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って、いい笑顔で見返したのはいいけど、秀消えたよな?! え、大丈夫なのか?!
「秀ー! どこ行ったんだー!」
「あの人は目を覚ましましたよ。上手いこと出来たみたいですね」
「うおっ」
突然目の前に奇抜女子が現れ、思わず変な声が出てしまった。奇抜女子は俺のそんな様子は気にせず倒れている鬼に近付く。
「おい! また起きたらどうすんだ! 離れろ!」
「いいえ、あの人が目を覚ましたのなら、この世界は動きません」
奇抜女子は鬼の側まで寄ると、膝を折り鬼へと手を翳した。すると、鬼が吸い込まれるように身体が削られていく。塵のようなそれが最後まで吸い込まれると、奇抜女子の手の中にはボールのようなものがあった。俺の中に入っていったものと似ているが、奇抜女子の手に捕まれているものは赤黒く禍々しい。奇抜女子はそれを自分の胸に押し付けるとそのまま押し込んだ。
「うくっ……」
苦しそうな声を上げるが球体は全て呑み込まれる。奇抜女子は1つ息を吐くと立ち上がりこちらを向いた。
「さあ、私達も帰りますよ」
「お、おう……?」
俺は状況を理解していない。していないけれど、これ以上この奇抜女子と関わることもないだろうから、無駄な知識は詰め込むまいとあえてスルーする。そう言えば、助けてもらった礼を言っていないと奇抜女子に声をかけようと口を開きかけた時、ぐわんとまたもあの不協和音が鳴り、上の方から秀の必死な声が降ってきた。
《蒼! 蒼! 何で起きないんだよ! なあ、蒼!》
「あ、ヤバイです。貴方の身体をそのままにしてきちゃいました。先に起きたあの人が起きない貴方を心配してます」
「え、何だよ今どんな状況だよ」
「結構危険な状態ですね。例え殺されそうになっても起きませんし、更に言うと今は何をしても何を言っても起きないので死人と間違えられる可能性があります」
「やべえじゃねえか!」
「はい。だから急いで起きてください」
焦る俺に普通に返してくる奇抜女子は何故か透け始めていた。おい! 何勝手に起きようとしてるんだ!
「おま、ふざけんな! どうやったら目え覚ますんだよ!」
「え? どうやってって、起きたいって思ったら起きれますよ」
何でそんな普通のこと聞くんだ馬鹿めみたいな顔してんだ。くそ、腹立つ。
俺は起きろーと心の中で念じる。自分の手を見ると、きちんと透けていた。安心していた俺は、しかし大事なことを聞き忘れていたことに気付く。もうほとんど見えない奇抜女子に問いかけた。
「おい、奇抜女子! お前の名前教えてくれ! 俺は牧下蒼だ」
「きっ……?! 心の中でそんな呼び方してたんですか?! 失礼極まりない人ですねえ」
憤慨しているが、自分の格好をじっくり眺めてから言ってほしいものだ。奇抜女子は口を尖らせながらも、律儀に答えた。
「蒼さん。私はリヴィです」
「リヴィ、何だかんだありがとな! お前のおかげで秀助けれたみたいだからな」
見えなくなってるから、どんな表情をしていたかは分からないが、声で笑っていることは分かった。リヴィが消えるのを見届けてすぐ、俺は意識を失った。
「…お! 蒼! ああ、目が覚めたあ……! よかった、蒼……!」
目の前に秀の顔が見えた。上からボタボタと冷たいものが降ってくる。そう、ボタボタと……。
「ふっざけんな! きったね! 鼻汁垂らしてんじゃねえぞクソが!」
「僕の貴重な鼻汁なんだから喜びなよー」
「アホか! 誰のだろうが鼻汁は鼻汁だ! 汚ねえことには変わりないだろうが!」
顔についている様々な液体を腕で拭う。くっそ、これ後で手洗いコースか?
