5 格の違いー二章開幕ー
久しぶりの投稿なのでいつもより4000文字くらい多いです。
手紙を読み終えた瞬間、メリアは椅子を蹴るように立ち上がり、迷いなく支度を始めた。
「……本当に行くの?」
戸口に立つブルシアが、静かに問いかける。
「ああ。行かなきゃならない」
それ以上の説明は不要だった。
⸻
魔王が統一した国――黒冠帝国。
そこへ向かう船旅は、二ヶ月にも及んだ。
荒れる海も、異国の港も、メリアにとってはただの通過点にすぎない。
手紙に記されていた地名だけを頼りに、彼は目的地へと辿り着いた。
辿り着いた先にあったのは――
帝国の辺境にぽつんと建つ、古びた馬小屋のような家だった。
(……ここ、か)
メリアは一度足を止め、周囲に視線を巡らせる。
気配はない。
少なくとも、表向きには。
それでも、嫌な予感が背中を撫でていた。
「誰かいませんかー!!」
声を張るが、返事はない。
「……開けますよー!!」
警告代わりにそう告げ、扉に手をかける。
軋む音を立てて、ゆっくりと扉が開いた――その瞬間。
――空気が、変わった。
肌が粟立ち、呼吸がわずかに重くなる。
まるで、空間そのものが別物にすり替えられたかのようだった。
(……これは)
異様な気配。
人のものとは思えない、段違いの魔力量。
メリアは、反射的に一歩踏み込む。
そして、理解する。
そこにいたのは――
人だ。
間違いなく、人間――ただ、メリアとの格が違うだけの、人間。
そう直感した瞬間、背筋を冷たいものが走った。
微かだが、別の魔力が部屋の隅から漏れているのを感じ取る。
メリアは、ゆっくりと視線を向けた。
部屋の隅。
そこには、紺がかった黒髪の長髪。
大きめの学生蘭服を身にまとった少女――のような影が、寝そべるように横たわっていた。
(……?)
違う。
(死にかけだ)
理解した瞬間、身体が反射的に動いた。
剣を抜こうとした――その動作よりも早く。
視界が、赤に染まる。
剣を抜こうとしていた肩。
そこにあるはずだった腕の感覚が、なかった。
代わりに、床へと滴り落ちる、ぬるい血の感触。
「あぁ………………――!!」
声にならない悲鳴が、喉の奥で潰れる。
久しく忘れていた痛み。
久しく忘れていた――恐怖。
全身が痙攣し、膝が崩れ落ちる。
だが、悲鳴を上げることすら許されなかった。
意識が、唐突に、完全に――途切れる。
――――
「……まだ、足りない」
どこからともなく、そう囁く声がした。
――時間逆行。
――二百二十九回目。
「……死んだ、のか?」
目を開けると、見慣れた天井があった。
ここは――俺の部屋。
いや、正確には、メリアが王城で使っていた、ブルシアから借りていた部屋だ。
「……戻った、のか」
その瞬間、記憶が一気に流れ込んでくる。
――『どうして。私の兄が、私を殺そうとしたって分かったの?』
ブルシアの声。
――『え?……』
間の抜けた、自分の返答。
「……ブルシア、ごめん!」
勢いよく立ち上がり、扉へ向かう。
「黒冠帝国に行ってくる!」
「ちょっと!? なに急に――」
背後から聞こえた声には答えず、メリアは部屋を飛び出した。
「……ほんとに、行っちゃった……」
その呟きが、背後で小さく消える。
――そして。
船に揺られ続けること、二ヶ月。
前回と同じ航路。
前回と同じ、荒れた海。
前回と同じ――はずの、目的地。
「……頼むぞ」
強く、扉を押し開ける。
「大丈夫か!!」
叫びながら踏み込んだ、その瞬間。
――違和感。
そこにいたのは。
前回の時間逆行で、
見るも無惨な姿に成り果てていたはずの――
紺がかった、麗しい黒髪の少女。
血もなく。
傷もなく。
自らの足で、立っていた。
「…………」
言葉を失うメリアを見て、少女は、微かに笑った。
年の頃は十四前後だろうか。
紺がかった黒髪は乱れているが、それでも不思議と目を引く。生きている。――少なくとも、今は。
十四、くらいだろうか。
「名前は? ……それと、なぜ俺の“本名”を知ってる」
問いを重ねた瞬間、少女の唇がわずかに動く。
「◯◯◯◯」
「……は?」
思わず声が漏れた。
「いや、今は俺の名前を聞いてるんじゃなくて――」
「◯◯◯◯」
被せるように、もう一度。
その声には迷いがなかった。
「それが、私の名前」
一拍。
そして、少女は視線を逸らし、急かすように続ける。
「それよりも、早くここを離れよう」
その瞬間、空気が張り詰めた。
「……あいつが来る」
低く、噛み殺した声。
「魔王が」
一方――魔王城。
「クローバー様!」
玉座の間に、慌ただしく駆け込んできた配下が膝をつく。
「捕らえていたあの女、ガーベラ・アルメリアが脱走しました!」
