7.背水之陣
人生には無数の選択肢があると言う。
曲の歌詞や漫画でもキャラクターなんかが「人間には無限の可能性がある」と口にする。
それは――本当だろうか?
僕はこう思う。
人生には、人間には、最初から、決まったレールしか用意されていない、ただ、「たられば」と言う可能性を、夢見たいだけ、と。
きみは、どう思う?
◆◆◆
海上から数百メートルのヘリコプター内にて、緊張の糸が切れたかのように、突然ゆーくんは眠りについた。
叔母さんにことの詳細を告げた水地華虎ことお姉ちゃんは、隣に座って眠りこけるゆーくんの頭を撫でる撫でる。ネコ毛みたいな感触が最高。
「んふふふふ。これでゆーくんはお姉ちゃんのもの。これからずっとお姉ちゃんと一緒だよ」
「……華虎。あんたサイテーね」
「あはは、冗談だってば」
「あんたが言うと冗談に聞こえないのよ」
この母は娘に対してとことん容赦しない。
嘆息しながらお母さんが続ける。
「昨日、優哉のモテぶり話をあんたに持ちかけられた時は、『やっぱり雪哉の息子なのね』と呆れたけど、雪哉ほど要領よく捌けていないところを見ると『私の息子なのね』と見ていて悲しくなったわ」
悪い点が自分にそっくりだ、と、ゆーくんへ申し訳なさそうにお母さんは落ち込んでいる。
「お母さんは要領が悪いもんね」
「五月蝿い」
お母さんちょっと拗ね気味。
離婚したお父さんの話が出たので、それに乗っかってみる。
「で、昔からお父さんはモテたの?」
「それなりにね」
つん、と澄ましたお母さんの声。
ちょっと意地悪してみる。
「未だに好きなくせに」
「う、五月蝿い」
そんなことよりも、とお母さん。
「優哉を連れ出したのは良いけど、これ、私的にアウトじゃないの?」
法律的に、お母さんはゆーくんと接触を持つことを禁止されている。
しかし今回の場合は、
「ゆーくんは自分でヘリコプターに乗り込んだ。法的にはグレーゾーンだよ」
ゆーくんから接触した場合、お母さんは違法と取られない。
ずばり屁理屈。物は言いようなのだ。なのだ♪
それなら良いけど、とお母さん。「そうだ」と続ける。
「あんたが言う、『考える時間』を作るにしても、あまり長くは続かないからね? 一応、近くの孤島に友人の別荘があるから、今日はそこでもう一泊するけど、あとのことはちゃんと考えてるんでしょうね?」
「もちろんだよ」
作戦立案実行は全て、お姉ちゃんプレゼンツでお送り致しております。
「一日もあれば、ゆーくんは考えることができるだろうし、心の整理もできる」
お母さんはただ、ゆーくんと一緒に居る時間が増やしたかっただけなので、この話は渡りに船。
私を手伝うと口では言うけど、それは単なる口実。ゆーくんと一緒に居られれば、中身は私に丸投げなのだ。
続けてお母さんに言い含めるように語る。
「なんにしても、私はゆーくんの意思を尊重してあげたい」
「優哉の意思ねぇ」
なんだかお母さんが胡散臭げに私を見てる?
「そ、意思。あの部屋に居た子全員が大なり小なり、ゆーくんのことを好きだと思う。だから、あの部屋に居たヒメカさん、ツバキちゃん、しおんちゃん、りかちゃん、さゆきちゃん、私、この中から誰を選ぶにしても、その意見を尊重してあげたいの」
「然り気無く自分を入れないでよ」
「ゆーくん次第だよ?」
「……真顔で言わないでよ」
叔母さん別荘宅からそう遠くにない――直線距離にして八キロ離れた海の孤島へと、ヘリコプターは着陸を果たした。
◆◆◆
『ゆうやは女誑しだな』
それはいつだったか、姫風に所用があり椿さんと二人で下校していた時のこと。
『僕が女誑し?』
不機嫌面で椿さんが頷いた。
『姫風や紫苑を翻弄して楽しんでいるだろう?』
『えー』僕は不満全開だった。
『不服かい?』
『凄く不服です』
僕の表情に満足した感じで頷いた椿さんは、『ならば』と続ける。
『私を、いや、私だけを弄ぶべきだ。それで全ては解決する』
それってどういう意味ですか? と訊ねようとした矢先、椿さんは民家の壁に張り付いていた。
所用を済ませ、駆けつけた姫風の一撃によって。
そこで世界は暗転する。
同時に、あぁ、今の光景は夢だったのか、と納得する。
同時に、違和感を覚えた。
ちょっと待てよ? あの下校時、僕は椿さんが怖くて一言も話さず帰宅したはずだよね? あれ? だったら今見たものはなに?
この夢はなに? 夢って暗示だったり、深層心理を写す鏡だったりするらしいけど、これは僕になにを知らせたかったの?
そう思考するうちに世界は明転し、今までの思考はリセットされてゆく……。
◆◆◆
なにかの夢を見ていたけれど、なにを見ていたのか覚えていない鈴城優哉の脳に苦笑しつつ、目を覚まして最初に視界へ飛び込んできた物は、白い升目で区切られた見知らぬ天井だった。
ここはどこだろう?
室内を見渡せども、周囲は畳、横には長方形で木製の巨大な机がある程度……旅館の和室と言った趣きがある部屋っぽい。
室内に時計はない。
障子の戸から強い日差しが漏れているので、夜ではないと思う。
時間の確認をするべく、ポケットの中の携帯電話を探るけど、携帯電話は発見できなかった。
「あれ? 確かに入れておいたんだけど」
そうこうする内に、コンコンと戸をノックする音が聞こえてきた。
「あ、はい」
「ゆーくん眠れた?」
声音とともにお姉ちゃんが戸を開けて、ひょこっと顔を見せた。手には僕の携帯電話が握られている。
「……お姉ちゃん、僕のケータイを勝手に触らないでよ」
「ごめんごめん」
はい、と携帯電話を返される。
「あ、電源は入れない方が良いよ?」
「え? あ、電源切ってるんだ。なんで?」
携帯電話の起動ボタンを押そうとして、指を止める。
「電源を入れると、ゆーくんの居場所がバレちゃうよ?」
「どういうこと?」
「最近のケータイには必ずGPS機能が付いていて、ケータイは電源を入れた状態だと、常に自分の居場所を人工衛星に教えている状態なの」
「あ〜……居場所を特定されたくなければ、電源は切ったままの方が良いってことか」
居場所を特定されたいなら電源を入れて良いよ? と暗にお姉ちゃんは匂わせる。
僕は携帯電話の電源を入れないまま傍らの机に置いた。
「ゆーくんはやっぱり男の子だね、お腹の筋肉を触りまくってお姉ちゃん幸せだった」
なんの話だろう?
