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これなら二匹で十分に食っても余るぐらいの果物を集めたネコサウルスは、もうこれ以上探すのをやめ、トカゲくんと約束した場所へ戻ることにした。
ここでの生活では、一つの場所に定着することはなく、2〜3日ほど同じ場所に留まってはまた次の場所へと移動するのが習慣になっていた。とはいえ、その寝床はいつも高い木の上だった。
さらに、この森は広大で、何日も進んでも風景がほとんど変わらないほど。同じような光景が続くことが、最近ネコサウルスにとっては少しストレスになっていた。もちろん、その単調さがこの森への適応を早めたという点では助かっていたが、それでも毎日が似た景色ばかりだというのは、想像以上に気が溶りやすいものだった。
とにかく、ネコサウルスは果物を抱え、トカゲくんと約束した場所へと戻ってきた。しかし、その場所にはトカゲくんの姿はなかった。まだ採集を続けているのだろうと最初は楽観的に考えたが、時間が経つにつれて次第に不安が加わっていった。
約束では遠くまで行かないことになっていたはず。そこでネコサウルスは、果物の入った袋を木の壁沿いにそっと置き、声を張り上げて呼んでみた。
「トカゲくーん?」
その声は森に反響し、何度も跳ね返ってきた。しかし、返ってきたのは自分の声と、変わらぬ虫の鳴き声だけ。静寂とした雰囲気が、じわりじわりとネコサウルスの中に広がっていった。
ネコサウルスはもう一度、そしてまたもう一度、必死にトカゲくんの名を呼んだ。それでも返事はなかった。約束した距離から考えれば、声が届かないはずがなかった。
トカゲくんはどこかで倒れているのではないか?何かに襲われたのでは?そんな不安が頭を駆け回り、ネコサウルスはじっとしていられなくなり、直感に従って森の中へと飛び込んでいった。
ジャンプし、枝を蹴り、風を裂きながら、ただひたすらにトカゲくんを探し続ける。その目は、焦熱と恐怖に満ちていた。
一方、そのころトカゲくんは、巨大な花の中で眠っていた。
甘い香りに包まれ、心地よい夢の中。そこでは、ハチミツで覆われた豪華な料理が次々と目の前に現れ、誰にも邪魔されることなく、ただただ幸福な気分に溢れていた。
トカゲくんは、目の前にある料理を一つ手に取ると、そのまま口に運んだ。すると、天国いるような華やかな味が口に中で広がっていった。勢いがついたトカゲくんは、料理をどんどん食いつくしていく。
だが、終わりのない豪華な料理を食べていくうちに、トカゲくんの心の奥では変化が起き始めていた。同じ行動を繰り返すうちに、何かが違うと感じていたのだ。
(何かが足りない)
確かに美味しい。幸せだ。けれど、どこか空虚だった。「自分は……こんな生き方を望んでいたのか?」夢の中で、そう自問した。
すると突然、胸の奥が締め付けられるように痛んだ。涙がぽろりと頬を伝う。理由はわからなかった。
ただ、何か大切なものを失っている気がした。いや、違う。
(誰かが、自分を呼んでいる)
夢の中で響く微かな声。その声は、時間がたつにつれだんだんと鮮明になっていった。
(……ネコ……?)
ぼんやりとした意識の中で、トカゲくんはようやく思い出した。
自分はではなかった。
いつも自分の隣にいてくれた、温かくて力強い存在。
そう、それはネコサウルスだ。
その名前を思い出した瞬間、トカゲくんの意識の奥で、何かが強く叫んだ。
(ここにいちゃダメだ!!)
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つぼみの中でゆっくりと目を覚ますトカゲくん。目の前には、太陽の光が透けて微かに差し込む、ぼんやりとした光景が広がっていた。
トカゲくんは思わず目を細め、今の自分の状況をゆっくりと思い出そうとした。
「……あれ?」
そう、彼はあの桃のような香りに誘われて、この不思議な花へと近づいたのだった。ようやくそれを思い出すと、トカゲくんの脳裏に浮かんだのは、きっと今ごろ自分を探しているであろうネコサウルスの姿だった。
「……また迷惑かけちゃった……」
そうつぶやくと、心のどこかに罪悪感が広がる。でも今はそんな感情よりも、ここから脱出しなければならないという焦りの方が勝っていた。だが、トカゲくんの体はまったく言うことを聞いてくれなかった。
重い。まるで全身に鉛をまとっているような、そんな感覚だった。呼吸も浅く、体にまったく力が入らなかった。
「やばい……このままじゃ……」
目の前の視界がぼやけていく。意識が遠のき、まるで水の中に沈んでいくような感覚に包まれていった。もうダメかもしれない。そう思ったそのとき。
「……ネコサウルス……助け……て……」
かすかに、しかし確かに、トカゲくんは最後の力を振り絞って声を上げた。
その瞬間、ネコサウルスの周囲に生えていた小さな葉っぱが、風に揺れてさざめいた。そのささやかな音に、ネコサウルスの耳が反応する。両耳が何度もぴくりと動き、やがて一点を指し示したその先に、声が聞こえた方向があった。
ネコサウルスの体が反射的に動き出す。考えるより先に、本能が彼女を駆り立てた。
「……トカゲくん……!」
ひたすら走った。目の前の枝も、地面の起伏も気にせずに。ただ、トカゲくんのもとへ、大切な仲間のもとへと急いだ。
そして、たどり着いたその場所。見慣れた森の中に、ひときわ目立つつぼみのような形をした奇妙な花が、木の幹にぴたりと張りついていた。下にはいくつかの果実が地面に落ちていて、それらはまるでその花へと導かれるように並んでいた。
ネコサウルスは木を登り、その花に近づいた。慎重に、自分の鋭い爪で花の表皮を少し裂いてみる。すると、中には、うっすらと息をしているトカゲくんの姿があった。
「……!」
ネコサウルスは震える前足でさらに裂け目を広げ、やがて花の中から滑り落ちそうなトカゲくんを、慎重に自分の口でくわえ上げた。体全体が甘い匂いのする液体で覆われていたが、なんとかそのまま木を下り、地面に到着する。
そっとトカゲくんを地面に寝かせると、幸いにも目立った傷はなかった。おそらく消化が始まる前だったのだろう。
「……間に合った……」
そう胸を撫でおろしたそのとき、トカゲくんがうっすらと目を開けた。
「ネ……ネコサウルス? なんで、ここに……?」
「...助けに来た」
その言葉を聞いたトカゲくんは、あの最後の声が届いたのだと悟った。涙がにじむ。
「……そっか。ありがとう、本当に……助かったよ……」
「……今、大丈夫?」
ネコサウルスの心配そうな声に、トカゲくんは小さくうなずきながら「大丈夫だよ……ありがとう……」と答えた。そして、再び眠りにつく。
ネコサウルスは、仕方ないと頭を横に降りながら、そっとその小さな体を口にくわえ、ふたりのねぐらへと静かに歩き出した。