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やんやん  作者: きじねこ
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5.盂蘭盆会


 新海沙雪さゆきさんを見つめると、ドキがムネムネす違う。胸がドキドキする。

 姫風を見つめると、胸がジクジクして胃がムカムカする。

 昔、それを本人に伝えたら「つわり」と切り捨てられてしまった。ただの嫌悪感です。

 最近は姫風を見つめても、ジクジクムカムカしない。

 代わりに形容しがたい感情が沸き上がってく――

「これは恋なのかも知れ――」

「姫風、次に地の文を乗っ取ったら二度と会話しないからね」

「やだ」

「はい部屋から出てく。今、僕は回想シーンなんだから」

 バタンと部屋から姫風が退場した。

 なんの回想だったっけ……? あ、思い出した。数日前に見かけた女の人だ。

 沙雪さんに感じたドキドキとは種類が違う。心が暖まるような、恋とは違うドキドキ。

 僕はあの人にもう一度会いたい。会ってなにかをする訳じゃないけれど、もう一度会って、話をしてみたい。そう思える人だった。


 ◆◆◆


 夕方からは汐実しおみ神社なる場所で夏祭りがあり、僕らはそこへ出陣することが決定している。

 前日の慰労会うちあげの際に、叔母さんから「午前中はゴロゴロしてバイトの疲れを癒しなさい」と言われていた僕らだったけど、バイトに追われて夏を満喫出来ずに居たことを思い出して、夏休みを取り戻すかのように、一ヶ月ぶりの海水浴を楽しむことに相成った。


 水着姿となった僕らは、午前十時に「海の家」近くの砂浜にて、ビーチパラソルと格闘を開始する。

 男性陣がそれと奮闘する傍らで、なにやら相庭さんが痛烈な毒を沙雪さんに吐いていた。喧嘩かな?

「幼児体型は黙ってなさい」

「ひどっ!?」と沙雪さん。

 そんな、新海さんが幼児体型だなんて……。

 言いつつ相庭さん、国府田さん、椿さん、姫風をチラ見する。

 相庭さんは巨乳に高身長を所持するグラビア体型。

 十段階評価の九おっぱい。

 国府田さんは大き過ぎず小さ過ぎずの身長に、これまた大き過ぎず小さ過ぎずの胸を所持しているノーマル体型。

 五おっぱいくらいかな。

 椿さんは貧乳だけど、他は完璧なプロポーションを誇るスラッとしたモデル体型。

 間違いなく一おっぱいだね。

 姫風は以下略だ。

 ビーチパラソルを突き立ててここら一帯の陣地を主張し終えた僕らは、女性陣へと割って入る。

「さ、さぁ、みんな遊ぶよ!」

『おぉー!』と合わせてくれる男性陣。

 途端に蜘蛛の子を散らしたような感じで、みんな好き勝手に移動する。


 僕はパラソルの下でクーラーボックスの番人と化し、姫風は颯爽とどこかへ走り去り、椿さんは姫風に首根っこを掴まれてついでに消えて行った。

 紫苑しぃちゃんはそのあとを追う。

 灰田くんは遠くに見える島まで遠泳してくる、と言い残し、それに付き合う形で、佐竹くんと妹尾せのおくんが海水へ消えて行った。

 国府田こうださんは砂の城を建造中で、海水を含ませた砂をペタペタとその小山に盛っている。

 相庭あいばさんと新海さゆきさんは僕の隣でクーラーボックスの番人その2&その3と化している。

 これまた僕の隣で、鳳祐介ジジイは沙雪さんの姉・かえでさんの相手をしつつ、そこから逃げ出そうとする坂本寛貴ピロシキをはがいじめにして一進一退の攻防を繰り広げている。


 楓さんにハグされるがままのジジイが「ふむ」と一言。

「『女の足駄あしだにて作れる笛には秋の鹿寄る』とはよく言ったものじゃな」

「どう言う意味?」と僕。

「女の色香に男は迷い易い、と言ったたとえじゃのぉ」

 否定できない。


 六分程経過した頃、姫風、椿さん、しぃちゃんが僕の元へ戻ってきた。


「ミッション終了」と姫風。

「突然連れていかれて驚いたよ。ゆうやは思考が奇抜だな」と椿さん。

「あの穴はなにに使うの?」としぃちゃん。

 三人を労いつつペットボトルを手渡す。

「あの穴は、まぁ見ててよ。それと三人ともありがとう。はいポカリ」

「ポカリよりもゆうの愛が欲しい」

「無理」

「私も愛が欲しいな」

「椿さん頭でも打ちましたか?」

「しぃもお兄ちゃんの愛が欲しい」

「し、しぃちゃんはあとで僕とじっくり話そうね」


 1.事前にピロシキを落とす為の穴を姫風に頼む。

 2.ピロシキを挑発する。

 3.ピロシキが追いかけてきて、姫風が穴を掘った辺りまで誘導する。

 4.ピロシキが穴に落ちる。


 上記を踏まえて計画を実行する。


「てめえ、ぶっ殺す!」

 挑発したピロシキが猛然と僕に駆け寄り、あと寸前で追い付かれる、となったところで、落下ポイントを僕は飛び越えた。

 ピロシキを振り替えると、目の前から「ああああああぁぁぁぁぁぁ!?」と突然消えてなくなった。

 悲鳴は途中から聞こえなくなり、不信に思って覗き込んだ穴の中に、ピロシキの姿は発見できなかった。

「……姫風、どこまで掘ったの?」

 穴は二メートル先までしか見えず、そこから先はほの暗い闇が広がっている。

 近づいてくる人間削岩機ひめかがこう言った。

「限りなく、深く」

「でかした!」

 親指を立ててグッドと姫風をたたえる。

「それじゃあ僕もそろそろ一泳ひとおよぎしようかな」

「私も付き合おう」と椿さん。

「しぃも行く!」としぃちゃん。

「んい! わたしも一緒に泳ぐ!」

 沙雪さゆきさんが文字通りの「穴場」まで颯爽さっそうと駆けつけた。

「ではみんなで一緒に行きませう!」

 僕は拳を振り上げる。

「「行きませう!」」

 意気投合する僕と沙雪さんとしぃちゃんの間を裂きながら、姫風が告げる。

「私もマリアナ海溝まで付き合う」

「一人で潜ってなさい」

「私もマリアナ海――」

「姫風の真似をしないで下さい椿さん」

 一同をひきいて海へつかかろうと歩き出したら、後ろからガシッと肩を掴まれた。

「そのままナチュラルに去ろうとするな、鈴城姉弟きょうだい&新海」

 振り向くとジジイが居た。

 姫風が宣告する。

「ゆうに触れた」

「!」

 ジジイが「しまった!」って顔をした。

「危ないジジイ!」

 姫風が踏み込む。

 同時に僕はジジイを庇うように彼の前へと飛び出した。

 僕の行動のせいか、姫風がジジイを突こうとしていた右拳を制止させる。

 結果、無様に横倒れとなる僕。

「…………」

 無言で僕を見下ろすジジイ、沙雪さん、椿さん、しぃちゃん、姫風。

 泣くよ?

 コホンッと一つ咳をして僕は立ち上がり、姫風に殴らないよう注意してから、ジジイに再度振り替える。

「で、なに?」

「お主は今のをなかったことにしたいのか?」

「泣くよ?」

 涙腺がバーストするよ?

「あー……解った。なにも問わん。それよりも、寛貴を助けぬか?」

 あ〜そのことか。

 取りえず海へと歩き出す僕。

「こりゃ、逃げるでない」

「まぁまぁ、ピロシキのことは忘れて楽しめば良いじゃないかジジイイイイイイィィィィィィ!?」

 僕の視界からみんなが消えた。


 5.優哉ぼくも落ちる。


 ◆◆◆


 プラントオパールと呼ばれる物がある。

 植物珪酸体シリカボディの総称で、稲科植物の葉中に多く含まれるそうだ。

 稲科植物中にはけい質化した細胞が存在し、植物の枯死後も土中に化石として残るらしい。

 もうちょい詳しく説明すると、稲の棘や白い筋の部分のことで、なんと構成成分は硝子ガラスと同じだとか。

 砂浜の穴ぐら奥底で、キラリとヒカル物体を指でグリグリ。

「少し前にその話を姫風から聞いたけど、これのことだったのかな」

 これがロープを投げて貰い穴から引き上げられた僕の第一声でした。

「てめえ……よくもオレサマを穴に落としやがったな!」

 同じように引き上げられたピロシキが凄い剣幕で僕に食って掛かった。

「黙れフィロゾーマ!!」

「はぁ? ふぃろぞーま?」

伊勢海老いせえびの幼生」

「知るか!!」

「三十回の変身能力を持つ」

「誰も聞いてねえよ!」

「黙れプエルルス!!」

「……ぷえるるす?」

「フィロゾーマの変身後名称」

「知るか!!」

めて姫風からの知識でした」

又聞またぎきの引用かよっ!!」


 僕の人生の八割は姫風によって占められています。


 ◆◆◆


 一泳ぎを終えた僕らは、十四時頃に、叔母さん別荘宅へ引き返して、室内でゴロゴロしていた。

 時刻は飛んで十七時半。

 どこからか笛や太鼓のメロディーが聞こえてくる。

 これは祭り囃子ばやしってやつだろうか。

 立ち上がって浴衣の着付けをしていた僕は、叔母さん別荘宅内から、遠くに見える山中の赤い鳥居――汐実しおみ神社を窓越しに眺めた。

「きつくないか?」

 僕の正面で中腰になっているジジイが問うてきた。

「超大丈夫」

 直後、腹部に帯が食い込み僕の着付けが終了する。

「こちらは全員終わりました」

 ジジイが浴衣姿の男性陣を見渡したあとそう告げた。

「早いわね。ご苦労様」と叔母さんから労いが返ってきた。

「なんか俺たち日本人っぽいな!」

 佐竹くんが興奮している。

 灰田くんは呆れていた。

「俺たちは元々日本人だろ」

ちげーよ! そうじゃなくて! あぁ、なんて言えば良いかな……」

 佐竹くんの言いたいことはなんとなく解る。

「滅多に着ない浴衣に対して『日本人って良いよね』って改めて思っただけだよね」

 口を挟んだ僕を二人が見つめてくる。

「そうそれ! そんな感じ! 流石さすが俺の鈴城嬢! 理解が早くて助かる!」

 僕はいつから佐竹くんのものに?


 僕たちが夏祭りに出発する一時間前、どこから取り出して来たのか、叔母さんが人数分以上の浴衣を持参して、披露してくれたのだ。

 男性陣はジジイの手により藍染の浴衣を着付けさせられ、女性陣は叔母さんと姫風の手により色とりどりでカラフルな浴衣に着付けさせられた。

 僕のちょっと恥ずかしい知識を披露するけど、着物はパンツを脱がなきゃならない、そんな固定観念を持っていた。

 けど、それは間違いらしい。

 口に出さなくて良かった。


 着替え中に仕切っていたふすまを開けて、男性陣と女性陣が対面する。

 言葉では言い表せられない感情が沸き上がってくる。

 髪型を上げてうなじを露出している女性陣の姿が、色っぽい。

 ビバ浴衣姿!

 クラスメイトの「綺麗」「可愛い」「渋い」「似合わない」の応酬が始まる。

 僕もその輪に加わり、頑張って賛辞を述べていく。

 誉めるって結構勇気が要るし、恥ずかしいね。

 ポニーテールを崩してアップにした新鮮な髪型の沙雪さんに近づいて声をかける。

「おぉ、新海さんだ。その……い、色っぽいね」

 浴衣は下地は桃色でところどころに黄色いラインが走っていた。

「ん、んい、えへへ、ありがとう」

 沙雪さんがテレてる。可愛いなぁもぉ。

 女性陣の浴衣姿を人通り見回したけど、なかでも浴衣姿が似合うのは、沙雪さん、しぃちゃん、椿さんだ。

 特に沙雪さんが一番えている。好き補正とか抜きにして。

「新海さんの浴衣姿が一番しっくりくる。なぜだろう?」

「ん、んい?」

 対面で超小声でいぶかしむ僕に、沙雪さんが困ったような顔をする。

 僕の発言を聞き取ったらしく、沙雪さんの傍に居た、赤地に白い花びらを散らせた浴衣姿の相庭さんがこう告げる。

「着物は凹凸おうとつのない体型が最高の見栄みばえを生むのよ」

 つまり――

「ドラム缶体型が最高ってこと?」

「ぷふ、ど、ドラム缶体型っ!」

 相庭さんが笑い始めた。

「ま、まぁそうね。でも、本人を目の前にして、それはちょっと酷くないかしら? ど、ドラム缶体型って」

 僕は無意識に沙雪さんを指で差していた。

「あ」

 見やった沙雪さんは膝を抱えて座り込み、なにやらブツブツと呟いている。

「わ、わたしはドラム缶体型? ふふそうだよね『胸と背中がどっちか解らない』って梨華に言われるし鈴城さんには『単三電池』って言われるし『沙雪ちゃんの体型は紫苑ちゃんと大差ないよね』って紫苑ちゃんと見比べられながら未紀には言われるしあはあははははは――」

 時折高笑いを上げる珍獣と化した沙雪さんに、どう声をかければ良いか解らない。

「そっとしておいてあげるのも優しさよ? ぷふっ」

 相庭さんは腹筋が苦しそうだ。

 それただの放置って言わない?

 手出しできないので、相庭さんの浴衣姿を褒めつつ、相庭さんの助言に従い、沙雪さんから距離を取る。

 丁度のどが渇いたので、潤す為に、単身ダイニングルームへ移動した。

「ゆう」

 魅力的な巨乳を浴衣姿に押し込めた無表情な姫風が、無視する僕を追尾開始。

 到着したダイニングルームには、当然ながら誰も居ない。

「ゆう」

「……なに?」

「浴衣を着た」

 感想を求められているのかな?