「お母さんと私でこの部屋まで運んだんだけど、正直重かった」
ここまで二人で運んでくれたのか。腹を撫で回されながら。
「……あ、ありがとうお姉ちゃん」
微妙にありがたくない。
「んふふ、お父さんの教育が良かったのかな?」
「え?」
「ゆーくんは物事に対してお礼を返せる子みたいだから」
「い、いや、普通でしょ?」
「テレてるテレてる」
茶化してくる相手が姫風やピロシキならすぐ殴るんだけどなぁ。
どうもお姉ちゃんとはなにかにつけてやり取りがやりにくい。
「ちょっと話をしようか?」とお姉ちゃんに伴われてリビングルームっぽいところにやってくる。
全面畳敷きだ。この家屋は和のテイストにあふれている。
リビングとスイートルームになっているキッチンルームらしき場所にこもっていた母さんが、「優哉は起きた?」と顔を見せた。手にはフライ返しとフライパン持参で。
僕を認めると、小さく深呼吸して、顔色を窺うように言う。
「もう寝てなくて良いの?」
母さんが母さんっぽく心配してくる。なんだ母さんっぽくって?
心配されたせいなのか、ちょっとむずむずする。
距離感が難しい。
「寝てなくて良いの?」に無言の頷きだけで返すと、母さんがフライパンを突き付けてきた。
「今ホットケーキ焼いてるけど、食べる?」
現金なもので、お腹は空いてる。
「あ、うん、食べる」
にひひ、とお姉ちゃん。
「なにを隠そう! お母さんはホットケーキしか作れないのだ!」
「あ、あんたって子は!」
なんでバラすの!? と母さんは顔を赤面させて、フライ返しをお姉ちゃんに振り回す。
どうやらこの母娘の親子関係は良好らしい。
母さんの攻撃を巧みにかわしつつお姉ちゃんが言う。
「しかもゆーくんが起きるまで練習していたのだ!」
「あんたって子はぁっ!!」
どうしてバラすのっ!? と母さんは顔を更に赤面させて、黒いフリスビー状のなにかをお姉ちゃんの顔に投げつけた。
「うげぇ……炭化ホットケーキ三〇枚目が口に入っちゃった……」
「まだ言うか!」
叔母さん曰く、加齢臭のDNAを色濃く受け継いだのがお姉ちゃんで、母さんのDNAを色濃く受け継いだのが僕らしい。
◆◆◆
テレビで確認をしたところ、時刻は十五時。つまり午後三時。
リビングルームにあたる一室にて、母さんにチラチラと顔を窺われながら、お姉ちゃんに抱きつかれながら、僕は甘すぎるホットケーキの欠片を口に運ぶ作業を黙々と繰り返していた。
思考は沙雪さんと姫風について。それと妙にひっかかる椿さんもプラスα。
それとは別に、クラスメイトたちはそろそろ叔母さん別荘宅から帰宅を始めたした頃合いだろうか? と思考する。
ホスト役の僕がここに居るのは無責任だよね、と内心で自嘲する。
そういえば、しぃちゃんを東京に送っていく約束をしていたなぁ、と思い出してポケットに手を突っ込む。携帯電話がない。あぁ、電源を落として寝室に放置しておいたっけ。
しぃちゃんに連絡を取ろうと隣に座るお姉ちゃんに「ケータイ貸して」と言ったら、「え、もう帰るの?」と返してきた。
僕に気を使ったお姉ちゃんと母さんも、携帯電話の電源をオフにしているそうだ。
そうだった。今は誰にも連絡取れないのだった。
しぃちゃんの為にも、早く考えて、答えを出さなくては。
「優哉、一つ訊いて良い?」
母さんがおずおずと問いかけてきた。
思考を中断し、同意を込めて無言で頷く。
すると、母さんはちょっと目元を赤く染めてこう告げる。
「ゆっきーはゲフン雪哉は、その、元気?」
雪哉でゆっきー。
加齢臭の愛称ですかそうですか。
甘すぎるホットケーキの一欠片を口に運ぶ。うげっ。
ミルクで胃に流し込んだ。
「ぷはっ。親父は超元気。時々絞め殺したくなるくらい」
「あ〜わかるわかる」
母さんが超頷いた。
お姉ちゃんが眉根を寄せる。
「お母さんもゆーくんも酷いなぁ」
加齢臭と直に接していれば解ると言うもの。
「お姉ちゃんは親父と生活してないからそんなことが言えるんだよ。親父のテンションはいつもMAXで一緒に居ればかなり面倒臭いってことがすぐに解るよ」
「面倒臭いと言うか五月蝿いのよね雪哉って」
「そうそう。親父は超五月蝿い」
「二人とも私のお父さんを悪く言わないでよぉ」
ホットケーキをフォークで刺し始めるお姉ちゃん。微妙に機嫌が悪い。
どうやらお姉ちゃんは加齢臭大好きっ子のようだ。加齢臭大好きって凄い字面だね。
それを後目に母さんは、加齢臭の五月蝿いエピソードを一時間ほど語ってくれた。
語って貰った加齢臭のエピソードはかなり五月蝿いの一言に尽きた。
合間合間に笑ったり、落ち込んだり、嘆いたりする母さんが面白かった。
お返しとばかりに、母さんと離婚してからの加齢臭について、今までともに歩んできた一四年間を事細かに語った。
甘すぎるホットケーキを口に運びながら。これいい加減胸焼け起こしそう。ミルク、ミルクはどこだ。
ぷはっ、ふぅ……それにしても、と、語り終えて僕は思った。
これが家族の団欒とでも言うのだろうか?
