1 祈りの裏には
「…あ?……花畑か?」
風が、静かに耳を撫でる。
「待て待て待て待て……転移したのか?」
アルストロメリア――メリアは、思わず周囲を見回す。
視界いっぱいに広がるのは、何度か目にした覚えのある光景だった。
「……いや、死んだはずだ」
喉から絞り出すように呟き、己の身体を確かめる。
痛みはない。冷たさも、苦しさも残っていない。
「という事は…転生か?」
そんなはずはない。なぜなら目の前の花畑はあまりにも見知った景色が広がっていたからだ。
「転生じゃないな…あと考えられるのは時間逆行だが、おかしい、そんな魔術は聞いた事ない」
「意識だけ転生したのか!」
キャッ!
「もう!急に大きな声を出すから驚いちゃったじゃない!」
「…ブル…シア?」
喉が張り付いたように、声が震える。
目の前に立つ少女は、風に揺れる髪を靡かせ、不満そうに頬を膨らませていた。
「なに、その顔。まるで幽霊でも見たみたいじゃない」
間違えるはずがなかった。
柔らかく揺れる白髪、凛とした蒼い瞳、間違いない、確かに生きている。
兄との政権争いにて敗れ、死んだはずの本人が
「……嘘だろ……」
メリアは一歩後ずさる。足元で花がかすかに鳴った。
首に、あの感触はない。苦しさも、痛みも、すでに消えている。
「嘘じゃないわよ。失礼ね」
「あぁ……」
それは安堵の吐息だった
(夢でも良い……ただ、今だけはこの景色に、この時間に、この世界に、居させてほしい)
花畑に視線を落としたまま、アルストロメリアはそう願う。
「何か言った?」
不意に、澄んだ声がかかる。
彼女は花を見渡しながら、感嘆したように続けた。
「……にしても、この花畑綺麗ね」
胸の奥が、かすかに熱を帯びる。
「私が……俺が植えたんだ」
照れ隠しのように視線を逸らして答えると、彼女は少し目を見開き、すぐに微笑んだ。
「良いセンスしてるじゃない。気に入ったわ!」
風が吹き抜け、花々が一斉に揺れる。
「もっと見せて欲しいから、私のお城まで来てくれない?」
「あぁ」
ここまでは時間逆行をする前と同じはず
「名前、まだ聞いてなかったわね」
彼女は胸に手を当て名乗りを上げる
「私はブルシア。ブルシア・アルトルドよ」
(……もう知ってるさ)
心の中でそう呟きながら、アルストロメリアは名を告げる。
「俺はアルストロメリアだ。良ければ、メリ――」
「いい名前ね」
言葉を遮るように、彼女は楽しそうに笑った。
「メリアって呼ぶことにするわ♪」
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並んで歩きながら、二人は花畑を抜けていった。
銀色の花々が風に揺れ、かつてと変わらぬ音を立てている。
「……城へ向かう前に、教会に顔を出さないといけないの」
ブルシアは前を向いたまま、静かにそう言った。
その瞬間、アルストロメリアの中で、すべてが繋がった。
――教会。
――兄。
――刺客。
忘れるはずがない。
いや、忘れようとしていた記憶が、無理やり引きずり出された。
(あそこは祈りの場なんかじゃない)
(ブルシアの兄が、政権争いのために飼っている“刃”だ)
神を理由にすれば、殺しさえ正義になる。
そんな理屈を本気で信じ込んだ狂信者が、あそこにはいる。
時間逆行前、1回目の世界でブルシアは狂信者に殺された
足が止まりそうになるのを、必死でこらえる。
メリアは、彼女の横顔を見る。
表情は変わらず穏やかで、歩調も一定だった。
「王家の決まり事みたいなものよ」
そう付け足して、肩をすくめる。
けれど、その言葉とは裏腹に、彼女の指先は一瞬だけ強く握り締められていた。
それを隠すように、ブルシアはすぐに微笑む。
「すぐ終わるわ。終わったら、ちゃんと城を案内してあげる」
風が吹き、教会の鐘の音が、遠く微かに響いた。
――ブルシアは、俺に手紙を残していた。
誰に殺されるかまでは分かっていなかったとしても、
何者かに殺されるという未来だけは、確かに掴んでいたはずだ。
なら――教会が、その「何者か」だと伝えるべきか?
思考が、そこで一瞬止まる。
(……いや、違う)
おそらく彼女は、まだ“確信”までは辿り着いていない。
感じてはいるが、信じ切れてはいない段階だ。
王家の人間だ。
政権争い、宗教、忠誠――
疑うべきものが多すぎて、逆に一つに絞れない。
(今ここで教会を断定すれば、混乱させるだけだ)
焦りは判断を鈍らせる。
それは、何度も人の死を見てきた俺が一番よく知っている。
(落ち着け……)
胸の奥で、静かに呼吸を整える。
(今は、無駄に動くな)
未来を変えるには、
まず“正しい瞬間”を待たなければならない。
「着きましたわ。ここが教会よ」
ブルシアの言葉と同時に、石造りの建物が視界に入った。
白く磨かれた外壁は清廉そのものだが、メリアの胸には冷たいものが走る。
「あなたも祈っては?」
振り返った彼女の表情は、相変わらず可愛かった。
「俺はいい。無宗派なんだ」
「そうなの?」
少し意外そうに目を瞬かせたあと、ブルシアは小さく頷く。
「じゃあ、少し待っててくれる?」
「……分かった」
「……よし、とりあえず時間逆行した理由を考えるか」
メリアは、小さく息を吐きながら思考を整理する。
起きている現象そのものに、必ず意味があるはずだ。
(理由は、俺が死んだからか?)
だが、それはただの結果のはずだ。
原因ではない。
(それは根本にすぎない)
ならば、次ぐ理由は何だ。
思考は、否応なく一つの結論へ向かう。
(……ブルシアが、殺されたから?)
胸の奥が、きしりと音を立てた。
自分の死は、彼女の死の“後”に起きている。
因果の流れを辿れば、起点はそこしかない。
(俺の意識だけが記憶を持って逆行した理由があるとすれば――)
メリアは、視線を教会の扉へ向ける。
(それは、ブルシアを救うためだ)
その確信だけが、揺るぎなく残っていた。




