怒濤のような感情でかき乱されていた
ロッククリークの本城ヴォルチェック城より北東へ伸びる街道を騎兵隊が走っていた。ランカスターの兵士八百人である。その騎兵隊とともに、ディアナも自ら馬を駆っていた。ヴォルチェック城を発った日の夕刻である。
ひとまずの目的地はランカスター領と決めている。そこまで行って兵を加えたのち、ノースモアランドまで向かえばよい。ロッククリークまで来たランカスター兵八百からすれば、またすぐ自領に引き返すはめになったのに等しく、徒労の感があるだろう。だが、バルドルが去って味方が他にいないディアナにとっては、武装した騎兵隊が守ってくれるのはありがたかった。
本来、援軍の役割だったランカスターの部隊は迅速に駆けつけるため、ロッククリークに騎兵のみで急行してきた。騎兵のみであるから、これからランカスターに向かうまでの道のりも迅速に進めるはずだ。ただ、ランカスターまでは馬でも四日の距離がある。
それまでに、王弟軍から逃げきれるかどうか……。
ロッククリークまで進軍している王弟軍は、ディアナが本城から去ったことをやがて知る。そのとき敵方が「やれやれ、じゃあ、来た道を帰りますか」と王都に引き返してくれるはずはない。こちらがランカスターにたどりつくまでに仕留めようと追ってくるに違いない。
おそらく、向こうは歩兵を置いて騎兵のみで追ってくるだろう。自分ならそうするとディアナは思った。敵軍の全兵力の一万から追われることはないが、リオンをふくむ騎兵隊に追撃されたら、対抗できないかもしれない。
(さすがに……つらい)
弱気や悄然といった言葉とは縁遠いディアナも、今の状況では心中で嘆かざるをえなかった。また逃亡することになり、味方となってくれたランカスターの兵たちも危険な状況においているのだから。
何よりも彼女を鬱屈とさせる一番の原因は、バルドルのことだ。彼との衝突と別れが尾を引いているのである。
彼のことを思い出すたびに、頭が混乱し、胸が熱くなったり、重苦しくなったりする。気持ちの整理がつかない。それはそうだ。好きになった相手が別の人格を宿していて、実は彼女の兄を殺していた場合の気持ちの切り替え方など誰も教えてくれない。
ラーザの王子との逃亡の旅。恋。兄ロアンとの過去。別の人格アウグスト。別れ。――本当に何という運命の変転だろうか。
バルドルの秘密、つまり別の人格を持っていて、それがロアンを殺したということは誰にも話していない。この先、誰かに相談する気もなかった。話したところで、どうなるわけでもないし、事情を説明しても完全に理解できる者はほとんどいないだろう。
ディアナは、アウグストの存在と彼の語っていたことを信じている。彼の性格や雰囲気が明らかに一変したからというだけではない。バルドルの記憶を時渡りの魔道で覗き見たときの奇妙な光景の意味がわかったからだ。バルドルの過去は二つに分かれていた。一つはバルドルのもの、もう一つ――過去の量が少ないほうはアウグストのものだったのだ。アウグストが出現する回数は限られているから、過去の光景が少なかったのである。それらを魔道で見ていなければ、アウグストの存在を完全に信じることはできなかったかもしれない。
では、別の人格がやったのだから、兄の命を奪われたことをなかったことにできるかといえば、そうではない。バルドルに憎しみはないが、もし再会したとして、以前と同じような関係に戻れるだろうか、とディアナは思う。関係を修復しようと一緒に過ごしても、機会あるごとに兄のことが脳裏をよぎるのではないか。そんな状態ではお互いに不幸になるだけではないか。それでも――。
(バルドルにまた会いたい)
そんな思いがある。
いや、本当に会いたいと思っているのかどうか、自分でもわからない。
(もし……もし仮に再会したとしても、どう接すればいいのかわからない……)
そういう風にも思ってしまう。
(一体、私は何を望んでるのだろう)
(私は――)
ディアナの胸中は、怒濤のような感情でかき乱されていた。




