3 平穏な日常の日々
教会を後にした二人は、そのまま王城へと向かった。
白い石畳の道を進むにつれ、周囲の景色は次第に整えられ、やがて高くそびえる城壁が視界を覆う。
幾重にも重なる防壁と、王家の紋章を刻んだ門――見慣れたはずの光景が、今はやけに現実味を帯びて見えた。
「ここが……王城よ」
ブルシアは何でもないことのように言うが、周囲の兵や使用人たちは一斉に姿勢を正し、深く頭を下げる。
その視線が、一瞬だけメリアにも向けられた。
(……やっぱり、浮いてるな)
粗末な服装。荷物はなし。
どう見ても、城に招かれる身分ではない。
案の定、城内へ入った直後、執事と思しき老人が眉をひそめた。
「殿下、その方は……?」
ブルシアはちらりとメリアを見て、問いかける。
「あなた、旅人なのよね? お金は?」
少しの沈黙。
「……ないな」
正直に答えると、周囲の空気がわずかにざわついた。
「一文無し?」
「あぁ」
兵の一人が、警戒するように一歩踏み出す。
だが、ブルシアはそれを手で制した。
「いいじゃない」
あまりにも軽い声だった。
「人手がたりてないって言ってたわよね、ちょうどいいでしょう」
執事が困惑したように口を開く。
「ですが殿下、素性も分からぬ者を城に上げるなど――」
「じゃあ、使用人として雇えば問題ないでしょ?」
即答だった。
「え?」
思わず執事の声が漏れる。
ブルシアは楽しそうに微笑んだ。
「庭師見習いでも、雑用でもいいわ。
住む場所と食事を与えて、働いてもらう。それなら文句ないでしょう?」
執事は一瞬言葉を失い、やがて深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
そうして視線が、改めてメリアに向けられる。
「あなた、今日から王城付きの使用人よ」
冗談のような口調でそう言ってから、ブルシアは少し声を落とした。
「城は、外よりずっと安全だから」
「……世話になる」
短くそう答えると、ブルシアは満足そうに頷いた。
「決まりね。
それじゃあ――これから、よろしく。メリア」
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「殿下」
控えていた使用人が、声を潜めて進み出る。
「姫殿下の側に、新しい使用人が一人……」
兄は顔も上げない。
「犬猫の次は人間を拾ってきたのか」
ペン先が紙を擦る音だけが、淡々と続く。
「身なりは粗末で、一文無しだそうです。
城の庭仕事などを任されているとか……」
そこで、ようやく兄は小さく鼻を鳴らした。
「ふん」
書類から視線を外し、使用人を一瞥する。
「使用人だろ」
言葉は短く、冷たかった。
「お前と同じだ。
気にするほどの存在じゃない」
「……しかし、姫殿下が直々に――」
「だから何だ」
兄は、苛立ちを隠そうともせず言い放つ。
「城にいる以上、所詮は駒だ。
名もない使用人一人で、何が変わる」
そう言って、再び書類へと視線を戻す。
「それより魔王との交渉の件はどうなっている」
「先方より、“一名のみ”ならば派遣可能だと。」
兄は、わずかに口角を上げた。
「それで良い」
兄はそれ以上、興味を示さなかった。
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それから、数日が過ぎた。
メリアの一日は、単調だった。
朝はまだ薄暗いうちに起き、庭に出る。
王城の庭は手入れが行き届いているが、どこか「飾られている」花ばかりで、土の匂いが薄い。
(……生きてはいるが、根を張ってはいない)
そんな印象を受けながら、彼は黙々と作業を続けた。
使用人として与えられた仕事は、庭師見習いという名の雑用。水やり、剪定、道具運び。
誰も彼に期待はしていない。
だからこそ、干渉も少なかった。
それが、今のメリアには都合がいい。
ーーー
昼過ぎ、庭に人影が差す。
「またここにいたのね」
聞き慣れた声に顔を上げると、ブルシアが日傘も持たずに立っていた。
「またって、毎日の仕事なんだから当然だろ」
「今は休憩時間じゃなくって?」
そう言って、彼女は屈み、咲いている花を覗き込む。
「……ここの花、前より元気になってるわ」
「水のやり方を少し変えただけだ」
「それだけで?」
「それだけで、だ」
ブルシアは小さく笑った。
ーーその日の午後。ーー
「メリア、少し時間いい?」
呼び止められ、振り返ると、ブルシアはすでに軽装に着替えていた。
腰には細身の剣。
「稽古よ」
「……俺が?」
「ええ。たまには体を動かさないと鈍るもの」
(またボコボコにされるのはごめんだ)
内心でそう呟きつつも、断る理由は思いつかなかった。
使用人の立場で、姫の誘いを断る選択肢など最初からない。
「分かった」
短く答えると、ブルシアは満足そうに頷いた。
「じゃあ、訓練場へ行きましょ」
⸻
城の奥にある訓練場は、人払いがされていた。
どうやら彼女は、最初から二人きりでやるつもりだったらしい。
木剣を手渡され、メリアはその重さを確かめる。
(……剣を握るのは久しぶりだな)
前の時間軸では、血と死にまみれた剣ばかり握っていた。
それは今後も変わらないだろう。
ただ、今握っているのは木刀だ。
魔術剣技を使えば、一撃で壊れてしまう。
(意識だけが飛んだ状態で……ちゃんと動けるか?)
