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やんやん  作者: きじねこ
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6.友達握手


「……姫風ひめか、前からこうと思ってたんだけど、なぜ僕にこうまで執着するんだ? こう言っちゃあなんだけど、僕は姫風が惚れてくれるような、凄いことのできる人間じゃない。そこのところを教えてくれると、その、姫風ともっと違う付き合い方と言うか、今まで邪険にしていた扱いを改めると言うか……僕に執着するようになったきっかけみたいなものを説明してくれると、助かるんだけど」

 僕は、今なら姫風とまともに会話をわせる気がした。

「ゆうと私の馴れ初めを聞きたいの? ゆうは覚えてないの?」

「なれそ……」

 なんか違う気がするけど話を進める為に素直に頷く。

「ゆうは小学一年生の時に、私のクラスへ転校してきた。でも、クラスに馴染めなかったようで、苛められていて……覚えてる?」

「……覚えてるもなにも、嫌な記憶だ。忘れたくても忘れられないよ」

 加齢臭はサラリーマン時代に転勤族だった。そのせいで、いろんな方言が混ざっていた僕は、苛めっこの小学生たちにとって、かっこうの暇潰し道具だったに違いない。

「嫌なことを思い出させた。妻失格。ごめんなさい」

「いや、馴れ初め? を訊いてるんだ。それの説明に必要な部分なんだろ? 続けて」

 姫風が僕の顔色をうかがうようにおずおずと見上げてくる。

 殊勝な態度が珍しくて、笑いを誘った。

「笑った。酷い」

「酷くない。良いから続けて」

 デフォルトの無表情に戻った姫風が続きを語る。

「苛めに興味がなかった私もしだいに苛められた。丁度ゆうの苛めに飽きてきた頃合いだったみたい。ストレスが満額溜まった頃合いをみて、クラスメイト全員を刺し殺そうかと思っていたら、苛めを見かねたゆうが私を庇ってくれた」

「……小学一年生から大量虐殺を考える思想の持ち主だったんだなお前は。正直、姫風が本気で怖い」

 ちなみにこのあと苛めがパタリとやんだ。クラスの代表格だった少年を僕が偶然殴り倒してしまったせいだ。小学生のヒエラルキーが単純で助かった。

「ゆうが庇ってくれた。そのお陰で、私は保護観察処分にも少年院送りにもならなかった」

「そうか……それについて感謝してるから、僕に執着してる、と言う訳か」

 漫画や小説の王道パターンだ。幼い頃からの感謝が思慕に変わった、みたいなやつ。

「違う」

「違う?」

 王道全否定だ。

「感謝しかしてない。これはきっかけだった」

「きっかけ?」

 少しいりくんできたな。これ以上僕に理解できるだろうか。

「ゆうを知るきっかけ」

「つまり僕が姫風を庇わなければ、姫風に執着されることはなかった訳だな僕のバカ!」

 人生最大の汚点発見!

「ゆうが私を庇わなければ、ゆうもろともクラスメイトを全員刺殺してた。間違いない」

「僕の判断がクラスメイトを救ったのか……凄い複雑な気分だ」

 総勢四十名の尊い命を大量虐殺から救ったのか。僕のノーベル平和賞授賞式はいつだ。

「他人を『庇う』と言う行為事態が気になった。その意味は今なら解る。一切見返りを求めない愛情。自分勝手な正義。ひねくれた人によっては偽善。様々な呼び方がある。でも、当時の私は自分が得をしない――無償の行為事態が理解できなかった。ゆうの行為事態が、私に『恩を売るつもり』の行為だったと、いぶかしんだ。それがのちにゆうと接触する動機になった。これがきっかけその2」

 小学一年生で他人を信用しない人格になっていたのか。百合さんはどんな教育をされていたのだろう。

「はぁ……動機を与えてしまった小学生の僕を一発殴りたい」

「一つだけ言い訳。当時、お父さんとお母さんが離婚したばかりで、家庭が崩壊してた」

 しぃちゃん曰く、親父さんはイギリス人とドイツ人のハーフだそうだ。

「……父親のことどう思ってる?」

「昔は好きだった。でも、今はもう記憶にない。最後に会ったのが十一年前だから」

 言葉が少ない姫風とも、十数年来の付き合いとなると、空気だけで色々と読み取れるようになる。言葉の端々に込められた思いってやつを。推測にしか過ぎないけど、姫風の人間不信は、両親の離婚が原因で間違いない。愛し合った二人ですら別れる現実をの当たりにして、『いつかは、人は人を裏切る。よって人は信用できない』と自分を守るための予防線を小学一年生の姫風は張ったのだろう。んで、そこに苛めが降って沸いた。そして僕がたまたま姫風を庇ってしまった。姫風は怖かっただろうな。おびえただろうな。アカの他人の、ましてやただのクラスメイトの無償の行為が。