 赤黄青の輪――花火が描かれた黒地の浴衣は、姫風にとても似合っていた。

 だからと言って、僕は誉めません。

「黒地に花火か、浴衣は綺麗だね」

「私は?」

 姫風はいつも腰まで伸ばして風になびかせている髪を、今日はアップにして後頭部で一纏めにし、かんざしを刺していた。

 うなじの遅れ毛が凄く色っぽい。いや、あでやかと言い換えた方がしっくりくる感じだ。

 でも、やっぱり誉めません。

「姫風は姫風だよ?」

 僕は作り笑いで返した。

「…………いぢわる」

 無表情を崩した姫風が、幼児退行してねたように唇をとがらせ、上目使いで訴えてくる。

 綺麗と言って欲しい、と。

 えもいわれぬプレッシャーに負けた僕は、はぁ、と嘆息して、頭をボリボリとく。

 そして、そっぽを向きながら、

「……浴衣姿、よく似合ってるよ。だからそんな顔はやめなさい」

 途端に姫風は無表情へ戻る。

「綺麗? 抱きたい? ここで押し倒したい?」

 しなだれかかってくる姫風から距離を取る。

「どうしてすぐに痴女化するのさっ!?」

「これがゆうの求める最良の女性像」

「平気で嘘をつくな! 僕はつつしみを持った女の子が好みなんだ!」

「ゆうは相変わらず嘘がヘタ、と」

 浴衣の袖から手帳を取り出した姫風が平然と嘘をメモした。


 僕の胃に穴が空く日も近い。


 ◆◆◆


 時刻は十八時半。

 汐実しおみ神社まで叔母さんに運んでいただいた僕らは、帰宅時間と迷子になった時に集合する場所を決めて、各々の想う相手と散会した。


 いしだたみが敷かれた広大な境内けいだいの中心地には巨大な丸太で組まれたやぐらがあり、その上には大人の男性が五人乗っていて、笛や太鼓の音を響かせている。

 櫓の周囲には人の輪ができていて、既に老若男女が盆踊りを楽しんでいるみたいだった。

 にぎわいを見せている空気にワクワクする。

 そして幼い子供のように辺りをキョロキョロした。

 灯籠とうろうともされている蝋燭ろうそくの灯りに風情ふぜいを感じ、幾重にも連なる提灯ちょうちんを眺めては、「僕は今、夏祭りに来てるんだなぁ」と実感する。

「お兄ちゃん?」と傍らで見上げてくるしぃちゃん。

 早くお店を回ろう、と言った催促さいそくかも知れないので、いざ出発。

「足下気を付けてね。それと草履の鼻緒で指のまたが痛くなったらすぐ言うんだよ? 絆創膏ばんそうこうを貼るから」

「お兄ちゃんてばお母さんみたい」

「お、お母さんは勘弁して」

 あらかじめ、みんなに――特に佐竹くんや姫風に――しぃちゃんと露店を回る旨をしっかりと説明していた僕は、沙雪さんに後ろ髪を引かれつつ、しぃちゃんと手を繋いでいしだたみの上をカランコロンと歩き出した。

 手に白地の巾着を携えたしぃちゃんが、ニコニコしながら僕を見上げてくる。

「お兄ちゃんその浴衣姿渋いね。カッコイイ」

「そう? ありがとう」

 しぃちゃんの歩調に合わせていた僕は、自分の藍染浴衣&下駄げた装備に目を向けた。カッコイイかどうかはちょっと解らない。

 僕もしぃちゃんの浴衣姿に賛辞を返す。

「白地に真っ赤な金魚かぁ。しぃちゃんの浴衣姿も可愛いね」

 返答にお礼が来るかと思いきや、

「お兄ちゃん?」

 先ほどまでニコニコしていたしぃちゃんの表情が一変、真面目なものに成り代わってしまった。

「な、なにかな? しぃちゃん」

 しぃちゃんは噛んで含めるように続ける。

「女の子はね? 可愛いより、Beautifulの方が嬉しいんだよ?」

「お兄ちゃんは綺麗を流暢りゅうちょうな英語で言う意味がちょっと解んないな」

「schonの方が嬉しいんだよ?」

「うん。日本語でお願い」

「シェーン。ドイツ語で綺麗って言ったの。本当はoの上にウムラウトが必要なんだけど表記できないから割愛したの」

「う、うむらうと? 割愛?」

「そこは突っ込んじゃダメだよお兄ちゃん?」

「あ、うん解った。えっと、しぃちゃんの浴衣姿、とっても綺麗だよ」

 取りえず、伝えられたことを実践してみた。

 すると、

「お兄ちゃん大好き!」

 しぃちゃんが僕の腹部に抱きつき、頬をスリスリとり付けてくる。

「ちょ、ちょっと歩きにくいかなぁ」

 なついてくれることは嬉しいけど、周囲の目もあるし、これはこれで恥ずかしい。

「今ね、しぃは、マーキングしてるの」

 縄張りを主張しているしぃちゃんの喋りは幾分かトロくなっていた。合わせた視線はほのかに熱をびて潤み、トロンとしていて……なんかトリップしてる?

 これはしぃちゃんなりの、僕と会えなかった時間を取り戻す行為だよね?

 だったら、好きなようにさせてあげるべきだよね。

「マーキングが終わったら言ってね」

 しぃちゃんが無言でゆっくりと頷いた。

 往来の真ん中で金髪ツインテールな妹(一四○センチ)に抱きつかれるさまの僕を、周囲の人たちが指を差しながら通り過ぎて行く。

 微妙に羞恥プレイだよこれ。

 ふと、しぃちゃんが英語とドイツ語が喋れるのはなぜだろう? と疑問に思い、ある点を思い出した。

「え〜と、しぃちゃんの前のお父さんはイギリスとドイツのハーフだったっけ」

「そだよぉ」

 腹部からしぃちゃんのくぐもった声音が返ってきた。

「日常会話は何語だったの?」

「日本語だよぉ」

 ……外国語を期待したのは僕だけじゃないと思いたい。

 頬を上気させたしぃちゃんが僕からゆっくりと離れて、はふぅ、と吐息を零す。

「お兄ちゃん成分充電完了」

 へ?

「あ、お兄ちゃんわたあめ!」

「よし食べよう!」


 一路、ピンクのフワフワを目指します。


 ◆◆◆


 綿菓子を購入した僕としぃちゃんは、これまたヨーヨー釣りで獲得した水風船をバチャバチャ鳴らしながら、露店を覗いてはブラブラしていた。

「次は金魚掬いに行きたいなぁ」

 チラッとしぃちゃんが見上げてくる。

「酸素補給がない環境に長時間閉じ込めるのは可哀想だから、金魚掬いは最後にしようよ」

「ふふ、お兄ちゃん優しいね」

「はっはっはっ金魚を自分に置き換えただけですから」

 少しでも金魚が亡くなる可能性を減らして、しぃちゃんが哀しむ回数を減らしたいだけですぞ。

「あ、お兄ちゃん前!」「華虎かこ前!」

 しぃちゃんと誰かの注意が届いた瞬間――

「ぬはっ!?」「わわっ!?」

 前から来た誰かと衝突して、態勢を崩した僕は、ドテッと尻餅をついた。

「お兄ちゃんとお姉ちゃん大丈夫?」

「ってて」

 衝突相手の連れ合いが駆け寄って来て、僕を心配そうに覗き込む。

「あなた大丈夫? 怪我は無い? って――ええっ!?」

 連れ合い――三十代半ばくらいの女性が、僕の顔を見て固まった。そして僕も同時に固まる。

「……いったぁ〜い。お母さん見てないで手を貸してよ」

 衝突相手が連れ合いの女性に手を伸ばして声をかけているけど、女性は無反応。

 衝突相手を確認した僕は、更に固まった。

 この人、会いたいと思ってた人だ。

 見れば見るほど――

「ねえお母さん?」と衝突相手。

 それを意に介さない連れ合い女性が、かろうじて聞き取れるような声音で呟いた。

「ゆう……や?」

 ……僕の名前だ。

「お母さんてば!! ほうけてるけどどうしたの?」

 女性――お母さんと呼ばれている女性はハッと我に返ったように、

「あ、か、華虎かこ大丈夫?」

 自力で立ち上がり、ほこりを払っている衝突相手――僕より少し低い身長で僕よりも少し歳上に見える女性は、

「私は大丈夫だけど、お母さんこそ大丈夫? ちょっと変だよ?」

 僕は僕とよく似た・・・・・・二人に相対して、固まったまま微動だにできない。

「お兄ちゃん大丈夫?」

 僕の隣では、しぃちゃんが心配そうに僕へ呼び掛けてくれている。

 それにも関わらず、その呼びかけは、どこか遠くから聞こえてくるような、水中に潜っている時のような、妙な状態かんかくに陥っているのだ。

 お母さんと呼称されている連れ合いの女性は、華虎かこと呼称されている衝突相手の女性を気にしつつも、僕から目を離さないでいる。雰囲気で伝わってくる。

 僕と自分のお母さん(仮)の様子に妙なものを感じ取ったのか、衝突相手の女性――華虎さん(仮)も僕の顔を正面からまじまじと眺めてくる。

 目が合った。

 華虎さん(仮)が大きく目を見開き、息を飲む。

 やがて彼女の頬はみるみる紅潮してゆき――


「好き。私と付き合って下さい」


 突然告白されてしまった。


 ◆◆◆


 鈴城紫苑しぃの目の前でぶつかってころんでしまったお兄ちゃんに、別段怪我はなさそうです。

 同じくぶつかって転んでしまった女の人――真っ赤なリボンを頭頂部に付けた黒髪セミロングヘアーの人です――にも、怪我はなさそうで、良かったです。

 怪我は無くて良かったのですが、どう言った理由なのか、お兄ちゃんがその人に告白されてしまいました。


 お兄ちゃんによく似た顔立ちを持つ――女の人に。


 告白されたお兄ちゃんは、拍子抜けしたような表情で「へ?」と声を上げました。

 お兄ちゃんとぶつかった女の人は、なにを思ったのか、更に畳み掛けます。

「会って久しぶりで唐突だって思うだろうけど、私と付き合って欲しい。寧ろ嫁に貰って欲しい。今すぐ抱い――」

「ひ、久しぶり? いやあのちょっと待って下さい!」

 両手を突き出したお兄ちゃんは、ゆっくりとせまって来ていた女の人へ「待った」をかけました。

 女の人は「なんで私の行動を抑制するの?」って顔をしています。

 お兄ちゃんはしばらくの間、金魚のようにお口をパクパクさせていましたが、

「な、なにがなんだか解らないんだけど、整理と確認をさせて貰って良い……ですか?」

 女の人に事実関係の確認を求めました。

 女の人は渋々ながら頷きます。

「えっと、僕と……お姉さんは――」

華虎かこ! お姉ちゃんね!」と即座に女の人。

 お姉ちゃん――華虎お姉さんは、「ファーストネームで呼んで!」と即催促です。

「か、華虎さんは、僕と初対面ではありません・・・・・よね?」

 お兄ちゃんと華虎お姉さんは面識があるの?

 言い直したお兄ちゃんに対して華虎お姉さんは、

「うん。初対面じゃないよ?」

 即座に頷きました。

 頃合いを見計らったかのように、華虎お姉さんの連れ合い――華虎お姉さんが一回り歳を重ねたような外見をしている女の人(しぃのお母さんと同じ年齢くらい?)が、「ちょっと良いかしら?」と間に割って入りました。

「あなたの名前――優哉って言うわよね?」

 どうしてお兄ちゃんの名前を?

 しぃ同様に、きっとお兄ちゃんも驚いているはずです。

 そう思って女の人からお兄ちゃんのお顔に視線を移すと、お兄ちゃんは驚くどころか、「……やっぱり」と呟き、訳知り顔でなにかを確信している様子でした。

「……優哉だよね?」

 華虎お姉さんのお母さんぽい人は、確認を込めているような響きで、なかなか答えないお兄ちゃんに再度問いました。

 問われたお兄ちゃんは、華虎お姉さんのお母さんぽい人に視線を移し、「……当たりか」と低い声で囁きました。

 そして――


「――二人は『母さん』と『姉さん』で合ってるよね?」


 二人は、お兄ちゃんの本当のお母さんとお姉さん?

 そっくりなので、親子だと言われれば、先ほどの類似感にも納得です。

 見れば見るほど三人はよく似た顔立ちをしていて、特に目元と鼻筋がそっくりです。

「……今の今まで忘れてたけど、やっと顔を思い出した。間違いない。母さんと姉さんだ。……親父の離婚が、僕が三歳の時だから、二人とは十四年ぶりか、はは、意外と声や顔は思い出せるもんだね」

 可笑しそうに笑うお兄ちゃん。笑い方が怖いです。皮肉? 自嘲? いつもの笑い方とは明らかに違いました。

 対するお兄ちゃんのお母さんは、なにか悪いことでもしてしまったかのような表情で、自分の唇を噛んでいます。

「い、今まで顔を見せなかった理由は、その――」

 自分のお母さんをさえぎり、華虎お姉さんが割り込みます。

「あの小さくて可愛くておねえちゃんの後ろを付いて回ってたゆーくんがこんなに大きくなってたなんて……今までお父さんが手紙に同封してくれていた写真でしか成長を確認できなかったけど、ふふ、相変わらず可愛い。お姉ちゃんより背が高くなっちゃって、生意気なんだから。『お姉ちゃん大好き』って言ってたあのゆーくんがねぇ。ふふ、ゆーくん可愛い」

 華虎お姉さんの瞳が爛々らんらんと輝いてます。

「やだ、どうしよう? まず拉致らち? 取りあえず、ゆーくんこっちにおいで? 抱っこしてあげる。お姉ちゃんが抱っこしてあげるから。ほら、お姉ちゃんだよ? こっちにおいで? ゆーくんの大好きなお姉ちゃんだよ?」

 ら、拉致っって……。

 華虎お姉さんがお兄ちゃんに腕を回して、抱きつきました。

 お兄ちゃんはされるがままです。

 二人の抱き合う姿を見ていると、なぜか胸が、ちくんと痛みます。

 一分くらい経ってから、お兄ちゃんがこう言いました。

「そろそろ手を放して、ね、姉さん」

 お兄ちゃんが華虎お姉さんを押して、自分から遠ざけました。

「んー。昔みたいに『お姉ちゃん』って呼んで?」

 催促されたお兄ちゃんは、少し躊躇ためらったあと、

「……お、お姉ちゃん」

 お兄ちゃんのお顔は真っ赤になりました。

 華虎お姉さんが続けます。

「昔みたいに『お姉ちゃん大好き』って言って?」

 お兄ちゃんが顔をひきつらせます。

「いや、それはちょっと……」 お兄ちゃん……しぃ以外に「大好き」って言っちゃうの?