俺が腕を見て舌を出していると、秀がばっと頭を下げた。ぎょっとする俺に秀は大声で叫んだ。
「ごめん! 蒼を避けるようなことして、拒絶して、あげくには迷惑かけて、本当にごめ」
「それより」
謝る秀を遮り、無理やり頭を上げさせる。折角整っている顔が涙と鼻汁でぐしゃぐしゃだ。
「俺に、何か言うことはないか」
俺が真顔で見つめると秀は更に顔をくしゃりと歪ませ、また俯く。お互いに無言の時間が続き、流石にキツかったかと「やっぱりいい」と言いかけた時、秀はぽつりと溢した。
「お母さんは、僕が嫌いだった」
ゆっくりと、それでも秀はぽつりぽつりと吐き出した。
「僕のお父さんはいいとこの坊っちゃんだったみたいでねー、お父さんの父、つまりは僕のお祖父さんから受け継いだ大きな会社を経営してたんだ。そこで一社員として働いていたお母さんと出会った。それからの経緯は詳しくは知らないけど、お祖父さんは会社を大きくする為に酷いことを沢山してきたみたいで、復讐を企んでいた人たちに、お父さんは殺されたんだって。お母さんは、どうしてかそれを浮気相手との心中だと思ったらしくて、酷くお父さんを恨むようになってしまった。これは全部死んだお祖父さんから聞いたことで真実は確かじゃないけど、ただ1つ正しいのは、お母さんがお父さんに似ている僕を死ぬほど嫌っているってことだけだった」
昔のことを思い出したのか、秀は一度ぶるりと震え、自分の腕を擦る仕草をした。真っ青な顔をして、溜めていたものを吐き出すように、秀は語る。
「家の中はまるで地獄だった。お母さんは僕をいたぶって快楽を得ていたし、僕に優しくしてくれていた家政婦や執事は実は僕の身体や臓器に執着してただけだった。本当に僕を愛してくれていた人なんて、1人もいなかった。そんなある日、お母さんが事故で死んだ。手続きもいろいろあったみたいだけど、僕は関心がなくて、ただただ世の中に無関心で、いつの間にか叔父さんと叔母さんのとこに引き取られてた。叔父さんと叔母さんは優しくて、僕は少しだけど、もしかしたら新しい人生が歩めるんじゃないかって、この人たちは僕を必要としてくれるかもしれないって、期待してた。だけど、そこでも僕はいらない存在だった。それから、僕は、僕を拒絶する人達を拒絶するようになった。馬鹿だよね。いつの間にか、受け入れてくれようとしてた人達も、拒絶してた」
秀は俺を見て、笑顔を作った。その笑顔があまりに痛々しくて、情けなくて、俺は悔しくて唇を噛み締めた。
「蒼だけだったんだあ。こんな僕を友達だって言ってくれたのは。でも、それも僕自身で壊しちゃった。蒼は、僕を嫌いかもしれないけど、僕は嬉しかった。蒼が、僕を探してくれたこと。……今まで、ありが」
下げている頭を叩いてやる。「いたあ」と頭を抑えながら顔を上げた秀に、溜め息を吐く。
「俺がいつお前のこと嫌いだっつったよ」
「え……じゃあ、まだ僕のこと友達だって、思ってくれてるの?」
「友達じゃねえよ」
俺の言葉に俯き始めた秀の肩を拳で叩く。
「親友だろうが」
反射のように顔を上げた秀に、悪そうに見える笑みで目を合わせる。秀もにやりと笑い、それがおかしくて二人して大口を開けて笑った。笑い疲れて息を吐き出していると、秀は呟いた。
「あー、あの兎には感謝しなくちゃだなー」
「兎?」
「うん。ガキみたいだって言うかもしれないけどねー。夢の中で、兎の着ぐるみ着た誰かが苦しんでた僕を助けてくれたんだよー。あんな夢は今まで見たことなかったのに、不思議だよねー」
俺は斜め上に視線を移動させる。ソウナンダー、ソレハヨカッタネー。
「ねえ、もしかしてあれって」
「ごるあああああああ! お前らあああああ! 俺の授業をサボるとはいい度胸してんなあああああああ!!」
「あ」
「やべ」
振り返るとフェンスの向こうに鬼がいた。いや、教師が鬼のような形相でこちらを睨んでいた。頼むから鬼はもう勘弁してくれ。
結局、俺達の所業は2週間の雑用で帳消しにされた。タダ働き(自業自得)でぐったりしている俺に猿が話しかけてきた。
「おい、藤堂のやつ、どうしたんだ? 前まではあんなに俺達を拒絶してたのに、自分から話しかけてくるとか。別人にでもなったのか?」
「まあ、俺がちょっと助言してやったんだよ」
俺と猿の目線の先には、恐る恐るだがクラスメイトに話しかける秀の姿があった。秀は、ただ拒絶が怖くて自分から拒絶していたと後に俺と話し合う中で告げた。それなら、自分から話しかけることから始めろと俺は一喝したのだ。俺も今までの然り気無く言っていたのがいけなかったと背中を押してやった。秀も秀なりに頑張っているようだから、この分だと俺以外の友達が出来るのも時間の問題だろう。何せ根は優しいやつなのだから。
満足気に頷いている俺に猿は「後さあ」と目の前まで来て真剣な顔をした。
「転校生来るんだと。しかも、聞いて驚くな。女子だ、女子!」
「へえ、それはよかったな」
「反応うっす! あるところの噂だと美少女だぜ美少女!」
「やめとけやめとけ。そんなん上げるだけ上げといて実際落ち込むパターンだから」
「やめろおおおお! 俺の希望を打ち砕くなよおおおお!」
猿は頭を抱えて仰け反っている。うるせえから離れろ。
扉が開き、教師が教室へ入ってくる。生徒が慌てて自分の席に着き、教師に注目した。いつもの聞きなれた若干だるそうな声を少し張り上げ、「いきなりだが、転校生を紹介するー」と宣った。本当にいきなりすぎる。
がらりと扉を開けて入ってきたのは、ポニーテールに結んでいるにも関わらず腰まである黒い髪を靡かせた綺麗な顔をした女子だった。一瞬の静寂の後、低い歓声が教室に響く。
「ほら、挨拶しろー」
「はい。初めまして、夢路浬微です。よろしくお願いします」
ん? この声、つい最近聞いたことがあるような。
俺が転校生に目線をやると、あちらも俺を見ていたようで目が合う。そして、懐から取り出したものを顔に翳した。
それは、ピエロを連想させるような、黒と赤を基調としたあの仮面だった。
「リヴィ?!」
「はい。よろしくお願いしますね、蒼さん」
「何だ、知り合いか?」
「えっと、まあ」
「何だ、牧下が知り合いならすぐクラスに馴染めるな、先生は安心した。じゃあ、夢路は後ろの空いてる席に座れー。よし、ホームルームはじめっぞー」
俺は何となくだが嫌な予感がし、眉をひそめるが、考えたところで解決する訳ねえわなと早々に諦めた。教師の気の抜けた声を聞きながら、俺はいいバイトねえかなあと机の下で求人を開いた。