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やんやん  作者: きじねこ
2/20

1.再婚事変


「……は?」とほうける僕。

「ぼく結婚するんだ」

 これが両手の人差し指をコネコネしながら、上目使いをかましてくる三十七歳(最近加齢臭を気にし出した父親)の台詞だ。

 青天の霹靂だっけ? 取り敢えず、投げっぱなしバックドロップのあと、事情説明を求めた。けどリビングのテレビに顔から着地を試みやがった加齢臭は、生け花ばりに垂直に刺さって使いものにならなかった。

「うだつのあがらない奴だ」と一瞥して嘆息していたところ、ピンポーンとチャイムが築八年の一戸建て内に鳴り響いた。この寒い中(一月半ば)来客だ。リビングの掛け時計は十七時を示している。この時間だと、回覧板かな?

 そう思って玄関のドアをスライドさせると、来客主であろう女子大生くらいのお姉さんが、中身がいっぱい詰まってそうなボストンバッグと、食材の詰まったエコバックを両手に持って微笑んでいた。

 デジャビュウだろうか。どこかで見たことのある女性だった。

「……どちら様ですか?」

 思わず息を飲む。それほど美目麗しいお姉さんだった。ベージュのワンピースに細いベルトを纏う艶やかな黒髪の上品な清楚系お姉さんが、柔らかそうな唇を開く。

「鈴木さんのお宅ですよね?」

 質問に質問で返された。その中に確認を込められた気がする。

「あ、はい。日本人苗字ランキングのトップテンにはいる鈴木ですが?」

 ちなみに向かいが林さんで右隣が佐藤さんで左隣が鬼無里きなさとさんだ。

 白い吐息をもらしながら花が咲いた様にお姉さんが笑う。いかん撃沈されそうだ。

「あなたがゆうくんね」

 はいわたしが優くんですが――なぜ僕の名前を?

「……どちら様ですか?」

 いぶかしむ僕の誰何すいかにお姉さんがペコリと頭を下げられた。二つのメロンが重力に従いゆさりと揺れる。

「初めまして。私は百合ゆりと言います」

 魅惑の果実を凝視していた僕は前屈み気味に涎を拭った。

「ハ、ハジメマシテ」

「あれ? 人見知りするタイプですか?」

 固まっていたのを緊張と勘違いされてしまったらしい。

「人見知りされるタイプです!」

 テンション高めでドン引きされるタイプさ! みんなしっかりついてきてよ?

 お姉さんに軽い笑いを誘ったらしく、微笑んでくれた。恥ずかしいなぁ。

「えっと、ご用件はなんでしょう?」

 僕は誤魔化すようにボリボリと後頭部をかく。むしろむしる。

雪哉ゆきやさんに呼ばれて来ちゃいました」

 勢いで後頭部を毟ってしまった。

 は、禿げるっ!!

「オヤジ二呼バレテ?」

 僕は要領を得ず首を傾げてカタコトに返す。

「あれ、聞いてないですか? 私と雪哉さんが結婚したって話を……」

 寝耳にウォーターだった。

「け……結婚……した!?」

 なにその事後報告!? 聞いてないよ!?