 そう思った瞬間、ちくんが再発して、胸がまた痛みました。

 華虎お姉さんが「ゆーくん冷たい。ゆーくん冷たい」とねたような表情を見せると、お兄ちゃんが折れてしまいました。

「あーもぉ、はいはい、『お姉ちゃん大好き』」

「お姉ちゃんもゆーくん大好き!」

 また華虎お姉さんがお兄ちゃんに抱きつきました。

 胸の痛みが収まりません。

「じゃあ続けて」と華虎お姉さん。

「昔みたいに『お姉ちゃん大好き結婚して?』って言って?」

 お兄ちゃんが吹きました。

「無理無理無理無」

 全力で首を横に振るお兄ちゃんに対して、華虎お姉さんは「えーなんで?」と疑問を投げかけます。

「ゆーくんはお姉ちゃんのことが生涯で一番好きでしょ? お姉ちゃんもゆーくんのことが生涯で一番好きで愛してるから大丈夫。ほら、ゆーくん、『お姉ちゃん愛してる。結婚しよう』って言ってみて?」

「この人姫風だ!」

 顔色の青くなったお兄ちゃんが後退あとずさり始めました。

 しかし、華虎お姉さんがその手をすぐに取り引き留めます。

「ひめかってなに? 人名?  それと隣の金髪ツインテールの子はなに? お姉ちゃんに教えてくれる? あ、まずはそこのベンチで二人の将来でも語りなが――」

 そこへ、お兄ちゃんのお母さんが口を挟みます。

「華虎なに言ってるの? さっき転んだ拍子に頭でも打ったの?」

「愛情の確認だよ。造語にするなら『確かめ愛』かな?」

 華虎お姉さんが首を傾げました。

 額に手をあてたお母さんは、痛みをこらえるような表情になります。

「愛情って……あんたのそれは過剰過ぎない?」

 満面の笑みになる華虎お姉さん。

「愛情に過剰もなにもないよ? 大きいか小さいかだけ。私の愛は無限大!」

「……あなたたちは血の繋がった姉弟きょうだいよ?」

 華虎お姉さんが「なにを今更?」って顔をしました。

「知ってるよ? お母さんバカ?」

「お母さんをバカ呼ばわりしないの! このバカ娘!」とお母さん絶叫。

「姉弟で結婚なんてできる訳ないでしょっ?」

「できるよ?」と華虎お姉さん。

むしろできてたよ? 二○○年前までは日本でも世界でも、王家から農民まで近親婚しまくりだったでしょ? イザナギやイザナミだって近親婚でしょ? 姉弟きょうだいで結婚してなにが悪いの?」

「神話や二○○年前の価値観を現代に持ってこないのっ!!」

 お母さん更に絶叫です。

 お兄ちゃんのツッコミ遺伝子はお母さんから受け継いでいるようです。

 華虎お姉さんがゴリゴリと押します。

「愛さえあれば姉弟きょうだいなんて関係ない!」

「倫理的に無理なの! 法律的に駄目なの!」

「たかだか二〇〇年前に作った価値観なんかで私を縛らないでよ! 私に適用しないでよ! 法律上等よっ!!」

「法律上等って……あんたが大学の法学部に入った理由って……」

 華虎お姉さんは法学部の大学生さんのようです。

「ま、まさか!」となにかに気づいたお母さんが、ワナワナしながら、華虎お姉さんを指差します。

 それを受けた華虎お姉さんは、ニヤリッと意味有りげに笑いました。

「ふふ、ようやく解ったの? 目指すは国会議員の椅子。それから法務大臣になって新たな法律を作る為だけに、私は法律大学ほうだいで学んでるの! ゆーくんの為に!」

 華虎お姉さんがお兄ちゃんに向いてニヤリッ。

 それを受けた兄ちゃんはビクリッ。

 二人の様子にお母さんはガクリッ。

「つ、ついでだから聞いて上げるけど、あんたが作りたい法律って……なに?」

 疲れた声音のお母さん。

 よくいてくれました! とばかりに、笑顔に磨きがかかる華虎お姉さん。

「昔から大好きだった弟と合法的に結婚する法律だよ?」

 華虎お姉さんは顔に両手をあててイヤンイヤンと恥ずかしがってます。

「『近親婚禁止』の法改正をしたあと『ゆーくんラヴ法』を制定するの! 内容はね? ゆーくんとお姉ちゃんが結婚できる法律で――って、お母さん? 聞いてる?」

 お母さんはうつむき、体をぷるぷるとふるわせています。

「あ」

「あ?」と華虎お姉さんが首を傾げた瞬間、お母さんの手が、お姉さんの肩を掴みました。

「あんたバカじゃないの!? バカよね!? バカのトップよ!! バカっ!!」

 お母さん憤慨ふんがいです。

 お母さんが頓狂とんきょうな声を上げて「バカ!!」を繰り返しながら、お姉さんをガクガクと揺すってます。

 かと思えば、しぃは誰かに肩を抱かれました。

 隣を見上げると、青い顔色をしたお兄ちゃんと目が合います。

「しぃちゃん行こう。ここに居たら間違いなく姫風が来るし、教育に良くない」

「え? どうしてお姉ちゃんが来るの?」

「しぃちゃんのお姉ちゃんは痴ゲフン――観察力が凄くてトラブルメーカーだからね!」

「あー……うん。お姉ちゃんはトラブルメーカーさんだよね」

 妙に納得したしぃは、お兄ちゃんに促され、華虎お姉さんとそのお母さんから離れていきました。


 世の中には、しぃの知らない手段と事柄が満ち溢れています。


 ◆◆◆


 先ほど、鈴城優哉ぼくは母さんと姉さ――姉ちゃんに偶然再会した。

 十四年ぶりだった。

 二人と交わした会話により、自然と忘れていた声質と顔が、短時間でフラッシュバックし、幼い頃よく耳にしていた声質や、記憶よりもやや年老いた顔が、短時間で記憶を再構築していった。

 そして気づけば、母さんに怨みを吐こうとしていた。

 あの時、姉ちゃんが割って入り、スキンシップと過激な発言に度肝を抜かれなければ、どんな酷いことを口にしていたかわからない。

 しぃちゃんの手前、それが口を突いて出なくて良かった、と今更ながらホッとした。

 加齢臭と母親が離婚したことは二人の問題だから良いとしても、なぜ十四年もの間、僕に電話や手紙、つまり連絡を一つも寄越さなかったのか、疑問でならない。

 離婚について、母親について、加齢臭の会話内容や雰囲気から、死別したものだと今の今まで勝手に解釈していたのだけれど、生きてるじゃないか。

 連絡のなかった理由がさっぱり解らない。

 母親が生きているとなると、聞きたいことと吐きたいことが沢山ある。

 なぜ姉だけを引き取り僕だけを捨てたのか。

 なぜ顔を見せないどころか連絡一つ寄越さなかったのか。

 なぜ二人はここに居て僕らは出会ってしまったのか。

 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、な――

「お兄ちゃん大丈夫? 顔色が悪いよ。ベンチあそこで休もう?」

 連れて行かれたそこは、境内けいだいの外れに面していて、祭りの最中にも関わらず、人気ひとけがなく、ひっそりと静まりかえっていた。

 高校二年生の僕が、中学三年生の妹に背中をさすられながら、そのベンチに座らされる。

 しぃちゃんは座ることなく僕の正面に立ち、僕の顔を心配そうに覗き込んでいた。

「お兄ちゃんなにか飲む?」

 心配されるほど顔色が悪いのだろうか。

「あ、ありがとう。大丈夫だよしぃちゃん」

 しぃちゃんから顔色を隠したくて、うつむいたままどうにか喋った。

 ……いったいなにをやってるんだ。

 しぃちゃんに気を使わせてどうする。

 心配をかけさせてどうする。

 これでは立場が逆だろう。

 また長い間会えなくなる彼女と、楽しい思い出を作ろうとしているんじゃないのか。

 笑え。

 笑え僕、と自分に言い聞かせながら、正面に立つしぃちゃんを見上げる。

「さぁ、金魚掬いにでも行こうか?」

 うまく笑え。

 このまま笑い続けろ。

 気分を変えるべく立ち上がろうとするけど、しぃちゃんが首を横に振りながら僕をベンチに押し留めた。

「ダメだよお兄ちゃん。今金魚掬いには行けない」

 しぃちゃんを安心させる為に、僕は笑顔を持続させる。

「え、どうして?」

「お兄ちゃんが苦しそうなんだもん」

「え?」

 僕は笑ってるつもりなんだけど、そうは見えないのだろうか。

 しぃちゃんが僕の頬に指をわせて、

「お兄ちゃんどこが痛いの? どこが辛いの?」

 小さなてのひらで頬をでられる。何度も何度も撫でられる。

「僕はどこも苦しくないし、痛くもないよ?」

「でも」としぃちゃんに目元を撫でられる。


「お兄ちゃん泣いてる」


 指摘された目元付近に指をわせる。

 ――濡れていた。

 これは涙?

 僕の涙?

「っうく」

 自分の瞳から涙が零れていることを自覚した瞬間――もうダメだった。

 急いでうつむき、顔をおおいながら、声をし殺して、しゃくりあげる。

 すると、正面から頭を包み込まれた。

 しぃちゃんが僕を胸に抱いているのだろうか。

 ドクン、ドクンと心臓の音が聞こえてくる。

 恥ずかしい――と同時になぜか安堵あんどもやって来る。

 ドクン、ドクンが心地良いのか、抱かれている温もりに安心するのか……涙が止まらない。

 僕はなに一つ語っていないのに、なぜかしぃちゃんには読み取られてしまう。

「今まで辛かったんだね。苦しかったんだね。寂しかったんだね」

 まるで赤子をあやすように、トン、トンと一定のリズムで、背中を優しく叩かれる。

 心地よくて、さらに涙が止まらなくて……。


 どれくらい経っただろうか。


 ようや嗚咽おえつが落ち着いてきた僕は、あやされるがままに、我知らず情けない声音を漏らしていた。

「……僕、カッコ悪いね」

「お兄ちゃんはお兄ちゃんだよ」

 頭上から降り注ぐしぃちゃんの声音が、耳朶じだから全身に染み込み、涙を誘う。

「カッコ悪いのも、カッコ良いのも、両方合わせてお兄ちゃんだよ」

 ダメな部分を肯定されて認められることが、これほど嬉しいとは思わなかった。

 なにか返したいけれど、のどに引っかかって声が出ない。

「しぃの大好きなお兄ちゃんだよ」

 優しい声音。心に響く。

 収まってきた涙腺への一撃だった。

「泣きたい時は泣いても良いよ。我慢したら……ダメだよ」


 僕は声を上げて泣いた。


 ◆◆◆


 しばらくしてから泣き止んだ僕は、顔をおおって項垂うなだれていた。

 穴があったらそこに埋まって化石で発見されたい気分だった。

 歳下の女の子に、気づけば全てを打ち明けていたのだ。

 今まで、母親が必要な場面で居なくて、辛かったこと、寂しかったこと、悔しかったこと……喋り出したらキリがなくて、せきを切って、一時間あまり、自分の心を吐露していた。

 誰もが聞いていてダルくなるような自分語りを、しぃちゃんは優しく相槌を打ちながら、ずっと静聴してくれていた。

 結果――

 聞き上手なしぃちゃんのお陰で、現在僕は顔からファイヤーしている訳で、冒頭の化石話に繋がる訳です。

 ――誰か僕を殺してくれ。

「お兄ちゃん、しぃ、ラムネ飲みに行きたいなぁ」

 羞恥か、意識し過ぎたせいか……ダメだ、しぃちゃんの顔がマトモに見れない。

 いろんなことを振り払うように、僕はベンチから勢い良く立ち上がる。

「ら、ラムネの一○本や二○本! 好きなだけ飲ませてあげるんだからね!?」

「女の子みたいな喋りになってるよ?」としぃちゃんがコロコロ笑う。

 しぃちゃんの自然体な笑顔に二の句を返せない。

 唐突に、なんとなくだけど、女の子は小さくても立派に女性をしているんだなぁ、と実感してしまった。

 僕はダメだなぁ。

 背中を押されるか、尻を叩かれないと、前には進めないようにできている。

 こめかみをき、嘆息を一つ零しながら、「ラムネを飲みに行きませう!」と、しぃちゃんを促して歩き出した。

 静寂の中、僕としぃちゃんの履物が、いしだたみの上をカランコロンと鳴り響いてゆく。

 さりげなく僕の手を繋ぐしぃちゃんが、百合さんや姫風が優しく笑う時の「ふふ」って表情になり、僕を見上げてきた。

「い、今見つめられると僕の羞恥度メーターが限界を越えるので勘弁して下さい」

「うん」としぃちゃんが素直に頷く。

 そして可愛らしい笑顔でこう言う。

「でも、お兄ちゃんが落ち着いたみたいで良かったぁ」

 羞恥度メーター粉砕。

「しぃちゃんのおバカ!」

「え? え?」

「お兄ちゃんはメンタル弱いんだから、微笑みながらそんなこと言っちゃいけません!」

 妹としてではなく一人の女性として、意識しそうになるじゃないか!

「お兄ちゃんの笑顔が見られるなら、しぃはおバカでも良いよ?」

 なんてこと言うのこの!?