僕らは一緒に笑い、嘆いて、ちょっと泣いて、そしてまた、声をあげて笑った。
いつの間にやら、そう、知らず知らずのうちに、母さんと意気投合している自分が居て、最初に気付いた時は変なの、と首を傾げ、次第に、まぁ良いや、と素直に自分の気持ちを飲み込み、母さんを受け入れていった。
きっかけさえあれば蟠りを解かすなど、他愛もないことだったみたいだ。
で、母さんと話していて理解できたことは二つ。
この人は僕の母さんで、母さんは未だに加齢臭が好きだってこと。
「あ、そうだ。こんなことを息子に訊くのも変な話だけど……」
笑顔を浮かべていたと思ったら、突然しおらしくなる母さん。
今さら水臭いな、と思いつつ僕は訊ね返す。
「なに?」
母さんが両手を合わせて上目遣いになる。
「雪哉とのセッティングを頼める? お願い、この通り」
両手を合わせてペコペコされる。
そんなに懇願しなくても。
「別に良いよ」
つまり、顔を会わせたいってことだよね? それくらいお安いご用だ。
「と言うか、それならタイミングが悪かったね。もう少し僕と早く会えてたら親父にも会えてたのに」
「それってどういうこと?」
当然のように要領を得ない母さんが問うてくる。
甘すぎるホットケーキを一欠片口に運んだ。つかこれホントに甘すぎなんですけど。
ミルクで胃に流し込む。
「ぷはっ。親父は昨日の昼頃まで叔母さんの別荘に居たんだよ。急用が入ってもう東京へ帰っちゃったけど」
「え」
母さんが彫像のように固まる。
「にひひ。すれ違いだったみたいだね」
ニヤニヤするお姉ちゃん。他人の不幸は蜜の味って顔をしてる。他人じゃないけど。
「母さんは親父に急ぎの用でもあるの?」
「え? まあ、その……」
途端に、僕に食いついていた母さんの勢いが緩む。いや、死ぬ。
そのままうなじの辺りを掻き、僕と視線を合わせない。
そこへお姉ちゃんのオウンゴールが炸裂。
「急ぎと言うか、急ぎたいと言うか、ね? お母さん♪」
「ちょ、華虎ぉっ!」
母さんが慌てている。
そこまでして急ぎたい用事とはなんだろう。全然想像がつかないや。
お姉ちゃんのダメ押しが炸裂。
「別にゆーくんに隠す必要ないじゃん。お母さんは改めてお父さんに再婚を迫る気なんだから」
え。
「あれ? ゆーくん固まってる」
「……再婚を迫る気なの?」
母さんが恥ずかしそうに頬を掻く。
「ま、まあ、ね」
うわ、マジですかそれ。
「あ、あは、あははは……」
「どうしたのゆーくん? 乾いた笑い声なんか出しちゃって」
やばい。どうしよう。
親父には既に、百合さんと言う可愛い妻が居る。そのことが超言いにくい。言い出しにくい。
「その、なんて言うか、え〜と、まぁ、これは調べたらすぐに解っちゃうことなんだけど……」
母さんがハンカチで僕の汗を拭く。
「優哉どうしたの? 凄い汗よ?」
……冷や汗も出るさ。ぐっ、胃が痛くなってきた。
あ〜……いずれバレちゃうことだし、この際、さっさと告げちゃおう。
「お、驚かないでね?」
「「なにを?」」
母さんとお姉ちゃんが声をハモらせた。
ステレオ効果で頭が痛い。
「こ、これから僕が言うことに」
母さんとお姉ちゃんは顔を見合わせたあと、なんのことだか理解できない、とばかりに首を傾げ合い、僕に視線を戻す。
「「とりあえず言ってみて」」
母さんとお姉ちゃんが声をハモらせた。
ダブルアタックにたじたじ。
僕は深呼吸して、もう一度深呼吸して、さらにもう一度深呼吸してから、事実を告げた。
「じ、実は、お、親父はもう……再婚してたり」
「え」
母さんとお姉ちゃんの目が点になる。
「しかも、来年には僕に妹か弟ができる予定だったり」
「「えええええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっっっ!?」」
二人の絶叫が木霊した。
◆◆◆
「そ、そんな……ゆっきーは、私を待つって言ったのに、ゆっきーは私のことが大好きだって言ったのに……」
母さんは頭を抱え込んでブツブツブツブツと呟いたあと、我に返り、物凄い剣幕で、「雪哉の再婚相手は誰っ!?」と机を挟んだ向かい側の僕に掴みかかってきた。
「ゆ、百合さぐえっ」
母さん首を絞めないで。
「お、お母さん!? 手を放して! お姉ちゃんのゆーくんから手を放してっ!」
隣に座るお姉ちゃんの力では僕の首を握り潰そうとする母さんを引き剥がせない。握り潰すな。
「ゆり? ゆりってまさか――鈴城百合? スズキのキは『城』のキ? 鈴城百合? ねえ!?」
「う、うんぐえっ」
「お母さん! ゆーくんの顔が真っ青にっ!」
やめて母さん死ぬ。死ぬならせめて肌色で死にたい。
「華虎から聞いたけどヒメカって子もツバキって子もシオンって子も『スズキ』って名字らしいじゃない! もしかして百合の娘だなんてオチはないわよね!? 好きだと迫られてる子は百合の娘じゃないわよね!?」
「う、うん、百合さぐえ、百合さ、の、娘うぐぇ、やべで、離じで」
母さんが僕の首をからパッと手を放し、今まで座って居た座椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
すかさずありったけの酸素を肺に送り込む僕。
酸素UMEEEEEE!
もうちょっと酸素吸っとこ――ゲフンゴホン、か、過呼吸にゲフン。
咳こむ僕の背中を優しくナデナデするお姉ちゃん。咳こまなくてもナデナデするつもりだったらしく実は咳こむ前からナデナデされていた。
お姉ちゃんはナデナデ大好きだな!
「ざ……じゃ……わ……」
母さんがなにかを呟いた。
よく聞き取れなかったので、耳を済ます。
「ざけんじゃないわよっ!!」
母さんはスーパーサ●ヤ人が気を溜めるポーズで仁王立ちしながら叫んだ。
あ、気を溜める時の効果音ってカッコイイよね。
母さんの激昂は続く。2に変身する勢いだ。
「雪哉も優哉も鈴城の血が奪う? 私から奪う? そんなことこの私が許さない!」
どうやら百合さんと母さんには浅からぬ因縁があるようだ。
世界って以外と狭いね。
「見てなさいよゆううううううぅぅぅぅぅぅりいいいいいいぃぃぃぃぃぃっ!」
バンバンと机を叩きながら母さんは叫んでいる。百合さんのことが相当憎いらしい。
ともすれば、ピタリと静止した母さんが、能面みたいな無表情を顔に貼り付けて、
「――華虎」
静かにお姉ちゃんの名を呼んだ。
続けて、神経を疑いたくなるようなことを口走る。
「百合の娘が優哉に手を出すなら、華虎が優哉に……優哉に手を出すことを許す」
「母さんっ!?」
母さんがぶっ壊れた!?
「百合やその娘に私のものをやるなんて考えられない! 雪哉も優哉も私のものよっ!? それならいっそのこと華虎にあげた方が一〇〇倍増しよっ!!」
「母さん落ち着いて! 支離滅裂だよ!?」
今この人近親相姦を推奨したよっ!?
「お母さんてさ、いつもは見た目冷静を装ってるけど、ところ構わずすぐブチキレて、よく暴れまわるんだよ? ま、それがお姉ちゃんとゆーくんの母親なんだけどね」
「嫌すぎる!」
僕の沸点が低いのは母親譲りらしい。
◆◆◆
これ以上母さんの近くに居ると僕の身にさらなる危険が及ぶと判断したので、僕は一時的に寝室へと避難した。
僕の身は常に危険に晒されていると言っても過言ではないのだ。ヒロイン体質か!
しかも危険な目に合わせてくる人物は常に親しい人物だ。
親しい人物が危険な目に合わせてくるとか酷いな!
