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神送りの夜  作者: 千石杏香
第三章 寒露
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3 海を照らす神

 昼ごろから、雨は大粒となった。

 窓の外が白く霞(かす)んでゆく。

 教室が薄暗くなったため、蛍光灯が点(つ)けられた。雨は、容赦なく屋根に当たって激しい音を立て続けた。


 午前の授業が過ぎ、給食時間も終わる。

 由香や幸子と共に、流し台で歯を磨いた。そんなとき、食器篭を運ぶ冬樹や芳賀とすれ違う。今週は彼らが当番で、来週は美邦と由香の班が当番だ。


 歯を磨き終え、窓辺の席へ戻る。


 幸子の提案で机を動かした。

 美邦と由香の前の席を逆にして合わせ、側面に椅子を一つ添える。

 由香の正面へ幸子は坐った。


 二人が帰ってくる。

 合わされた机に少し驚いていた。


 美邦の正面に冬樹が腰を下ろす。

 頬杖を突き、手の平に顔を深く埋めた。その姿は、次の手を考える棋士に似ている。

 しかし目を合わそうとしない。

 意図的に美邦を見ようとしないのだ。


 不可解に思う。

 美邦を目にし、奇異の目を向ける人もいれば、露骨に目を逸らす人もいる。冬樹は後者かもしれない。それが少し悲しい。


 ――どう思われてるんだろう。


 何を考えているのか分からない。

 けれども、こんなふうに美邦も冬樹を避けてしまっていたはずだ。


 側面に芳賀が坐った。

 持ってきたバッグを開ける。その中から菓子箱を取り出し、机に置いた。

「これ、好きに食べて。」


 由香が身を乗り出す。

「あ、白うさぎ!」


 斜め前から幸子が問う。

「ええん?」


「別に。」

 ぶっきらぼうに言い、バッグから紙コップを取り出した。

「僕の母親が、市内のホテルで週一でバイトしとるにぃ。そっから、白うさぎもらってくるだが。腐るほどあるけぇ、できれば消費しようと思って。」


 ありがと――と由香は言い、菓子箱のパッケージを剥ぎだす。


 芳賀は水筒を出し、ほうじ茶を注いだ。

 先日の昼休みを思い出す。

 碁盤の両側に、茶の入った紙コップがあったのだ。年寄臭い趣味をしているという。昼休みを過ごす時の習慣かもしれない。


 一人一人の前に白うさぎが置かれる。それを終えると、一足先に由香は食べ始めた。


 湯気の立つ紙コップが目の前に置かれる。


 白うさぎの包みを美邦も開いた。

 香箱坐りをしたうさぎが現れる。

 可愛らしい姿に躊躇(ためら)いつつ、頭から齧りつく。今日は抹茶餡らしい――上品な香りが鼻を抜けてゆく。


 正面を見やる。

 冬樹は、白うさぎを取ろうともしない。

 ただし、ほうじ茶を受け取ったあとは、軽く冷ましながら一口すすっていた。


「とりあえず、昨日、祖母ちゃんと母さんにもっぺん訊いてみたに。祖母ちゃんは戦前から町に住(す)みょーるし、母さんも町の者(もん)だ。けれど、やっぱり平坂神社なんて知らんかったって。――みんなはどうだった?」