「こ、このおバカさん!」

 真っ赤になっているであろう顔を、僕はしぃちゃんからそむける。

 これ以上しぃちゃんに心へ入ってられたらヤバイ。


「流石は紫苑」


 げっ。来た。

「ゆうとのイチャつきぶりが尋常ではない」

 無表情な姫風の背後には、椿さんと沙雪さんが控えていた。

 妙な組み合わせにちょっと吃驚びっくりする。

 沙雪さんがおずおずと、僕としぃちゃんを順に指差した。

「す、鈴城くん。妹さんと良い雰囲気過ぎるんですけど」

「そう?」

 コクコクと沙雪さんが頷く。

 指摘されたせいで気恥ずかしさがぶり返し、しぃちゃんと繋いでいた手を離した。

 その際、しぃちゃんが残念そうな顔をしたので、ちょっとだけ罪悪感がつのる。

 そうこうしているうちに、姫風や沙雪さんを差し置いて、椿さんが僕の手を取った。大胆にも姫風の前で。

「ゆうや、今度は私と露店を回らないかは!?」

 椿さんが姫風のノーモーションまわし蹴りで彼方かなたに消えていった。

 沙雪さんは姫風から恐々と距離を取り、僕はしぃちゃんを背後に回してかばう。

 それを見た姫風が、目を細めて僕を睨んだ。

「ゆう、私は今、とても機嫌が悪い」

「……そうだね」

 椿さんが飛ん出ったもんね……。

「ゆうは今から私とデート。異論は?」

「ないね!」

 沙雪さんが「そんなっ!?」って顔をした。

 これも沙雪さんを守護する行為なんだから仕方ない、とは姫風を前にして言えず、姫風に促されるまま、手を引かれて、静寂な裏手から賑やかな露店へと歩み出す。


 沙雪さんとしぃちゃんに後ろ髪を引かれながら。


 ◆◆◆


 それにしても、と僕は姫風に手を引かれながらこう思った。

 先ほどの吐露を姫風や沙雪さんに聞かれなくて良かった。

 恥ずかしいし、弱味を握られるかも知れなかったかと思うと、心底、ホッとした。

 ん? あれ? ちょっと待てよ。

 じゃあ、しぃちゃんには聞かれても良かったのか?

 あれ? あれれ?

 もしかして、沙雪さんや姫風とはまた別枠で、しぃちゃんを一人前の女性として、以前から認めている部分が有ったってことなのかな?

「……むむむむむ。これは由々ゆゆしき事態だ」

 ちなみに「由々しき」の意味は解りません。テキトーに使ってみました。

 茶化してみたけど、どうしよう。

 これからしぃちゃんに対する「猫可愛がり」的な対応ができなくなりそ――いたたたたたた!

「ゆう、私だけを見て」

 エスパーか。

「姫風だけを見ないといけないとか意味が解らないから! それより手を離せ! ミシミシ鳴ってるんだよ!」

 握られている手を振りほどこうと、反対の手で姫風を突き飛ばそうとするけど、ひらりと避けられてしまった。

「体の中心点をしっかりと狙って?」

「なんのレクチャーだよ!?」

 繋がれている手の痛みがやわらいだ。

「ゆう、私だけを見て」

 僕は姫風の我儘わがまま嘆息たんそくで応えた。

 姫風が続ける。

「先ほど、紫苑を散歩させていた時――」

「散歩って犬か」

「紫苑を散歩させていた時、ゆうはずっと笑顔で楽しげにマーキングさせてあげていた」

「あくまでしぃちゃんはペットポジションですかそうですか」

「私にも紫苑以上の愛情表現を要求する」

「愛情表現て……姫風に?」

「私に」

「無理だよ」

「どうしても?」

 もともと無いし。

「どうしても」と頷いた僕に対して、姫風が目を吊り上げた。

「紫苑を打ち上げ花火の筒の中に押し込んでくる」

「ヤメロよ!?」

 その場で華麗にきびすを返した姫風を引き留める。

 某カロチンのセリフみたく「汚ねえ花火だ」ってなっちゃうじゃないか!

「心配しないで。これはただの嫉妬」

「それ嫉妬じゃない。テロだ」

 無表情から一変して、一目で解るくらいに姫風が頬を膨らませる。

 な、なにこの可愛い生き物――って、はっ!? そんなこと思ってないよ? ホントだよ?

 その可愛い生きもゲフン姫風が言う。

「テロ上等」

 セリフと顔が合ってないよ。

 はぁ、と我知らずあからさまな溜め息が漏れた。

「テロ上等とかじゃなくて。嫉妬ならさ、もっと可愛らしいやつにしてよ」

 無表情に戻った姫風が「例えば?」とたずねてくる。

「例えば、ねて軽くつねるとか、あとは、胸にグサッと来る一撃を言うとか」

 途端に姫風がかがみ込む。

「なにしてんの?」

「嫉妬の体言」

「は?」

 あれ? すねの辺りが温かいよ?

「つねる」

 つねる? と首を傾げた瞬間――激痛が走った。

「……べ、弁慶べんけいをやりやがったな」

 泣き所が大惨事だ。

 いしだたみに転がってのたうち回る僕。

 どうにか起き上がってそばでしゃがんでいる姫風を突き飛ばす――がビクともしない。

 痛みがすぐにぶり返してきて、またしゃがみ込む。

 今の僕にできることと言えば口での抗議だけ。

「す、脛を千切る気かっ!?」

「泣かないで」

「泣きそうなのは誰のせいだよ!?」

 痛みが少し収まってきたので、どうにか僕は立ち上がる。

 おもむろに姫風も立ち上がる。

 そして、不思議そうに首を傾げた。

「期待に添ったら怒られた。なぜ?」

すねをつねるんじゃなくて表情でねて見せろって言ったの!」

「言われてみればそんな気もする」

 ……そうか納得してくれたか。あれ? 視界がぼやけてきたよ?

 くいくいと浴衣の胸元を姫風に引かれる。

「……すねが完全に回復するまでちょっと待ってて」

 さらにくいくいと引っ張られる。

 マイペースなやつめ。

「……なにさ?」

 ちょいちょいと自分の無表情を指差す姫風が、ぬけぬけとこう言った。

「今からねてみせる」

 今さら!?

「アホか!?」

「アホではなく童貞の妻」

 胸にグサッと来る一撃を言われた。

「ああああああああ〜もぉぉぉぉぉぉぉ!」


 しぃちゃんに泣きついた時とは別の意味で涙が出そうだった。


 ◆◆◆


「……うぅ、ゆうや……私のことは『きぃ』と……」

 鈴城優哉くんの姉・鈴城椿さんが寝転ばせたベンチの上でなにかを呟いた。

「……姫風ばかりずるいじゃないか……」

椿つぅちゃん大丈夫?」

 優哉くんの妹・鈴城紫苑ちゃんが、唸り続ける椿さんを心配そうに覗き込む。

 優哉くんに置いてきぼりをくらった新海沙雪わたしは、屋台の前で目を回していた椿さんを近くのベンチまで紫苑ちゃんと運び、介抱していた。

かえでさんや、これ以上は荷物を持てんぞ』

『頑張れ祐介くん』

 耳を澄まさずとも――

『あれれ? どうしようお母さん。お姉ちゃんのいとしいゆーくんが居なくなっちゃったよ?』

『知らないわよ!』

 ――こんな声音や――

『龍太郎聞いてるか!? 俺の言葉を聞いてるか!? 妹を優先する優しさに俺は鈴城嬢の深い愛情を感じたぞ!』

『解ったからもう酒飲むなって』

 ――こんな声音が――

『顔にわたあめを押し付けるなんて梨華ちゃん酷いよぅ!』

『やめてやれよ梨華』

『顔にわたあめを押しつけるなんて坂本くん酷いよぅ!』

寛貴ひろきこそやめてあげなさいよ』

 ――祭太鼓の合間に聞こえてくる。

「……みんな楽しそうだなぁ」

 わたしはなにをやってるのだろう……。

 優哉くんと二人きりで夏祭りデートしたかったなぁ。

すね千切ちぎる気かっ!?』

 遠くから優哉くんの怒声が響いてくる。

 声音の方角を見やると、一〇〇メートル向こうで、膝の下辺りを押さえた優哉くんが、いしだたみの上でうずくまっていた。

「お兄ちゃんどうしたのかな?」

「恐らくだけど、鈴城さんがなにかしたのかも」

 周囲の祭客や的屋の方々は、優哉くんを眺めて心配そうにしながらも、えて近寄らないでいる。

 障らぬ神に祟りなしと言うか、トラブルに巻き込まれることは御免ごめんな様子と言うか。

 数分後、どうにか立ち上がった優哉くんが、『ああああああああ〜もぉぉぉぉぉぉぉ!』と叫び、自分の頭をワシャワシャときむしりながら地団駄を踏んでいる。

「紫苑ちゃんごめんね。わたし、鈴城くんのところへ行ってくる」

「あ、沙雪お姉ちゃん!」

 紫苑ちゃんの呼び止めを振り切り、浴衣のすそを少し持ち上げて、馴れない厚底草履をカランコロンと鳴らしながら駆ける。

「もぉ付き合ってられるか!」

 駆け寄ると、優哉くんが鈴城姫風さんを睨んでる現場に遭遇した。

「ゆう」

「付いてくるな!」

「やだ」

 鈴城姫風さんは食い下がらない。

「やだじゃない! 付いてくるなってば!」

「解った」

 優哉くんが一方的に言い放ち、鈴城姫風さんを置き去りにしてさっさっと歩いて行ってしまった。

「ゆうの為に射的の景品を確保する」

 優哉くんから視線を外した鈴城姫風さんは、そう言い残して、露店の一つへ移動してしまった。

 それを後目しりめにわたしは優哉くんを追う。

「おっちゃん一匹ちょうだい」

「あいよ」

 程なくして、串に刺した魚を手に、ニコニコしている優哉くんを発見した。

「あ、新海さんだ」

「あの、追ってきちゃいました」

 え? と驚いた優哉くんが、たはは、と笑った。

「僕ってよく追われるなぁ」

 そして、周囲をキョロキョロして、なにかを探し当てた優哉くんは、「しぃちゃんは椿さんと回ってるのか……」と呟き、わたしに向き直って笑顔でこう言った。

「ちょうど良いし、一緒に露店回らない?」

「んい!」

 願ってまない幸運に、わたしはコクコクと頷く。

「それはOKってことで良いですかな? お嬢さん」


 優哉くんが差し出してくれたてのひらをそっと握った。


 ◆◆◆


 鈴城優哉ぼく凄くない?

 何気無さを装って、沙雪さんを露店巡りに誘ってみたんだ。

 誰か僕を褒めて欲しい。

 更に勇気を振り絞って、沙雪さんと手を繋がせて貰ってるんだけど、これヤバイ。

 ヤバイと言うか身体中が熱い。ドキドキし過ぎて心臓が痛い。頑張り過ぎだよ僕。

 意識は沙雪さんの掌と浴衣姿、少しだけ露出している肌色部分に釘付けだ。

 中でもついつい見惚れると言うか、盗み見してしまうのは、アップにって後れ毛となっている辺りや、そこから見えるうなじ、背中にかけてのライン。んー色っぽい。

 あでやかな姫風とはまた違った魅力にドキドキする。

 ……なんで今僕は姫風と沙雪さんを比べたのさ?

「――哉くん聞きいてる?」

「え? あ、ごめん。考えごとしてた」

「なんの?」

「ひ」

「ひ?」

「ひめ――ひざまくら! ひざまくらについて考えてました!」

「んい? ひざまくら?」

「どうして太股枕ふとももまくらと呼ばないのだろう、とか下らないこと考えてました!」

「あ、なんでだろうね? 言われてみれば変だね。腕枕うでまくらだって肘裏枕ひじうらまくらや上腕二等筋枕って言わないし」

 二人してあれこれと疑問符を中空に並べてゆく。

 こんな下らないことを二人して考えるよりも、なにかをきかけていた沙雪さんの話を頂戴しようじゃないか。

「んなことよりも、新海さんがいてたことってなに?」

「あ、あれはね。鈴城さんと一緒に居た時に『すねを千切る』とか叫んでいたけど、どうかしたの? ってたずねようとしただけ」

 姫風と交わしたねるねないのやり取りのことかな?

「あー……あれは、姫風に嫌がらせを受けてただけなんで、気にしないで」

 ただちょっとだけ胃に穴が空くくらいだから。

「鈴城さんと優哉くんは仲良しだよね」

「ええ!?」

 そう見えるの!?

「そ、それは節穴ですよ新海さん」

 途端に沙雪さんが唇を尖らせて不服を訴えかけてくる。

「さ・ゆ・き」

 名前で呼んで欲しい、と言うことだよね。

 沙雪さんの名前を声に出して呼ぶのはれない行為なので恥ずかしいけど……。

「……さ、沙雪さん」

「できれば『さん』付けは無しの方向で」

 うぅ、恥ずかしいなぁ。

 期待のこもった瞳でジッと見られてしまっては言わざる得ない。

「……さ、沙雪」

 沙雪さんの名を呼ぶと、

「えへへ」

 花が咲いたように笑う、それはこんな時に使うのだと思った。

「優哉くん?」

 ……沙雪さん可愛いなぁ。

「優哉くん?」

 顔の前で沙雪さんに手を振られる。

「へ? あ、つい見とれてまして」

「なにに?」

「沙ゆゲフンゴホン、こ、これ! あゆの塩焼きに!」

 沙雪さんと繋いだ手を離した僕は、反対の手に持つ焼魚付きの串を指差した。

 あ、危ない危ない。あやうくキザなことを言いそうになった。

「焼魚に見とれるなんて優哉くんらしいね」

「僕らしいの!?」

 にはは、と笑った沙雪さんが、無くまた僕の手を握った。

「うぅ……食いしん坊のレッテルを貼られたみたいでショックだ」

 落ち込みつつ焼魚のお腹に噛みつく。もぐもぐごくん。

 おぉ、この鮎の塩焼き美味おいしい。屋台のおっちゃん良い仕事し過ぎだ。

 一瞬で笑顔に戻る僕。

「それ美味しい?」と沙雪さん。

「うん。食べる?」

 沙雪さんの口前に焼魚を差し出す。

 え、と彼女は驚き、数秒逡巡したあと、頬を少しだけ赤く染めて、

「い、いただきます」

 お腹を丸かじりした沙雪さんがもぐもぐしたあと、口元を手で隠しながら、「あ、美味しい」と感嘆する。

 僕は人差し指をピンと立てる。

「ちょっとした豆知識だけど、釣りたての天然あゆはスイカの香りがするらしいよ?」

「へ〜そうなんだ。どれどれ――って、んい、これは焼魚の匂いしかしないね」

「はは、今はもう塩焼きにしてるから仕方ないよ」

「優哉くんは意外と物識りだね」

「姫風からの受け売りなんだけどね」

「んい……」

 あれ? 沙雪さんが心なしか不機嫌になった気がする。

「また姫風って……」

 そう呟いたあと、

「優哉くんは鈴城おねえさんのことを呼び捨てなんだね」

 やや刺のある声音だった。

 なぜだろう?

