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アンサンブルな日々

作者: 土成 謹造



意気込んで書いたわりには、なんか腰砕けになっちゃいました。もう少し、ストーリーとして起伏が必要だな、と。道、遥かに遠し、ですな。

最後のキメでトップ、サイド両シンバルを思い切りクラッシュさせると、ドラムスの大田が、クーッ、やっぱしアンサンブルはええのー、と顔をゆがめるようにしていった。

ベースの花子は拍手をしていた。

彼女は珍しい女ベーシストだ。

ギターの立川はいつもながらクールに笑っている。

オレはブルースハープを振って唾液を飛ばし、そうだよな、やっぱりバンドはいいよな、と思った。


このバンドが結成されたのは、ごく最近のことだ。

ギターとハープのオレ、リードギターの立川、ベースの花子、ドラムスの大田の四人。

平均年齢五十三歳。

皆、大学の音系サークルで出会った仲間だ。

ただし出会ったのは三十年以上前。

やっと二十歳になるかならないかの頃だった。

先のことはわからないが、未来の夢は、とにかく眩暈がしそうなくらいある頃だった。


当時、大学はそれまでの大学紛争がウソのような平穏さだった。

新左翼系の学生はいたが、入学式直後にクラスを回り、激越なアジを飛ばす彼らに、どうも据わりの悪さを感じていた。

大学がレジャーランドとはいわないが、これがやりたいことじゃないな、という直感はあった。


なんとなく目に留まったのが今年できたばかりだという音系サークルだった。

無論、伝統のある音系サークルもあるにはあったが、上下関係という濃密さが鬱陶しく敬遠していた。

第一、その頃はまったく楽器がひけなかったこともある。

となれば、できたばかりのサークル、これなら面倒がなくっていいかもしれない、と安易に思ったんだろう。


オレは新入学生独特のノロマな足取りでサークル室のドアを開けた。

「あのー、このサークルに入れてもらえませんか?」

おー、うれしいね、という声とともに何人かの上級生が寄って来た。

もっとも彼らも二年生ばかりで、浪人を経たオレとは同い年だったんだけどね。


早速、その日の夕方から歓迎コンパに連れられていった。

オレは祖母から数えの十五の時に元服をあげてもらい、その後は一人前に折に触れ酒を嗜んでいた。

だから酒で目を回すということもなかった。

酒は大学サークルの通過儀礼であって、必ずついて回るものだ。

最初のコンパで平然と飲んでいたオレが、このサークルに受け入れられるのは早かったし、またオレも居心地がよかった。

その居心地のよさのためか、オレは毎日サークルボックスには顔を出し、いつの間にか新入生の中心メンバーという形になっていった。


それから卒業まで、オレは今の初老バンドのメンバーのだれかとバンドを組んでいた。

例えば大田とは日本語ロックバンドを、花子とは四畳半フォークバンドを、という具合に。

そりゃ、各人の音楽性もあるし、その時々の付き合いの濃淡ということもあるから、時に離れ、時にくっつくという流れだった。

たいして上手くなりはしなかったが、みなで力をあわせてやり遂げた演奏会の打ち上げ、大学祭片付けあとのビールはなにものにも代えがたかった記憶がある。

満腔に広がる虚脱感のような、やったぜ、という思いに、冷たく喉を流れていくビールは、たまらなく美味かったな。



それから大学生活四年。

それぞれに青雲の志を秘め、オレたちは社会に巣立っていった。

去るもの日々に疎し、これは真理だろう。

オレたちは段々と疎遠になり、いつしか日々のたずきに追われ、家庭と組織の中でもまれ、こづかれ、ふうふうと喘ぎながら日々をうっちゃっていた。

バンドのことはいわずもがな、音楽のことなんててんでよぎりもしなかった。

会社の接待営業でカラオケを唄う時、あー、こんなのはやりたくないよな、と嫌な思いをするのが関の山だった。


何十年ぶりの彼らとの再会は、あまり望ましいそれではなかった。

サークルの共通の友人、Mの死である。

はっきりいえば、Mは自殺だった。

Mの葬儀でオレは大田、立川と再会した。

すでにオレたちは五十歳を少し越えていた。

「オマエMの自殺の原因を知ってるのか」

出棺を見送りながらオレは大田に尋ねた。

「いや、知らんな。立川はどうなんだ」

「オレも詳しくは知らん。ただ、さっきMのオフクロさんと話をしたが、どうにも会社内で孤立していたらしい。責任感の強いやつだったろ、Mは。今でいう過労自殺らしい。一手にきついところ引き受けて、鬱状態が二進も三進もいかなくなったらしい。ただな…」