一瞬、不安が胸をよぎる。
ブルシアはすでに構えを取っていた。
無駄のない、美しい剣筋。
(流剣女騎士――伊達じゃない)
「行くわよ」
次の瞬間、彼女は踏み込んだ。
速い。
鋭い。
だが――
メリアの身体は、考えるより先に動いていた。
(……ああ)
受ける。
流す。
踏み込む。
(問題ないな)
剣技は、確かにここに残っている。
意識が覚えている限り、身体は裏切らない。
数合の打ち合いの末――
炎がメリアの木刀に纏い付いた。
「魔術剣装、炎撃」
メリアの木剣が振るわれ、ブルシアの木剣を弾き飛ばす。
同時に、メリアの木剣は耐えきれず、木刀が燃え尽きる前に粉々に砕け散った。
風が、訓練場を抜ける。
「初歩的な魔術剣装で……」
ブルシアが、信じられないというように呟く。
(剣を嗜んでいるようには思えたけど……ここまで?)
胸の奥で、困惑と驚愕が渦を巻く。
一方、メリアは剣を下ろし、内心で小さく息を吐いた。
(意識だけ飛んだから、剣技が使えるか不安だったが……)
手の感触を確かめる。
(大丈夫だったな)
忘れていなかった。
この手は、何度も死線を越えてきた。
「……強いのね、メリア」
ブルシアは悔しそうに、けれどどこか楽しげに笑った。
「偶然だよ」
訓練場の外れ。
石柱の陰から、その一部始終を見ていた影があった。
(……今の、見間違いじゃないよな?)
兄付きの使用人――名もない監視役だった。
本来の役目は、姫殿下の動向を「形式的に」見守ること。
だが今、目の前で起きた光景は、その範疇を完全に逸脱していた。
(流剣女騎士の称号を持つ姫殿下が……押されていた?)
しかも相手は、数日前に城へ入ったばかりの使用人。
庭仕事を任されている男。
(木剣で……いや、魔術剣装まで使って?)
粉々に砕け散った木剣の残骸が、まだ地面に転がっている。
(あり得ない)
背筋に、冷たいものが走った。
(あれは……“ただの使用人”じゃない)
使用人は、それ以上見ていられず、踵を返した。
書類の山に囲まれた机の前で、兄は淡々とペンを走らせていた。
「殿下」
控えめな声。
「何だ」
視線すら上げない。
「姫殿下の側にいる使用人の件ですが……」
ペンが、わずかに止まる。
「またそれか」
兄は小さく息を吐く。
「どうせ庭仕事の手際がいいとかそんな話だろう、どうでもいい」
「……いえ」
使用人は、一瞬言葉を選び、それから続けた。
「本日、訓練場にて、姫殿下と立ち合いを――」
ペン先が、完全に止まった。
「何?」
初めて、兄の声に感情が混じる。
「流剣女騎士である姫殿下が……押されているように見えました」
一瞬の沈黙。
兄は、ゆっくりと顔を上げた。
「……使用人だろ」
低い声。
「見間違いじゃないのか」
「いえ。魔術剣装まで使用していました」
兄の指が、机の上を軽く叩く。
「初級か?」
「……はい。」
「初級の魔術剣装程度で……ブルシアを?」
兄は、低く呟いた。
机に置かれた指先が、静かに止まる。
(なるほど)
偶然では片付けられない。
あの姫を押すだけの技量を、名もない使用人が持っている――。
(魔王との交渉は、“保険”だけでは終わらないか)
兄は、再びペンを取った。
だが、その筆致は、先ほどよりも僅かに重くなっていた。
ーーその夜ーー
メリアは眠れなかった。
(……あと3年か)
確信があった。
時間逆行前と同じ流れなら
刺客が動くのはちょうど3年後
教会か、城内か。
あるいは、その両方か。
メリアは、暗い天井を見つめる。
(今度は、間に合わせる)
それが、彼に与えられた役割だ。
――メリアが思うより残された時間は短かった。
コロナかかりました。しんどいです。多分誤字あります。