「あ、うん。よ、呼び捨ては変かな?」

 通常のキョウダイは名前で呼び捨てし合わないの? これはマズイね。

 しどろもどろになりながら口を開こうとしたけど、先に沙雪さんがこう続けた。

「私も鈴城さんみたいに――人前でも『沙雪』って気安く呼んで欲しいな」

 上目使いで沙雪さんが見つめてくる。

「……ダメかな?」

 沙雪さんの目力にたじたじとなった僕は、「ぜ、善処します」と実に日本人らしい返答をして茶を濁す。

「優哉くん可愛い♪」

 茶化されてしまったので茶化し返さなければ!

「いやいや可愛いのは、さ、沙雪だから」

 んい! と目を白黒させて何度も瞬きをした沙雪さんが、赤くなっている自分の頬をモミモミと揉みながら、「も、もぉ、不意打ちでそんなこと言うのは卑怯だよ……」とブツブツ呟く。

 そして、僕を見ずにうつむいたままこう言った。

「い、今のところをもう一度お願いします」

「え?」

「だ、だから……」

 沙雪さんは言い難そうに、しかし、口ごもりつつどうに言葉を漏らす。

「か、可愛いって、その、もう一度お願いします」

「え、あ、あぁ」

 お安いご用件だ。

「沙雪さんは可愛い。生まれたてのタヌキみたいに可愛い」

「んい? ……タヌキって可愛いの?」

「僕の中では最上級!」

「ならOKです!」

 話に一段落ついて間もなく、境内けいだいのどこかに設置してあるスピーカーからアナウンスが流れる。

『来場されているお客様にお知らせします。やぐらの周囲にて盆踊りの輪に加わって下さるとさいわいです』

 アナウンス曰く踊っている人の数が少ないらしい。

 盆踊りか……踊り方が解らないなぁ。

 解らないけど、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」って言葉も有るくらいだし、風物詩を堪能するのも有りだよね。

 スキル「義侠心」が発動したので、沙雪さんを誘ってみる。

「行きますか?」

 僕が櫓の方角を指差すも、沙雪さんは、

「え、でも、わたしは踊れないよ?」

「僕もだよ?」

「人前で踊るなんて恥ずかしくない?」

 そこで「なんて」が出てくるのはどうしてだろう?

「恥ずかしいと言われれば沙雪の言う通りかも知れないけど……」

「だったら行って踊るのはやめない? ほら、変に踊って誰かに指を差されて笑われるのは恥ずかしいし」

 高みの見物なんて真似よりも、走って転んで膝を擦りむいて泣きっ面を笑われる方が僕はマシなんだけどなぁ。

「んーでもさ。誰かを指を差して笑うより、誰かに指を差されて笑われる人生の方が、僕は何倍も価値があるって思うんだ。泥臭くても良いじゃん。カッコ悪くても良いじゃん。なにかを得られる機会を逃すなんての骨頂ってやつで、勿体ないだけだと思うよ?」

 経験しないで溜め息をき続ける人生より、経験して後悔する人生の方が好きだ。

 殺人しかり盆踊り然り。

「つまり僕がなにが言いたいかと言うと、『一緒に楽しまない?』ってこと」

 することに意義がある、とは姫風の自論で、この点については僕も同意見だ。

 そんなことを考えながら沙雪さんの表情を眺めた。

 彼女は首を傾げて「んいいいいい」と唸っている。

 おお、葛藤かっとう中かな?

 沙雪さんが困った顔疲れた顔泣きそうな顔笑っている顔と、次々百面相を披露してくれる。

「二人ともここで立ち尽くしてなにしてるの? ほら盆踊りに行くよぅ!」

 背後を振り向くと、ピロシキと相庭あいばさんに両脇を抱えられた国府田こうださんが居た。

 そしてそのまま引きられて行く。

 捕らえられた宇宙人か。

 国府田さんたちの姿が見えなくなっても、「行くよぅ!」が鼓膜内を乱反射して脳内に残る。

 妙な組み合わせだけど、なんだったんだ今のは。ま、良いっか。

「で、僕は踊りに行くけど、沙雪さんはどうする?」

「わたしは……」

 こんな時、姫風ならすぐ『付いて行く』って言うなんだけどなぁ。

「――って危ない危ない。姫風のことは考えちゃダメだ。ちょっとでも考えるといて出てくるからね、あのストーカー」

「また姫風って……」

 沙雪さんがうつむき、なにやらブツブツと呟いている。

「口を開けば二言目には姫風姫風姫風……今一緒に居るのはわたしなのに」

 なんとなくだけど、沙雪さんの機嫌が悪い。雰囲気でそれが伝わってくる。

「さ、沙雪さん?」

 なにかの地雷を踏んでしまったらしい。それは自覚できた。

 でも、その「なにか」がさっぱり解らない。

 殊更ことさら大袈裟に「んい」と一人頷いた沙雪さんが、僕の瞳を注視して、

「優哉くん、盆踊りに行こう」

「へ? あ、うん」

 突然盆踊りに乗り気になった沙雪さんに気後きおくれする僕。

 動揺し過ぎて「に」が多いね。

 繋いでいた手を離した沙雪さんが、僕の正面に回り込むと、

「今の優哉くんは鈴城さんのことで思考がいっぱいみたいだけど……負けない。負けたくない。いつか、優哉くんの思考をわたしのことだけでいっぱいにするんだから――」

 とても大切な「なにか」を宣言された気がする。

 そして、背伸びした沙雪さんに、


「覚悟してね?」


 鼻をちょんちょんとつつかれてしまった。


 ◆◆◆


 諸事情により、母親である水地弥虎わたしから会うことはおろか、話しかけることさえ禁止されていた優哉むすこと偶然再開を果たしたのも束の間、気づけば、優哉は私の前から忽然と姿を消していた。

 もし再会できたなら、優哉といろんなことを話そうと思っていた。

 思っていたのに……話せなかった。

 つくづくついてない人生だ。

 そう結論付けた私は、私から接触することができないので、渇望を胸中に閉じ込めて、優哉との二度目の再開を諦めた。


 気落ちもそこそこに、盆踊りが終わり次第、花火が打ち上がるとのことなので、ベストポジションを探しがてら、私たち母娘おやこは境内から離れて、海岸線を遊覧飛――彷徨さまよっていた。


 眼下に在る境内けいだいの方角を双眼鏡で眺めていた娘が、つまらなそうにこう呟く。

「ふーん。ゆーくんて隅に置けないんだ」

「暗くてよく見えないのに、なに見てるの華虎かこ?」

「お母さんも見る?」と娘が双眼鏡を渡してくる。

「今は操縦中だから見る訳にはいかないでしょ?」

 仮に私まで眼下を眺めたら――ちょっと面倒臭いことになる。

「で、なにを見てたの?」

「ゆーくんと盛りのついた牝犬めすいぬたち」

 め、めすいぬたちって……。

 片手で押し返した双眼鏡で再度眼下を見下ろした娘がまた叫ぶ。

「あぁ!? あの没個性!! ゆーくんと手を繋いだよ!?」

「あんた口悪過ぎ」

「あの黒髪の子といい、茶髪の子といい私のゆーくんと勝手にイチャイチャするな!!」

「はぁ……あんたって子は……」

 私は娘の育て方を間違った覚えはない――と最近まで思っていた。

 だけど、それは勘違いだったらしい。

 どうして娘が息子にこうまで執着するようになったのか、理由を熟考してみても一切答えは出ない。

 いて理由をあげるなら、会えない時間が長過ぎたせいか。

「あぁ!? 没個性がゆーくんの鼻を! 鼻を触ったよ!?」

 娘の実況で息子がモテモテなことは理解できた。

 父親である雪哉が相当モテたのだ、これは仕様に違いない。

 だからと言って雪哉は、凰花さんおねえさんに惚れられていた、なんてことはなかったけど。

 ふと気になったので、娘へ息子についてたずねてみる。

「優哉のどこが良いの?」

「匂い。つまり、存在」

「つまりのくだりが理解できないわ」

「ゆーくんの匂いは私にとって甘いの。例えるなら甘美な蜜ね」

「……蜜ねぇ」

 私は曖昧な表情で半笑いになる。

 当然のごとく、ムッとする娘。

「嘘だと思うならいでみれば良いじゃない」

「嗅ぐ機会があればね」

 私がそう告げると、

「……私も二度と嗅ぐ機会はないんだよね」

 娘の落胆する姿があまりにも悲痛だった。

「そんなことないわよ」

 なので、今まで秘していた事柄を、つい、漏らしてしまった。

「え?」

「優哉に会うことを禁止されているのは、母親である私だけよ」

 私の呟きで娘が目を見開く。

「それ初耳!! てっきり私も禁止されていたのかと思ってた!! 生涯独身を貫いて陰ながらゆーくんを見守り続けようと思っていたお姉ちゃんの壮大な計画が!!」

 娘が言うとショボい計画が壮大な計画に聞こえる不思議。

「初耳は当然よ。わざと言わなかったんだもの。あんただけ優哉に会えて私が会えないなんて不公平じゃない」

「この母親最低だ!!」

 途端に「降ろして! ここから降ろして!」と娘が騒ぎ始める。

「大人しくしなさい。あとで雪哉に連絡を取って、優哉と連絡がつくようにしてあげるから」

「えぇ!? お父さんとコンタクト取れるの!? 手紙だけのやり取りしかダメじゃなかったの!?」

「ダメじゃなかったの」

「この母親最低だ!!」

 娘が暴れだした。

「ゆーくんとお姉ちゃんの仲はクソババアの策によって引き裂かれていただけなんて! ふじゃけるな!」

「クソババア言うな。あんたこそふざけるな」 

 隣で「ゆーくんはぁはぁ」とあえぎながらよだれを垂らす娘が不気味でならない。

 もっと言ってしまえば気持ち悪い。

「お姉ちゃんのリミッターが一段階解除だよ!」

「日本語でお願い」

「お姉ちゃんの拘束が一段階解除だよ!」

「お前リミッターのとこだけ言い換えただけやんけ」

「お母さん地が出てるよ地が」


 一路、花火の打ち上げポイントへ。


 ◆◆◆


 新海沙雪さゆきさんとやぐらへ迎いながら、鈴城優哉ぼくは頭を悩ませていた。

 悩みごととは、今しがた発生した、沙雪さんからの鼻ちょん攻撃のことだ。

『今の優哉くんは鈴城さんのことで思考がいっぱいみたいだけど……負けない。負けたくない。いつか、優哉くんの思考をわたしのことだけでいっぱいにするんだから――覚悟してね?』

 その際におっしゃられた言葉を、何度も何度も思い返してみたんだけどさ。

 この発言って、僕に対する……す、好きって意思表示じゃないかな?

 こ、ここ告白っぽくないかな?

 そう思考した瞬間、身体中がポカポカしてあっという間に火照ほてり状態になってしまった。

 はたから見れば僕の顔面は真っ赤で、恐らく風邪と勘違いされるレベルだと思う。

 隣を歩く浴衣姿の沙雪さんの顔がまともに見れず、内心で慌てふためいている。

 なかなか整わない呼吸をどうにかこうにかなだめつけて、意を決して沙雪さんをチラ見する。

 横顔から察するに、「告白の返事をちょうだい」みたいな表情や空気が、そこには見て取れない。

 ……あれ?

 僕、もしかして告白された訳じゃない?

 あれれ? 勘違い?

 けれど、沙雪さんからは、とても大切な「なにか」を宣言された気がしたんだけど……。

 そして、その「なにか」は、心がドキドキする「なにか」で……。

 ……あれれ?

「んい?」

 盗み見していた僕と僕の視線を感じ取った沙雪さんの瞳が交差した。

「や、なんでもないです!」

「んい」

 んー……もしやこれは最近習った杞憂きゆうってやつですか?

 いや、でも……うーん。

 僕も僕なりに考える訳で。

 って、僕をバカに変えても違和感がないなぁ、とかそこのきみは考えないでよ?

 あ〜思考がまとまらない。

 グルグルぐにゃぐにゃする。

 こんな調子で、終始口数少なく、盆踊りの輪が出来ているやぐら前へと近づいて行く。

 僕の傍らの沙雪さんも僕と同じ理由で、同じくらい口数が少なかったことは、あとで知らされて気づくんだけど、今のテンパっている僕に気づけと言うのは少し酷な話。


 やぐらに近くなるにつれて、クラスメイトや家族と合流を果たした結果、盆踊りの輪の前で全員集合と相成った。

 訂正。既に佐竹昇くんが一人で突入していて、「鈴城嬢ぉ! こっちこっち!」と輪の中から声を張り上げている。

 みんな苦笑いなり罵倒なりを返している。

「佐竹くんがテンションダウンする瞬間てあるのかな?」

のぼるは常にトップギアだ」

 灰田龍太郎くんが格言みたいなものを告げて輪に入って行った。

「灰田くんも大概付き合い良過ぎだよね」

 灰田くんイケメンが盆踊りを踊ると、盆踊りに品が出てくるから不思議だ。

「あのテンションに付き合い続ける精神は並大抵ではないのぉ」

 背後から聞こえた鳳祐介ジジイの声音に振り向く。

「そうだね。それはそれとして」

「それとして?」

 ポリポリと顎を撫でるジジイ。

「ジジイを見るたびに毎回思うんだけどさ」

「唐突じゃな。わしを見る度になにを思うんじゃ?」

「また背が伸びた? って」

「あ、それわたしも時々思う!」と隣で沙雪さんがきゃっきゃうふふ。

「わしはたけのこか!」

 黒い筍だね。

 そう言えば、と沙雪さん。

おおてりくんはお姉ちゃんと一緒じゃないの?」

 ジジイの傍らに沙雪さんの姉・かえでさんが居ない。

 言われてみれば、あのお姉さんはどこへ行ったのだろう?