…………この話題をハイテンションで落とそうとしたけど、ホントに親しい人物かどうか人間関係を見直した方が良い気がしてきた。
けど、今さら見直しても無駄な気がするので、素直に諦めることにする。諦めんなよ僕。
頭を掻きつつ敷きっぱなしだった布団をたたみ、押し入れの襖を開けて中に突っ込む。
この中に姫風が居たら怖いな、と苦笑いしつつ布団を終い終えて襖を閉じ、その場に座り込んで、コテンと横になった。
姫風と沙雪さん。
静かで、でも実のところかなり情熱的な感情を持ち合わせる姫風と常に元気で喜怒哀楽が解りやすい沙雪さん。
スリルと安定を与えてくれる姫風。
笑顔と元気を与えてくれる沙雪さん。
二人とも僕には勿体無いくらいの器量の持ち主だ。
そんな二人は、大した取り柄のない僕に好意を抱いてくれている。
沙雪さん曰く、笑顔が好き。
姫風曰く、僕だから好き。
沙雪さんは僕よりハイスペックで、姫風に至ってはハイスペックと言うレベルじゃない。
言ってみれば、僕はロースペックの塊。
二人のうちのどちらかと付き合ったとして、僕は引け目を感じずに上手くやっていけるのだろうか。
そこのきみ、「劣等感の塊だな」とか言わない。
そもそも、ロースペックな僕が二人のどちらかを選ばないといけない立場にいる訳で、それはかなり烏滸がましい立場な訳で、でもちゃんと答えを出さないとダメな訳で、訳で訳で五月蝿いなぁ僕。
「……うぅ、脳が沸騰しそうだ」
嘆息が空気に溶けてゆく。
「ゆぅーくんん♪」
にこにこ顔のお姉ちゃんが部屋へ侵入を果たした。
僕の前で横座りをして、横になっている僕の脛に寝転ぶ。
「煮詰まってる感じかにゃ?」
にゃって。二○歳のお姉さんがにゃって。
「ゆーくん?」
「あ、うん、煮詰まってる。沙雪さんと姫風……両方とも僕には勿体無くてさ、夏の終わりに沙雪さんへ告白しようとしていた僕がいかに大それたことをしようとしていたかあいたっ!」
ゴロゴロと転がってきたお姉ちゃんにぺちっと頭を叩かれた。
「ゆーくんサイテー」
「え? え?」
眦を上げ、ほっぺたをぷりぷりさせて怒っているお姉ちゃんが続ける。
「『僕には勿体無い』ってセリフサイテー」
「ど、どういうこと? え? なんで僕がサイテーなの?」
叩かれた頭を押さえてお姉ちゃんに問い返すと、お姉ちゃんがズビシッと僕の額を人差し指で突き刺す。
「お姉ちゃん痛い」
「我慢しなさい!」
男の子でしょ? 黙って聞きなさい! と理不尽な性差別を受けた。男の子辛いな!
「あのね? 『僕には勿体無い』ってことは、ゆーくんに告白した相手をバカにすることなんだよ? ゆーくんをサイコーの相手だと思って告白した相手をバカにする行為なんだよ?」
「え? そうなるの?」
「そうなるの!」
お姉ちゃん曰く「勿体無い」は、価値を認めた相手に「お前はまったく見る目がない」と、その認めた行為事態を全否定する行為らしい。
「そ、そうなんどぅあちょおにぇいちゅあんやへて」
人差し指を戻すと同時に顔を掴まれてもみくちゃにされる。
「お姉ちゃんの認めたゆーくんが、ゆーくんを否定するなんてゆーくん大好きなお姉ちゃんとしてはゆーくんが許せなーい!」
ゆーくん飽和状態。
そ、そうか。勿体無いはサイテーなのか。一つ勉強になった。
お姉ちゃんが言う通り、僕自身を勿体無いと言うのは、恐らく告白してくれている相手を貶める行為なので、もう勿体無いとは考えないようにする。
お姉ちゃんが掴んでいた僕の顔を放した。
「お姉ちゃんを全否定するゆーくんにちょっと意地悪しちゃうおうかなぁ?」
「意地悪?」
にひひとイタズラっ子風に笑うお姉ちゃん。
「されたい? 意地悪されたい?」
Sか。
「されたくない」
「それじゃあ意地悪しちゃいまーす!」
ドSか。
「発表します! 発表しちゃいます! 良い?」
勝手にどうぞ。
お姉ちゃんに肩を揺すられる。
「ねぇ、ゆーくん聞いてる?」
「あーはいはい」
右から左へ聞き流す気満々です。右から右へ聞き流した場合その人の耳の穴は詰まってます。耳掃除任せて! 隙有り膝蹴り!
「お姉ちゃんの鼻が蹴られたように痛いっ!! えっ!? 今なんでお姉ちゃんは膝蹴りされたのっ!?」
「お姉ちゃんのカワイイ鼻が僕に『蹴ってくれ』って」
「言 っ て な い !」
耳零距離大声はやめて。
「耳の中がキーンてする。キーンて」
「お姉ちゃんは鼻がジーンてする。ジーンて」
真似しなくて良いから。
気を取り直したお姉ちゃんが言う。
「ではでは発表しちゃうよ? なんと! ヒメカさんとさゆきちゃん以外にも! ゆーくんを好きな子が居ます!」
ひゅーひゅーモテモテだね! このこのぉ! とお姉ちゃんに肘打ちされる。
「え」
姫風と沙雪さん以外にも僕を好きな子が居るだって?
さっきの母さんみたく彫像のように固まる僕。
にひひとお姉ちゃん。
「そんなことは考えもしなかった?」
こくこく頷く。
「少しも?」
こくこく頷く。
「ヒメカさんとさゆきちゃんの好意にしか気づかなかった? 本当に?」
こ……頷けなかった。
微妙に、いや、かなりの部分、その人の好意から理由を付けて目を逸らしている自分が居ることは承知している。
姫風と沙雪さん以外にも、僕を好きな子が居ると言う事実。
姫風のことを好きだと自覚してからは、ある人物の好意のことを頭の隅で、「やっぱりそうだったのか」と理解している自分が居るのも事実。
でもその部分を感情面は、よしとしない。
それを認めると、ただの節操無しになってしまうからだ。
お姉ちゃんがイタズラっ子みたいに笑う。
「お、その顔はどうやら心当たりがあるって感じの顔だね♪」
ひきつってるこの顔が真相を如実に物語っているらしい。
心当たりはある。あるけど。
「いや、でも……あの人に限って、僕のことを好きだなんてあり得ないよ」
僕はあの人に対して、率先して好かれるようなことをした覚えはないのだ。
お姉ちゃんがイタズラっ子の表情から一転して、優しい笑みを浮かべる。
「あのねゆーくん。自分は自分で思うよりもサイテーで、自己中心的で、魅力的で、サイコーなんだよ?」
うん、意味が解らない。
僕の表情を読み取ったらしいお姉ちゃんが続ける。
「自分自身を卑下するのは簡単だけど軽はずみにしちゃダメだよ? ゆーくんは自分で思うよりもずっと素敵なんだから。だって、二人の女の子から同時に好意を持たれてるんだよ? 胸を張るべきだよ」
胸を張るべき……なのかなぁ?