「もしかして、その当時、姫風にとって僕は最悪なやつだった?」

「殺意の対象だった」

 やっぱり。

「いつも視界の端にらえてた。どうやって報復しようか、悩みに悩んでた」

 十年来のストーキングの理由が明らかになり――今までの姫風の行為に納得した。

「そ、そして今に至る、と。すんません。充分元は取れたと思うんでそろそろ僕を解放してやって下さい」

「ゆうは勘違いしてる。殺意の対象は小学生までの話。中学生からは愛に満ちた目で常にゆうを視姦してた」

「小六と中一の間になにがあったんだ!?」

「それはあとで話す。まだ先に話しておかないといけないことがあるから」

 それはそれでちょっとした恐怖だ。

「ゆうを殺害するには、まず近付かないといけないと、小学一年生の私は幼いながら考えた」

「はいストップ。今色々おかしかったぞぉ?」

 無視された。

「だから、娘に激甘な母に頼んだ。『鈴木優哉』とずっと同じクラスにして欲しい、同じクラスにしてくれなければ、自傷する、もしくは自殺する、と。母は学校に掛け合い、簡単に話が転がっていった」

「そうか……小中学校と、姫風と同じクラスであり続けたのは、お前の差し金だったのか。つか、小学生の分際で親をおどすな!」

 この知能犯は早々に逮捕すべきだ。罪状? 姫風罪で充分だよ。

「それから、ゆうを毎日毎日観察した」

「僕は朝顔の成長記録か」

「とてもつまらなかった」

つぼみすらつかないからな!」

「学年があがるごとに、面白いことに気づいた」

 僕が自分で気づかないクセとか?

「なんだよ?」

「背が伸びてる、って。凄い発見だった」

「成長期ですから♪ って当たり前じゃボケ!」

「六年生になる頃には、ゆうの観察日記が六十冊を越えた」

「お前凄いな。つまらない相手について五年ちょいで六十冊も書けるとか尊敬するよ」

「殺人マニュアルだから、最後はだいたい同じ手口になる」

「てへ☆ 僕ってば朝顔の成長記録と勘違いしてました」

 恨みや愚痴等、書くこといっぱいだよね。ペコちゃんばりに舌を出して自分の頭をコツン☆

「六十四冊めで、書くことがなくなった。少し視点を変えて、ゆうの良いところも書いてみようと思った」

 僕への怨嗟えんさは六十三冊にものぼっていたのか。

「なかった」

「まさか僕の長所が? そんな訳な――」

「良いところが一切書けなかった。平均で一日、五〜十ページ書いていたノートに一文字も書けなかった」

 うん。なんとなくだけど、解ってたよ。

「結局その日は書けなかった。ショックだった」

「それを聞いた僕もショックだ」

「それから、ゆうを見れば見るほど、声を聞けば聞くほど――幻滅した」

 生まれてきてごめんなさい。

「観察するたびに思った。賢くない、運動能力も私より低い、男的な魅力もない」

「……言葉の暴力って、どう防げば良いのかな」

 ふふ、そろそろ泣くよ僕?

「けれど、ゆうは優しかった。誰にでも分けへだてなく、フェミニスト以上に優しかった」

 気のせいかなぁ? 無理矢理褒められてる気がするぞぉ?

「ゆうを見ていて大切なことに気づいた」

「なに?」

 どうせまたショボいことだろ?

「無償の行為の意味が」

「五年越しに社会復帰か」

 僕は社会に少しだけでも貢献こうけんできただろうか。

「ゆうの周りには優しい人が集まる。無償の行為が好き――とりようによっては恩着せがましい人たちが群れている。暖かくて優しいオーラが撒き散らされてる」

 ボランティアとか一切したことがないけど、どの辺りを見て優しいとのたまうのだろう。

「優しいオーラってなんだよ。無償の行為の具体的な例えを聞きたいな」

「例えば、交番まで落とし物を届ける」

 小6の夏休みのことだ。

「そりゃ札束の詰まったバッグは怖くてパクれないよ」

「例えば、お婆さんを背負って町内一周」

 札束を拾った次の日のことだ。

「あれは近所に住む認知症のおばあちゃんが、家の鍵を落としたってうちに怒鳴り込んできたから」

「例えば、迷い犬の飼い主を見付けてあげる」

 町内一周の次の日のことだ。

「……ジーパンに食い付いて放れないから仕方なく探すはめになったんだよ」

 どれも受動的で、結果的に美談に移り変わっただけだ。褒められる点はほぼないと思う。

「つか、お前はその頃から既にストーカーだったのな」

「テレないで。ゆうは誇るべきことをしてる」

 よく見てね。僕テレてないよ?