 美邦も幸子も、昨晩と同じことを答える。由香は――母親の帰りが遅かったため、結局何も訊けなかったという。


 女子たちが答えるあいだ。

 芳賀は、小型ノートパソコンをバックから取り出して起動させていた。

 起動音が止む。


「僕は――親に訊く前に色々検索してみただけど――。不思議なことに、十年前まではなんもヒットせん。でも、十一年前の十二月から、ちょいちょい引っかかる。」


 ――十一年前の十二月。

 町を去る直前だ。

「十一年前まで?」


「うん。それでも多かないけど、執拗に調べてったら、画像の載っとるサイトが出た。」


 キーボードが素早く打たれた。


 可動式ディスプレイが回され、メンバーに画面が見せられる。

 何かのサイトが映っていた。

 モノクロ写真が片隅に載っている。随分と古い写真らしい。しかも、小さな画像を引き延ばしているせいで酷く粗かった。


 被写体の輪郭を把握し、目を瞠(みは)る。


 正面から写された社殿だった。

 寝殿造りを思わせる横長だ。かろうじて、石灯籠や狛犬があることも判る。


 滲んだ記憶――母の腕の中で見た光景が、モノクロ写真と重なって焦点を結んだ。


「たぶん――間違いない。」

 唇が震える。

「高い樹の中に、この神社が建ってたの。立派な建物だったはず――町の守り神がいたんだから。」


 黒い瞳が、初めて美邦へ向く。

「守り神?」

「え――っと。」

 助け舟を出すように由香が言う。

「海から来た神様がおっただでなあ?」

「うん。」


 冬樹は画面へ再び瞳を向ける。

「じゃ、やっぱ此処(ここ)なんかなあ。」


 幸子が腰を浮かせた。

「あの山ん中にこれが? 大きぃない?」


「だでなあ。」由香もうなづく。

「下手したらお寺さんの本堂より大きい。」


 ほんにな、と芳賀は言った。

「で――親にも訊いてみただが。うちの母親は町外の人だし、分からんって言っとった。遅くに父親が帰ってきたけえ、改めて訊いてみたに。そしたら、やっぱ知らんって言う。だけぇ、この画像を見せたら、何か変な顔して――潰れたでないかいなぁって言った。」


 張り裂けるような声が響いた。


「あんた達、もっと静かにできんの!」


 びくりと肩が震える。

 声のした方を恐る恐る向いた。

 小太りの少女が坐っている。先日、トイレで声をかけてきた生徒だ。読書中らしく、有名なケータイ小説を手にしていた。


 彼女はこちらを睨むと、読んでいた本を手にして教室から出た。


 由香は胸を撫で下ろす。

「ああ、びっくりしたあ。」


 怒鳴られた理由が分からない。

 恐る恐る周囲を見回した。

「私たち、そんな大きな声でしゃべってたかなあ。」


 紙屑を捨てるように芳賀は言う。

「あの人、頭おかしいだけだと思うで。」


 一瞬で空気が冷たくなった。

 非難の眼が芳賀に向いたわけでない――失言したわけではないらしい。ただ、校舎の喧騒と、大粒の雫が窓を叩く音が迫った。


 気を取り直すように幸子は問う。

「潰れたって、神社って潰れるん?」


「さあ。」

 芳賀の声は素っ気ない。

「なんでも、火事があったとか。」


 厭な響きが耳に残る。


「火事。」


「詳しいことは分からんけど――宮司さん家(ね)ぇから火が出たって言っとった。」


 漠然と予感してきた考えが頭をよぎる。

 すぐに打ち消した。

 それが事実ならば、叔父夫婦の反応は何なのだ。もしそうなら――触れた瞬間、渡辺家にいられなくなる気がする。


 新しい白うさぎに由香は手を伸ばした――もう三つも食べている。

「でも、荒神さんみたいな小さな神社はみんな知っとるにぃ、こがぁに大きな神社を誰も知らんだなんて可怪(おか)しぃない?」


 真っ暗な水面が震えるように心に響いた。

「そうだよ。」思わず声を上げる。「誰も知らないなんて変。初詣だって、普通ここに行くんじゃないの?」


 その言葉を境に再び静かになった。

 雨の降る音が響く。

 明るい蛍光灯の下、難しげな顔で冬樹は考え込んでいた。


 しばらく経って由香が再び問う。

「神社は『消えた』んでないかいなぁ?」

「消えた――?」


「うん。」

 上半身を伸ばし、画面を覗き込む。


「きっと、町の人らの願いがようけ詰まっとるけぇ、こがぁに神社は大きいでないかいな? でも、昨日の郷土誌、目次は黒(くろ)ぅ塗られとって、ページは切り取られとったにぃ――まるで神社を隠すみたいだが?」


 寂しく雨が響く。


 あるはずのものがない。

 普通、それは「消えた」と言う。

 ――でも。

 渋い顔で幸子が首を捻った。

「人や店ならともかく――神社なぁ。」


 呆れた顔で芳賀も同意する。

「大人たちが口裏を合わせて『ない』と言ったとでも? やるだけの意味が分からん。」


 ――それは。

 普通そうなのだ。

 ――消えるとかない。

 しかし消されようとしていた。


 冬樹は眉間へ手を当て続けている。

 先ほどから何も言わない。しかしやがて手を離し、ほうじ茶を一口すすった。


「でも、たとえ潰れたんだとしても大ごとだな――。たぶん、平坂神社は町の総鎮守だ。初詣あったら間違いなくここ行く。それどころか――祭神が大物主命(オオモノヌシノミコト)と来とる。今もあったら何でこうなったか訊きに行っとるわ。」