「ジジイの彼女はどこ行ったのさ?」

 ジジイが境内けいだいの入り口付近を指差した。

「大量に購入した食物や景品を優哉おぬしの叔母殿の車へ置きに行っておる。それとなにか認識違いをしておるが、楓さんはわしの彼女ではないぞ?」

「へー」と半眼で笑う僕。

「信じておらんのぉ」

 目の前で幸せそうにベタベタされれば疑わしくもなるし腹も立つさ。

「今ならねたみだけでジジイを殺す自信があるよ?」

「サラッと怖いことを言うな」

 邪魔だ、ピロシキが僕を押し退けた。

「相変わらずワガママなやつめ!」

「お前ほどじゃねえよ」

 いつの間にやら携帯していたパイプ椅子を広げて、それの上にピロシキが座り込んだ。

 完全に観戦モードへと移行したピロシキは、盆踊りに参加する気が皆無らしい。

「それどこにあったのさ?」

「出店のお姉さんに声をかけたら貸してくれた」

 ピロシキの隣の国府田さんの隣の相庭さんもパイプ椅子を広げてその上に座り込んだ。

「相庭さんも?」

「出店のお兄さんに声をかけたら貸してくれたのよ」

 二人とも自分の魅力を遠慮なく発揮していて羨ましい、と思う反面ちょっと引いた。

「二人とも要領が良すぎるよぅ!」

 二人の間で立ち尽くしている国府田さんは椅子を借りられなかったらしい。

 あと要領が良いだけではなく、魅力のあたいも高くないとダメだと思う。

「ゆう」

 ピロシキと沙雪さんを押し退けた姫風が、抱えていた巨大な薄型液晶テレビを僕に手渡した。ズシッとくる。

「にゃー!?」

 お も い !

「ゆうの為に射的で獲得した。感謝は不要」

「感謝とかどうでも良いからこれをどうにかしろ!!」

「解った」

 僕の両腕から荷重が消えたと同時に「ぐおっ!?」とピロシキっぽい悲鳴が上がった。

 悲鳴の方角に居たのは案の定ピロシキだった。

 パイプ椅子に座ったまま巨大な薄型液晶テレビを膝に抱えてプルプルと震えている。

「ピロシキってこうして改めて見ると……カッコイイね」

「なんの話だ!? 良いからこれを退けろ!!」

「さて、あの輪の中に入りますか」

「ちょ待てよ!? オレサマをこの状態で放置するな!!」


 ピロシキを後目しりめに盆踊りの輪の中へ。


 ◆◆◆


 盆踊りの輪へと目指す最中も、やはり僕は、沙雪さんの好意みたいなものについて、無い知恵をしぼり、「あーでもない」「こーでもない」と思考していた。

 そこで、ふと名案を思い付いた。

「そうだよ。僕だけで考えるよりも、二人にけば良いんだ。そうすれば一発で解決するかも知れない」

 輪の中へ入りかけて、しかし、僕はきびすを返した。

「ゆう」「優哉くん?」「ゆうや?」「お兄ちゃん?」

 姫風、沙雪さん、椿さん、しぃちゃんに僕はこう告げる。

「先に踊ってて! ちょっとトイレに行ってきます!」

 特に姫風には「大きい方だから付いて来ないで!」と念入りに言い聞かせる。

 微妙に納得してくれた姫風の元から地を蹴ってダッシュ。

 盆踊りの輪から離れて座っているピロシキ、相庭さん、そしてその傍らで立っているジジイ、国府田さんの眼前まで辿り着いた僕は、

「ジジイ、ピロシキ、連れションに付き合って!」

「あぁ、構わんぞ」とジジイ。

「お前一回死ねよ。この状態を見ろ。あとピロシキ言うな」

 ピロシキがパイプ椅子に座ったまま、巨大な薄型液晶テレビを抱えながらクダをく。

 うるさいので「せいっ!」とピロシキから取り上げたそれを、「ピロシキ、相庭さんちょっと椅子を借りるよ。向かい合わせに設置してくれる?」と二人から借りたパイプ椅子の上に置いた。

 相庭さんと国府田さんに僕は手を合わせる。

「すぐ戻ってくるから、これの番人宜しくお願いします!」

 ひらひらと手を振る国府田さん。

「いってらっしゃい。ところでどこへ行くの?」

「未来かな」と僕。

やかましいわボケ」

 ピロシキに頭をはたかれた。

「ラムネが飲みたいわ。ついでに買ってきてくれる?」

 相庭さんの交換条件に頷いた僕は、ジジイとピロシキを引き連れて、簡易トイレとなっている神社の敷地外――鳥居から石段を降りたはずれを目指す。

 盆踊りの輪から少し歩いたところで、ジジイとピロシキが僕の両脇に並んだ。

 そしてピロシキが嘆息混じりに口を開く。

「で、なんだよ。性急な話か?」

「また鈴城姫風絡みかのぉ?」

 察しの良すぎる二人に首を振った。

「姫風絡みの話とは違う。さゆゲフン新海さんのことについてなんだけど……」

「あの十人顔がどうし――鼻がぁ!?」

 僕の掌低突きがピロシキの鼻頭を捕らえた。

「僕侮辱罪で鼻骨粉砕刑ね」

「ねえよそんな罪!」

 鼻頭を押さえながらピロシキが叫んだ。お返しとばかりに脳天へチョップされる。

「それで、新海がどうかしたのか?」

 ジジイが問い直した。

 頷いて見せた僕は、真面目な顔を作り、

「い、今から新海さんについての爆弾発言をして良い?」

「「爆弾発言?」」

 ジジイとピロシキが顔を見合わせた。

 途端に胡散うさん臭そうな表情となったピロシキが、あからさまな嘆息をする。

「なんだよ。とうとう新海へこくる気になったのか?」

「そうなのか優哉?」

 ピロシキとは違い、真面目な表情となったジジイが僕に疑問を投げかけた。

一先ひとまず僕の話を聞いて欲しい」

「つまんね。告る話じゃねえのかよ」

 再度嘆息したピロシキをジジイが「まぁまぁ」となだめる。

「それで、本題はなんじゃ?」

 ジジイの問い掛けに、僕は空気をゴクンと飲み込む。

 くぞ! 爆弾発言するぞ! ……う〜緊張してきた。

 バクバク鳴る心臓を抑えるように、小さく息を吸って吐いてを繰り返す。

 緊張をやわらげようとするけど、無駄と悟り、諦めて言葉を紡ぐ。

「し、新海さんてさ、もしかしたら僕のこと、す、好きっぽくない?」

 言った。とうとういてしまった。

 恐る恐るうかがって見た二人の表情はと言うと、

「……祐介。オレサマはなんて答えたら良いんだ? まず泣けば良いのか? それとも呆れれば良いのか?」

 嘆息したピロシキは、頬をピクピクと痙攣けいれんさせて僕に呆れ返っていた。

 一方ジジイは、うつむきながら片手で両目を覆い、プルプルと体を震わせている。

「祐介?」

 ピロシキが呼び掛けるもジジイは反応を示さない。

「ジジイ?」

 怪訝に思い、僕もジジイへ呼び掛けた。

 するとジジイは、

「新海が……とうとうむくわれた。わしは、わしは……ううぅぅ」

 滂沱ぼうだしていた。

 発言内容は涙声でよく聞き取れないけど、ジジイが、ジジイが、

「ジジイが泣いてる!? 誰だ泣かしたやつは!? 歯を食いしばれ!! ぶち殴ってやる!!」

「お前だ」

「しゃあ!! 僕歯を食いしばれ!! ――ってちょっと待て!!」

 ピロシキが嫌味で一際大袈裟な嘆息をする。

「毎度同じ展開だぞ。そろそろ飽きろ」

「ピロシキがなに言ってるか僕にはさっぱり解らない」

「相変わらず可哀想なおつむだな。あとピロシキ言うな」

 僕の頭部を指差してくるピロシキの手を払った。

「またそうやって僕を誤魔化そうとする」

「誤魔化そうとするもなにも、お前が原因だろ」

「はあ?」

「お・ま・え・が・げ・ん・い・ん・だ」

「原因って読む時『げーいん』って読んじゃうよね」

やかましいわ」

 ピロシキに頭をはたかれた。

「そろそろ話を元に戻して良いか?」

 ようやく涙が止まったらしいジジイが口を挟む。

 元に戻して貰って一向に構わないので僕は頷いた。

 ジジイが続ける。

「仮に新海が優哉おぬしのことを好いているとして、お主はどうする気じゃ?」

「……僕としては『付き合って欲しい』って告白するつもりだよ。実はバイトが終わったら告白しようと思ってだんだ」

「へー」とピロシキ。

「なにその『ちょっと見直した』みたいな『へー』は」

 ピロシキを半眼でにらむ。

「ジト目で見るな。ヘタレなお前が自分から告るとかオレサマは思わなかったんだよ」

「ヘタレ言うな」

 ピロシキに対してファイテングポーズを取る僕。

まとめると」とジジイが僕とピロシキの間に割って入り、また話を戻す。

「優哉は新海からの好意に気づいた。そして、これから好きだ、と新海に告白する予定で、これは好意に気づく前から決定していたことである――で、合っておるか?」

「ジジイ総括サンキュー!」

 感慨深げに頷いたジジイが、「……そうか」と顎を撫で付けながら言う。

「頑張れ。わしは応援する」

「うん」

 便乗したピロシキが、気持ち悪いくらい優しい声音でこう告げた。

「頑張れ。仮に新海と付き合うことになったら、オレサマは遠くへ逃げる」

「なんで逃げるのさ」

「姐さんが台風の目と化すことは目に見えてるだろ」

「OH……」

 視界がちょっとボヤけてきた。

「死人だけは出すなよ?」

「……どうすれば出ないのさ? 僕の十倍賢い坂本寛貴くん」

「……どうすれば出ないんだろうな」

 僕より十倍賢い坂本寛貴くんにも名案は浮かばないらしい。

 うだつの上がらないピロシキを放置してジジイに水を向ける。

「なにか名案ない?」

「対鈴城姫風案か?」

 なんか呼び方が大袈裟になってきたけど、姫風相手なら大袈裟でもなんでもないか。

「そうそう。その対姫風案について名案が欲しい。このままだと刃傷にんじょう沙汰一直線だし」

「名案、名案か。そうじゃな……優哉の両親に訴えかけてはどうじゃ?」

「両親は姫風派で僕からすれば敵陣営アウェーかな」

「ならば、誠意をもって鈴城姫風に訴えかてみると言うのはどうじゃ? 真剣に訴えかけてみれば――いやこれも無理か」

 人道を説く人格者が人道を全否定した。

 そもそも姫風ストーカーに話が通じるなら、僕は中学生の時に県外受験をしていない。

 その後も脳内をしぼったジジイとピロシキが多数の案を出してくれたけど、「発案した先から発案者が否定する」と言った奇妙な現象がみられ、対姫風案は前進を見せることはなかった。

 そんな中、ジジイが嘆息しながら、「『三人寄れば文殊もんじゅの知恵』も形無かたなしじゃな」とこぼした。

 故事成語ことわざの中に「三人寄れば文殊もんじゅの知恵」と言うものがあるらしい。

 意味は「各々おのおのが平凡な脳でも、三人集まって相談すれば、なにかしらの名案が浮かぶものである」だそうだ。

 だがしかし、問題に対する解決策めいあんがこの世に無い場合、この故事成語は全く意味を成さないものとなる、とジジイは今思い知ったらしい。

 ちなみに、「文殊」とは「菩薩」の名前だそうです。


 んなことよりも――


 沙雪さんへの告白イコール警察沙汰のフラグ――それを上手く回避する方法を知っている方は、僕にが非でも連絡を下さい。


 ◆◆◆


 僕はトイレの入り口標記を指差す。

「ねね、トイレの表記にWCってあるよね? あれってWELCOMEの略称に見えない?」

やかましいわ」

 ピロシキに頭をはたかれた。

 こんな感じで形だけのトイレを済ませ、石段を登り、鳥居を潜り抜け、人数分のラムネを購入した僕、ピロシキ、ジジイは、盆踊りの輪の手前、目測一〇〇メートルと言った距離にまで戻ってきていた。

 お、姫風たちが輪の中で踊ってる。

 感心していた僕に、露店で購入したイカ焼きを食わえたピロシキが問う。

「それはそうと、お前は花火をしていた時、なぜ新海へこくろうとしなかったんだ?」

「花火をしていた時?」

 はて、いつの話だろうか?

「新海と二人だけで線香花火をやってただろ? 『海の家』の軒先のきさきで」

 顔面を殴られたくらいの衝撃が身体中を駆け巡った。

「あれ見てたの!?」

 あの名前を呼び合う嬉し恥ずかしシーンを見られてたの!?

「見てたもなにも、アレを演出したのはオレサマと梨華だ。感謝しろ」

「そのせつはアリガトウゴザイマシタ」

「ドウイタシマシテ」

 ジジイが「なにこいつら?」みたいな怪訝な表情をしたけど僕とピロシキはスルーした。

「しかしまぁ、新海もお前もバカみたいに名前を呼び合ってたよな」

「ちょっ!? 恥ずかしいじゃないか!! 掘り返さないでよ!!」

 顔からファイヤーが出る!

「で、なぜあの時告らなかったんだ?」

「あ、あの時は……椿さんの妨害に遭遇して告白できなかったんだよ」

「告白する気はあったのか?」

「……え〜と」

 ……ないです。

 ピロシキは僕の心意が現れた表情読み取ったのか、

「クソヘタレが」

「クソまで付けるな!」

 ヘタレだってオケラだってみんな生きてるんだぞ! 傷つくんだぞ!

 ピロシキが無言かつ半眼で僕を見つめてくる。

 精神攻撃はやめて!

「ゆうや」

「ひぃ!?」「うわっ!?」「おっ?」

 三人とも吃驚びっくりしながら背後へ振り替えると、そこに居たのは椿さんだった。

 盆踊りの輪の中しょうめんへ居る筈の椿さんは、いつの間に僕らの背へ回ったのだろう?