「百合さんが……親父と結婚っ!?」

「はい」

 百合さんが心底惚れそうな笑みをくれちゃう。

「騙されてますよっ!? あれは三十七歳のバツイチ子持ちですよっ!?」

「それはわた――」

「ちょっと待ってて下さいっ!!」

 百合さんがなにかを言いかけたが、僕はいてもたっても居られずリビングへ駆け込んだ。

 リビングでは加齢臭が室内のオブジェと化している。

「おい加齢臭っ!! いつまでテレビに刺さってやがるっ!!」

「ふがふが」

 肩まで埋まっている加齢臭がなにか抗議しているが知ったこっちゃない。

 しかし、このままでは話が進まないので加齢臭に手を伸ばした。

「せあ!」

 エクスカリバーを引き抜くが如くテレビから加齢臭を引き抜いた。勢いで投げっぱなしバックドロップパートツー。ガシャンッ。

「ふがっ!?」

 窓ガラスに激突した加齢臭はフローリングの上で芋虫ばりにもがく。打ち付けた鼻を押さえて鼻血汁だく状態だ。リビングのカーペットが見る間に赤黒く染まっていく。

 僕はティッシュを人差し指と中指にくるくる巻き付けて、拳でじゃん拳のチョキを作った。

「せい!」

 そのまま追い討ちとばかりに加齢臭の鼻穴へチョキ。

「ふがぁぁぁ!?」

 見事差し込んでやったティッシュだが、数秒で赤黒染まり、すぐに吸収力を失って呆気あっけなくその役目を終えてしまう。もう一発!

「ふがぁぁぁ!?」

「連発だぁぁ!」

 これを七度繰り返したけど、流石さすがに飽きてきたので本題に移る。

「女子大生を引っ掻けるとか、あんたとうとう援交にまで走ったかっ!!」

 この加齢臭は過去に二度一回り年齢の違う女性を家に連れてきたことがあるのだ。

 フローリングで悶える加齢臭をゲシゲシとストンピング(踏みつけ)攻撃。

「ふがふがふがふがっ!?」

 十八ヒット目で百合さんの待ったがかかった。待たせ過ぎたのか、心配になって様子を見に来たようだ。

 百合さんが加齢臭を庇うように僕と加齢臭の間に割って入る。

「優くんやめて! 雪哉さんは悪くないの! 私から結婚して欲しいってプロポーズしたんです!」

「はぁっ!?」と僕は勢い余って股間にストンピングしてしまった。「ふふがっ!?」と加齢臭が丸まり、脂汗を流し始めたではないか……今のはごめんね。

「な、なんでまたこの加齢臭おやじに? こんな奴以外にも、もっと良い男は腐るほどいるでしょ?」

 例えば僕とか! ごめん。甲斐性無しは死ぬべきですよね。んなことより! 百合さんみたいな綺麗で可愛い女性が早まりすぎですよ?

「百合さん、貴女が人生を捨てるのはまだ早いですよ!」

 可愛い歳上女性に上目使いで返された。

「捨ててないですよ? 私には雪哉さんが勿体もったいないかも知れません。でも、好きになってしまったの。ダメですか? 私じゃ雪哉さんと釣り合いませんか?」

 百合さんが涙ぐんじゃってるよ。百合さんにここまで惚れさせている加齢臭に軽い殺意が芽生えた。

 このままでは駄目だ。百合さんが人生を投げ出すのはまだ速い。なだめて冷静にさせなければ。

「いやいやいやいや逆ですから! これの方が釣り合い取れてませんから! 百合さんてばほんとに早まりすぎですよ?」

 百合さんがフローリングに転がる加齢臭を慈しむように抱き締めた。

「……そうですか? でも私、もう三十五です。そろそろ特売に並んじゃいますよ?」

 百合さんが……三十五歳!? 加齢臭と二つ違いですと!?

「あ、あり得ない……どっからどう見ても二十代前半なのに……」

 冷やウォーターを浴びせられた気分だ。

「え? 本当ですか? 私まだ二十代で通せますか? 娘が三人も居るのに?」

 面食いじゃない僕ですら今すぐ押し倒したいくらいの美人だし――って、え? 娘? 娘が居る? 見えない。全然想像がつかないよ。

 アレ、でもそう言われるとやっぱり誰かに似ているような。

「娘さんがいらっしゃるんですか? いや、でもマジで百合さん可愛いですよ。大学生くらいにしか見えないし」

 真顔で言うと微かに頬を上気させた百合さん。

 テレちゃいましたか。

「お、おばさんを誉めてもなにもでませんよ? 恥ずかしいです……。あ、椿つばきちゃんと姫風ひめかちゃんと紫苑しおんちゃんに自慢しちゃお♪」

「え?」

 ――今なんて?