「私ならそんなことに労力はかない。効率よく自分が得するように動く」

「どんな風に?」

「札束の件なら、他県におもむいて、お金全額を両替機と自動販売機に入れて小銭に変える。お婆さんの件なら、お婆さん宅の窓ガラスをお婆さんで割って、家中に放り込む。犬の件なら、首を折る」

「いやあああぁぁぁ!? おばあちゃんと犬が死んじゃう!!」

「どうして? 噛みついてきた犬が悪いでしょ?」

 おばあちゃんは無視か!? 本気だ。この女の目は本気だ。

「お願いだ! 僕に向ける優しさの半分で良いから、おばあちゃんと犬にもその優しさをわけてあげてくれ!」

「解った」

 よしよし素直な良い子だ。

「これで解った? 私がゆうを愛し始めた理由が」

「さっぱり解らない!」

 盗難と殺人と動物虐待を躊躇ちゅうちょしないことなら解った。

「ゆうの良さを何度も目撃した。何度も目撃するたびに惹かれていくのが解った。ゆうの優しさが好きになった。顔も好きになった。雰囲気も、声も、匂いも、なにもかも好きになった。それにゆうの近くにいるとポカポカする。心も身体も。中学生になると、そこにヌルヌルも加わった」

「……そこから痴女になったのか」

 要約すると、小六の夏休みにまで僕をストーキングしたせいで、まんまと惚れてしまった訳ですな。馬鹿め!

「無償の行為が行える人は優しい。すなわちゆうは優しい。私が意図的な迷惑をかけても、邪険にこそすれ、暴力を振るわなかった。私を遠ざけなかった」

 僕は意図的に迷惑をかけられていたのか……。

「小学生時分は、姫風に割りと本気で殴りかかったけど、ことごとく避けられてた記憶があるよ」

「謙遜しないで。男女では対格差がある。ゆうが本気で殴れば私に当たっていたはず」

 都合つごうの良い解釈ですな。

「ゆうは優しい。嘘まで優しい。賢くないけれど、愚鈍なまでに他人を気にかける優しさを持ってる。運動だって、実はなにをやらせても、すぐに一通りこなせる。そして、ゆうに男性的な魅力がないと思っていた私の目は節穴ふしあなだった」

 姫風は無表情から一変して満面の笑みを浮かべた。

「今考えてみたら、私は、本当は、庇ってくれた時から、ゆうの魅力に気付いていたんだと思う。殺意で自分の気持ちに気付かないふりをして、素直になるのが怖かったんだと思う。私ではゆうにつり合わないと思っていたから。けれど、ゆうを好きな気持ちがこらえきれなくなって……だって、ゆうはこんなに素敵な男の子なんだもの。ゆうの魅力に気付いていたからこそ、十年もゆうを見つめてこれた。想い続けてこれたんだと思う」

 姫風のとろけるような魅力的な笑みが気恥ずかしくて目を合わせられない。

 急いで目をらす。

 褒められ慣れない僕は身体中からだじゅう発疹ほっしんが出たようにかゆくなる。

「……ダメな妻で幻滅した?」

 珍しく自信なさげな上目使いの姫風。僕はぼりぼりと背中や脇腹をく。

「姫風が僕の妻かは銀河の果てに置いておくとして、その程度じゃ幻滅したりしないよ。あと、すみません。そろそろ身体が悲鳴をあげてるんで、称賛しょうさんをやめて貰っていいですか?」

 無表情に戻して首を振る姫風が、あからさまに嘆息した。

 お願い。僕の話を聞いて?

「ゆうは魅力的。これは揺るがない事実。今はそれで困ってる。ゆうが魅力的でいろんなメスが私のゆうを狙ってる。ゆうも妻たる私以外に目移りしてる。そろそろタヌキとキツネをマントル層まで埋めたくなる。埋めて良い?」

「良くない。さらっとKILLワードを吐くな」

「なら勝負する。タヌキとキツネと、ゆうの正妻の座を賭けて。埋めた方が早い――手軽で簡単だけど、ゆうは許さないでしょ?」

「埋める思想から離れてくれ。あと、新海タヌキさんも相庭キツネさんも僕のことはただのクラスメイトとしか思ってないよ」

 姫風は無表情から一変して、ムッとしたように眉根を寄せた。

「ゆうが気付いてないだけ。それとも最初から愛人狙い? ダメ。ゆうから愛を注がれるのは一人だけ。私だけ」

「……話が噛み合わないなぁ」

 僕は深く深く溜め息を吐いた。

 無表情に戻った姫風が締める。

「以上が、現在ゆうを愛してる理由。私だけの理由。理解した?」

「……なんとなく」

 多分「最初は殺したかったけど、いつの間にか好きになっていた。なので、相手を独占したい」と言う複合型王道パターンの解釈で良いよね?