なんにしても、お姉ちゃんの言動に感心して、少しだけ、ほんの少しだけ自信が付いた気がする。心持ちが軽くなった気がする。
ともすれば優しい笑みから一転して、にひひと笑うお姉ちゃん。
「で、『あり得ない』って誰のことかにゃ? んん? ほらほら続きは? お姉ちゃんのライバルは誰かにゃ? ヒメカさんとさゆきちゃんと? 他にも居るでしょ?」
感心した僕の気持ちを返せ。
この人、自分の好奇心の為なら弟を欺くすこともイトワナイのか。
顔を寄せてキスしようとしてきたお姉ちゃんを部屋から閉め出した。
はぁ。僕の周囲には自分の欲求に忠実な人しか居ないのか。
頭を振り、お姉ちゃんを思考の中から放り出す。
さて、姫風と沙雪さんとプラスαさんに対しての思考の続きをしよう。
………………で、プラスαさんって誰?
…………はは。
……はぁ。
僕の脳内構造は単純だ。
問題が発生すると、まず自分で思考・懊脳してから、頭痛に苛まれ、他人に助けを求める。
このルーチンが形成されつつある昨今だけど、今回ばかりは誰にも頼れない。
自分で自分の脳をとことん虐め抜くことにする。
ちなみに、懊脳と言う難しい漢字は背伸びをして使ってみた。意味は解らない。そこのきみ、ダメじゃんとか言わない。
って――逃避せずに思考しなくては。
僕が好きな相手は三人居る。三人も居るのか……。
一人目は、自分でも気づかぬうちに、どうやら昔から好きだったらしい女の子。迷惑をかけられるうちに好きになっていたらしい。僕のバーカ。
二人目は、一年ちょっと片想いさせていただいている女の子。一人目の女の子とは趣味性格行動がまったく一致しないからこそ好きになったと言っても過言ではない。
三人目は、ちょっと心の整理をさせて下さい。それと僕のバーカ。バーーーーカ。
「……ホント、僕はバカだよ。どれだけ無節操で気が多いんだよ……僕のバカ」
不意に視線を感じてそちらへ向く。
閉め出したはずのお姉ちゃんが僅かに開けた戸の隙間からこちらを覗き込んでいてかなりビビった。
「お姉ちゃん的には無節操だと嬉しいし助かるんだけどなぁ」
なんか戸越しにぽそぽそ言ってるけど無視だ。
思考を続ける。
姫風はいろんな意味で目が離せない魅力を持っている。
沙雪さんは絶え間なく僕に元気を与えてくれる。
プラスαさんは実はカワイくて一緒に居ても飽きない。
三人とも魅力的過ぎる。
選ぶに選べない。
……選ぶに選べない?
そうか。答えは最初から出ていたのか。
「よし、決めた」
僕が頷くと同時に戸をバーンと開けてピョーンとお姉ちゃんが飛び込んできた。
「誰と付き合うのかにゃ? ヒメカさんかにゃ? さゆきちゃんかにゃ? ツバキちゃんかにゃ? シオンちゃんかにゃ? りかちゃんかにゃ? それともそれともお姉ちゃんかにゃ? お姉ちゃんで決まりかにゃ?」
抱きついてくるお姉ちゃんを引き剥がして、こう答える。
「誰とも付き合わない」
「へ?」
お姉ちゃんの目が点になった。
再度告げる。
「僕は誰とも付き合わない」
ふぇ!? と、お姉ちゃんが焦り全開で僕の両肩を掴みガクガクと揺する。
「ちょ、なに言ってるのゆーくんっ!?」
解りやすいように噛み砕いて告げる。
「断るって言ったの。同時に複数の人を好きになるなんて、人として最悪だ。だから丁重に断ることにする」
信じられない、とばかりにお姉ちゃんが僕を見上げてくる。
「お」
「お?」
「弟が私の想像の斜め上を行きやがったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
お姉ちゃんが爆発した。
「お待たせ、ゆう」
押し入れから姫風が現れた。
◆◆◆
押し入れから出現した姫風を前にして、一瞬で思考回路が吹き飛んだ。
「…………へっ?」
どうしてここに姫風が居るのさ!?
「港に停泊していたボードを借りた」
……パクったのか。
「盗んでない。交渉して借りた」
「地の文を読むな」
それにしてもどうして僕の居場所が解ったのだろう?
「匂い」
「だから地の文を読むなって――匂い?」
「匂いを辿ってきた」
姫風はついに人間をやめたらしい。
密かに傍らでう〜う〜唸っていたお姉ちゃんがとうとう口を挟んだ。
「お姉ちゃんを無視して話をしないでよ! 仲良さそうにイチャイチャしないでよ!」
今のやり取りがイチャイチャしていたように見えたのならお姉ちゃんは眼科に行った方がいい。
「黙れ義姉」
姫風が無表情でお姉ちゃんに反応した。
「私はあなたの義姉じゃないっ!」
姫風から姉呼ばわりされたお姉ちゃんは駄々っ子みたいに地団駄を踏んだ。
そこへガヤガヤと――
「お兄ちゃんっ!」「ゆうやどこだ?」「優哉くん!」「……なんで私まで」「だからってボクまで引っ張ってくるのは酷いよぅ!!」「鈴城嬢っ!! 俺の鈴城嬢はどこだっ!!」「落ち着け昇」「正直このあとの展開が俺様には読める」「わしには読めん」「祐介くんこのあとデートしようね♪」
襖を開けてやってきたバイトメンバーが雪崩れ込んできた。
「……もぉ〜次から次へと!」
忌々しいとばかりに苦い顔となるお姉ちゃん。
お姉ちゃんは僕を庇うように自分の背後へ僕を回した。
「そもそもあなたたちはどうしてここが解ったの?」
豊かに育った胸を張る姫風。
「愛」
「……愛」
お姉ちゃんは姫風の豊かに育った胸にたじろく。
とどめとばかりに姫風は自分の胸を下から掬い上げる。
「愛がつまってる」
姫風の胸は愛でいっぱいらしい。
「くっ」
お姉ちゃんはなにやらダメージを受けている。
「わた、私も、あ、うぐっ、あい、うぐっ、愛、うぐっ」
なにか言いたげな椿さんは、姫風に顔面を掴まれてモミモミされている。
「わたしも、あ……愛です」
沙雪さんは控え目に赤面しながらポソッと自己主張した。
クラスメイトは沙雪さんを見て苦笑い。
なにそのリアクション?
沙雪さんを眺めていた相庭さんが、やれやれと首を横に振る。
そして「ここに来れた理由は」と続ける。
「鈴城さんが管制塔に送信する定期航空無線を傍受して居場所を特定したのよ」
相庭さんがあっさりとネタをバラした。
あっさりとネタバラしをしたけど言うほど簡単じゃないと思うのは僕だけ?