「はい?」と百合さんが首を傾げた。

 僕は恐る恐る問い直す。

「い、今、姫風ちゃんて言いませんでした?」

「言いました☆」

 百合さんにキランッ☆て感じで微笑まれました。

「ゆ、百合さんの苗字ってなんておっしゃるんですか?」

 嫌な予感がする。経験上、この予感は大抵当たる。

「スズキです。部首が金に命令の令で『鈴』とキャッスルの『城』で鈴城です。不束者ふつつかものですがヨロシコです☆」

「よ、よろしこ……って鈴城姫風? 百合さんが鈴城姫風の母さん?」

「ヨロシコです☆」

 そのネタはもうええっちゅうに。

 ともすれば、すぐに僕は愕然がくぜんとした。

「す、ストーカー女の母さんっ!?」

 開いた口が塞がらなかった。

 現在僕は中学三年生だ。理由は不明だが、小学生の頃からその僕に執着する女の子が居る。

 自分で言うのもアレだけど僕はお世辞にもカッコイイ部類じゃない。他人に自慢できないショボい特技しかなく、勉強もできない。運動神経はそこそこ自信があるけど、飛び抜けて凄い素質がある訳でもない。

 そんな取り柄のない僕が、小学生の頃からその子にストーカーばりに追い掛けられている。

 怖いことに、学年が上がるたびに行われるクラス替えで、その子とは一度も違うクラスになったことがない。休み時間はおろか登下校もかたわらに居て、過剰接触を試みてくる怖い女の子なのだ。

 怖い女の子こと鈴城姫風と僕は、端から見れば四六時中ベッタリくっついている状態だ。九年間もユーカリの木にへばりつくコアラよろしく、くっついていれば必然的に校内公認カップルになってしまう。冷やかされるたびに、大っぴらに否定しているけど、ノロケだとかで誰も僕の話なんかまともに取り合っちゃくれない。

 僕だって思春期真っ只中の男だ。好きなだってできる。しかし、いざ告白しようとしたところで、鈴城姫風に妨害される。それもことあるごとに。実にムカつくヤツだ。

 僕フィルターを通しても、客観的な傍目から見ても、鈴城姫風は綺麗な部類だ。父親がイギリス人とドイツ人のハーフで鈴城姫風はクウォーターって話らしいけど。そんなことはどうでもいい。

 取り柄のないこんな僕を好いている鈴城姫風に不気味さを感じている。憤慨もしている。人の恋路を邪魔するし、理由が解らない好意を押し付けてくるのだ、恐怖以外感じない。中学生ながらある種、悟ったよ。一方的な好意の押し付けほど怖いものはない、と。

 そう言えば、昨日今日と珍しく、一回も鈴城姫風に遭遇していない。だから僕の気分は晴れやかで、帰宅までかなり良い感じだったんですけど……。

「姫風がストーカー……ですか? どなたのでしょうか?」

 僕のです、とは加齢臭を介抱しながら首を傾げる百合さんを前にして言えない。

 く、綺麗で可愛い百合さんの顔を曇らせるなど、僕にはできない!

「う、噂です。ただの、そう、ちょっとした噂。きっと誰かが捏造したんじゃないッスか? 鈴城さんて、か、可愛いから」

 あっはっはっはっ僕を殺してくれ。

「姫風ちゃんが可愛いかどうかは置いておくとして、ストーカーなんて物騒な単語が出てくるから私ビックリしちゃいました。あ、そう言えば姫風ちゃんと優くんは付き合ってますよね? 姫風ちゃんは優くん一筋だって言ってましたから、きっとなにかの間違いですね☆」