 先日から祭神を気にしているようだ。

 ズレており祟るという。


 距離を測るように尋ねた。

「祀られてる神様、そんな変わってるの?」

「神様は変わっとらん。ただ――祀られかたが変わっとる。」


 ポケットから一枚の紙を冬樹は取り出す。

 机の上に開かれた。

 先日のサイトを印刷した物だ。


【主祭神】

 三輪大物主命《みわのおおものぬしのみこと》


【配神】

 八重事代主命《やえのことしろぬしのみこと》

 少彦名命(すくなひこなのみこと)

 武御名方命(たけみなかたのみこと)

 天稚彦命《あめのわかひこのみこと》

 下照姫命(したてるひめのみこと)

 味耜高彦根命《あじすきたかひこねのみこと》


「祀られとる神様は、みんな出雲神話――大国主(オオクニヌシ)の話で活躍する神様だ。でも、主人公の大国主はおらん。大国主の分身――大物主(オオモノヌシ)が主祭神になっとる。」


 ――分身。


 小麦色に焼かれた衣を由香は剥いだ。

「大国主(オオクニヌシ)って、白兎を助けた神様だら? こう、サメから皮を剥がれた白兎を治した。」

「由香、行儀悪い。」


「大国主は国造りの神だ。」

 芳賀に目をやる。

「ほら、なろうでよくあるが? 転生した異世界で国を造るやつが。」

「転スラみたいな?」


「そう。ちょうどあの主人公みたいな神様。大きな国の主だけえ大国主。小さな国を大きくしていってハーレムを築くっていうのが大まかな流れだ。」

「典型的ななろう小説だな。」

「大国主の性格もラノベ主人公だしな。」


 ほうじ茶に口がつけられる。

 古事記によれば――と言葉が継がれた。

「そんなラノベ主人公――大国主が海へ遊びに来た時。浜辺に、手の平に載るほど小さな神様が打ち上げられる。ガガイモの殻に乗って、蛾(が)の皮を衣にした神様。」


 ガガイモって何と芳賀は問い、何かの殻だろと冬樹は答えた。


「この神様を、少彦名(スクナヒコナ)っていう。神産巣日(カミムスビ)っていう偉い神様の息子だ。いたずらばっかしよおって、うっかり親の手の平から落ちたらしいが。」


「うっかり――?」

「うっかり――な。――当然、保護者の元に大国主は届け出た。すると神産巣日は、この少彦名と兄弟になって国を造れと命令する。」


「国造りゲーでペア組むでないだけ。」

「まあ似たやなもんだ。とりあえず相方が出来たってことだな。」

「で――造っただか? 国を?」

「造った。というか――造ろうとした。でも完成する前、少彦名は常世の国に行く。」


 最後の声が耳に残った。

 ――とこよのくに。

 初めて聞く言葉だ。

 けれども、初めての感覚がない。


「とこよのくに――?」

「海の彼方にある国で、死者が行く島。」


 ――死者が。

 聞いたことがない。

 しかし識(し)っている。死者は海に行くのだ。どこかでそう聞いたと思う。

 しかしイメージがない。死者の魂が見えないように、常世も見えなかった。


 確認するように芳賀が問う。

「死後の世界ってこと?」

「まあ、そうかいな。」

「少彦名は死んだ?」


「分からん。死ぬも何も神様だけん。旅に出ただけかもしらん。」

「そんな、飽きてペア解消するでないに。」


 どうあれ、そこに行ったのだ。

 常世という言葉が頭に響き続けている。

 それは、美邦がしたかったこととつながるような気がした。死者と交流する日があるのだ――真夏の最も暑い日に。

 ――◼️◼️なきゃ。


 しかし引っかかった。

 美邦も知っていることがある。

 神話では、死者の世界は違ったはずだ――常世でなければ、海にも存在しない国が。

 それは――。


「少彦名は優秀な相方だったらしい。気落ちして大国主は嘆いた。一人じゃ国造りはできん。無理ゲーだ。と。すると海が光って神が来る。これが大物主だ。」


 芳賀が唇を歪める。

「超展開?」

「二千年前のなろうだ。――で、大物主は言った。俺のスキルさえあれば国は完成する、相方になってやろう、ただし俺専用のVIPルームを用意しろと。」


「僕なら断る。」

「切羽詰まっとったんだろう。大国主は大物主とペアを組む――条件通りVIPルームを用意して。それが奈良県にある大神(オオミワ)神社だ。」


「ああ。」

 思い出したように芳賀はうなづく。

 ディスプレイを自分に向けた。