「ただ、どうしたんだ」

「Mのオフクロさんの消沈ぶりは見てられなかったぜ」

そうだろう。

親が子の葬送を出すなんて、痛恨の極みにちがいない。

半狂乱になっても仕方がない。


「やりきれんな。どうにも。どうだ、どうせ今日は二人とも休みなんだろ。厄落としにいかないか。Mも酒が好きだったし」

どうしても用事があるという立川は帰り、オレと大田で葬儀社からタクシーに乗り、ダウンタウンのホテルで降りた。

こんな時間から開いているバーはホテルくらいしか思いつかなかった。


バーで二人分のウィスキィを頼む。

グラスを舐めながら大田がポツリといった。

「ホントはな、酒を医者から止められているんだ」

「え。なんでだよ」

「オレ、ガンなんだ。今、抗ガン剤と放射線治療で治そうとしている。外科手術が難しい場所らしいし、オレも切り刻まれるのはイヤでな。だけどこんな日は飲まないわけにいくまい。たまにゃいいだろう」

「悪いのか」

「実感じゃ、随分よくなったと思うんだがな。医学の進歩はすごいぜ。へへっ」

大田が学生時代そのままのシニカルな笑顔を見せた。また少しグラスを舐め、大田は続けた。

「立川が用があるって帰ったろ。あれ、理由があるんだ」

「会社の仕事かなにかなんだろ、立川も上級管理職だから」

「いや、そんなことじゃない。会社のことなら逆に都合がつけやすい。実は立川の両親はな、今二人とも自宅で認知症の寝たきり状態なんだ。アイツはカミさんと二人で面倒をみている。病院に入れたいらしいが、どうにも空きがないということだ。立川のカミさんはヘトヘトだぜ」

「そうか。オマエがガンで、立川は認知症老人介護、Mは過労自殺か。ロクなことないな。いや、オレもな半年前まで入院していた」

「やっぱりガン、か」

「いや、オレは鬱病だった。アルコール依存もあった。理由はわからん。加齢に伴う不定愁訴のドン詰まりだったんだろう。希死念慮もあった。だからMのことはひとごととは思えん。オレもまかり間違えば自殺していただろう。その前に入院して助かったがな。その代わり、今はすっかり閑職、窓際ってやつさ」

オレは自嘲気味にグラスを舐めた。

シングルモルトのなかなか上等なウィスキィだった。

もう一杯づつ飲むと、それじゃ、と大田が立ち上がった。

「付き合いたいけどな、こういう状態なんだ。勘弁してくれ。オレは治ると確信している。でなきゃやってられん。オレはまだくたばらん。治ったら徹底的に飲もう」

それだけいうと、何枚かの紙幣を置いて大田は出て行った。

オレももう一杯だけ追加してバーを出た。

すっかり暗くなり、冷たい雨が降り出していた。



次に彼らに会ったのも葬祭がらみだった。

Mの自殺から二年、立川の父親が亡くなったのだ。

はっきりいおう。

立川夫婦に介護疲れは隠せなかったが、その涙の下にホッとした安堵感があった。

とにかく認知症の両親二人の過重な介護から解放されることは間違いないのだから。

オレは死者の魂の安からんことは願った。

しかし立川夫婦には、お疲れさん、苦労したな、これからオフクロさんも送らなきゃいかんな、と声をかけてやりたかった。


不謹慎?