 危うく「間違いじゃないよ!」と返答しそうになった。

 鈴城姫風は母親にまで曲解した伝達を行っているらしい。

 自宅にも関わらず、ストーカーの総本山に突入した気分だ。

 鈴城姫風の母親・百合さんがここに引っ越して来たと言っている以上、その娘であるストーカーも、いずれここに帰宅(?)するかも知れない。

 癒しのシェルターたる我が家に。彼女たちの荷物を運び終わった、我が家に。

 そんな事実に行き着き――

「あぁ……吐きそう」

 軽い貧血と目眩がした。

 百合さんがダメ押しをくれる。

「これからも姫風ちゃんをよろしお願いしますね☆」

 親公認ストーカー誕生の瞬間だ。娘の為に、結婚したの? と疑ってしまいそうになる。いや、もしかしたら母子の利害一致かも知れない。

 そうするうちにチャイムが鳴り響き、ついで聞きなれない声が玄関から響いた。

 抑揚のない声音だった。

「あの……すみません。こちらは鈴木さんのお宅ですか?」

 時刻は十八時手前。状況から考えて回覧板のせんは……ないよね。はぁ。

「あ、百合さんちょっと玄関見てきますね。はいはい、鈴木で〜す」

 鈴城姫風と対面する覚悟を決める。

「あれ? 姫風……じゃないよね?」

 靴を引っ掻けて玄関を開けると、そこには鈴城姫風によく似た恐らく同年代の黒髪の女の子と金髪の小学生くらいの女の子が立っていた。

 黒髪の女の子の方は鈴城姫風と間違えそうになったけど、ここら辺では見掛けないブレザーを着用していたお陰で、別人だと解った。

 鈴城姫風はどこに?

「え〜と……百合さんの娘さんたち、ですよね?」

 僕は気を取り直して二人を眺めた。

 見た目同い年くらいの姫風にそっくりな女の子の方は、濡れ羽色の黒髪で前髪は右目を覆うようにワンレングスにしていて、エメラルドグリーンな左目が印象的。鎖骨くらいまで伸びた黒髪を綺麗に切り揃えているスレンダーボディーな女の子だった。百合さんをまんまミニマム化したフォルムである。胸以外。ここらでは見たことのないブレザーをまとっているけど、どこの学校だろう?

椿つばきだ。よろしく」

 ワンレングスの女の子に手を強引に握られて、一切表情を変えることなく言われた。声に抑揚がなくて怖い。あんたメカか。

 握手が終わって気付いた。掌になにか細長いものが押し込まれている。

「アイスピック?」

 即座に言われた。

「お近づきの印だ」

 なにに使えと?

「それとこれも」

 また握らされた。

「アイスピック?」

 両手にアイスピック……なにに使えと?

 これの意味を問おうと、椿と名乗った女の子に視線を戻すと、

「このアイスピッ――」

「…………」

 射殺されかねないくらい、しっかりとエメラルドグリーンの右目で睨み付けられて、コクリと頷かれた。

 なにこのアイコンタクト怖い。

「大事に使って欲しい」

「命にかえても!」

 趣味は「生爪剥がし」と答えられても、「やっぱり……」と納得してしまいそうなほどの眼力だった。視線だけでちびりそうだ。

 ついで紅葉みたいな可愛い掌が差し出された。

「はじめましてぇ。鈴城紫苑すずきしおんって言いますぅ」

 もう一人の女の子は舌ったらずで幼い感じの喋り方だった。

 紫苑と名乗った小さな女の子に視線を移すと、これまた手を取られて(アイスピックをもったまま)シェイクハンド。サイドテールだかツインテールだかツーテールだか知らないけど、腰まである長い金髪を側頭部で二つに結い、フワフワ揺らしている。この歳で染めているのか、親からの遺伝か、どっちだろう?

「えっと、鈴木優哉すずきゆうやです。よろしく」

 二人を交互に眺めながら一応挨拶。どうにも遣りにくいなぁ。あとこのアイスピックたちどうしよう。

 握手を終えて後頭部をポリポリ。下方から視線を感じるので、そちらに目をやる。

「お兄ちゃんて呼んで良いぃ?」と金髪のちびっこが言う。

「え」

 突然なに?

