。その浅はかで愚かしい無知が、付け入る隙を与えたのだ。
「残念ですけど、ここでのルールはそうなんで……。でも、ルールというのは上手く利用するためにあります。反抗するのが利巧なやり方じゃないだけで、本来踏み台にしてやるべきなんです」
「知らねえよ」
「大丈夫です。お前が知らんことは、この私が教えてやりますから」
「なんで?」
―――この世は賢者が愚者に合わせてやるしかない。逆はあり得ないからだ。
「直前で踏み止まれるなんて、あなたは下手な大人より聡明ですよ。それが出来ない人間なんて腐る程いるのに。私の話を聞き入れてくれて、本当にありがとうございます」
「え、おう」
「それに傑出した才能は評価されるべきです。その点あなたの才能は素晴らしい。だから一つ、私もそれにあやかりたいんですよ」
「はあ……?」
上っ面だけの笑みを前に、ケイは怪訝な顔をした。だが絆されかけている自覚はないのか、すっかり彼女の一挙手一投足に釘付けだ。獲物を逃した名残を上回る、闘争心そそられる言動に興味を注いでしまっている。
「まあ手始めに、早急にこれなんとかしてください。例えばこの人の記憶を消すとか、そういう工作できたりしません?」
「……ガチればイケる、かも。最悪社長がなんとかする」
「じゃあそうしてください。こんなのはもうこれっきりですからね」
「約束ですよ」とリーベは事故の衝撃で放り投げられたコンビニ袋を手渡した。もう中身がぐちゃぐちゃに偏った弁当と、モバイルバッテリーの重みが嫌にズシリとした感触である。
深刻な状況の割に、目撃者の一人も現れないのは彼の豪運が起因しているのだろうか。いずれにせよ長居するべきではない。
「早く帰りましょう。休み時間が終わっちゃう」
「うん」
こんな人間は初めてだ―――そんな憧憬混じりの視線を受け、リーベは素知らぬ顔でソロモンの手を取った。