 背後に回るのは良いけど、音も気配もなく忍び寄ることだけはやめて欲しい。

 それと全然関係ないど、椿さんがまとう真っ赤な浴衣ゆかたが、返り血みたいにみえたのは公然の秘密です。

 鮮血色に黄色のラインが入った浴衣は、いろんな意味で椿さんにピッタリだった。

 更に関係ないけど、浴衣姿にも関わらず、濡れ羽色の黒髪をアップにまとめることもなくいつものように鎖骨くらいで綺麗に切り揃えていて、エメラルドグリーンな右目を前髪で覆っている――ワンレングスヘアーでした。

「ゆうや」と再度椿さん。

 固まっていた僕らを他所よそに、「少し話がある」と僕へ言葉を投げかけてきた。

「話ですか? 『ボディーブローをさせてくれ』とかは嫌ですよ?」

 椿さんは不機嫌面を隠そうともせず、露出させている左目だけで僕をギロリと睨んだ。

「お望みなら穴がくまで殴ろうか?」

「望んでません!」

 どうやら腹を殴りたい訳ではないらしい。

「じゃあ、『ちょっと首を折らせてくれ』とかですか?」

 見る間に椿さんの眼力が、威圧感が、けわしい雰囲気が、倍増した。

「……お望みなら首と言わず全ての関節を逆へ曲げてあげよう」

「望んでません!」

 これも違うようだ。

「――ったくゆうやはひとをなんだと思ってるんだ。ひとが勇気を出してここまで来て、どうにか話をしようとしているのに……」

 椿さんがブツブツと愚痴みたいなものをこぼしていらっしゃる。

 不機嫌面が更に悪化してゆく。

 これ以上歩く凶器の機嫌をそこねては不味いと思い、僕は話を促す。

「そ、それで、話と言うのは……?」

 言うや、椿さんがジジイとピロシキに目を繰れたあと、僕に目配せしてきた。

「えっと?」

 二人をどうにかしろってこと?

「ご両人、ごゆっくり」

「オレサマたちは先に戻るわ」

 空気を読んだ二人は僕の持っていた数本のラムネを引ったくると、僕を人身御供ダシにして逃げやがった。

「二人ともあとで酷いからな!」

 二人が盆踊りの輪の方へ立ち去ると同時に、椿さんからの威圧感が増した。

 僕――殺される?

 殺害されることを回避する為に再度話を促す。

「ふ、二人とも居なくなったことだし、あそこで話しませんか?」

 僕は安っぽい簡易ベンチを指差した。

「そうだな」と頷く椿さん。

 境内けいだいの両端に等間隔で設置してある、人通りに面した青いベンチへ、僕と椿さんは移動する。

 そして拳三つ分くらいの間隔を空けてベンチに座った。

 僕は顔をうつむけて所在無くちょこんと座り、チラッと右隣の椿さんを盗み見る。

 正面中空を睨む椿さんは、腕を組み、不機嫌面全開で、鮮血色の浴衣から組んだ生足を覗かせている。

 椿さんはなにを思考していて、なにを話そうとしているのだろうか?

 今脳内で話す内容を纏めている最中なのだろうか?

 邪魔をするのも野暮やぼなので、僕は「どんな話をされるのだろう?」と内心で考えつつも、椿さんの思考を停止させないように、彼女が口を開くまで静かに待つことにした。


 ――二分経過(携帯電話で確認した)。


 待てども「…………」と椿さんは無言です。

 それから体感で一分くらい経ち、まだかな? と隣に座る椿さんをチラ見した。

 すると、僕の視線を感じ取ったのか、視線が交差する。

「ゆ、ゆうや」

「はい」

 椿さんのハスキーかつかすれた声音が聞き取り辛かったので、ズズイと顔を接近させる。

「ち、近い」

「へ?」

 色白だった椿さんの顔が、瞬間湯沸し器よろしく、瞬く間に、真っ赤に染まった。

「か、顔が、ち、近いから」

「あ、ああ、そうですね」

 僕と椿さんの顔距離は拳にして一つ分くらいあるんだけど、椿さんからすれば好ましくない間合いだったらしい。

 武闘家たるもの、自分の間合いへはおいそれと侵入を許したくない、ってことに違いない。

 僕が顔を引くと、手で胸元を押さえてそっぽを向いた椿さんが、すーはーすーはーと浅い呼吸を繰り返し始める。

 喘息ぜんそくの発作でも出たのだろうか?

「呼吸大丈夫ですか?」

「……だ、大丈夫だ」

「ほんとに?」

「大丈夫だ」

 あんまり追求してくれるな、みたいな雰囲気を感じたので、僕は質問をやめる。

 呼吸を整えて殊更大袈裟に深呼吸した椿さんが、こちらへ向き直り、「は、話と言うのは……」と珍しく歯切れが悪い感じで切り出してくる。

「ゆうやは、は、母のことが好きか?」

 椿さんがおっしゃる「母」は、「百合さん」のことだよね?

 椿さんが改まってきたかったことは、百合さんのなにについてだろうか?

「……百合さん、ですか?」

「ああ」と赤面から色白に戻った椿さんが神妙に頷く。

 これは真面目に答える流れだ、と思ったので、ちょっと思考してからこう答えた。

「百合さんのことは好きですよ? 優しいし細かいところに気がついてくれるし遠慮無く怒ってくれる――」

 真摯しんしな瞳でジッと僕を見つめる椿さん。

「――それに、あんなアホ親父を貰ってくれて、感謝してもし足りないし、足を向けて寝れないですよ」

「……母のことをそんな風に思ってくれていたのか。ゆうや、ありがとう」

 椿さんが感謝の言葉を口にした瞬間、彼女の不機嫌面が一瞬だけ柔らかくなり、その穏やかな表情に僕は吃驚びっくりした。

 椿さんでも笑うのか、と。

「今なにか失礼なことを考えなかったかい?」

「滅相もごじゃいましぇん!」

「ゆうやは相変わらず嘘がヘタだね」

 怖い笑みを浮かべた椿さんにコツンと額を軽く小突かれた。

 椿さんが続ける。

「母の次は姫風だな」

 どうやら本題は百合さんのことではないらしい。

 椿さん独自の家族愛調査と言ったところだろうか。

 家族になって一年ちょっとの現状を、椿さんなりに把握しようとしているのかも知れない。

「ゆうやは姫風のことが好きか?」

 これは真面目に答えないとダメなのだろうか?

 答えないと腕を折られるかもしれない、と思ったので、ちょっと思考してからこう答えた。

「姫風に対しては……複雑です。怖いし痴女だし破壊力ちからにモノを言わせるし」

「嫌いなのかい?」

 好きか嫌いかと問われれば……。

「これ本人に言わないで下さいよ? 絶対ですよ?」

「解った。言ってみて」

 頷いた椿さんを見て、僕は額をポリポリといた。

「最近は姫風に対して、言うほど嫌いじゃないです。話も通じるし、友達に対しても嫉妬しなくなってきてるから。……そうだなぁ、今の姫風は『手のかかる子』、みたいな感覚です」

 言ってみてちょっと恥ずかしかったり。

「……『手のかかる子』か」

 椿さんてばなんか考え込んでるし。

 かと思えば思考を取りめて、

「姫風の次は紫苑しおんだな」

 百合さん→姫風→しぃちゃんと来たのだから、これは家族愛調査で決定だね。

「ゆうやは紫苑のことが好きか?」

 真面目に答えよう。

 そう思考してからこう答えた。

「しぃちゃんのことは大好きです。素直で愛らしくて、バカな僕をお兄ちゃんって慕ってくれる。困っていたらなにかしてあげたくなる可愛い妹です」

「……『可愛い妹』か」

 椿さんてばまたなんか考え込んでるし。

 かと思えば思考を取り止めて、

「母や姫風、紫苑に対してどう思っているか、聞けて良かったよ」

 また椿さんがの不機嫌面が一瞬だけ柔らかくなり、その穏やかな表情に僕はまた吃驚びっくりした。

 思うんだけど、椿さんは笑っていた方が素敵だ。

 主要人物を一頻ひとしきり聞かれ終えたので「家族愛調査は終了かな?」と思っていたら、突然うつむいた椿さんがこう続けた。

「ついでにいておきたいのだが――」

 おっしゃる椿さんに手を握られてしまった。

 ひんやりしていて気持ち良い反面握り潰されたらどうしよう、と内心でハラハラする。

 顔を上げた椿さんの表情は、不機嫌面プラス思い詰めたような人のそれだった。

「わ、私のことはどう思っているんだ?」

 椿さんと見詰め合う。

 威圧感とは別のなにかが僕を拘束する。 

「わ、私はゆうやのことが――す、好き、なんだ」

「僕のことが、好き?」

「う、あ、あぅ」

 どうした暴君。顔が真っ赤だぞ。

 うつむいて唇なんか噛んじゃってるぞ。

 え〜と、聞き間違いでなければ、椿さんは今僕に「好きだ」と言ったはずだ。

 つまり、僕のことを「嫌っていない」と言う意思表示だと思う。そう思いたい。

 だってさ、僕に対して常に不機嫌面で、いつも怒りをあらわにしていた椿さんが、僕に歩み寄ってくれたんだよ?

 これは「キョウダイで仲良くしていこう」ってサインに違いない。

 僕が僕の中でそう結論付けていると、絶賛赤面中の椿さんに再度こう問われる。

「ゆうやは、私のことをどう思っているんだ?」

 うつむきつつも僕をチラチラと見てくる椿さんに、できるだけ優しい笑みを僕は浮かべた。

「僕も椿さんのこと、その、好きですよ?」

「なっ!? ゆ、ゆうやと、りょ、両思いっ!?」

 椿さんが凄く驚愕した。

 両思い? まぁ、両思いと言われればそうだよね。

「うん。僕と椿さんは両思いですね!」

 僕が言い終わるや、椿さんが震えながら僕と自分を交互に指差して、

「……わ、私とゆうやは、りょ、りょうおもい」

「――ちょっ、椿さんっ!?」


 椿さんが倒れた。


 ◆◆◆


 気絶した人間を運ぶ機会が人より多い気がするのは僕の気のせいだろうか?

 気が多い地の文だな!

 それはともかく、椿つばきさん柔らかいなぁ、首にかかる吐息がくすぐったいなぁ、良い香りがするなぁ、でも筋肉質で姫風より重いなぁ、そんなこと思ったら失礼かなぁ、と内心で呟きつつ、気絶した椿さんをどうにかおんぶして、よたよたと歩きながら、巨大な薄型液晶テレビが鎮座するパイプ椅子付近まで戻ってきた。

 パイプ椅子付近に居たピロシキ、相庭さん、ジジイ、いつの間にやら戻ってきてジジイにベッタリしているかえでさんがこちらを向く。

「お前、姐さんの姉さんになにしたんだ?」

 ピロシキの言う姐さんは姫風で、姐さんの姉さんは椿さんに相当するのかな?

「椿さんにはなにもしてないよ。家族について話をしていてる時に、突然倒れただけ」

 椿さんを背負ってよたよた歩く僕の姿を認めたピロシキが、新たに獲得してきたパイプ椅子を僕に提供してくれた。

「突然倒れるってただごとじゃねえぞ。一回検査して貰えよ。ねぇかえでさん?」

「んい?」

 傍らのジジイに首ったけな楓さんは話を聞いていなかったらしい。

 嘆息したピロシキが悪態をつく。

「ダメだこの色ボケババア」

 楓さんが手に持つ巾着から携帯電話を取り出す。

「寛貴くんに酷いこと言われたって、一葉に泣きついちゃおっと」

「やめて下さい!」

 ピロシキの「やめて下さい!」が「許して下さい!」に聞こえた。

 ピロシキとの漫才染みた掛け合いもそこそこに、他称・看護師の楓さんが首筋、手首と順に手を当てつつ、瞳を覗いてなにかを確認している。

「特になにか異常があるようには見受けられないわね。これなら大丈夫だと思う」

「そうですか」

「また気絶するようなことがあれば、一度精密検査をしてみましょう。その時は私が紹介状を書いてあげるから連絡してね」

 僕と楓さんはアドレスの交換を済ませた。

 椿さんをおんぶしてここに現れたあたりから犇々ひしひしと感じていた鋭い視線が、段々と殺気を帯び始めたので、そろそろ盆踊りの輪へ行かなくては。


 折り合いの末、気絶している椿さんを楓さんとジジイに任せた僕は、嘆息混じりに輪へと向かって歩き出した。


 間を置かずして、隣に気配を感じる。

 なぜか相庭さんが右隣に居た。

「なに?」と切れ長つり目を僕に向けてくる泣きぼくろがエロい相庭さん。

「なにって、相庭さんも盆踊りに混ざるの?」

 冷めた感じのエロい女王こと相庭さんが、みずから盆踊りに興じるとは思えない。

 その相庭さんは、長髪をいつものお団子頭にしていて、桃色地に白い百合の花を咲かせた浴衣を纏っている。

 姫風と同じく、この人はなにを着ていても栄えるなぁ。

「きみが踊るなら私も混ざらないと損でしょ?」

「どういう――」

「一々たずねないの。子供じゃないんだから、ニュアンスくらい読み取りなさい」

 理由は不明だけど怒られてしまった。

 ニュアンスを読み取ることが僕には難しいので、思考を放棄する。

「『みんなで踊って盆踊りを満喫してやるんだからね!?』ってことですか?」

 相庭さんにジッと見つめられる。……睨まれてる?