 姫風は口のはしだけをつり上げた。無表情だけに恐い。

「なんとなく? ふふ、仕方のない人。あのね、気づいたら、ゆうの魅力に骨抜きにされていたの。ゆうの可愛い顔を見るだけで濡れる。相手を気遣う優しさを感じるだけで濡れる。もう我慢できない」

「寄るな痴女」

 姫風が一歩踏み出すたびに、僕は一歩後ろへ下がった。

 動きを止めた姫風が眉根を寄せる。

「……ゆうは私のなにが不満なの?」

「存在かな?」

「まだ和食限定だけどゆうのために料理を覚えた。今は洋食を修行中」

「ほほぉ、それは熱心ですな」「髪は磨きをかけて整えるだけで四年間頑張って切ってない。長髪が好きって聴いたから」

 頑張っている評価には頷けた。

 姫風の黒髪はいつも涼やかな香りと艶々した清潔感を保っているのだ。

「胸は自信がある。一応Eカップで垂れてない。揉めるし、吸えるし、噛んでも良いよ?」

 揉まないし吸わないし――

「噛まないよぉーーーー!?」

 姫風が無表情で首を傾げる。

「噛まないの?」

「か、噛みた――噛まないよぉーーーー!?」

「ゆうはおっぱい星人、と」

「メモるな!」

「違うの?」

「ちがっ……違わないけどさ」

 姫風は真っ赤な僕の顔を眺めて何度も頷く。妙な納得をされてしまった。

「体重は平均値より下をキープしてる。背もゆうとのキスの高さに丁度良いくらい」

「寄るな痴女」

 どさくさに紛れて迫ってきた痴女から距離を取る。

「あとは、私になにが足りないの?」

「常識」

「それ以外でなにが足りないの?」

「モラル」

 もっと、その、清純なお付き合いから始めたいです、はい。

 そこ、僕をうぶって言うな。

意気地無いくじなしの臆病者」

「こどもみたいな挑発だな」

 その手には乗らないぞ。

「一生童貞。私を犯すどころか押し倒す勇気もない火星人は、このままだと一生素人童貞」

「ムカ」

「あっ」

 イラッときた僕は思わず姫風の両手を掴んで組み伏せ――地面に押し倒してしまった。

 姫風の手首はひんやりとしていて、あまりの細さに内心ビビる。

「ゆう、良いよ」

 下になった姫風がなにやらモジモジしている。

「……僕は初めてだからな。その、覚悟しろよ」

「私も初めて。知識だけしかない。二人で頑張ろ……?」

 姫風は無表情から一変して、頬を上気させたように赤く染め、うるうると潤んだ瞳を輝かせ、僕に甘く微笑む。その視線に僕の手が緩むと、姫風は逃げ出すどころか、解放した両手を僕の首に絡めて、引き寄せてきた。

「キス、して……?」

 甘えた顔でせがまれた。

 胸が痛い。とろけるように微笑まれると、普段無表情なだけに凄い破壊力だった。

 姫風の顔を見ると鼓動が早くなって心臓がとても痛い。こんなに綺麗なが僕に惚れてくれているなんて、嬉しい。

 初めて嬉しいと思ったけど、同時に申し訳なさが胸中に広がった。


 ――ハッとした。


 こんなところで、一体僕はなにをしているんだ。

 初めてが野外で、横には気絶しながら失禁しているおっさんがいて、組み伏せているのは鈴城姫風で……いかん、今僕はゴムを持ってないぞ(混乱中)。

「姫風、その……」

「ゆう、なに?」

 姫風がキスに合わせて閉じていた瞳を、薄く開けた。

 トロンとした瞳で覗き込まれて、本能に訴えかけられたようにゾクゾクする。

 触れ合う肌は普段と違って熱っぽく、姫風の抗いがたい魅力でいっぱいいっぱい、な、生でしたくなるであります(混乱中)!

