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神送りの夜  作者: 千石杏香
第一章 秋分
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3 見知らぬ叔父

翌日の放課後も病院へ足を進めた。


ビルの竝ぶ街に自分がいることが違和感だった。何しろ、母の墓とも、血縁とも切り離されて生きてきたのだ。


――死者たちが帰ってくる日がある。


その日だけ、心温まる交流を行なえるはずだ。


美邦の周囲に、親戚のいない者はいない。彼女らは京都の言葉を遣うし、盆になれば先祖を供養する――墓の前でかがり火を焚いたり、親戚の家へ帰省したりするのだ。


――でも。


物心ついたころから京都にいつつ、盆の日の美邦は完全に観光客だ。あの巨大な送り火を眺めるほか、することがない。帰ってきた死者を迎えたり、交流したりしたことも全くなかった。


――それができる場所があるはず。


十字路で、赤信号に足を止める。


ふと、信号が青い方の横断路を一瞥した。最も近い信号機の(たもと)――その一メートルほど宙空にキャラクターお面が浮かんでいる。真下に置かれた百合(ゆり)の花は、すでに枯れかけていた。


美邦は顔を逸らす。


怖いとは思わない。怖いとすれば、嘲笑に他ならないのだ。


――どうして普通になれないんだろう。


奇異の目や嘲笑は、美邦を臆病な性格にさせた。それらを向けるのは主に男子だ。なので、数名の女子を除いて学校では会話できない――男子とはろくに話せないのだ。


――でも、守ってくれる人はもういなくなる。


信号が青になり、ふたたび歩みだす。


ほどなくして病院へ着いた。


いつもの長い廊下を進み、父が入院する病室の扉を開く。同時に、見慣れない後ろ姿が目に入った――ベッドの前の椅子に誰かが坐っていたのだ。


こちらへ彼は振り返った。首の上に、体調を崩す前の昭の顔が現れる。


美邦は目を凝らす。彼の顔が、昭とは違うものに変わった。父と似ているが全く違う――見ず知らずの四十代の男性だった。


初対面の時の癖で顔を伏せる。


「大丈夫だから、こっちに来なさい。」


しゃがれた昭の声が響いた。


「この人はお父さんの弟の(さとる)だ。美邦が小さいころはよく遊んでもらっていたはずだ――十年ぶりに会うから分からんかもしらんがな。今日は谷川に呼ばれてやって来たんだそうだ。」


親戚だと知って驚き、顔を上げる。


「谷川さんに――?」


啓と呼ばれた男は、戸惑ったような表情を浮かべた。


自分の親戚――父以外の血縁者を初めて美邦は目にしたのだ。


恐る恐るベッドへ歩んでゆく。


「えーっと、美邦ちゃんですか?」


こちらの様子を窺うように啓は問うた。


渡辺(わたなべ)(さとる)です。たった今、お父さんから紹介されたけど、美邦ちゃんの叔父に当たる人です。最後に会ったのは十年くらい前かな。僕のこと、覚えとる?」


少しだけ距離を空けるため、美邦は立ち止まる。


「いえ、その――昔のことは、よく覚えてなくて。」


「まあ――美邦ちゃん、小さかったけんな。僕のほうは、美邦ちゃんのことよう覚えとるけど――。それでも、平坂町のことは、それなりに覚えとるでないの?」


「ひらさかちょう?」


「美邦ちゃんが小さい頃に住んどった町の名前だが。」


体の中で何かが騒いだ。それこそ、母と暮らしていた町の名前に違いない――同時に、自分と父との故郷だ。


「名前――初めて聞きました。」


啓は唖然とし、昭へと目を向けた。


「町のこと教えとらんの、本当だっただな。」


「別に、知らなくてもいいことだったからだ。」


いつも以上の引っ掛かりを覚える。


呆れ顔で啓は抗議した。


「知らんでもええなんてことないがぁ。この十年間――こっちが、どれだけ気にかけとったか。」


昭の反応は冷たい。


「別に――来てもらわなくともよかったんだ。たとえ俺が死んだとしても、そっちに連絡を入れるつもりはなかった。いや、谷川が勝手に連絡したくらいだから、どうなってたかは分からんがな。ともかく――美邦をそっちに遣るつもりはないから。」


何かが(ひら)けそうな感覚がした。


恐る恐る叔父を見る。


視線を受けて啓は説明を始めた。


「いや――ついさっきまで、お父さんと話しとっただけん。もしも――もしもだけれど――お父さんの身に何かがあったら、美邦ちゃんはどうするのかって。僕自身は、こっちで引き取っても構わんって思っとるだけど。でも、そう言ったら、お父さんから反対されてしまって――。僕は、美邦ちゃんの意見も聞いてみるべきだって言っただけど。」


「その――ひらさかちょうで暮らすってことですか?」


「うん。」


美邦は何も答えられない。


長いあいだ、名前も知らない町が恋しかった。しかし、預けられることは躊躇する――見知らぬ環境で何があるかも分からない。当然、町のほかには施設しか行き先はないのだが。


行くべきじゃないと思うがな――と昭は言う。


「あそこは京都みたいに拓けた処じゃないし、閉鎖的で人も冷たい。近所との付き合いかたも、生活の利便も全く違う。住み慣れた土地や、こちらの友達まで捨てて、あんな処に行く必要はない。」


「あんな処――って。」


啓は再び呆れた。


「兄さん、自分の生まれ育った処だが? 十年前までは兄さんだって住んどったが。僕だって今も住んどるに――そんな人の冷たい処でも、閉鎖的な処でもあらせんが? なんで、そがなことを――」


叔父と父――どちらの言葉のほうが、町の実態を言い表しているか分からない。しかし、存在する故郷を父は否定し続けてきた――嘘をついてきたのだ。その理由はなぜだろう。


「事実を言ったまでだ。美邦も、一度でも行ってみれば判る。」


言い捨て、昭は息をついた。


「俺だって、何が何でも美邦を平坂町へ帰したくないわけじゃない。ただ――心配なんだ。今まで住んできたマンションも引き払い、こっちにいる友達とだって別れて暮らさんとならんのだぞ? はたしてこんな中途半端な時期に転校して、美邦が向こうでやっていけるかどうか――」


「だから――それは美邦ちゃんの意見を聴いてみるべきで――」


「まあ――そうだな。」


老け込んだ顔が美邦へ向けられた。今さらながら、啓との落差に驚く。


「美邦はどう思ってるんだ? さっきから、肝心の美邦を置いてけぼりにしてしまっていたが。」


「わ――私は――」


急に問いかけられ、たじろぐ。


施設での暮らしと、町での暮らし――どちらがましか分からない。


「そんな――急には答えられないよ。その――向うのこととか、何も知らないし。今まで、名前すら聞いたこともなかったのに――」


優しげな声を啓はかけた。


「まあ、あくまでも選択の一つって話だけぇ。実は、家内にも娘にも、まだ何も言っとらんに。一度、平坂町へ行って、顔を合わせてから考えるのも悪くないと思うだけど。」


「そう――ですね。」


昭は、悔しげに窓へ顔を向ける。


「いずれにしろ――俺はもう生きて帰ることはないんだな。」

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