フンッ、人間はすべてマザー・テレサじゃないんだよ。

特に立川夫婦のように両親二人を介護する苦労に想像が働かなければ、とたんに頓珍漢なハナシになる。

葬儀場で大田に会った。

ずいぶん顔に力があった。

「ほう、いいみたいじゃないか。久しぶりだが顔色がいい」

「おかげさんでな。完全消失とまではいかないが、医者もいい具合だといってくれる。いったろ、オレはくたばらん、ってな。しかしオマエの鬱病はどうなんだ」

「どうなんだろうな。この手の病気は数値化することができないからな。気分の問題がゆえに厄介ではある。しかし、なんとかかんとか、ってとこか」

「はは、確かに。でも、なんとかかんとかってくらいが程がいいんじゃねぇか」


そのとき、こんにちは、お久しぶりという声がした。

オレたちは声の方に振り向いた。

「おーっ、花子じゃないか。懐かしいなぁ、何年ぶりだろ」

大田が素っ頓狂な声をあげた。

「お葬式なのよ、大声はNG.。それに女に年を聞くなんて失敬よ…といいたいとこだけど、同級生じゃね。三十年ぶりくらいじゃないかしら」

彼女は同級生だから五十歳は過ぎている。

背骨のしっかりした成熟した女の印象が強い。

学生だった頃とは全く違う。

貫禄というんじゃないな、なんだろう、もまれて強くなり、いい具合に脱色したジーンズのような落ち着いた印象だ。

「女っぷりが上がったな、花子は。大田もそう思うだろ」

オレは煙草に火をつけながら、頌辞を送った。

大田も頷いた。

「あら、うれしいこといってくれるわね。じゃ折角の機会だし、葬儀が終わったら少し飲まない。旧交を温めるのも悪くないわよ」



葬儀の後、立川夫婦に挨拶をし、三人でオレの馴染みの小料理屋にタクシーを飛ばした。

少し開店時間には早かったが、心安さから無理をいって開けてもらった。

とりあえずビールで乾杯だ。

大田は飲めるのかな、と視線を送ったが、なにごともなかったようにグイと頭を仰け反らせてビールを飲んでいた。


ハーッ、美味い、三人同時に声をあげた。

それがおかしく、オレたちは大きく笑った。

それがきっかけだった。

一気に三十年の壁を越え、オレたちは学生のころに戻った。

冗談とバカ話で盛り上がった。

そうなんだ。

酒はこうでなくっちゃいけない。

しばらく盛り上がったあと、大田が、河岸を変えようといった。

大丈夫なのか、と尋ねると、いいんだ、という。

「隠れ家とか、うじゃじゃけた言い方はしない。昔から通ってる店だ。オマエらも間違いなく気に入る。落ち着くいい店だ」

タクシーを拾い、大田の薦める店に入った。

スタンダード・ジャズが低く流れる店。

バカなホステスはいないし、無論、騒々しいカラオケもない。

馴れ馴れしくもなし、敷居が高いこともない。

なにより清潔で掃除が行き届いている。

なるほど、寛げる。

「ほう、飲めないわりにはいい店知っているんだな、大田は」

オレは感心していった。

「いや、もう解禁している。たくさんは飲めないが、たまには酔っ払うこともある」

「え、どういうことなの」

花子が訝しい表情で聞いてきた。

大田は独特のシニカルな笑顔を交えながら、ガンのことを説明した。

となればオレも鬱病のことをいわずにはすむまい。

花子は、話の腰を折らぬよう、ときおり相槌を打つだけで聞いていた。

「ふーん、みんな色々とあるのね。立川君もまだお母さんを抱えていらっしゃるし」

一通り話し終えると、花子はウィスキィ&ソーダのグラスをもてあそびながらいった。

「わたしもあったのよ、たくさんのことが。わたしはね、バツ二。そう二回離婚しちゃったの。十五年前と五年前。男運が悪いのか、わたしにコラエ性がないのかわかんないけどね。子供?ええ、いたわ。二人ね。どちらも旦那の親権になっちゃった。寂しいけど仕方ないわね。東京に居たけど、どうにも堪らなくなって、去年、こっちに帰ってきちゃった。離婚の原因?あー、まだ気持ちが整理できてないの。察して頂戴」