 けれど――

「ご、ゴムがないでござるの巻」

「大丈夫。私は毎日が安全日」

 毎日が安全日? それなら安心だ! ではでは早速合体を――って。

「……毎日が安全日? なんかそれオカシクナイですか?」

 姫風が僕の首に回している手首に、更に力を込めた。

 なすすべもなく、僕は抱き寄せられる。

「オカシクナイ」

 姫風が潤ませた瞳は、どこか儚気はかなげだった。

「ゆう限定なだけ」


 なぜか――「食虫植物」と言うフレーズが脳内をよぎった。


「はっ!?」

「あんっ!」

 我に返った僕は急いで身体を起こした。

 僕の首に手を回してしがみついていた姫風も、強制的に一緒に起き上がる形になる。

 姫風をしっかり立たせる為に、脇の下に腕を差し込んで、ゆっくりと抱き下ろすと「んあっ」とあでやかに溜め息を吐かれてしまった。

 地に足を着けた姫風は、顔を隠しながらずぐさましゃがみこんで、自分の肩を抱き寄せ、身体中からだじゅうをプルプル震わせている。

「危ない危ない……あ、あやうく流されるところだった」

 ……や、やるな痴女め。

 静まれ静まれ僕。

 頑張って自分を落ち着けた僕は、しゃがみこむ姫風の肩に手をかけた。ピクリと姫風の身体が跳ねる。

「だ、大丈夫か姫風? 怖かった……よな? ごめんな突然あんなことして」

 顔を上げた姫風は、熟れた林檎よりも赤い顔色に変わっていた。なにかをこらえるように唇を噛み締め、頬がピクピク痙攣していて、寄った眉間からは数滴の汗が垂れている。

 瞳がうつろで少し怖い。

「ん、怖くなかった。はぁ、はぁ、もっとして? ん、もっと、触れて?」

 姫風は懇願するような声音だった。ハアハアと呼吸は荒く、しっとりと汗ばんだ肌に髪の毛が張り付いていて、危うく本能のおもむくままにもう一度押し倒しそうになる。

「つ、次の機会があれば善処します」

 よく見なくても、うずくる姫風の服は土とほこりにまみれていた。

 僕が押し倒したせいだ。

「ごめん姫風。頭とか背中とか、打ってないか? 痛くないか?」

 身体のどこかに痛みをがないかを訊きながら、つやを失わない長い黒髪や服、スカートをパンパン払う。すると土と埃がバフバフ舞った。

 埃を払ったり、髪をくたびに、姫風が「ひあっ」と身体をよじった。

 姫風は身体のどこかが痛いのだろう。大丈夫と言っていたが、土埃つちぼこりを払うたびに「んんっ」とか「ひうっ」とか苦痛の声を漏らして、不機嫌そうに眉根を寄せていた。

「はあ、はあ、生殺しは酷い」

 呼吸を整えた姫風は土と埃を払いながら、ゆっくりと立ち上がる。

「は? 生殺し? まぁ良いや。えっと、ほんとに身体からだに痛みはない?」

「身体にはない。けど、心が痛い」

 姫風が憮然ぶぜんと言う。

「心が痛い。ゆうに心を踏みにじられた。蹂躙じゅうりんされた。受け入れられたと思ったら、突然捨てられた。どうして?」

 僕と姫風は正面で向かい合う。

「どうしてって、それは……」

 姫風の瞳が僕を捕らえて放さない。

「それは?」

 次に告げる言葉を躊躇ためらう。

「姫風のことが」

「私のことが?」

 でも、言わなきゃ。

「姫風のことが好きじゃないからだよ」

「本心?」

 即返答された。

「……うん」

 本心の……はずだ。

「ゆうの本心に見えない」

 ジッと見てくる姫風から気まずくなって、目を逸らす。

「……お前はエスパーか?」

 姫風は僕の一瞬の躊躇ちゅうちょを感じ取ったのか、聡明な脳でこれから告げる話の中身を既に読み取っている気がした。

「続けて」

 逸らした視線を戻して、姫風の目を見つめる。

「僕は姫風よりも新海さんが好きだ」

「私はゆうが好き」

 隙間なく言われた。

 今僕は姫風の好意を破壊したつもりなんだけど……。

「……告白されても応えられないよ」

 姫風は一切揺らいだ風もなく――気に止めた風もなく続ける。

「私はゆうが好き。ゆうはタヌキが好き。タヌキは、誰が好きだと思う?」

「多分、ジジイ――祐介ゆうすけのことが好きだと思う」

 好きな人を見ていると好きな人の好きな人が解ってしまう。

 その人の視線の先をつい追ってしまうから。

「鈍感は死罪」

「?」

 姫風がジジイみたいに首を横に振る。

「タヌキはゆうが好き」

「……マジで?」

 姫風がこくりと頷く。

「私、ゆうをずっと見てるから」

 好きな人を見ていると好きな人の好きな人が解ってしまう。

 その人の視線の先をつい追ってしまうから……ってジジイと新海さんが良い感じなのでくっつけようか迷っていたのだけど、僕の勘違いなのか?

