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 失恋した。

 完膚なきまでに大学三年生の僕の恋は終わりを告げた。

 青春の甘酸っぱい思い出だとか、あの時の経験が今に生きるのだとか、後に振り変えれば他愛もないくらいにつまらなく、それどころかある種の美談として記憶の海に沈むのだろう。正当化と忘却。しかしながらそれは二十歳そここそこの若造がすぐに実行できるものではない。

 何が言いたいかと言えば、僕はたいそう落ち込んでいた。

 それはもう、この世の終わりのように。

 夏も間近な生暖かい空気を吸い込み、息苦しさを無理やり押し込める。しかし意思の弱さでも突きつけるかのように、再び胸が痛くなる。思わずシャツの胸元を握る。お気に入りのプリントが醜く歪むのが見えた。

 先ほどからこれの繰り返し。これでもよくなった方だ。ついさっきまで呼吸もまともにできなかったのだから。

 気道を確保するために胸を反り、そのまま空を見上げると、そこに広がっていたのは淀んだ空気によって星の輝きを失った一面の黒だった。

 都会特有の光に負けた夜空は乾燥した墨汁を溢したように薄く、何とも頼りなかった。

 田舎育ちの僕にとって星のない空というのはとても不安になるものがある。小さい頃は夏場に星好きの父親と天体観測に出かけたものだが、大学に入り東京に出てからというもの、星そのものに縁がなくなってしまった。

 年齢が上がるにつれ、強引な父親のせいで星が嫌いになっていたというのに、いざなくなってみるとなんだか恋しい。星にも見放された気がする。

 星が誰かを祝福しているとは思わないけれど。

 それほどまでに傷心しているのは事実だった。

 どうして別の感傷に浸らなければならないんだと、視線を地に戻す。半ば放心状態での帰路だったため、もうこんなところまで帰ってきたのかと自分で驚いた。習慣というのはなかなかに恐ろしい。

 周囲にあるのは森だった。

 自宅近所のすぐ傍にある自然公園。一面の緑で昼間は子供たちが賑わい、休日になれば家族連れ恋人連れで溢れる街の憩いの場。夏になれば花火大会と称して大変な祭りになる。近所が騒がしいのは疎ましいと思うと同時に、少し楽しみにしている自分に気づかされる。季節ごとに自然も人々の姿も含めた景色が移り行く公園はこの街で愛されている。

 ……のは巨大な公園の半分だけだった。

 華やかな部分、公園の東側とは反対に一日中どんよりと暗さが残る特に木々が覆い茂っている西部。そこには日中関わらず普通の人は寄り付かない。

 無論、利用者はいる。歓迎されていない類の人種だが。

 そこは普通でない人の住処……いわゆる浮浪者の住処となっていた。

 僕がいるのは東と西の境界をなす道。

 市の力が行き届いた住民の憩いの場である東地区。一方で街中に住まわれるぐらいならいっそのこと一ヵ所に「そういう人のための空間」を用意してやろうということであえて放置された西地区。

 放置自転車の問題を解決するのならば自転車を無差別に撤去するのではなく駐輪場を作ってやることで解決しようという目論見と全く同じ原理の下で、同じ公園でありながら、二つの別のもののようになってしまった空間。

 表から裏へと移り変わろうとするその間の道を歩いていた。

 左右を明確に区別するかのようにアスファルトで舗装された地面。右手に見えるのはちょうど咲き始めの向日葵畑。反対にはうっそうと覆い茂った林が見え、ここから先の侵入を一切拒む洞穴のようにどこまでも深い闇が広がっている。昼間でも陽の差さないような、薄気味悪い場所。僕も奥には入ったことはない。

 この先に人が住んでいるのかと思うと、その人の気が知れない。僕なら一日で発狂する自信がある。

 幸福と不幸の狭間の中、迷子にでもなったかのようにその場に立ちつくす。そして放心状態でありながらも、ずっと握り締めていた物の存在に今更のように気づき、持ち上げる。

「これ、どうしよう」

 白い封筒が一つ。飾り気はなく、表面には「浅間様」と書かれている。

 いわゆる、ラブレターだった。

 その中には大学の講義もろくに聞かずに一週間、考えに考え抜いた僕なりの思いが綴られている。決して長くはない。でも僕なりの誠意は詰め込んだつもりだった。

 僕はその言葉を考えていた時のことを思い出しながら夜空にかざす。街頭で浮かび上がる折りたたまれた中身。開けずとも思い返される文面。

「何が悪かったんだろう」

 ……いや、何がしたかったんだろう、だな。

 その封筒は未開封だった。

 開けられていない封筒。つまり、読まれていない手紙。

 僕はその手紙を想い人に渡すことができなかったのだ。

「でも、渡せないよなあ」

 あんな姿――爽やかハンサムと仲良く手を繋いでいる姿なんか見てしまったら。

 事前に彼氏がいるのかぐらい確かめなかったのかと言われれば、答えはノー。頭が回らなかったというよりは、興味がなかった。

 僕は彼女が好きだという気持ちで一杯で。

 それが伝わればいいだなんて、少し達観して。

 いざ他の男と仲良くしているのを見た途端に負け腰だ。何と情けない。

 しかし、それでも手紙を押し付けることはできなかった。

 想いの押し付けは一種の暴力に等しい。

 勿論、彼女が僕を好きになってくれればそれに越したことはないけれど、それ彼女の笑顔が曇ってしまうというのであれば本末転倒だ。

 おとなしく身を引こう。土俵にも立っていないが、この際なかったことにしまうのが最善なのだ。そして、明日何食わぬ顔で挨拶をして、彼女の穏やかな笑顔で少しばかりの満足を得る。それでいい。

「捨てよう」

 僕の儚い恋心とともに。

 こいつの進路はそれでいいだろう。僕の将来よりは確定的で安心できる。

だから僕はちょうど近くにあった金網のゴミ箱に封筒を放り投げた。

 ゴミ回収され焼却炉に放り込まれるか。はたまた雨でずたぼろに溶けるのが先か。

 読まれなかった手紙に意味はない。

 意味のなくなった物をいつまでも持っている理由などない。

 ゴミはゴミ箱に。

 そんな当たり前のことを教えられたのはいつだったかなと思いながら、公園を後にした。

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