「……あ〜、えっと、ご苦労様です」
迎えに来て欲しかった訳じゃないんだけどなぁ、と僕は内心で思い、頭を掻きながらみんなを労った。
それと同時に佐竹くんが一歩前に出る。
「で、お義姉さん、そろそろ鈴城嬢を返して貰って良いか?」
すかさずお姉ちゃんが拳を振り上げて佐竹くんに襲いかかった。
「鋼も砕くよ! お姉ちゃんナックル!」
「――顎っ!?」
叫んだ佐竹くんがお姉ちゃんナックルの犠牲になって崩れ落ちた。
「さ、佐竹くんっ!!」
近寄って佐竹くんを抱き起こす。姫風がいきりたつが手で制した。
「……す、鈴城嬢」
青色吐息な佐竹くん。
「大丈夫佐竹くんっ!?」
佐竹くんが小さく呟く。
「……俺はもうダメだ」
佐竹くんは弱々しく頭を振った。
「そんな、たかが顎に一発くらったくらいで……」
佐竹くんが遮る。
「――だから、最後の頼みを聞いてくれないか?」
え〜と……ここは彼の最後のシーンなのか。仕方ないノってみよう。
「なに?」
問うや佐竹くんが中空に文字を書き始める。
「墓石に、こう書いてくれ。『鈴城嬢のパンツ、くんかくんかしたかった』とぐふっ!?」
佐竹くんの腹に椿さんと沙雪さんと相庭さんの踏みつけが同時に決まった。
「さ、佐竹くん!! 佐竹くん!!」
ダメだ……白眼を剥いてやがる。
残念だけど、僕のパンツの匂いと、佐竹くんのパンツの匂いは、きっと同じだ。
「昇は逝ったか」と佐竹くんの親友たる灰田くんが苦笑いしながら逝った佐竹くんを回収する。
ジジイ、ピロシキ、灰田くん、佐竹くん(屍)、妹尾くんは女性陣から一歩下がった場所でなにやら話し込んでいる様子だ。
灰田くんが言う。
「ルイ一四世は正妻と側室の間に挟まれて常々こう嘆いていたそうだ。『二人の女を和合させるよりもむしろ全ヨーロッパを和合させる方が容易であろう』と」
「今も昔も女は脅威だな」とピロシキ。
頷いた灰田くんが続ける。
「俺思うんだけどさ、ハーレムってどちらかと言えば男の夢だよな? 物凄く幸せなイベントだよな?」
男性陣の中でピロシキだけが相槌をうつ。
「まぁ、そうだな。ハーレムを作りたいと思うやつはそこそこ居るんじゃねえの?」
ピロシキの言動は裏打ちがあるだけに説得力があった。
頷いた灰田くんが口を開く。
「だが、なぜだろうな。……鈴城のハーレムは少しも羨ましくない」
「俺も」
「わしも」
「僕も」
ピロシキ、ジジイ、そして妹尾くんの発言権が回復した。
◆◆◆
家族やクラスメイトの女性陣を前に、気を取り直したお姉ちゃんが、僕を背に庇いながらこう言う。
「さて、あなたたちに一つ質問だよ? あなたたちは、ゆーくんのなに? 答え如何によっては、相手にしないし、ゆーくんは返さなーい」
お姉ちゃんが言うや、いの一番に姫風が告げる。
「妻」
「彼女かな」
「妹です」
「と、友達……です」
「愛人よ」
「彼氏だっ!!」
「友達だよぅ!」
姫風、椿さん、しぃちゃん、沙雪さん、相庭さん、復活した佐竹くん、国府田さんの順でした。
と言うか――
「姫風と椿さんは堂々と嘘つかない! あと相庭さんは頭大丈夫ですか? それと佐竹くんは平然と恐ろしいこと言わないの!」
嘘ついてないのは沙雪さん、しぃちゃん、国府田さんだけじゃないか!
お姉ちゃんは背後の僕をチラ見したあと、感心したように自分の顎を撫で付けた。
「――流石ゆーくん。高校二年生にして、妻から彼氏まで既に居るとは……」
「お姉ちゃんはお姉ちゃんで少しは疑おうよっ!?」
あとどの辺りが流石なのさ!?
「それじゃあね〜妹のシオンちゃんと友達のサユキちゃんとあとボク田ちゃんはどっか行ってくれる? 妹や友達ごときがゆーくんの傍に居る権利はないから♪」
お姉ちゃんは笑顔でしぃちゃん、沙雪さん、国府田さんを切り伏せた。
国府田さんとしぃちゃんが目を丸くして、沙雪さんがぎょっとする。
ともすれば沙雪さんが矢継ぎ早に言い訳を始めた。
「えあわたしは鈴城くんのその鈴城くんのあの鈴城くんの」
「――ゆーくんの……なに?」
お姉ちゃんの問い掛けは一段低い声音だった。
ちょっとぞくっとした。
「わ、わたしは……その……」
尻すぼみな沙雪さん。
目を細めたお姉ちゃんが身長の低い沙雪さんを冷酷に見下ろしている。
「よく考えてね?」
かと思えばお姉ちゃんは沙雪さんに優しい声音で諭すように語りかけた。
「欲しいものは欲しいと訴えかけないとダメなんだよ? ただバカみたいに待ってるだけじゃ一生手に入らない。自分でしっかりと判断して行動しなきゃ……いずれ後悔するんだよ?」
経験者は語る――そんな含蓄の言葉だった。
解ったかな? とお姉ちゃん。
「ちなみに今が、その判断の時だったりしまーす」
お姉ちゃんはノリが軽過ぎて困る。
僕が嘆息していると「さぁ」とお姉ちゃんが沙雪さんへ詰めよった。
「寛大なお姉ちゃんは、もう一度だけチャンスをあげるよ?」
さぁ、本音を言って? とばかりに沙雪さんへさらに詰め寄るお姉ちゃん。
「わたしは……」
沙雪さんから空唾を飲み込む音が聞こえてきた。
「『わたしは』?」
沙雪さんへさらにさらに詰め寄るお姉ちゃん。
沙雪さんは意を決したように、きりりと顔を引き締めた。
「――わたしは優哉くんの彼女になりたいです」
姫風とお姉ちゃんを除くみんなが「おぉ……」と微妙な声を上げた。そして、同時に僕の顔に視線を移動させる。
沙雪さん凄く度胸があるなぁ……って、あはは、他人事じゃなかったね。
姫風と沙雪さんと+αさんの顔が見られない僕。
うんうん、と頷き沙雪さんの頭をよしよしと撫でるお姉ちゃん。
「そう、それで良いの。お姉ちゃんはね、ゆーくんを好きな子は、対等な相手として認める」
凄く優しい声音でお姉ちゃんは沙雪さんを優しく労った。
「認めた相手、つまりゆーくんを好きな子を全て倒すのがお姉ちゃんの夢。それを達成した時、お姉ちゃんはゆーくん界のNO.1になるっ!!」
お姉ちゃんは優しさを自分でぶち壊した。
◆◆◆
バイトメンバーの集った部屋を「おいでゆーくん」とお姉ちゃんに手を引かれながら抜け出し、駆けながら移動した先のリビングでは、叔母さんと母さんが茶菓子をポリポリと食べていた。
結局全員大集合ですありがとうございました。
「――ってお姉ちゃん、なぜ逃げ出す必要があるのさ? 僕はもう答えを出し――」
「黙らっしゃいっ!!」
なぜか一喝された。
「なんで僕怒られたのっ!?」
目をつりあげたお姉ちゃんがくるりとこちらへ向き直る。
「ゆーくんが誰も選ばない? ふざけないでっ!!」
「えっ!?」
僕ふざけてないよね!?
