エピローグ
長ったらしいゲンバケンショウに付き合わされて、そのままパトカーでドライブがてら県警本部へ到着。
取り調べ室で被害届の調書を終えて待合室に移される頃には、その部屋の窓から星空が輝く時間となっていた。
早く帰りたいけれど、身元引き受け人に迎えに来てもらわないといけない決まりらしくて、この県に住む加齢臭の姉兼僕の叔母が来るまでここで時間を潰すように、と巡査部長さんに言われた。
移された待合室は、飲料水の自動販売機が四つと、四人がけの長椅子が二つ平行に並べられている静かな空間だった。
そこで僕と姫風は並んで腰掛けている。
はぁ……叔母さんには悪いことしたなぁ。僕の記憶が正しいなら会計士の叔母さんは四半期(三、六、九、十二月)の決算が近いので現在は大変忙しい時期だ。その時期にも関わらず迷惑をかけてしまって、申し訳ない。大した恩返しはできないけれど、せめてもの罪滅ぼしに、今度叔母さん宅の掃除でもしよう。
そこ、所帯染みて、主婦臭いとか言わない。
「あ」
「どうしたの、ゆう?」
これと全然関係ないけれど、面倒臭いことを一つ思い出した。
来月から学期末テストだ。
一年から続く記録・オール赤点をそろそろ回避したい。
去年の夏休みは前半が補習で潰れてしまったので、今年はそれを回避したいのが本音なんだけどね。
去年の二の舞は嫌なので、最近友達になった姫風に教えを乞うとしよう。
中学時代は満点しかとったことがないと豪語する姫風に訊けば、一つくらいは赤点を免れるかも知れない。
「姫風は引っ越してきたばかりだけど、授業についてこれてる?」
「ゆうから『授業』と言う単語が出るなんて。これも友達効果? 友達は予測不能で困る」
「僕が授業の話をして悪いか!?」
劇画風に驚いていた姫風が、すぐに立ち直り「以前通っていた高校の授業進度はここの三倍だった」と明かした。
「へ〜それなら、ここの授業は姫風的に退屈だよね。余裕だよね」
「ゆうが近くに居て、常に濡れてるから、それほど余裕は――」
「だまれ」
「休み時間の度に代えのパン――」
「だ・ま・れ・!」
「解った」
また頭痛がしてきた。
僕はコメカミをもみもみと解す。
「えっと、僕が言いたいのは、来月のテストに出そうなところをピックアップして、明日から僕に教えてねってこと。ほら、夏休みが補習で潰れると高校生としてはけっこう痛いし」
「交換条件」
「やっぱりか。んで、交換条件の内容は?」
「一問教えるごとに『姫風愛してる』と甘く囁い――ああ酷い」
しなだれかかってくる姫風のポケットから携帯電話をちょろまかし、脳細胞に深く刻み込んでいた新海沙雪さんの番号を高速で打ち込みコール!
『……どなたですか?』
九コール目で通話口に出た新海さんの声音は、警戒心の塊だった。
「あ、良かった。繋がった。新海さん? 僕、鈴城。今、ダイジョウブ?」
『え、鈴城くん? だ、だい、大丈夫だけど、あれ? この番号は??』
「この番号は『姉』のなんだ。ケータイどっかに落としちゃって、今『姉』のからかけてる訳なんですよ」
不穏な空気を孕んだ姫風が、僕をジッと睨んでいる。
『そうなんだ。お昼は突然居なくなったからビックリしたよ? どうしたの?』
ちょっと拉致されてました、とは言えない。真相は告げない方が良いよね。
「昼間は……昼間は先に帰ったりしてごめんね。突然用事を思いだしちゃってさ」
『そうなんだ。鈴城くんのケータイに何度も電話をかけたんだけど、全然繋がらなくて、わたし、心配だったんだよ?』
言葉とは裏腹に、新海さんは物凄く安堵したような声音だった。
「本当にごめんね。心配かけて」
僕の心はぽかぽかしていく。
隣の姫風が剣呑な空気を纏い「ゆうは私のゆうは私のゆうは私の」とぶつぶつ呟いているが、気にしない。
「んなことより、僕バカでしょ? まったく勉強してなくてさ。来月の期末テストで出題されそうなところを、教えてああヤメロ返せよ!」
携帯電話を奪い取った姫風がピッと通話を切った。
「ゆう、顔がにやけてる。不細工。それじゃあ私は濡れない。むしろ乾く。カラカラに」
「んなこと知るか!!」
痴女がむくれた顔付きで唇を尖らす。
「なんで、いぢわるするの?」
幼児退行するな。
「そっちの方は意地悪を通り越して、拷問レベルってことを忘れてない?」
意地悪の質が違うから。
「友達なら『愛してる姫風』くらい普通」
「そうかそうか。なら『愛してる沙雪』も普通だよね」
姫風がくわっと目を見開く。戦闘力が五十三万くらいありそうだ。
「名前でタヌキを呼び捨て? 私以外の女を呼び捨て? ごめんなさいは? ごめんなさいって言って。今なら許すから」
「ご、ごめんなさい」
気迫に負けた。
ともすれば、姫風に肩を掴まれて強引に引き寄せられる。
――ちゅっ。
「素直なゆうも大好き」
唇をついばむようなキスとともに、魅力的な笑みを浮かべてくる姫風。
不意を打たれた顔が、沸騰しそうなほど熱い。
やけに悔しい。
負けないぞ。
仕返しだ。
でも、どうすれば姫風に仕返しができるのだろう?
仕返し――相手を困らせる行動。姫風を困らせる行動。
例えば、普段なら絶体僕が姫風に起こすことのない行動、とか?
ん〜……あ、思い付いた。
「姫風」
「なに?」
ゆっくりと姫風を抱き締めて、僕からもほっぺにキスをした。ついでに「よしよし」と頭をナデナデする。
「姫風の髪、サラサラしてるね」
姫風がぶばっと鼻血を吹いた。
「なぜ?」
「とりあえず鼻血を拭こうか」
身体を離して滝の如くダバダバ垂れる流血原因に、ティッシュを突っ込んだ。チョキで。
「ゆう痛い」
「我慢しなさい」
「ん」
素直な良い子だ。
「訊いて良い?」
素直な良い子はどうしても訊きたかったのだろう、ちょんと自分の頬を指差した。
「なぜ? ほ、頬に、き、キスを?」
動揺しているのか、姫風が珍しく口ごもる。
自らのキスは恥ずかしくないクセに、僕からのキスは恥ずかしいらしい。
姫風の困惑した顔がそう訴えている。
「キスの理由?」
「キスの理由」
なぜ、僕からもキスをしたのか。
それは――
「友達だから」
「え?」
僕はきっと真っ赤な顔をしている。
「姫風と僕は友達だから!」
僕は意図せずもう一度姫風を抱き寄せて、彼女のほっぺにキスをする。
姫風の困惑した表情が予想以上に可愛くて、もう一度見たくなってしまったのだ。
「これが、友達……」
姫風は友達の行為にダメージを受けたらしい。
抱擁を解くとトロトロにトロけた表情で、
「……友達最高」
姫風が倒れた。
【END】