「……何?」
低く響いた一言で、空気が凍りつく。
「今すぐ兵を集め、捜索に――」
「よい」
遮るように、魔王クローバーは立ち上がった。
「俺が向かおう」
「しかし――!」
その瞬間、魔王から放たれる圧が一段、否応なく跳ね上がる。
言葉ではなく、存在そのものが命令だった。
「……でしたら、私もご一緒に」
「うむ。ならば――目を瞑れ」
次の瞬間、床一面が七色に輝き幾何学模様のような光が広がる。
視界が歪み、重力の感覚が反転した。
「……ここは?」
開いた視界の先は、鬱蒼とした森だった。
「座標がずれたか。まあ良い」
クローバーは何事もなかったかのように言い、歩き出す。
「征くぞ」
しばらくして、一軒の古びた建物の前に辿り着く。
魔王クローバーは躊躇なく扉に手をかけた。
――軋む音。
中には、誰も
「……居ませんね」
「いや」
クローバーは静かに心の中で否定する。
「ここに居ないはずがない」
その瞳には、確信だけがあった。
「我が魔術、“栄誉たる決断”の判断が誤ることはない……となると」
魔王は、薄く笑った。
「因果の逆転。あるいはそれに類する現象か」
視線が、空間そのものを見据える。
「やはり――時間逆行、だな」
「そのようなものが……存在するのですか!?」
配下の声には、明確な動揺が滲んでいた。
「時間を逆行させるなど……そのような魔術、神が扱うほどの領域!人の身でましてやあの様な少女に到達できるはずが――」
「存在する。それは、俺の存在そのものが証明しているだろう」
配下は言葉を失う。
「何を今さら、そんなことを言う」
その一言は傲慢ではなく、揺るぎのない事実だ。
ここなら、魔王も追ってこないだろう。それに、少女の持つ魔術、気配遮断を共有してもらっているし。
メリアは人の流れに紛れるようにして、大通りへと足を踏み入れた。
商人の呼び声、馬車の音、雑踏――生きている街の気配が、緊張で強張った神経を少しだけ緩める。
(……あいつが、あの“人間”が魔王?)
思い返す。
血が固まったような深紅のマント。黒曜石のような鎧。
確かに只者ではなかった。だが――
(それでも、人間にしか見えなかった)
納得しきれない思考を断ち切るように、隣を歩く少女が軽く言った。
「もう一回殺されたら、分かるんじゃないの?」
「――っ」
足が止まりそうになる。
「……もう一回、殺されたら……?」
その言葉の意味が、脳裏で反響する。
(知っているのか……?)
心臓が跳ねた。
「時間逆行してることを……知っているのか?」
「痛いな〜。肩、掴まないでよ」
少女は不満そうに眉をひそめながらも、否定はしなかった。
「……知ってるよ」
あまりにもあっさりと。
「だって、私も似たような魔術、持ってたし」
メリアは言葉を失う。
「手紙を送ろうとした直後に、あなたが来たんだもん。
何かしたってくらい、分かるよ〜」
(似た……魔術?)
「……俺のは、未来視の可能性もあるだろ」
探るように言うと、少女は即座に首を振った。
「ないね」
「……どうして分かる」
少女は、ちらりとメリアを見る。
「眼が、違うし」
「……そういえば」
人混みを抜けながら、メリアはふと思い出したように口を開いた。
「名前は?」
隣を歩く少女は、きょとんとした顔でこちらを見る。
「あー、言ってなかったっけ?」
「言ってないな……」
(本当になんなんだ、この子は)
内心でそう呟くと、少女は少し考える素振りをしてから、にやりと笑った。
「私は……えーと」
わざとらしい間。
「ガーベラ・アルメリアよ。好きに呼んで」
「じゃあ、ガーベラ」
名前を呼ぶと、彼女は満足そうに頷く。
そのまま数歩進んでから、メリアは思い出したように言った。
「……そういえばさっき買ってやった飯代、返してもらってないよな」
「えっ」
ガーベラは目を丸くする。
「そこ来る!?」
「来るに決まってるだろ。しれっとトイレとか言って逃げやがって、一食分とはいえ、こっちは長旅明けなんだ」
少し疲弊していると分かる声で言うと、ガーベラは肩をすくめて、悪びれもせず笑った。
「私の美貌を拝んだ代金の支払いと思えば、安いもんじゃない?」
「興味ない。お前妹みたいだし」
「酷いなぁ。でも確かに同じ黒髪だし、メリアも中々に悪くない顔立ちだし、兄妹と思っても仕方ないかっ」
「ちょっと気持ち悪いな…」
軽口を叩きながら、人混みに紛れる二人。
だがメリアの胸の奥では、別の違和感が静かに膨らんでいた。
(ガーベラ・アルメリア……)
名。
魔術。
時間逆行への理解。
(偶然で済ませるには、揃いすぎている。それでも今はいい…か。)
「まさか、ここで――!!?」
