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廊下を歩きながら考える。
会うっていっても、あの奇抜女子、突然現れるからどこにいるかなんて予想も出来ない。どうしたものかと頭を悩ませながら歩いていると、隣の席の田崎が、おっ、と俺の手元を見て手を叩いた。
「今日は勝ったんだ。すごいね。君くらいだよ、あの中に突っ込んでいく帰宅部は」
何のことだと手元を見ると、欲して止まなかったあの大きな握りがあった。無意識に掴んでいたらしいが、さっぱり記憶がない。慌てて購買のおっちゃんに尋ねると「きちんと買ってたぞ。無表情すぎて幽霊かと思ったがな」と豪快に笑っていた。考え事をしているうちに買ってきてしまったようだ。習慣って怖いな。
とりあえず万引きはしていなかったようだと胸を撫で下ろす。そうすると、久々の獲得に喜びが沸き上がってきた。秀に言わなければ。
教室に飛び込もうとした俺は昨日の秀の言葉を思い出す。
『……いいから、僕に関わらないでくれ!』
言っても、意味ないか。
扉の前で沈む俺に、後ろから不機嫌そうな声がかかる。
「邪魔」
「あ、すまん」
後ろを向きながら横に移動する。ぎろりと睨んでくるのは、西内だ。いつもマスクをしていて言葉遣いがヤンキーみたいな女子だが、本人曰くヤンキーではないらしい。まあ、確かに髪は黒いが。俺が低いからか、西内が高いからか、いや、どっちもあるのだろうが、西内は俺を見下げ、ふんっと鼻を鳴らして通り過ぎた。
肩をすくめ、俺も教室に入る。
まだ秀は席に着いていない。きっと俺と顔を合わせないようにどこかで時間を潰しているのだろう。
だが、チャイムが鳴っても秀は現れなかった。
「何だ、藤堂はどうした」
「知りませーん」
猿がクラスを代表して答える。囁き合う声に秀の所在を知るものはないようだ。よく見ると荷物がないことから、教師は早退したのだろうと授業を始めた。
本当にそうだろうか? こんなことは今までなかったし、何かあったのではないかと眉を潜める。ふと窓の外を見た。
いつもと変わらない景色。空は雲1つない快晴、電線に止まる鳥たち、沢山のビル。
沢山の、ビル。
その中の1つのビルで、動く何かがあった。目を凝らした俺は、それが何かを理解し立ち上がった。椅子が倒れ大きな音をたてたが、今は気にしてられない。
走り出した俺に教師が声をかけたが、いまいち聞き取れなかった。
何で。何でだよ。何で、屋上のフェンス越えて座ってんだよ、秀。
必死に腕を振って、足を動かしてるのに、全然進まない。速く、もっと速く走れ、俺の足!こんな時に限って信号に引っ掛かり、足踏みをする。
「くそ、」
どうして秀のことを分かってやれなかったんだ。自殺をしようとするまでに追い詰められてたのに、どうして俺は気付いてやれなかったんだ。呑気に奇抜女子に会うなんて言って、そんな悠長にしてる暇はなかったんだ。最悪だ、俺のせいで、秀が死んだら。
嫌だ、秀。まだ、まだ飛び降りるなよ。お前が俺のことを嫌いでも、俺はお前をなくしたくない。
青になった瞬間に走り出す。息が苦しい。苦しいのに、止まれない。いや、止まりたくないんだ。
辿り着いたビルの中は古くさくて、まさに廃墟といって過言ではない。最上階まで階段を駆け上がる。屋上まで一生辿り着かないんじゃないかと考えていると扉が見えた。勢いよく扉を開け周りを見渡す。
ふわりと揺れる茶髪が、振り向いた。
「秀!」
「な、蒼……」
目をみはる秀を見て一瞬ほっと力が抜ける。けど、まだ安心してはいけない。まだ秀はフェンスの外側なのだから。
「秀、馬鹿な真似はやめろ。俺が悪かったんなら、謝るから、な、早くこっちに」
「煩い! 近付くな! 蒼が言ったんだ! 僕はいらない、必要ないって!」
「言ってないって、この間は、夢だって」
「だから、僕は、蒼にまで見限られたら、僕は、生きている意味なんて、ないんだ……!」
俺の声など聞こえていないように、秀は頭を抱えて叫び続けている。俺は実力行使に出ようと一歩踏み出した。
「ほら、狂ってしまいましたね」
この、声は。
振り向いた先には、やはり、奇抜女子が立っていた。俺は奇抜女子に近付き、問い詰める。
「ほらって何だよ! 何か知ってんなら教えろ! 秀はどうなっちまったんだ!」
「う、顔が怖いんですけどぉ。あ、あの人は、夢からまだ目を覚ましていないのです。夢と現実の区別がつかなくなって、精神が狂っているのです。そのような状態は、総じて心の闇が大きくなりすぎた人に起こります。きっと、あの人も何かのきっかけで、若しくは少しずつ蓄積していった苦しみが、基準値を越えてしまったのでしょう。ああなればそうそう止めることは出来ません」
迫る俺に怯える様子は見られたが、説明だけは淡々としている。何となくでしか理解出来なかったが、秀はあの男みたいに危ない状態にあるということなのだろう。秀を止める術を知りたい俺にとって、止めることは出来ないという言葉は絶望以外の何物でもなかった。
「そんな……、どうにかなんねえのか?!」
「……あります。ありますが」
「あるんだな! あるんなら教えてくれ! 俺で出来ることだったら何でもするから!」
「せっかちな人ですねえ。ええっと、そうです。貴方が夢の中に入ればいいのです」
「……は?」
「信じていませんね。じゃあ、自分でどうにかしてください。今は事情があって私にはそれが出来ないので、あの人は見殺しとなりますが」
「なっ、お前それでも人間か!」
「人間じゃありませんので」
「……ちっ、まあいい。信じる! 信じるから、それはどうやってするんだ」
こいつの言っていることはいまいち理解出来ないことが幾つかある。だが、そんなことも言っていられない。今は緊急事態だ。
奇抜女子は、何だかムカつきますねえ、と言いながら自身の胸を抑えた。すると、抑えた箇所から光が溢れて、掬うような動作をしたと思ったら、手のなかに光る球体が現れる。正確に言うと球体というより煙が圧縮されたようなぼんやりとしたものだ。それを俺の胸に両手で押し付ける。だんだんと光はなくなり、やがて消えた。自分でも信じられないが、まるで俺の中に入り込んだようだ。
「これで、貴方は一時的に夢魔の力を手に入れました」
「夢魔って、あの……?」
「はい。ですが、恐らく貴方の知る夢魔とは少し異なるかと思います」
「そうか。で、どうすればいい」
「む、そうですね。私が今からあの人を眠らせますから、貴方はあの人の身体のどこかを触ってください。それで入れるはずです」
「おお……って、待て!」
未だに秀は頭を抱えて叫んでおり、飛び降りる様子は見られない。けれど、屋上の縁であることも変わっていないということで。そんな不安定なところで寝たりしたら……!
奇抜女子は俺の言葉も聞かず、真っ直ぐ秀を見つめ口を開く。俺は秀に向かって走り出した。
「眠れ」
奇抜女子が呟くと、秀の身体がぐらりと揺れ、案の定前へ傾いた。あのままだと、落ちる!
フェンスを越え、着地した俺は秀の腕を引いた。
間に合った……!
そう思った直後、何かに引き摺られるような感覚に陥り、俺は堪えきれず目を瞑った。