「ダメ?」

 僕がお兄ちゃん? 親族に自分より年齢の低い子供が居ないし、二人姉弟だけど、実質一人子の為にそう呼ばれる機会がない。この呼ばれ方はなんだか調子が狂うなぁ。身体中がモゾモゾすると言うか。椿さんの視線が怖いと言うか。

 ちびっこが文字通りダメ押しを敢行する。

「……ダメ?」

 うりゅ、とちびっこが瞳を涙で一杯にする。唇を噛んで、涙をこぼさまいと頑張って耐えている。

 わぁ、どうしたら良いんだ! あぁ、泣いちゃう泣いちゃう! これ以上悲しませる前にこの子を保護しなくては!

「い、いい良いよ! 全然良い! ぼぼぼ僕も昔から妹が欲しかったんだ!」

 意味もなくわたわたと手を振る僕。取り敢えず、アイスピック二本は靴箱の上に置く(椿さんに凄い目で見られた。どうしろと?)。つか、紫苑ちゃんだっけ? 小さな女の子に泣かれたらどうして良いか解らないよ。

 小さな女の子がぐじゅぐじゅと涙を手の甲で拭う。僕を見上げながら「えへへ」と涙混じりに笑ってくれた。

 妹が欲しかった、のフレーズに反応したらしく、涙ぐんでいた表情を一変させる。

「ほんとっ?」

 切り返しに焦った。

「ほ、ほんと!」

 心にもないことを告げるのは凄く苦しい。僕は嘘が苦手なのだ。

 あと、椿さん、僕を見透かしたような瞳で見ないで。

 小さな女の子はうつむいてプルプルと震えだしたかと思えば、その場からびよ〜んと跳び跳ねて僕のお腹にロケット頭突き。

「がはっ!?」

 ……ナイスタックルゥ。

「わ〜い!! お兄ちゃんだ! しぃのお兄ちゃんだ!」

 腹部にガバッと抱き着かれて、グリグリグリグリされる。

 この女の子は将来有望なアメフト選手かな。危うく昼飯の焼きアンパンが出そうだったよ。

 小さな女の子は頭部で一頻ひとしきり僕の腹部をグリグリし終えて顔を上げた。

「あのねあのね、お兄ちゃんに『しぃ』って呼んで欲しいの!」

 早口で小さな女の子は捲し立てた。えと「鈴城紫苑」だから「しぃ」ってニックネームか。安直だけど可愛いこの子には似合ってる。否定したら泣いちゃいそうなので即座に首肯した。

「りょう〜かい。よろしくね、しぃちゃん」

 思わず金髪をナデナデ。おぉ、染めたとは思えないほどふわふわのサラサラだ。

 そんな僕をしぃちゃんは見上げてにぱっと笑った。

 う、可愛い。ちょっとドキドキ。は!? してないよ? ドキドキしてないよ?

 誰に言うでもなく否定していたら――ギョッとした。

「…………」と無言で殺意の視線――椿さんだ。

「な、なに?」

 椿さんがえぐるような視線を僕に飛ばしていたのだ。

 痛い。視線が痛い。穴が飽きそうなほど睨まれてる。知り合って間もないのに、なにこの仕打ち。

 僕なにかマズいことした?

「きいだ」

 抑揚のない声で椿さんが先に口を開いた。そして靴箱にえて置いたツインアイスピックを回収して、再度手渡してくる。

「きいだ? う、どうも」

 腰を引きがちに首を傾げると、椿さんにプイッとそっぽを向かれてしまった。

 なんだったんだ、今のは。あとこのツインアイスピックどうすればいいの?

「お兄ちゃんお兄ちゃん」

 玄関で途方にくれていた僕の学生服のそでをしぃちゃんがクイクイ引っ張る。

「ん?」

 ツインテールを揺らすしぃちゃんが上目使いで口を開く。

「しぃ、お兄ちゃんのおうちの中に入っても良い?」

 くりくりしたリスのような瞳とぷくぷくしたほっぺが可愛いらしい。

「あ、ごめん気がかなくて! 狭くて汚いけどどうぞ。あ、椿……さんも中にどうぞ」

 僕が飛び退くように廊下のはしに寄ると、トテテテとしぃちゃんは軽やかに我が家へ突入。あっという間に視界から姿を消した。

 探検でも始めるのかな?