「ま、マジか……ジジイとの仲を取り持とうと意気込んでいのに、僕にも光が……?」

 朗報ろうほうに歓喜が沸いた。

「潰す」

 姫風から不穏当な空気を感じた。

「……なにを?」

「告白」

「な!?」

 朗報をくれた本人がフラグクラッシャー宣言ですか。

「妨害する。如何なる手を駆使くししてでも、タヌキにゆうを諦めさせる」

「おま、それ、酷いぞ!? 僕だって人並みに恋愛ってやつをしてみたいんだよ!?」

「私とすればいい。その為だけに私は存在する」

「結局そこに戻るのか……」

 普通に涙がポロリ。

「私なら、ゆうの思うがまま」

「僕が姫風の思うがままだろ」

 この十年をかんがみても、姫風が僕の話を確実に聞いてくれたことがあっただろうか。いやない。

「私ほどゆうを好きな女はいない。十年のアドバンテージは伊達だてじゃない」

「……学校ぐるみのアドバンテージだもんな」

 教育委員会を訴えたいけど、負けそうだなぁ。

「私こそがゆうに相応しい。ゆうこそが私に相応しい。ゆうが笑えば私は嬉しい。ゆうがいきどおれば私は嬉しい。ゆうが泣けば私は嬉しい。ゆうが面白ければ私は嬉しい。ゆうが私を見れば私は濡れる」

 なにそのイジメ。

「さりげなく手をからめるな痴女。なにその喜怒哀楽?」

 ともすれば、姫風は僕の手を両手で包み込み、いつくしむように自然と自分の胸へ引き寄せた。

 不思議と痴女行為に思えなかった。

 姫風の表情があまりにも穏やかだったから。

「……ひめ、か?」

 見とれてしまうほど穏やかだったから。

「ゆう在りて私の幸福」

 また話が飛んだ。

「は??」

「私の名前」

 私の名前? 姫風ひめか……だよね?

「私の名前は姫風。姫風露ひめふうろと言う花の名前が由来なの」

 そう言うことか。

「英語名はゼラニウム。花言葉は――」

「君在りて私の幸福、だね」

 僕は姫風を理解しようとしているのだ、みなまで言わせない。

「そう」と姫風はゆっくりと僕の手を放し、僕からもう一度握れとばかりに、両手を差し出してくる。

「私が存在する理由はゆう。私は多くを望まない。ゆうさえこの手を取るのなら、私は多くを望まない」

 いつだって姫風は真剣だ。

 だから僕は、迷った。

 姫風に対して真剣に迷った。

 迷ったあげく……僕は姫風の手を握らなかった。

「ゆう?」

 催促気味はんそくわざの猫なで声を出すな。

「……良いのか? 僕が姫風を理解しないまま、この手を掴んでも。このままじゃきっと、以前と関係は変わらない。嫌だろそんなの? なにせ僕は、姫風の誕生日すら知らないんだ。知らせようとする機会を、姫風は一生失うんだ」

 僕に差し出していた手を、ゆっくりと姫風は引っ込めた。

「ショック。本当にゆうは私の誕生日を知らないの? これをのがすと、これからも知られないの? それはやだ。その機会を失うのはもっとやだ。私の誕生日も、好みも、なにもかも、ゆうに知って欲しい。そしてめとって欲しい」

「落ち着け。なんで姫風は最後の一文にいつも余計なセリフをじ込むんだ。それがなければすぐにでも首肯するのに」

 では、どうすれば二人の関係(意見)はベストなのだろう。

 そもそも僕と姫風にベストな答え(関係)なんてあるのだろうか。

 単純に考えれば「僕が諦めて姫風の婿になるか、姫風が諦めて僕から離れるか」の二択だ。

 どちらかがどちらかの案を受け入れれば解決する話だ。

 けれど、僕から受け入れることはできない。

 理由は好きな人が居るからだ。それに凡人な僕は身の程を知っている。超人な姫風にこうまで求められるほど優れてもいなければ、賢い人間でもないのだ。

「……このままだとずっと平行線だね」

「平行線? 大丈夫。線を強引に折り曲げて二人の交わりを作るから」

 どう足掻あがいても僕から離れる気はないらしい。

「……結局、僕らはどうすれば良いんだ」


 その時、閃きに似た感覚が、僕を襲った。


 ――いっそのこと、ぐっと歩み寄って見れば良いじゃないか。

「歩み寄る?」

 ――なんで僕は譲歩しないんだ?

「……それは」

 ――姫風はいつも体当たりで心ごとぶつかってきているよ?