「そういや藤村君、前にも話しとったな。日本最古の神社だら?」


 キーボードが素早く打たれた。クリック音が響き、ディスプレイが回される。

 映るのは画像検索サイトだ。


 再び目を瞠(みは)る。

 伊吹山に酷似した山が竝んでいた。少し形は崩れているが、綺麗な円錐形だ。


 検索欄に目をやる。

 どうやら、三輪山で検索した結果らしい。

 幸子の声が響いた。

「これ――伊吹山に似とらんくない?」


 由香も同意する。

「ほんに――そのものに見えるで。」


 うんと、美邦もうなづく。

 顔を上げた。

 冬樹と目が合う。

 けれどもすぐ逸らされてしまった。

 ――おおものぬしが。

「伊吹山と同じ神様が、この山に?」

「ああ。」


 ズレており祟るという。

「分身とか――言わなかった?」

「ああ。それな。」


 顔の前で冬樹は手を組む。


「古事記と日本書紀じゃ、大物主の設定が違う。古事記じゃ、大国主と大物主は別々の神様だった。でも書記じゃ分身だ。大国主の奇魂(クシミタマ)・幸魂(サキミタマ)だっていう。」


 レンズを隔てて幸子の目が歪む。

「くしみたま?」


「特別な力を持った魂――それが幽体離脱して海から来た。たとえりゃ、国語と社会の能力が俺から抜け出て俺のドッペルゲンガーになったやなもん。」


 もう一人の自分だろうか。

 同時に――別々の存在だという。

 自分であると同時に自分ではないのだ――鏡に写る自分が、自分であると同時に自分ではないように。

 ――私と千秋ちゃんみたいに。

 刹那、軽く首を横に振る。

 千秋と自分は――そもそも同じではない。


「ただ――元々は別の神だったんだらあとは思う。何しろ性格が違うに。大国主命は典型的なラノベ主人公だが、大物主命は――」

 祟る神だと冬樹は言った。

「卑弥呼を殺したとも言われる。」


 外から聞こえる雨音が迫った。

 幸子が目を顰める。

「卑弥呼――?」


 無言で冬樹はうなづいた。


「第十代天皇――崇神の時代、疫病のせいで人民の半分が死んだ。天皇は、これが大物主の祟りだと夢で知る。大物主を祀ったところ祟りは治まった。この崇神天皇の大叔母が倭迹迹日百襲姫命《ヤマトトトヒモモソヒメノミコト》――卑弥呼とされる人物。大物主の祟りで死んだ。」


 ――殺した神が。

 町の守り神だったのだ。

 ――海から来て。


「あと気になるんは、宮中祭祀の神嘗祭(カンナメさい)が秋分に行なわれとることかな。でも、これについて語りだしたらキリがないな。」


 幸子が顔を上げる。

「で。これからどう調べてくつもり?」


「まずは、神社庁と市役所に連絡かいな。町指定の天然記念物や文化財がありゃあ教育委員会が管理しとるけど。あと、◼️◼️大学の地域学部に訊くのも手だ。それと――図書館の郷土誌も切り取られとらんか確認せんと。」


 ふっと、由香が口を開いた。

「どうせなら放課後にみんな歩いてかん?」


 一同はきょとんとする。

 どこに――と幸子は尋ねた。


「平坂神社だぁが。」

 

 顔を向けてきた。

「美邦ちゃん――平坂の三区だっけ? ここ、中通りから逸れて十分もないに、そんな遠くないで?」


 少し考える。

 その程度の寄り道なら問題ない。加えて、平坂神社が今どうなっているか気になった。


「別に――私は問題ないけど。」


「お前ら、早めに帰っとけよ。」


 冬樹の言葉に、由香は不満な顔をする。

「お前ら――って、藤村君は行かんの?」

「暴れん坊将軍の再放送があるけぇだ。」

「あ、爺さん臭い。」


 それにと冬樹は言う。


「大原さんは知らんかもしらんけど――複雑な地形のせいか、この町は交通事故がやたら多いだが。だけん、あんま暗くならんうちに帰ったほうがええで?」


 少し意外に思う。

「うん。叔母さんから聞いてる。」

 事故が多いから危ないという言葉を、詠歌以外から初めて聞いたのだ。


「私もパスかな」と幸子は応える。「帰って夕飯の手伝いせんといかんけん。」

 ぶっきらぼうに芳賀も言う。

「僕も。上里だけん――遠いに。」


「もう。みんな連れんだけえ。」

 ここ行ったら平坂神社ってと由香は言う。

「まだあるかもしらんが?」

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