「それってお姉ちゃんも選ばないってことでしょっ!?」
「最初からお姉ちゃんを選ぶつもりはなイタッ!!」
後頭部になにかが直撃した。
「スリッパ?」
直撃したそれを拾い上げ背後を振り返った。
「……母さん?」
投擲フォームの母親と目が合った。
その目は「華虎を選びなさい」と訴えかけている。
肉親に味方が居ないっ!?
「――華虎を選びなさい」
「口に出したよこの母親っ!?」
据わった目で直接言われてしまった。
「叔母さんの隣に居る頭のおかしい人を警察に通報して下さい」
「ふふ」と楽しそうに叔母さんは微笑むだけ。
「今は暖かい眼差しをくれるシーンじゃありませんよっ!?」
「ふふ」と楽しそうに叔母さんは微笑むだけ。
僕の手を引き続けるお姉ちゃん。それを応援する母親と叔母さん。背後からは姫風たち。
四面楚歌どころの話じゃないけど、逃げてばかりではダメなので、お姉ちゃんに掴まれている手を振り払い足を止めた。
「え? どうしたの?」
僕に払われた手を撫でながら足を止めてこちらへ振り返るお姉ちゃん。
今まで先導してくれていたお姉ちゃんを諭す僕。
「僕はどうするかを決めたんだ。お姉ちゃんに手を引かれて逃げる必要はないんだよ」
「その決断はお姉ちゃんの都合により却下だよ?」
「はぁ」
再び僕の手を引いて走り出そうとするお姉ちゃんを踏ん張って止めた。
「ちょっ!? ゆーくんっ!! ワガママはやめてっ!!」
「……お姉ちゃんが非力で助かったよ」
この人……姫風よりワガママだよね。
こんな感じで、玄関へと続く廊下にて姉弟小競り合いをしていたら、姫風達が僕らへ追い付き、再びお姉ちゃんは僕を背に回すこととなった。
「もぉ〜ゆーくんが駄々を捏ねるからヒメカさん達が追いついたじゃないっ!! 逃げられないじゃないっ!!」
「いや……逃げたいのはお姉ちゃんだけじゃん」
「今は逃げなきゃダメなのっ!!」
「……お願いだから僕の話も聞こうか」
僕とお姉ちゃんの会話に、姫風の前に出た椿さんが割って入る。
「いくらゆうやの姉と言えども、これ以上の横暴は――ぷぎゅっ」
椿さんは無言の姫風により側壁へ押しつけられた。
「……姫風の横暴も許せないレベルだよね」
きっとみんなは心の中で頷いてくれたはずだ。
当の横暴犯はお姉ちゃんの背後に立ち尽くす僕をジッと見つめつつ、スッと手を差し伸べてきた。
「ゆう、迎えに来た」
「……ありがとう」
頼んでないんだけどね。
不意に涙をこぼしていた姫風が脳内を過り、胸がズキッと痛む。
「ゆーくんは帰りませんっ!!」
「いや帰るから」
僕がすかさず口を挟むと、お姉ちゃんが「裏切られたっ!!」って顔になった。
「なんでそんな酷いこと言うのっ!?」
「酷くないから」
お姉ちゃんを押し退けて姫風たちへ歩みかけた途端、
「やだ……やだやだやだやだっ!!」
僕の背中にお姉ちゃんが張り付いた。
「ちょ、お姉ちゃんっ!」
「やだっ!! ゆーくんはお姉ちゃんのだから誰にもあげないっ!!」
あげないって……子供か。
引き剥がそうとしていた僕は呆れて物が言えなくなった。
不意に僕へ踏み出す姫風。
それを受けて後退る僕。
眉間に皺を寄せつつ姫風が言う。
「ゆうは私のもの」
「ちょっと姫風は黙っててね」
また面倒臭くなるからね。
「お兄ちゃんはしぃのお兄ちゃんだよっ!」
「ど、どうしたのしぃちゃん?」
姫風の背後からひょこっと顔を覗かせたしぃちゃんの発言に驚く。
「ゆうやは私の彼――ぷぎゅっ」
側壁から顔を引き剥がした椿さんが無言の姫風により再び押し戻された。鬼か。
「ゆーくんはお姉ちゃんのっ!!」
いつもの流れに突入しそうなところで「ちょっと良いかしら?」と後方から叔母さんの声が届いた。
姫風以外が叔母さんの方へ向き直る。
「この問題は、今すぐここで解決しないといけない話なのかしら?」
叔母さんが僕たちの目の前にまで歩いてくる。
そしてみんなを見回したあと、最終的に僕へ向き直った。
「発生源は優哉くんよね?」
と、トラブルメーカーみたいに言わないで!
