光届かぬ深い青
私の生活は海と共にあった。
潮騒の音を聴き、塩の香りの風に触れ、海の恵みで生かされる。
そして、なによりも私は海を見ることが好きだった。
朝の白く輝いた海。昼の穏やかな青い海。夕焼けで赤く燃えている海。夜の底の見えない黒い海。
春の少し冷たい海。夏の生命感溢れる海。人がいない秋のさみしい海。冬の雪降る凍てついた海。
これだけ語っておいて何だお前はと言われそうだが、私は海が多様な顔を見せるところが好きなわけではない。私はどれだけ多様な顔を見せても、それは一貫して海であるという不変の事実が気に入っていた。
私に何が起ころうが海は何も変わらない。普段どおりのルーチンで砂浜に波を立てている。
変わらないものがあることは私に安心感を与えていた。私は誰も来ない場所を知っていたから、何かあるとそこで海に向かって独り言を話していた。
些細なことで友達と喧嘩をして、悪いのはあっちだと呟いた。上手く出来ない物事があれば、才能が欲しいと言った。理不尽に不利益を被って、バカヤローと叫んだ。
しかし、海は変わらない。肯定も否定もせずに、塩の香りと波の音だけを返してくる。私にはそれが良かった。ぼんやりと海を眺めていれば、最後には自分の中に悩みは収まった。
幾許かの月日が流れた。私は相変わらず海を眺めていた。
なんとなく進学し、なんとなく就職をした。会社から帰る前に酒とツマミを買って海に行くのが日課になった。飲み会に参加して会社の人間に気を使うよりも、よほどストレス解消になった。
休日は専ら海で過ごした。一人でも簡単に設営出来るテントを買ったので、冬でもあまり気にならなくなった。車にテントと食べ物を積んで海に行き、一日中、何をするわけでもなく、ボンヤリと非生産的に過ごした。
何もなく過ごした。緩急のない穏やかな日々を。趣味もないため思索の時間はたっぷりとあった。そして思ってしまった。
このまま何も残さず死ぬのかと。
海を眺めるだけで満足だと?本当は他にもしたいことがたくさんあった。海を眺めている方が楽だっただけだ。楽な方に流れて、ただじっとしていただけだ。
一人でいるのもそうだ。他人と仲良くなるまでにどれだけストレスがたまる?私の秘密の場所には孤独を意識させる他者はいない。楽しくはないが、楽で居心地が良かった。
だが、誰が私を責められる?ある仕事を続けていて、ある程度の生産性と楽しみを見出している人がいるとする。その人は運良くその仕事に出会え、その仕事をする能力を持ち、その仕事に楽しみを見出せる人間性を有しているだけだ。私はそんな運はない。そんな才能はない。そんな環境で育っていない。
気づいてしまえばあたりは暗かった。ぼんやりと眺めているのは夜の海だ。寒風吹き荒ぶ、冬の夜の海。
私はただ眺めているだけのはずだったのにいつのまにか海の中にいた。もう、もがいても並大抵の力では上には上がれない。持っているのは、僅かに空気を送り込んでくる海上と繋がった管のみ。
今日も私は海の中で窒息しながら泡を吐く。どうしてこうなったのかと呟いている。