「……そうだった」

 ――恥ずかしがらずに、意地を張るのをひかえてみようよ。


「……そうだよね。物は試しって言うもんね」

 自分との対話を終えた僕は、一人納得した。

「……?」と少しだけ首を傾げた無表情な姫風は、僕のリアクション待ちだ。

「僕はもっとしっかりと、姫風と向き合うべきだったんだな」

 僕の呟きに、姫風が少したじろく。

「……ゆう? どう、したの?」

 姫風は目を大きく見開き、物凄く驚いた表情になっている。面白い面白い。

 僕はこれまで姫風になるたけ関わらないように立ち振る舞ってきた。

 自分でもよく解らない理屈と意地でそれを続けてきた。鋭い姫風はそれに勘づいていただろう。

 けれど、だからこそ、それでは悪い気がする、と今思った。

 これだけ思ってくれている相手に、付き合う付き合わないは別にしても、心からの誠意ある対応をしなければ不誠実な気がしたのだ。

「よくよく考えたら、僕は姫風のことをまったく知らない。さっきも言ったけど誕生日も知らない。……けど違った。知らないんじゃない、これまで知ろうとしなかったんだ」

「ゆう、本当に、どうしたの?」

 姫風が困惑している。

 そうだよね。僕はこの痴女と正面切って向き合ったことがなかったもんね。

「その、なんだっけ、か、肩肘かたひじだっけ? 肩肘張るのをやめようかと思っただけ」

「つまり?」

 賢い姫風のことだ。

「もう言わなくても解るだろ?」

「なんとなく解る。でも、言って。ゆうの口から聞きたい」

 僕が姫風に歩み寄ろうとしている空気は、彼女に伝わっているはずだ。

「わ、解ったよ」

 いつだって姫風は真摯だ。

 いつだって僕は逃げ腰だ。

 覚悟を決めてここらでやってみようか。ほら、意識改革ってやつをさ。

「ぼ」

「ぼ?」

 姫風に期待を込めた目で見上げられている。

 僕は息を吸って声とともに覚悟を吐き出す。

「ぼとちっ!」

 やべ噛んだ。

「ぼとち?」

 ええい、頑張れ僕!

「大丈夫。ゆう、ゆっくりで良い」

 さとすな! 恥ずかしいだろ!

 僕はす〜は〜と深呼吸を繰り返す。

「水、飲む?」

 姫風がペットボトルを差し出してくれた。

「あ、ありがとう」

 どこに持ってたんだそのペットボトル。いや、ほんとにありがたいけどさ。

 僕は仕切り直す為に一口嚥下ひとくちえんかした。

「落ち着いた?」

 頷いた僕は、もう一度姫風に向き合う。

 姫風が僕を見詰める。

「聞かせて。ゆうの決意を」

 僕と姫風の間柄なんだ。ちょっと考えれば、気構えは必要ない。それに思い至って、僕は、はっきりと言い切る。


「僕と友達になろう」


 ちょっとした沈黙のあと、姫風が「友達」と口内で繰り返していた。

「私とゆうが、友達?」

 僕のセリフは姫風の想像と違っていたらしい。意味を飲み込めないで目をまたたかせている。

「やだ。妻が良い」

 頷いた僕を間髪入れず否定した。

「やだじゃない」

 かたくなな態度で、けれど諭すように、僕はもう一度姫風に告げた。

「友達になろう」

 友達――それは彼氏彼女の前にある、心地よい関係。

「どうして、私とゆうが、いまさら友達関係に?」

 姫風は僕の想いをみ取ってくれたようで、彼女なりに話を合わせてくれた。

「僕と姫風ってさ、まともな会話したことがあったっけ? 一緒に遊んだこと、例えばテレビ番組や音楽、カラオケやボーリングの話題とか、したこと、なかったよね?」

 姫風はいつからか妻を自称し、僕はそれを煙たがるだけ。それが構築されて今のいびつな関係になっている。

「……ない。ゆうは、私の話を聞かなかった。私も、ゆうの話を聞なかった、と思う」

 改めて指摘したことに姫風が深く頷く。納得してくれた顔だ。

 涙腺が誤作動を起こしちゃうくらいに僕は感動した。

 約十年目にして初めてまともな会話が成立したお陰だ。

「ゆう、悲しいの? 泣かないで」

 油断していた僕は、勘違いした姫風に、目尻のしずくを指の腹で拭き取られてしまった。

 スキル「強がり」発動!