 ついでな感じに呼んでしまったアイスピック少女は、しぃちゃんの脱ぎ散らかした靴を揃えて靴箱の下(収納スペース)にしまい、自分の履いていたローファーを脱ぎ、ちゃんと揃えて同じように靴箱の下へとしまいこんだ。そして端に控える僕にペコリとお辞儀して、スタスタと勝手知ったる我が家状態で、リビングへ消えて行く。

 あれ? ここ、僕んだよね?

「もしかして、僕が居ない時に、何度かうちに来てたとか?」

 椿さんの態度からそんな感じがした。

 一応、玄関の外を確認する。

 僕の鬼門たる鈴城姫風は、どうやらまだのようだ。

 ホッと一安心して玄関をキッチリ施錠。勿論、ドアチェーンも忘れません。

 取り敢えず一服しよう。自室に戻って落ち着いて全てを整理しよう。玄米茶が飲みたいとですよ。

 リビングにいた百合さん(フローリングに転がる加齢臭を椿さんとしぃちゃんがともに介抱している)に挨拶して、螺旋階段を登り、二階の自室に移動する。

「はぁ……疲れる」

 ガチャッと自室のドアを開けるとそこには――

「お帰りなさい」

 正座の姿勢で三つ指をついた制服姿の鈴城姫風すずきひめかがいた。

 バタンと勢いよく扉を閉める。

「有り得ない」

 きっと見間違いだ。あのストーカーが居る訳がない。玄関の鍵はきっちり掛けたし、この部屋の窓は登校前にしっかりと施錠を確認して出掛けたのだ。だから中に人が居るはずはない。

 ガチャ。

「お帰りなさ――」

 バタン。

 壁紙が元の部屋色たるブルーからオレンジに変わり、僕の勉強机の隣にもう一台同じような物が並んでいた。

 これは……ルームシェア?

 うずくまる僕。

 ガチャ。

「人を散々待たせて焦らすなんて鬼畜。でも素敵」

 ピトリと背中にくっつかれて、ツンツンされた。

 冷静で無表情だけど、鈴をならしたような心地よさをもつ独特な女の子の声音。声だけは癒されるけど、間違いないストーカー女・鈴城姫風だ。

 腰まである黒髪、エメラルドグリーンの瞳、自己主張する胸、日本人離れした腰の高さ、すらりとした足の長さ、寡黙なところが――髪の長さと胸以外――椿さんと似ている。

 あれ? つまりは、椿さんと鈴城姫風は……双子?

 あぁ、あれとこれは姉妹なのね、と変に納得した。

「んなことより、なぜ姫風がここに?」

 九年来の付き合いだ。

 気付けば名前で呼び合う間柄になってしまった。

「両親公認の愛の巣をリフォームしてた。これからは二十四時間、いつでもどこでも、ゆうと一緒」

 ぜんっぜん関係ない事実上の死刑宣告が返ってきた。

「いつから居るのさ」

「昨日から。あ、前世から」

 壮絶な言い間違いだった。

 どうりで、昨日今日と学校ではストーキングされなかった訳だ。

 って――

「昨日から!? 昨日からどこに居たの!?」

「そこの押し入れ。寒かったけれど、ハァハァしながら視姦してた。私偉い?」

 どこぞの猫型ロボットか。じゃなくて、昨日の僕気付けよ!

「偉くない。視姦を堂々と公言するな。暖房器具も付けずに押し入れの中にいたのか……今は冬だよ?」

 まだ正月が明けて久しい。

 呆然としながら嫌な汗を拭った。

「心配してくれて嬉しい。本当に寒かった。けれど、ゆうが満ちるこの部屋の匂いをいっぱいいで満喫していたから大丈夫」

 誰かこの変態を六兆個に分解して消滅させてくれ。

「それにゆうのパパが色々渡してくれたから、二日など全然余裕だった」

「渡した? なにを?」

「これ」

 鈴城姫風の巣籠もりを加齢臭が協力? しかも、アイテムを渡した、と。どれどれ毛布にホットカーペットに電気ストーブに湯タンポって、どこが寒かったのさ! 防寒設備完璧じゃないか――ん? 押し入れの中に、他にもなにかあるよ?