オレはオン・ザ・ロックスを舐め、煙草に火をつけた。

暫くの沈黙の後、そうするとナンだなー、と大田が切り出した。


「オレがガン。で、こいつが鬱病でアル中だ。花子はバツ二で、立川は老人介護。Mは過労自殺。なんだか現代病を全部背負ってる感じだな。今の社会の負のスパイラルを表現してるんじゃねぇか。そういう世代なんだっていえば、それまでかもしれんがな」

そうかもしれん。

いや、大田のいっていることは肯綮にあたるだろう。

今やオレたち世代が社会のコアの最終ランナーだ。

このコアで起こることが、現在の象徴的発露だろう。

そう、たとえば健康であり、メンタルヘルスであり、家族関係、エトセトラ、だ。

しかしそれらのオールハッピー的解決はありえぬ。

破綻し、くたびれはて、溜息とともに最終回を迎えるのがほとんどのはずだ。

それは許せぬ、と政治や社会に悲憤慷慨するもよかろう。

しかし結局は自ら戦線を構築し、蹌々踉々と進軍するしかない。

その歩みの呻吟こそ、着々と生の終焉を迎えつつある世代の怨嗟の具体じゃなかろうか。

こういいながら。


クソッ、なんでこうなっちまうんだ…。


こんなこともいえる。

人は加齢とともに人生が計算できるようになる。

その代わり、希望が少なくなる。

電卓と年金額で未来が読めるようになる。

それでは生がいかにもみすぼらしい。

あまりに矮小すぎるじゃないか。

事を為す、と大上段に大風呂敷を広げる必要はない。

しかし人生を舐めちゃいけない。

あとまだ少し、猶予はある。

焦ることはないが、ノンビリはしていられない。

そんな世代になったんだ、オレたちはね。


じゃ、今なにがオレたちに必要なんだろう。

金?

いや、明日の米が心配だということはない。

まわりにモノはあふれているし、特にこれが要る、というものはない。

家庭?

それとも子供とか妻とか夫とか?

いや、それも違うだろう。

個は個だ。

人は人だ。

それ以上でも以下でもない。

個の尊重はオレたちが小学校以来、散々いわれてきたことじゃないか。

今更その教育は間違っていました、なんていわれても困る。

第一、個として自立しないベタベタした人間関係なんて御免こうむる。

頼む。妻よ、子よ、自立してくれ。

希望?

うーん、近いが、ちょっと照れ臭い言葉だな、それは。

口にするには躊躇する。

シックリ感がない。

青年が使うには相応しいのだろうがね。

第一、「希」という漢字には「少ない」という意味がある。

望みが少ないんじゃますます滅入る。

夢?

ああ、それだ。

その言葉は完璧ではないが、オレたちの気分にフィットする。

例えば、はじける夢。

想い続ける夢。

熱中する夢。

使い古されてクタクタになっちゃいるが、未だに玲瓏と輝くそれ。

夢は体と心を愉しませてくれる。

愉しいことを想起させてくれる。

夢は追い続ければ叶う、そんな無責任なことはいわない。

夢はほとんど叶わぬが、叶うことがあるかもしれない、ただし懸命の努力は必要だよ。

初老のオレにはそうしかいえんな。

夢が万人にすべて達成可能なら、この世界に宗教も哲学も産まなかったはずだ。

夢は破れるのだ。

無残に。

完膚なきまでに。

その苦さの層々と重なった様が、人の生きるということだろう。


しかし、これだけはいえる。

夢はいくらでも探せる。

廃墟の跡にも一輪の花が咲くのと一緒だ。

夢は再生できるのだ。

リセットして次の夢を据えることができる。

夢は自在なのだ。

夢があれば愉しむことができる。

そして愉しむことは、屈託や面倒に満たされた人生を生き生きと賦活できる。

愉しめなきゃ、生きてて面白くないだろ?