 姫風からバックステップで距離を取る。

「悲しくないし泣いてない! ちょっと嬉しくなっただけだ!」

「嬉しい?」

 意思の疎通――想いのキャッチボール――が壊滅的な僕らだけれど、ちゃんと向き合えば、話が通じる。そのことがとても嬉しいんだ。

「友達になれそうで嬉しいんだ。最初の段階に踏み出せたことがさ。彼氏彼女とか、付き合う付き合わないとかの前にさ。僕たち、やることがいっぱいあるよね? それは解る?」

「……うん」

 渋々と言った感じで姫風が頷く。

 姫風と僕の関係は、一般常識から大きく外れているのだ。

「まず友達関係ってやつをさ、一つずつで良いから、二人で、ジジイやピロシキ、新海さんや相庭さんとか、みんなを巻き込んで、やっていこうよ」

 彼氏彼女の関係はそれからでもきっと遅くない。なんてったって、僕たちはまだ青春真っ盛りの高校生だ。

「……友達関係。できれば、ずっとゆうと二人だけが良い。そこから妻に」

「そこは、まぁ、あとで考えるとして、取り敢えず、手出して。握手しよう」

 まずは握手から。友達なら常識だよね? 距離を縮めるのはボディータッチと心理学者さんも言ってるし。

 僕が差し出した右手を、「……うん」と恥ずかしそうに姫風が握った。

 初々(ういうい)しい仕草しぐさで少しだけドキッとする。

「これで僕と姫風は友達」

「……私とゆうが友達」

 十年前の仕切り直し。

 掛け違えたボタンの修正。

 まずは友達になる。仲良くなる。それから始めなくちゃね。

 僕と姫風の――二人のスタートラインは出だしから間違っていたのだから。

 けれどこれからは――

「僕らは友達だ。腕を組むのは、周りに冷やかされるのが恥ずかしかったから、今まで僕はこばんでいたって、認識くらいはあるよね? これからも拒むけど。でもさ、友達なら、譲歩して手を繋ぐくらい構わない。今みたいに」

 姫風が無表情から笑みを浮かべて涙ぐむ。

「……嬉しい。でも本当に? ゆうはもう私の手を振りほどかない? めてめ上げないで良いの?」

 僕の腕を折る前提の話はやめて欲しい。

「約束する。だって友達のことは無下むげにできないだろ? 僕はこれから友達の姫風のことを知る努力をする。だから、その機会が欲しい。姫風にも友達である僕の本心を知って貰いたい」

「……友達を強調し過ぎ。でも、ゆうのことを知れる機会を得るのは、大歓迎」

 上手い具合に「友達」の了承を得た。よし良い感じだ。

「僕らは歩み方が極端過ぎたんだ。だからこれからは、ゆっくりとこの距離を縮めていこうよ。……くっ、そろそろ手を放せ」

 姫風は僕の右手を両手でぎゅっと握って放さない。

「ゆうとの距離、うん。もっと縮めたい。ゆうの心をもっと知りたい。私のことも知って欲しい。もっと隅々(すみずみ)まで。ここにある――太股の付け根にあるほくろの位置まで知って欲しい」

 姫風が僕の手首を握ったまま自分の太股の内側を指差した。危うく姫風の逆デルタ地帯に押し当てられそうになって、全力で痴女から腕を引きがす。

「ゆうの嘘つき。振り解いた」

「黙れ痴女!」

 良い雰囲気が台無しじゃないか……。

 姫風が憮然とした表情で僕を見据みすえる。

「……はあ。睨むなよ」

「だって。さっそくゆうが約束を破るから」

 ねるな拗ねるな。

「痴態に走るクセを治せ。話はそれからだ」

「セックスアピールは異性を落とす基本スキル。私が女に生まれた以上、胸を揺らし、太股を見せ付け、髪をなびかせる。これらをゆうが感受するのは必然で宿命で運命」

「姫風飛び散れ」

「飛び散るなら私の中で」

「なんで僕が飛び散ることになってるんだよ!? もうやだ!!」

 はぁ、もう疲れた。まだまだ姫風に真面目に言いたいことがあったけど。以外略だ。

 あと、警察はまだか。ゲンバケンショウがうんたらかんたらで、ここに残ってるんだから、速く来いよぉーもぉ!

「もう良い! カッコつけるのはやめだ! 姫風訊け! 本題だ!」

「聞く」

 よしよし素直な良い子だ!

「こんな僕だけど、愛想が尽きるまで仲良くしてやって下さい!」

 啖呵たんかをきった僕に対して、姫風はいつもの無表情な顔のままこう返答する。

「こちらこそ、不束ふつつかな正妻候補筆頭ですが、どうぞ最後までよろしくお願いします」

 どこまでも貪欲どんよくな姫風らしくて笑えた。


 改まって向かい合う僕らは滑稽こっけいで、近くには失禁したおっさんが倒れていて、かたわらに転がるチェーンソーが物議をかもしそうで、姫風はしなだれかかってきて……こいつさっきの話はもう忘れたのだろうか。




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