「ゆうのアルバムにゆうのシャツにゆうのトランクスにゆうの――」

 押し入れの最奥には、僕の幼少時代のアルバムや今現在通学に使っているシャツやトランクス、携帯電話等が転がっていた……え? 携帯電話?

「ちょ、返してよ! 昨日からこれが行方不明だったのは姫風のせいだったのか!」

「ゆうのパパが渡してくれた。アドレス帳の中の女性と思わしき登録は全て消しておいた」

 僕は聞こえた。自分の脳内でブチッと血管の切れる音を。

「か、かれいしゅうううぅぅぅ!!」

 憎きヤツ――元凶のもとへ、ドタドタと足音荒く自室から階下へ駆け降り、リビングへ突撃。お目当ての加齢臭と目があった。

「ひっ!? ゆ、優くんなにかな? その熊を殺してきたような目は……あ、もうすぐ百合さんのご飯が――」

 リビングとスイートルーム(一繋ぎの部屋)となっているキッチンには百合さん、椿さん、しぃちゃんが固まって夕食を作ってくれているらしい。三人ともこちらを見てない。気付いてない。今なら行ける。ざっと確認を終えた僕は包帯を頭に巻いてソファーに座る加齢臭に天空×字拳(両手をクロスさせてダイブ)。

「とうっ!!」

「でき上がふっ!?」

 慣性の法則に従った加齢臭がリビングの壁に吹き飛び、頭からそのまま突き刺さった。

「ふが……む〜……む〜……!」

 前衛芸術が抗議の模様だが、んなこたぁ知ったこっちゃない。こっちの方が一大事だ。

「どういうことだよ!? ストーカーに僕のプライベートルームが占拠されてるじゃないか!」

 ズボッと壁から加齢臭を引き抜く。

「ストーカーって、それは、姫風ちゃんから優くんと一緒の部屋が良いってお願いされたからアウチッ!」

 パーで加齢臭の頬を張った。

「話したよね? 前に鈴城姫風ってストーカーが居て、それの対策をどうしたら良いか、あんたにいたよね? ねぇ?」

 ギリギリギリと加齢臭の首を絞殺せんばかりに絞め上げる。

「ぐっ、ぐふ、かひゅ……し、死ぬぅ……死ぬるぅ……」

 真っ青になった加齢臭が泡を吹き始めたので、パッと絞めていた手を放した。

「はぁ、はぁ、ん、はぁ……死ぬかと思った……そ、そんなこと言って、ここしばらく百合さんと姫風ちゃんと会っていたけど、姫風ちゃんは物静かで可愛いし、細かな気配りが出来るとても良い子だよ? 優くんもテレ隠しはホドホドに、ね?」

 加齢臭がにっこりと微笑んだ。

 このこのぉ〜、と僕の右乳首を人差し指でクリクリしてくるので、その指を景気良く折っておいた。

「僕の人差し指さんライトがあああぁぁぁ!?」

五月蝿うるさい」

「むぐぅ!?」

 口元を押さえて黙らせた。

「引っ越しの件は一言も僕の耳に入ってなかったんだけど、それはどういうことかな?」

「つっ、だって反対するでしょ?」

 涙目でねるな四十前男。

「当たり前だよね? ……相手はあの鈴城姫風だよ? 僕の人生を壊すあの鈴城姫風だよ?」

 どうしてくれるんだ!

「もうくっついちゃえ♪」

 指の一本じゃ足りなかったか。

「僕の人差し指さんレフトがあああぁぁぁ!?」

 反対の人差し指も折っておいた。


 こうして僕は、中学三年生の三学期にして、実家を出る決意をした。

 受験校を遥か彼方に見定めながら。




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