「どうしたんだ、ボンヤリして?」

大田がオレの顔を覗き込んだ。

「すまん。ちょっと考えことをしていた。で、思いついたんだが、どうだ、学生の頃と同じようにバンドを組まないか?」

自分でも思いがけない言葉が出た。

なんでだろ。

「はぁ?バンド?なんだい、藪から棒に」

「本気なの?」

「ああ、本気だ。突然なんだがストンと胸に落ちた」

「おいおい、オレのドラムスなんざ、とうの昔に不燃物でゴミ処理場行きだぜ」

「新しく買えばいいさ。学生の頃は高嶺の花だったギブソンや、マーシャルのアンプだって、今じゃちょっとヘソクリを下ろせば買える金額だろ?大田はラディックでもヤマハでもいい、フルセット買えよ。シンバルはジルジャンだ。シンセドラムでもいい」

「まぁ、クルマよかウンと安いんだから、買えない額じゃないけどな」

「花子はどうなんだ」

「バンドのこと、それともベースギターのこと?」

「両方。学生の頃は珍しい女ベーシストでブイブイいわせてたじゃないか」

「ベースはずいぶん前に甥っ子にあげたわ。バンドは…どうかしら。わからない」

「だけどオマエはギター持ってるのか?」

「ああ、ある。自殺したMの遺品がな。あいつの葬儀の数日後、家族から電話があった。遺書にオレに渡して欲しいとあったそうだ。もらったよ、ありがたく。大事にしまってある。しかしそれはMの遺志じゃなかろう。Mのプレイはハードだった。よく弦を切ってたよな。そんなふうにこれからもこのギターを使ってくれ、ということじゃなかったのかな」

なるほどね、と大田は下を向いたまま頭を振った。花子は頬杖をついていた。

「オレはブルースハープも始めた」

「ハープってぇと、あの単音十穴ハモニカのことか」

「そう。鬱病とアルコール依存で入院していた時にな。無聊を慰められればいいと思って始めたんだが、なんのなんの、面白い。アバウトな楽器がゆえに、気分が音にでる。怒って吹けば怒ったように、悲しく吹けば悲しいように鳴る。オレはこの楽器で鬱から帰還できたと感謝している」

「つまり中高年対策バンド、ってことね」

「なんだい、その中高年対策バンドってのは?」

「あなたは、わたし、大田君、それにもうひとり立川君をメンバーにって考えてんでしょ?」

オレは、ああ、確かにそうだ、と答えた。

「いい、こういうこと。あなたは鬱病罹患、大田君はガン闘病中、立川君は認知症介護、そしてわたしは二度の離婚経験。で、あなたの持ってるギターは過労自殺者の遺品。見事なまでの現代中高年の縮図じゃない。どこか欠けた中年をみんな背負ってる。それは個人的ではあるけれど、極めて普遍的なことじゃないかしら。中高年すべてが持っている、なんらかの不安のどれか。だけど人生って不安なままじゃつまらない。だからさー、わたし、やっちゃおうかなー、って気持ちが動いてる。ガツンとふかしたら、心底愉しいんじゃないかな、ってね。太田君はどうなの?」

「確かにな。ステージで弾けたあとはたまらない満足感はあったよな。あー、生きてる、って思えるあのリアル・ハイな感じ、もう何十年も経験してない」

「そうよね。わたしもその快感、忘れちゃった。卒業してからは、なにかに追われているようでね。あ、それがイヤだってことじゃないの。生きてるんだもん、仕方ないわよ。追われることでたずきが成り立っているんだし。みんな、そうでしょ。こんなに自分を削って生きてんだ、きっといいことがある、と前向きだったんでしょ。でも、すべてがうまくはいかない。そんな当たり前に気付いた頃は、すっかり萎んでしまってる。わたしもすっかり化粧のノリが悪くなった」


悔しいよな、といって大田が後をついだ。

「このままじゃくたばれない。まだ満足していない。ガツンとやらかして、人生の三尺玉うちあげなきゃ、どうにも後生が悪い。でかいことやりたいわけじゃない。しかし、あー、これは面白かったって思えることがなきゃ、つまらなすぎる。なんのために生まれてきたんだオレたちは、と地団太を踏みたくなる。ガン闘病でハイおしまいなんて、惨めだ」

