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夏の身勝手な――。

作者: 執毬 緑

 この大きな穴を埋めてくれる思いをずっと探していた。そして誰かの穴を埋める思いをどこかに忘れてしまっていた。もう一度会えたなら、それを取り戻すことができるだろうか。僕はそんな都合のいいことを大人になってからもずっと考えていた。



 僕は中学卒業まで、奈良県の田舎町に住んでいた。人口は年々減少の一途を辿っていた。夏は暑く、冬は寒く、娯楽と呼べるものは殆ど存在してはいなかった。夏場山間部を緑に彩る棚田を頂く僕の故郷は毎年その豊作を願って盛大に祭りが行われていた。若い男たちの一番盛り上がる祭典だ。それに加え、山間部に位置するこの町はその性質上様々な自然災害の被害を受けやすい。そのためこの土地から人々が追い出されないよう祈願するという意味も含まれている。町の最も高い位置に存在するとお社、町の出入り口にしめ縄を用意し、人間の出入りを禁止するのだ。お社と街を聖域とし、神の加護を受けようということらしい。といっても祭りに必要な物資等が町の外から当然持ち込まれるため、町の出入り口のしめ縄は人間と車両が通れるほどの高さに設置されている。

 もしこのしめ縄が人間も車両も町へ出入りできないようになっていたのならばもしかしたら、あの十年前の悲劇は起こらなかったかもしれない。彼女は――。


*


 僕は会社のお盆休みを利用し、十年ぶりに故郷へ向かっていた。もう二度と帰らないと誓っていたこの場所へ来たことには理由があった。

 十年前――、近畿地方を大規模な地震が襲った。マグニチュード8.3を記録したその大地震は僕の故郷を飲み込んだ。そのおおむねの復興が十年目にして僕の町から宣言された。どうやら今年から十年前と同規模の祭りを開催することができるようになったらしい。

 町民の娯楽の為に町を見捨てた神様をもう一度御祭することのできる町民に僕は呆れた。

 お昼過ぎに町に着いた。途中で購入した花束も少し萎れているような気がした。奇妙なほど綺麗なアスファルトと住宅、数多くあった瓦葺の平屋住宅は全くなかった。見覚えのない完全に変わってしまった地形と、見覚えのあるしめ縄が僕を町へ迎え入れた。夏だからか、体中から冷や汗と少しの吐き気を感じた。僕はそれを飲み込みながらある町の一角へとたどり着いた。ピカピカに磨かれた何も入ってはいない空っぽの入れ物がそこに並んでいた。ばかばかしい。僕は何も変わっていない蝉の声を聴きながら手桶に水を汲み、彼女がいると言われている場所を見つけ出した。手桶と花束を置き、一通り掃除をした後、花を前に供えた。

 お墓に手を合わせながら過去を思い出していた。僕には幼いころから共に過ごした幼馴染がいた――。



 僕はこの町に決着をつけに来た。彼女を乗り越える、彼女を忘れる。

 どのくらい経っただろうか、僕は震える瞼を開いた。

「ありがとう。もう大丈夫だよ。きっと」

そう呟いて霊園を後にした。

 日も沈みかけ、空が赤く染まっていた。お祭りの騒がしさも僕の耳には入ってこなかった。僕にはやることがもう一つあった。彼女を守れなかった神様に、わざわざ掘り起こされたこの町のご神体に復讐するのだ。僕は人々をかき分け、歩を進めた。途中ちらちらとこちらを見る視線を何度か感じたがそれに応える気にはならなかった。涙が出てきた。彼女には大丈夫だと法螺を吹いたが全然大丈夫ではない。鳥居を抜け、お社が建つ湖が見えてきた。あれが、あれが僕の大切な人を、僕自身を守ってくれなかったお社だ。悲しい、僕は絶対にこの町の神様を許さない。僕はこの神様を許さないことでしか、怒りをぶつけることでしか。参道を進みお社が徐々に近づいてきた。嗚咽が止まらない。僕はどうすればいいのだろう。僕は、湖にたどり着くと膝から座り込んでしまった。何もない。



 何も聞こえない――。

 目を覚ますと、騒がしかった祭りの音も消え闇にあたりは包まれたいた。月の灯りだけが湖とお社を気味悪くノスタルジックに照らしていた。僕は復讐を果たす為、近くの石にリボンを結び付けた。これを思いっきり、ぶつけてやるのだ。神様に、どこか遠いところに。感情が湧き出した。

「なんで彼女を守れなかった!」

ぶつけた。神様に。

「この場所にずっといちゃいけないのかよ……。なんで追い出されなきゃいけないんだよ!」

ぶつけた。神様に。

「これまで頑張って乗り越えてきたと思った。でも乗り越えてきたわけじゃない。」

ぶつけた。神様に。

「ただ、忘れようとしてただけなんだ。もうそれが正しいのか僕には分からない」

呟いた。自分に。僕は限界だった。この十年間乗り越えようとしていた彼女の死は風化し、この町へ戻ってそれが色づいた。思い出した。彼女との日々を、日常を、彼女を、僕を。

「あああああ!」

僕は叫びながら石をお社に向けて放り投げた。リボンをはためかせながら石は放物線を描きお社の屋根にぽつんと当たり、屋根を転がり、池に落ちた。境内に水音が響いた。何かを呼ぶようなその音は僕の頭の中で何度か反響し、そして、消えた。

 終わった。帰ろう。明日からどうやって生きようか。月が気味悪く笑い、僕の背中を照らした。

 その時、ふーっと静かに風が吹き、その空気を持ち去った。軽くなった。落ち葉が風に舞い上がり、遠くの山へと消えていった。それを目でたどりもう一度湖とお社に目をやった。僕は目を見開いた。

「久しぶり」

そう言って彼女は中学生の時の穢れのない真っすぐで透き通った笑顔を僕に向けた。虫が鳴きだした。



 僕には記憶がない。遠い昔の遥かな記憶と、数年前の夏を。

僕には記憶がない。何かを追い求め、何かを探していた。それが何だったのか。でも僕は知っている。彼女に埋められた大きな穴と、彼女の穴を埋める僕の思いを――。

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