げふん、責めるような響きに聞こえたのは僕だけ? いや、僕が原因だから仕方ないのか。
「どうなの優哉くん?」と真意を問う叔母さん。
僕は耳の裏をかきながら、
「えっと、発生源は僕です。解決と言うか……答えは僕の中で既に出てます」
お姉ちゃんが「その答えは間違ってるよ! 間違ってるよ!」と茶々を入れてくるけど華麗にスルー。
「それなら――」と叔母さん。
「仕切り直す訳じゃないけど、私の別荘に戻らない? 今日帰宅するしないに関わらず、ここでは人数分の食料や布団がないらしいから」
叔母さんの至極まともな大人の意見に、お姉ちゃんと姫風以外が頷いた。
そういうことで、場所を叔母さんの別荘に移すこととなった。
◆◆◆
母さんとお姉ちゃんはヘリコプターで移動し、僕の身柄は姫風によりボードで叔母さん別荘宅へと移送された。
波止場へ接岸して陸地に降り立ち開口一番僕は、
「別荘よ、私は帰ってきた――イタっ!!」
ピロシキに頭を叩かれた。
すかさず風により海へ蹴落とされるピロシキ。
水面に漂うピロシキをそのまま放置した僕らは叔母さん別荘宅へ歩き出す。
歩き出そうとした僕は突然浮いた。
原因はいつものように姫風。
「ちょっ、な、降ろしてよっ!」
僕は抵抗すれども当然のように姫風にお姫様抱っこされて移動開始。当然のように抱くな。
そして当然のようにそのまま連れて行かれた。
――で、一同一七時くらいに叔母さん別荘宅へ戻ってきた訳だけど……何事もなかったかのように各部屋へ戻って帰り支度を始める。
ちなみに、叔母さん&母さん&お姉ちゃんは、急遽もう一泊することになった一同の夕飯を買い出しに出かけてます。
それはさておき、荷物の最終チェックを終えて頷いた僕は、相部屋で何かを言いたげな、けれど無言のまま僕を見つめていたジジイに親指を立てながら言った。
「帰宅準備完了!」
ドアの開音とともに何故かびしょ濡れのピロシキが部屋へ飛び込んでくる。
「『帰宅準備完了!』じゃねえよっ!!」
「え、帰らないの?」
「帰るよっ!!」
「ならばよし」
「なに一人偉そうにしたり顔で納得してやがるっ!?」
「ジジイもだよ?」
「わしにふるな」
「って、そんな話してんじゃねえんだよっ!! 俺様を着衣水泳させたまま放置してさっさと帰るなっ!! 鬼かっ!!」
「鬼じゃない。新世界の神げふっ」
「死ねよ神」
神、殴られた。
「で、結局。どうするんだ?」
ピロシキが全てを見透かしたように問いてきた。
「神、殴られた頬が痛くてうまく喋れない」
「もう一発殴るぞ」
「神、喋る」
「神弱いのぉ」
ジジイ、神様に強さを求めちゃいけない。
渋々ながらピロシキに応じようとしたところで、誰かの携帯電話が着信を告げる。
誰だよ、今時松ケンサンバに設定してるやつ。
三人が三人を眺め返した。
「早く出ろよ」とピロシキ。
「わしや寛貴ではないとすると、優哉か?」
「僕の着信音はスクウェアで固めてるって知ってるでしょ?」
「知るかよ……ってことは該当者無しか? 今鳴ってるのにか?」
仕方なく三人は自分の携帯電話を取り出す。
――僕でした。
「神じゃねえかよ」
「神言うなっ!! 指差すなっ!!」
「良いから早く出ろよ神」
ピロシキが神神五月蝿い。
「……いったい誰が着信音の変更を?」
最近僕の携帯電話に触れた人物は……すぐに思い当たる。
お姉ちゃんだ。お姉ちゃんの仕業に違いない。
嘆息しつつ携帯電話に視線を落す。液晶画面に表示されていたのは、
「さ――新海さんからだ」
「モブかよ」とピロシキ。
「砕けろ!!」
僕はすかさずピロシキへローキック。
ちっ。蹴程圏内から逃げやがったか。
ピロシキを睨みながら露骨に舌打ちして、携帯電話の応答ボタンを押した。
『…………』
「さゆ――新海さん?」
『…………んい』
「新海さんどうしたの?」
『……ゆ、優哉くん、あ、あのね……』
沙雪さんから漏れ出たそれは、か細い声音だった。
「うん」
『その……は、話したいことが、ね?』
声音から緊張していることが感じ取れた。
しどろもどろでこちらになにかを伝えようとする沙雪さんに対して考える。
同じ屋根の下に居るのに直接話しかけてこないのは何故だろう?
「話したいこと?」
『う、うん。こ、こく、告白の、あの……』
「こくはく……? あ!」
沙雪さんがなにをおっしゃりたいか、理解した。
『……そ、それで、ね?』
しどろもどろな沙雪さんの話を要約すると、「話したいことがあるから夕食のあと『海の家』へ来て欲しい」とのことだった。
十中八九、今日帰宅してから公園にて沙雪さんへ返す予定だった、「告白の返事」についての話だよね、と予想をつける。
本来なら既に帰宅している時間だもんね。沙雪さんを待たせ過ぎるのはよくない。
「――了解です」
『う、うん、ごめんね。あとでね』
通話が終了して、パクンと二つ折りの携帯電話を閉じる。
無意識に閉じていた瞼を開けた。
ふぅ、と一息つく。
既に沙雪さんからの告白の応えを自身の中で出している僕に、迷いはない。
これから僕は沙雪さんの想いを断る。
勇気を出して告白してくれたその想いを――蔑ろにする。
気は重い。重すぎる。
けれど、二股はよくない。二股よりはマシだ。
きみだってそう思うよね?
もう一度、ふぅ、と一息つく。
「なんだこいつ。突然吹っ切れたような顔をして」
いつの間にやら窓際に腰掛けていたピロシキが、僕を半眼で眺めていた。
そこへ――
「一瞬で成長してお姉ちゃんを不必要にしないでよっ!!」
ドアを蹴破らんばかりの勢いでお姉ちゃんが部屋へ飛び込んでくる。
そして、僕を見つけると駆け寄って抱き付いてきたので、一歩引いてどうにかかわした。
「賑やか担当が多すぎだろ」とピロシキ。
「お主も含めてな」とジジイ。
二人はさておき、僕に飛び掛かろうとするお姉ちゃんを牽制しつつ、「なんの話?」と問いた。
「ビビっと来たの!! ゆーくんが誰とも付き合わないってメッセージが頭の中に!!」
お姉ちゃんは電波系か。
即刻僕は言った。
「そうですか。お引き取り下さい」
「あ、うん。帰るね――じゃないよ!? お姉ちゃん帰らないよ!?」
お姉ちゃんてノセやすいね。
「そんなことよりっ!!」とお姉ちゃん。
「ダメだよっ!! 誰とも付き合わないなんて絶対ダメだよっ!! お姉ちゃんと付き合わないなんてさらにダメだよっ!!」
「お姉ちゃん落ち着いて。そもそもお姉ちゃんとは付き合えないし、付き合えたとしても付き合わないから」
実姉と付き合うとか考えただけで恐ろしい。
「ゆーくんのバカっ!!」
頬を殴られた。
「僕なんで殴られたの!?」
「お姉ちゃんと付き合わないなんて酷いこと言うから!!」
「殴る方が酷くない!?」
「あ、ごめんね。そうだよね。お返しにゆーくんも私を叩いて良いよ?」
いそいそと履いていたミニスカートを脱ぎ始めるお姉ちゃん。
ジジイやピロシキが居るのになに考えてるのっ!?
「ちょ、脱がないでよ!? どこを叩かせる気なのさ!?」
急いで履かせ直す。
「お尻――主に尾てい骨だけど脱がなくて良いの?」
「そもそも叩かないからっ!! あと部屋から出ていこうとしてる二人! こっちに戻ってきてっ!!」
部屋から静かに出ていこうとしたピロシキとジジイを呼び止める。
「変態プレイを見せつけたいのか?」とピロシキ。
「わしは見たくない」とジジイ。
僕は絶叫した。
「変態プレイなんてしないからっ!!」
「え? しないの?」
お姉ちゃんが唇を尖らせて残念そうな表情を見せる。
「一人でしてなさいっ!!」
さっさとお姉ちゃんから逃げ出そう。
「――夕飯まで外に出てるよ」
「ゆーくん? 待っ――」
言いながら僕は、隙を見て三階角部屋を放棄して逃げ出し、階段を駆け降りる。
そのまま一階まで降りてビーチサンダルをひっかけ、玄関から外へ飛び出した。
「ゆう」「ゆうや?」「鈴城くん?」
途中数名に声をかけられたけど無視だ。
僕は携帯電話である人物を呼び出しながら、近場の砂浜まで全力で駆け抜けた。