同感だ、とオレはいった。

「大田も花子もオレも、無論、立川も人生の終焉が見え始めている。それは仕方がない。人はいつか死ぬんだから。しかし、この四人、いや、立川には確かめていないから、三人か…。とにかくオレたち三人には、なにかをやり残したような索漠感がある。モヤモヤとした不安感といってもいいのかな、これは違うぞという齟齬感だな。バンドはな、それを払拭する一つの手段じゃないかと思っている。バンドのドライブ感、アンサンブルのシズル感は少なくともオレたちをハッピーにさせる。それはオレたちが学生の頃、実感していたことだ。ならば、わずかな時間でもいい、オーッ、気持ちいいぜ、と感じられる時間を共有しないか。どうだ?」

「おい、オマエ、いつからそんなアジテーションがうまくなったんだ。時が時なら、いっちょまえの党派闘士になれたぜ」

大田は頷きながら茶々をいれてきた。

そして、のるよ、そのハナシ、と付け加えた。



ひとつ季節が移ろった土曜日、オレたち四人はスタジオにいた。

そのスタジオは地の利と設備がよく、結構な料金がかかる。

学生時代と違い、オレたちは時間はないが、金はある。

こういう金なら気持ちよく散財できる。

愉しむために金はかかる、これは原則中の原則だ。

ケチくさい遊びは野暮で惨めで貧相だ。

野暮に遊ぶくらいなら、遊ばないほうがいい。

それにバカホステスがカラオケを強要する飲み屋の法外さに比較すれば、なに、微々たるものだ。


分厚い防音扉を開けると、巨大な鏡に囲繞されたスタジオが現れた。

「おおっ、こんなになってんのか、最近のスタジオは」

ドラムスの大田が素っ頓狂な声をあげた。

大田の病状は、波はあるが、良化しているらしい。

特に最近はいいらしい。

彼にいわせれば、ドラムがオレの抗ガン剤よ、とのことだ。

「ヘーッ、たいしたもんだな。昔とえらい違いだ」

リードギターの立川も驚いたようにいった。

彼のオフクロさんはさらに認知症が進行し、完全な寝たきりになってしまった。

しかし、どうにか受け入れ病院も決まり、立川夫婦もずいぶん楽になったらしい。

終日の介護から解放されれば、生活もまったく変わるだろう。

これも金のおかげだ。

金がすべてではないが、金で解決できないことは、ほとんどない。

要は使い方次第ということだな。


据え置きのグランドピアノ横の応接セットに座り、一服つけ、機材を見渡した。

アンプはマーシャル、フェンダー、アンペグ。

お好きなもので。

ドラムスはラディックのフル。

パイステシンバルがピカピカじゃねぇか。

コンソールは32チャンネル。

四人のアンサンブルには過剰すぎるくらいだ。

オレはテーブル横の冷蔵庫からビールを取り出し、四人に手渡した。

「中高年対策バンド、結成の乾杯だ」

「それってこのバンドの名前なの?」

「いいじゃねぇか。オレは気に入ってるぜ」と大田。

「花子だって中高年だろ。いいじゃないか直裁で。気分にピッタリだ」と立川。

「あんまり中年、中年っていわないでよ。気分が滅入るじゃない」

笑いながら花子が答えた。

それが乾杯の合図だった。

オレたちは、目の高さまで缶ビールを持ち上げ、じゃ、そういうことで、と缶をあわせ、グイッとビールを流し込んだ。

ビールは…うん、やっぱしビールの味しかしないが、気分がいい。

オッケイ!

フィーリン・グルーヴィ!

ヒァ・ウィ・ゴー!



