B-1
『生物や物体を量子レベルまで分解し、データに変換したのち光速通信によって転送する。
それを転送先でデータから元の姿かたちに再変換しなければならないのだが、ここでEメールやファクシミリと決定的に違っているのは、転送先で復元されるものがコピーではないということだ。
物質そのものを通信に乗せ、同時に元の物体を完全なオリジナルとして再構築するということである。
私は”量子テレポーテーション”とも”超光速航法”とも違う、別のアプローチから転送を理論付けた』
そこまで読んだところで、俺は本を閉じた。
今まで何度も繰り返し読んできた本だが、これは俺の曾祖父が書いた自伝書だ。
俺には何にも変え難い唯一の生きがいがある。
それは旅だ。
小さい頃から世界中の様々な場所を旅したが、どの旅の経験もとても貴重なものとなり、自分の視野を広げ、人間性をとても深く大きくしてくれたと感じている。
大昔は一つの旅行をするだけで何時間も移動をして大変だったらしいが、それも現在では転送装置があるおかげでずいぶんと楽に移動が出来るようになっている。
この夢のような装置は曾祖父が120年前に発明した。
そのおかげで、大人になった今では転送装置メーカーの取締役について会社の経営の一端を担うことになった。
『いつか転送装置を一台でも月や火星や他の星に設置すれば、星間転送も可能になるだろう』
と、曾祖父の自伝書にも書かれていたが、実際に来年度の宇宙開発プロジェクトに月面への転送装置設置計画が織り込まれている。
現実に宇宙へ行ける日が近づいているのだ。
その事実は自分の思想を激しく刺激したが、それと同時に旅というものに対して何か大事な部分が欠けてしまっていると思わずにはいられなかった。
あまりに簡単に目的地に行けてしまうことは、どこか虚しさを含んでいないだろうか。
本当の旅というのは、家を出てから目的地に着くまでの行程、目的地での滞在、そしてそこからまた家に帰ってくるまでの行程を含めて、全ての移動が連続的に繋がっているはずだ。
それはとてもアナログなものであるはずだ。
例えば、サン=テグジュペリの”夜間飛行”に出てきた飛行機からの景色や空を飛んでいるという感覚を、実際に移動しているという感覚を、きっと俺は必要としているのだ。
俺はまだ海を渡らなければ行くこともできない街を知らない。
世界の本当の広さを知らない。
本物の旅というものを知らない。
俺の旅には飛行機が必要だ。