参「巡航」 前
どれだけの時間が経ったのだろう。
ときおりタルルカはそんなことを考えた。
行き先である『ケッペザイル』星が、巨大円筒型宇宙船ケッペサ号の真正面に見えている。
「だいぶ近くなったんだよな」
タルルカはブリッジの窓からそれを眺め、ぼそりと言った。
実際より少しだけ青みがかって見えるそれは、はじめの頃と比べて相当明るく見えているはずである。しかし、その変化があまりにわずかずつであるため、どうにも実感がわかないでいた。
「なんもすることがないな……ま、我慢すべきこともないからいいか」
今はとりあえず「当直」ということで、とりあえずコンソールの前に座っている。
が、今まで何百回も繰り返された「当直」と変わらず、何もすることはなかった。
ふりかえると、ケッペサ号の船体越しに他の星と区別が付かない明るさで、ちょっと赤みがかったメンザイル星が輝いていた。
1
あの日――
ホンザイルを発ったケッペサ号は、いったんモッペザイル軌道付近までまでゆっくりと移動し、到着とともに一つのキャビンに乗員約百五十人が集められた。
キャビンは、その全員が入るには異常に狭く、というよりは細長くて、天井ばかり高い部屋だった。
「なによ、これ」
ライルヒはキャビンに入るなり呆れて言った。
彼女は、環境学の専門家にしてノノルアの一番弟子。しかし、その口数の多さが環境問題だと言う者もいた。
まあ、無理もない。
中には沢山のソファのようなシートがが並べられているのだが、その全ては細長い床ではなく、やけに広い壁に生えているのだ。
続々と乗員が集まってくるが、一様に壁から生えたシートを見て困っている。
「全員そろったようなので、疑似重力を停止します」
そこへ、カンザル船長の声で放送が入った。
わずかな振動とともに、じょじょに浮遊感に包まれ、上と下がなくなる。
「では皆さん、指定のシートについて下さい」
無重力状態の中、ある者は泳ぐように、ある者は壁を伝うように、そしてある者はブツブツ文句をいいながら、あらかじめ指定されたシートへ向かった。
「赤の五番、これね」
ライルヒは自分のシートを見つけると、ひじ掛けを巧く掴んで自分の体をそこに押し込み、ベルトで固定した。
隣の席では、鉱物学者のナグワが巧く席に着けずにじたばたしている。
「ちょーっと、あんた。鈍いわね」
「ほっといてくれ。それより……ぬゎ!助けて~」
ナグワは頭からシートに突っ込んでしまった。
咄嗟にライルヒが手を伸ばし、ナグワはそれを掴んでどうにかシートにおさまった。
暫くして、全員が席に着いたのが確認されると、再び放送が有った。
「これより、全開加速を行います。危険ですので許可が出るまで、絶対にキャビンから出ないようにして下さい」
そして、放送はタルルカの声に変わっていた。
「秒読み開始します。10、9……」
ウイーンというモーターの振動がキャビンにもつたわってくる。
「……2、1、加速!」
じわじわと加速度がかかり、キャビンの乗員たちが上下感覚を取り戻す。
シートの生えている さっきは「壁」だった方が「下」として認識される。
加速が強くなるにつれて本人達のシートに押し付けられる力が強くなり、少し苦しくなって来た頃、すっとその力が弱まった。
「重力・慣性力緩和装置を入れました。加速度が安定するまで、もう少しだけお待ちください」
乗員を一か所に集めたのは、この慣性力緩和装置を効率的に使うためだった。
なにせ、電力をバカ食いする装置なので、なるべく狭い範囲だけに限定したいのだ。緩和装置は、このキャビンとタルルカ達の入るブリッジ、そして貴重品倉庫だけとなっていた。
暫くして、ベルトを外して良いという指示が出た。
一部の者はすぐに歩き出し、さっきまで壁や階段の側面だったところを歩いて移動した。
「ちょっと歩きにくいわねぇ」
ライルヒは早速おりと「のび」をしようと一歩進もうとしたが、何か重い者でも担いでるようによろけてしまった。
強烈な加速がかかっている今、緩和装置をつけてでもなお、体重がホンザイル地表の五割ほど余分に重くなっているのである。
2
「加速度、安定しました。順調にメンザイル方向に加速しています」
と、タルルカがスクリーンを見ながら言った。
船の加速度は、ホンザイル表点での重力加速度のおよそ十倍。
四基のエンジン、通称「どんぶり」の中では、モッペドンドの皮を貼付けられたプロペラが勢い良くまわっているはずだ。
動力は電気。
大きく広げたソーラーパネルで光を受けて電気を起こし、それでモーターを回す。
しかし、モッペザイル軌道上ともなると光は弱く、大半をバッテリーに頼ることになる。が、それではすぐにバッテリーは上がってしまう。
「母なる陽」メンザイルに進路を取っているのは、加速しつつメンザイルに接近することにより再充電し、かつスイングバイによりさらなる加速を得て、その勢いで一路目的地である恒星「ケッペザイル」を目指すためだった。
加速を初めてからホンザイルが何回か自転するほどの時間が経った頃、ようやくメンザイルとの最接近点にやって来た。
タルルカは船外カメラの映像をじっと確認していた。
フィルターのかかった画面の中で、ぐわーっと赤い火の玉が大きくなり、そしてみるみるうちに小さくなってしまった。
「なんか、あっけないな」
タルルカが言った。
「そんなもんですよ。既に光速の十二分の一くらいは出てますから」
と航海長のダギが素っ気なく返した。
「はいはい。このまま行けば、予定どおり光速の十分の一まで加速できそうですね」
いまは強烈な光を受けられるため、電気の心配はない。バッテリーを再充電する余裕すら有る。しかし、再び遠ざかり受けられる光が減ったら、エンジンを止めなければならない。バッテリーが上がってしまうと、今度は目的地で止まれなくなってしまう。
「しかし、みんな若いですね」
タルルカはキャビンを映し出したスクリーンを見ながら言った。
「そらそうだ。若くなくちゃ、この長旅に耐えられねえ。着く前に寿命で死んじまっちゃ、もともこもねえさ。帰りもある」
「おじさ……船長は?親父と変わんないでしょうに」
「俺か?なに、片道分くらいじゃ、死なねえよ」
「帰りは、船長無しでかえれと」
「あははは、バカ言っちゃいけねえ。そのころにゃ、次が育ってるはずさ!」