ドラムスの大田がカウントをとり、ブギーなリズムを刻み始めた。

そこへ花子の重厚なベース音圧がねっとりと絡みだす。

相変わらずディープなベースは上手いな、花子のヤツ。

女性とは思えない怪力無双でリズムを作る。

ベースとドラムで八小節回し、オレがまずリフを突っ込む。

うん、いいぞ、いい感じだ。

シングルコイル独特のペキペキに乾いた歪がいい。

Mが学生時代に留年覚悟でバイトして買ったテレキャスター。

長い間しまい込んでいたから、ちゃんと鳴るかな、と危惧したが、なんのなんの、音が切れる、粒立つ。

さすがMの遺品だ。

すまねぇ、Mよ。

オマエほど上手くないんで、このテレキャスにゃ役不足だな。

許せ。

立川のストラトキャスターがマーシャルアンプをドライブさせてくる。

指が動かねぇ、とボヤいていたけど、立派なもんじゃねぇか。チョーキングもタメも枯れてんぞ。

スローハンド、だな。

ファンキーだぜ。

ようし、ボーカルだ。


シュアのマイク前に進む。

さすがにオレも音域が狭くなってる。

上のDなんて出やしねぇよ。

まぁ、いいじゃねぇか、ブルースだ。

ハートだよ、ノリだよ、気分だよ。

コール・アンド・レスポンスはブルースハープ。

キィはE。

オレがハープをブロウするときのボーカルは立川。

おやー、立川のヤツ、昔よか上手くなったんじゃないか。

ああ、そうか。

ブルースだからな、経験が反映されるんだ。

歌が平板でなく、襞と陰影ができるんだ。

オレ?

どうなんだろう。

考えて唄ったことがないからなぁ、ま、そいつはメンバー諸氏に聞いてくれや。


さーて、立川の聴かせどころだ。

ロイ・ブキャナンばりにいってくれ。

ワンコーラス、ガツンとキメてくれ。

おおっ、いいじゃん。

オレはテレキャスでリフをかき鳴らし続けた。

立派だよ、指動いてるぜ。

深みがある。

早く弾けることがすべてじゃない。

気持ちだよ。

ハートさ。

音の後に潜む陰だよ。


さ、立川のターンアラウンドだ。

次はハープでワンコーラスだ。

大田のリムショットで刻むリズムと、花子の重低音の音圧が気持ちいいや。

こりゃ、イケイケだな。

ハープに込める思いはリアル・ハイ。

ちょっとぐらいピッチが狂ったっていい。

この初老男のハイな気持ちをぶつけようじゃないか。

短三度のベンドからだ。

次はトリル。

うん、いい。

あー、なんて気持ちのいいことやってんだろう。


いいかね、オレはくたばらねぇんだよ。

これがオレの叫びだ。

聴けよ、おまえら。立

川、大田、花子、M。

クソッタレもブラザーもまとめて来い。

舐めんじゃねぇ。

なにが鬱病だ。

なにが窓際だ。

ガン?

過労死?

離婚?

老人介護?

それがどうした。

この一瞬の輝きがすべてだ。

鬱屈?

忸怩?

それがなんだ。

オレは生きてるぞ。

死んでたまるか。

オレの人生だ。

オレが愉しめなくてどうする。

行け、行くんだ。

オレの人生はオレが決める。

簡単なことさ。

好きなことを好きなように、好きなだけ愉しむんだ。


そうだろ、Mよ。

違うか、大田。

オマエもそう感じてるだろ、花子。

立川、壊れろよ。

オレはこんなにハイに突き抜けてる。

もっとリズムを。

もっと音圧を。

もっとブルースを。

来い、もっと来い。

つっかかるように立川と大田と花子が挑発してくる。

おーし、わかった。

どうだ、このブロウで。

え?まだ足りねぇのか。

上等じゃねぇか。

かかってこいや。

これがオレの飛道具だ、聴きやがれ!


アンサンブルの絶頂が訪れてきた。

花子と大田のがっしりした背景。

そこに突撃するオレと立川。

お互いに挑発し、応酬する。

どうだ?

おお、いいぜ。

そっちはどうなんだ?

まだまだ、だ。

オマエ、手抜いてるな?

ヘンッ、バカにするない。

なら、これでどうだ?

ん?そうくるか。

花子と立川が、オラオラオラ、どうした、どうした、しっかりしねぇか、と喧嘩を挑んでくる。

いったらんかい!

オレたちは絶頂へと駆け上っていった。

頭と心が白熱し、沸騰し、蒸発していった。

邪念も屈託も干からびていった。

なぜか天空に広がる蒼穹と、真っ白な塩田湖の風景が見えた気がした。


最後のキメ。


大田は思いのたけを込めて、トップ、サイド、両シンバルにスティックを振り下ろした。



(了)

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