視界の端が、赤く閃く。弾丸が放たれた。
いや、弾丸のような矢だ。
空気を引き裂く音すら置き去りにする速度で、
赤い光が、一直線に俺とガーベラを貫こうとした。
――死。
反射すら間に合わない。だが、身体が強引に弾き飛ばされる。
「――っ!」
地面を転がり、息が詰まる。
次の瞬間、さっきまで自分が立っていた空間を、矢が撃ち抜いた。
遅れて、破裂音の様な轟音が聞こえてくる。
(……今のは)
ガーベラが、俺を――突き飛ばした。
もし、あれがなければ間違いなく、俺は死んでいた。
(……やっぱり)
何度死んでも。
慣れることはない。
(死ぬのは、怖いな)
ゆっくりと顔を上げる。メリアとガーベラの視線の先に立っていたのは――
「我が名は、テウクロス」
低く、掠れた声。
「魔王軍幹部の一角である」
その姿を見た瞬間、言葉を失った。
頭から首にかけて、まるで返り血を浴びたかの様な色合いの包帯が幾重にも巻かれており、顔が完全に塞がっている。
包帯が後ろへ二本、だらりと垂れ下がっている。
上半身は裸。
鍛え上げられた肉体には、無数の古傷と新しい裂傷、そして下半身だけを覆う黒装束。異質の見た目の物と半端者の二人。
通りの真ん中で三人は相対していた。
周囲から聞こえるのは街の住民たちの悲鳴と泣き叫ぶ声だけ。逃げ惑う足音が遠ざかるたび空気はさらに冷えていく。
(……くそ)
俺ですら、込み上げる吐き気を抑えられない。
こいつ――テウクロスの魔力は、明らかに異質だ。強い、という言葉では足りない。
まるでこの世界に存在するすべての生物から、等しく軽蔑の視線を向けられているかのような圧。
立っているだけで、精神を削られる。
「……しっかりして、メリア!」
ガーベラの声で、意識が現実に引き戻される。
倒れかけた身体を支えられ、今起きた事がようやく把握できた。
(まずいな……)
この距離で、あの速度。俺1人だと勝負にすらならない。
「コピーオン」
短く息を整え、魔術を起動する。
「短剣――クシポス」
手の中に、確かな重量が宿った。
テウクロスは、それを見て低く笑う。
「ふむ。剣を使うか」
包帯の奥から、濁った視線がこちらを射抜く。
「よかろう。その剣技、我に見せてみよ」
そして、ちらりとガーベラへ視線を投げる。
「邪魔はするなよ、小娘」
(短剣を生成したのは間違えたか…)
返事はしない。
代わりに、俺は地を蹴り一直線に距離を詰める。
「魔術剣装――」
魔力を刃へと流し込む。
「炎撃」
短剣に纏わりつく炎が、唸りを上げ全身全霊で、斬りかかる。
――斬った。
確かに、斬ったはずだった。だが刃は、止まった。皮膚に触れた感触はある。それなのに――
「……っ」
薄皮一枚すら、斬れていない。
「ぎっ……」
喉が鳴る。
テウクロスは、わずかに口角を上げた。
「初級程度の魔術装で」
低く、嘲るような声。
「我を殺せると、侮ったか」
包帯の隙間から覗く眼がはっきりと俺を見下ろしていた。
「若輩者よ」
――次の一撃が来る事を身体が理解していた。
「メリア!!」
叫びが届くより、早かった。
――ザッ。
いつ放たれたのかまるで分からなかった。
音も気配も予兆すらない。
次の瞬間、メリアの左肩が――消えた。
正確には、矢が肩から腕を引き剥がしていた。
血が噴き上がり肉が裂け、骨が砕け、重力に従って腕が地面へ落ちる。
「ァァァァァァァ――ッ!!」
叫びは悲鳴ですらなかった。
喉を引き裂くような、辛く、苦しい絶叫。
「ガーベラァァァァァァ!!」
視界が揺れる。
立っている感覚が、もうない。
「……っ!」
ガーベラは即座に動き魔力が静かに、しかし確実に膨れ上がる。
「――気配遮断」
世界から、二人の存在が薄れていく。
音も視線も存在すらも、切り離すための魔術。
「行くよ!」
ガーベラはメリアの身体を半ば引きずるようにして背を向けた。
逃げられる。一瞬そう錯覚した。
「逃げられるとでも?」
背後からあまりにも冷たい声が聞こえた。その瞬間、ガーベラが振り返り、そして――理解した。遅すぎた。
赤黒い軌跡が空間を裂いていた。それは矢だった。
かつて、すべてを失い。
帰る場所を失い。
憎しみだけを研ぎ澄ませ続けた――
故郷を失いし矢。
避ける時間すら存在しなかった。次の瞬間には
メリアの胸を――
ガーベラの胸を――
同時に貫いた。
「……ぁ」
ガーベラの声は音にならない。
メリアの視界が真っ白に染まる。
痛みすらもう感じない、崩れ落ちる二人の身体を見下ろしながらテウクロスはただ静かに立っていた。
106回も自分の小説にアクセスしてくれて嬉しい限りです!欲を言えばコメントが欲しい所…