「……鈴城くんてかなり手強いわね」

 僕は一癖も二癖もある手強い自分の家族たちを思い浮かべた。

 うん。百合さんを筆頭に強敵揃いだ。

「強さで言えば、僕は鈴城家の中でまだまだ小物です」

 真面目に返答するや、相庭さんが額に手を当てて嘆息してしまった。

「……沙雪が手を焼いてる理由が解った気がするわ」

「え!? 新海さんが火傷やけど中!? いつの間に!? 大丈夫なの!?」

「沙雪の身にはなにもおきてないから安心しなさい。そして文脈から正しい日本語を読み取りなさい」

 正しい日本語? それはともかく、僕はホッとした。

 沙雪さんが火傷されてなくて本当に良かった、と。

「はぁ……」と艶やかな溜め息を漏らした相庭さんが、自身の眉間を揉み揉みしていたかと思えば、らしていた視線を僕に向けて一睨みし、

「……鈴城くんてまともに会話を成立させる気がないでしょ?」

「睨まれたうえに酷いこと言われた!!」

 人目もはばからず四つんいで項垂うなだれる僕。

「……どっちが酷いんだか」と頭の上から呆れたような声音が降ってくる。

 続いて頬をちょんちょんとつつかれた。

「ほら行くわよ」

 素っ気ない声音とともに相庭さんが手を差し伸べてくる。

 僕は手についた砂利じゃりを払いその手を――

「殺す」

 声音とともに姫風の拳が飛んできたので相庭さんを全力で引っぱる。

「きゃっ!?」と可愛らしい悲鳴をあげて僕に倒れ込んでくる相庭さん。

 今にも相庭さん殴り殺しそうな姫風を制止させるべく僕は声を張り上げた。

「ちょっと待て! 話せばわかる!」

「殺す」

「日本人どうしでなおかつ話してる言語は日本語なのに意思の疏通そつうができない!?」

「私は四分の一だけ日本人」

 あ、姫風はクウォーターだったっけ!? って、日本語通じてるし!!

「す、鈴城くん。お取り込み中のところ悪いんだけど、は、離してくれない?」

 声の主は僕の胸元。胸元?

 ぼ、僕ってば大胆にも、座り込んだ体勢のまま、倒れ込んでいる相庭さんをぎゅっと抱き締めてました。

「た、大変失礼しました!」

 パッと離すと、僕から距離を取ってさっさと立ち上がった相庭さんが、「助けてくれたのは感謝するけど、ほ、他にやり方はなかったの?」と抗議してくる。

「す、すみません。でも今それどころじゃないんです! 取り敢えずここから逃げて下さい! ――って、姫風は国府田さんを投げようとしないの!」

 今まさに相庭さんへ向かって国府田さんを槍投げばりに投げようとしていた姫風の正面へ歩み出て、僕はそれを制止させる。

「キツネ殺す。皮を剥ぐ」と繰り返し呟く無表情な姫風。

「キツネさんを殺さないの! 皮も剥がないの!」

 相庭さんが姫風から逃亡する時間を稼がなくては、と思考を巡らしていると、頭上から横槍が入る。

「こ、怖いよぅ……」

 国府田さんだ。

「か、閣下も鈴城くんも、は、話し合ってるところ悪いんだけど――」

 姫風が片手で持ち上げている国府田さんは涙目で、ガタガタと震えている。

「――ぐ、ぐらぐらして、た、高くて、こ、怖いから、そろそろ下ろして欲しいよぅ」

 国府田さんの切実な訴えを受け止めた僕は、姫風に強く注意する。

「国府田さんを投げるのはやめろ! ここを掃除する人が大変じゃないか!」

「鈴城くんが心配するのはいしだたみ!?」

 国府田さんが凄く驚愕した。

 え? 心配するところが違う?

 んー……あ、解った! 国府田さんの心配をすれば良いのか!

「国府田さんをいしだたみに投げたりしてみろ! 地面に全力で投げつけたトマトみたいになるぞ! ぐちゃって!」

「具体的に想像させるのは酷いよぅ!」

 なぜか国府田さんに怒られた。

 国府田さんを持ち上げているのとは反対の手で姫風に顔面――両頬をガシッと掴まれる。

「アイアンクローはやめれ」

「国府田を連呼し過ぎ」

「良いから手を離しぇ」

「国府田を連呼し過ぎ」

「解ったかりゃ手を離しぇ」

「軽々しく私以外に触れないで」

「無理」

 頬骨がメキメキ鳴ってる。メキメキ鳴ってるよ姫風さん?

「軽々しく私以外と目を合わせないで」

「無理」

 小学生の時に「人と話しをする時は相手の目を見て話しましょう」と担任から習わなかったのか。メキメキ「いだだだだ離せ!!」

 渾身の力を込めて姫風の掌を振り払った。

 姫風は僕に振り払われた自身の掌を見つめる。

 あれ? もしかしてショックを受けているのだろうか? だとすると謝らないとダメだよね?

「ご、ごめん。つい強く払い過ぎた」

 言うや、なぜか姫風が頬を赤く染めて僕を見つめ、うっとりしたようにこうのたまった。

「力強いゆうも魅力的」

 姫風に対する僕の攻撃は、ほぼ例外なく魅力的な行為に変換されるらしい。やっぱ頭オカシイわこの子。

 僕は嘆息しながら周囲をキョロキョロと見渡す。

 なんやかんやありながらも、相庭さんの姿は僕から離れた位置――ジジイや楓さんの居座る場所へと移動したようだ。

 よし時間稼ぎ終了。

 相庭さんが無事に逃げおおせたことを確認した僕は、

「姫風、盆踊りに行くよ」

「ゆうとならどこまでも」

 姫風を連れたって盆踊りの輪へと歩き出した瞬間、

「閣下も鈴城くんもボクをけ者にして仲直りみたいなことをしないでよぅ!」

 国府田さんの存在を完全に失念していた。


 姫風との交渉の末、泣きべそをかいていた国府田さんはどうにか中空から解放され、それと同時に化粧室と言う名のトイレへと走り去って行ってしまった。


 それはさておき、僕は姫風とともに盆踊りの輪へと突入した。

 偶然にも沙雪さんが目の前と言う好位置。

「僕は運が良いな!」

 背後に居る姫風が「私の夫であるゆうは運が良い」と言葉を投げてきたけど聞かなかったことにする。

 さてさて……輪の中に入ったは良いけど盆踊りの踊り方が解らない。

 なので、僕の前で海月くらげばりにフラフラと漂っている沙雪さんをお手本にすることにした。あとで訊いてみたんだけど、本人はこれでも真面目に踊っているらしい。

 ゆっくりと祭囃子まつりばやしのリズムに合わせて歩きながら、両手を挙げて、右左右、左右左と向け、次にその場で右に一回転して、パンと柏手を打ち、これまた歩きながら両手を下ろして体の前で開く。次はその逆をリピート。

 十回二十回と繰り返すうちに……お、出来てきた?

「姫風どう? 僕の盆踊りはさまになってる?」

 背後の姫風に首だけ向けてたずねてみる。

「様になっているかどうかなど些細ささいな問題」

「さ、ささい?」

 爛々(らんらん)と瞳を輝かせる姫風。

「私は今すぐゆうを揉みたい」

「……揉むなよ?」

「今すぐ押し倒したい」

「……押し倒すなよ?」

 ハァハァするな。熱っぽい視線を送ってくるな。

「……姫風にいた僕がバカだった」

 痴女を祓う神社やまじないみたいなものはないのだろうか。

 訥々(とつとつ)とくアホな思考をやめて盆踊りに集中することにした矢先、

「うおわっ!?」

 背後から尻を鷲掴わしづかみにされた。

「やめれ!!」

 揉むな!!

「ゆうが尻を振りながら何度も私を誘惑するのが悪い」

御託ごたくはいいから手を離せ!!」

 尻を掴まれていた感触がスッと消える。

 脱兎のごとく盆踊りの輪から抜け出して、背後をついて来る姫風を指差した。

「なんでこんな嫌がらせかばかりするんだよ!?」

 お陰で、へ、変な世界に目覚めそうだったじゃないか!

「良かれと思って」

「全然良くない!!」

 姫風が静かな口調で「ゆう落ち着いて」とのたまう。

「落ち着かせないのは姫風が原因だろっ!?」

 なにその棚上げっ!?

「私の魅力で落ち着かない?」

「ある意味そうだねっ!!」

 このやり取り何回目だよ!?

「ゆうの妻として、夫の尻感触けんこうじょうたいを確認するのは大切なこと」

「姫風は僕の妻じゃないし僕は姫風の夫でもない! だから、僕の尻を掴む必要はまったくない!」

「和訳すると『僕の尻をもっと揉め。いとしの妻・姫風』」

「和訳する必要はないし誤訳にしかなってないし姫風は僕の妻じゃないって言ってるでしょ!?」

「ゆうは『妻』と言う呼び方に抵抗があるみたいだから妥協だきょうする。これから私のことはマイスイートハニーと呼――」

「悪化してるうえに妥協してない!」

「もしくはワイフ」

「それ呼び変えただけじゃん!」

「ゆうは相変わらず頑固」

「姫風にだけは言われたくないよ……うぅ、喋りすぎたらおなかいてきた」

 腹部を押さえつつ先ほど覗いていた出店のラインナップを脳内で思い出してゆく中、姫風が素敵な助言を授けてくれる。

「ゆうの好物・焼きトウモロコシなら、屋台にて販売してた」

「マジで? 食べたいからちょっと買ってようかな」

「ついて行く」

「来なくて良いよ」

「ついて行く」

 これ押し問答になるパターンだね。

「だったら姫風だけで買ってきてくれない? 僕が行くより断然早いだろうし」

「一〇〇メートル六秒フラット」

「頼むから嘘だと言ってくれ」

 姫風なら本当に世界記録を塗り替えそうで困る。

「行ってくる」

 言うや姫風は爆発的なスピードで駆けて行ってしまった。

 いしだたみに残る姫風の足跡からはゆらゆらと白煙が立ち上っている。

「……奥歯に加速装置を仕込んでるって設定なら納得出来るんだけどなぁ」

 しかも今日に限っては木製の厚底草履なんだよなぁ、あの痴女……。

 呆然と姫風を見送っていた僕の浴衣の袖を、誰かがくいくいと引っ張った。

「優哉くん」

 振り向くと盆踊りの輪から抜け出してきた沙雪さんだった。

「新海さんどうしたの?」

「沙雪でお願いします」

 微笑ほそえみながら訂正をわれた。

「さ、沙雪さんどうしたの?」

「呼び捨てでお願いします」

 微笑みながら訂正を乞われた。

 ならばお望み通り呼び捨てさせて貰おう。

「サユキドウシタノ?」

「怖! 優哉くん怖!」

 目を吊り上げつつ感情を込めない声音でふざけてみたら、ひきつった表情の沙雪さんが僕から距離をとった。

 いつも怖がる側の僕は、誰かが怖がる姿が新鮮で、つい悪乗りを続けてしまう。

「コワクナイヨ? ヘイキダヨ?」

「こ、怖いよ優哉くん……」

 沙雪さんのビビり具合が半端ないのでふざけることをやめた。

「ごめんごめん」と平謝りする僕。

 胸をなでおろして幾分か落ち着いた沙雪さんが、唐突にこう言った。

「突然ですが、優哉くんに質問があります」

「お断りします」

「質問したい内容は――え!?  質問はダメ!? ど、どうして!?」

 戸惑う沙雪さんが可愛すぎで困る。

 苦笑する僕。

「冗談です。ダメじゃないです。質問をどぞ」

 主導権を沙雪さんに渡せども、沙雪さんは、「言おうか言うまいか」と言った感じで数秒目を泳がせて躊躇ためらいを見せたあと、意を決したように、声を裏返らせてこう告げた。

「ゆ、優哉くんは、その、好きな人とか居たり居なかったり系?」

 居たり居なかったり系ってなに?

「……え〜と」

 沙雪さんは、姫風とは別の意味で捉えどころがなくて困る。

 あ、もしかして――

「僕に好きな人が居るかどうかいてる系?」

 自分で言っておいてなんだけど「訊いてる系」ってなにさ?

 僕が問い返すと、目前で沙雪さんがあわあわし始めた。

 あわあわってどんな状態だ。『慌てふためいている』が正しい表現なのかな?

 沙雪さんが答える。

「えとえと、よ、要約すると、優哉くんの好きなタイプは何系か訊いてる訳です! ほ、ほら、梨華みたいな綺麗系とか美紀みたいな元気印系とか鈴城さんみたいな物静か系とか紫苑ちゃんみたいな歳下系とか佐竹くんみたいな男の子系とか!」

「ちょ!? なんで佐竹くんまで僕の好みにカウントしたの!?」

 あと椿さんがカウントされてないよ!? 椿さんまた空気か!!

 僕のツッコミをスルーした沙雪さんが続ける。

「そ、それで優哉くんは何系と言うかどんなタイプが好きなのかな、と……せ、世間話的な感じで訊いてるだけで決して他意はないです。他意はないですよ? 本当ですよ?」

 そうかそうか。

 てっきりなんらかの他意が含まれているのかと思ったけど、これは世間話であって他意はないのか。

 では僕も世間話的な感覚で思考しよう。

 ……ん〜僕の好き系統は和服の似合う女性ですな。

 好きなタイプは――脳内で複数の女性がチラついたけど、ぼ、僕が好きな女性は沙雪さんだ! 沙雪さんのことが好きなんだ! そう自分に言い聞かせる。

 なので、必然的に僕はこう言った。

「和服の似合う沙雪さんみたいな人がタイプですな、僕は」

 言ってから気付いた。

 沙雪さんに対して告白紛いなことをしてしまった、と。

 顔面ファイヤー状態になった僕は、反応をうかがうべく、隣の沙雪さんを恐る恐る横目で一瞥すると、

「しゅじゅきくんがわたしのことを……」

「――沙雪さんっ!?」

 立ち尽くした沙雪さんが、口からなんか吹いて放心していた。

「さ、沙雪さんっ!? 大丈夫っ!?」

 沙雪さんの両肩を揺さぶると同時に、パーーーーーーンッと轟音が響き渡り、漆黒の夜空に大輪の華が咲いた。

 間髪入れず、打ち上げ花火が次々と咲いてゆく。

 方角は「海の家」。すなわち海上側。

 山側で高台にある境内ここからのロケーションは、一瞬にして目を奪われるほどの絶景だった。

 打ち上がってゆく花火が海にえて得も言われぬグラデーションを見せてゆく。

 まるで、海に――

「――海に咲く華」

 僕が脳内で思っていたことをしれっと告げたのは、焼きトウモロコシをたずさえて戻ってきていた姫風だった。

 お早いお帰りで。

「無数に咲き誇る海面の華」

 焼きトウモロコシを受け取った僕は、姫風のげんに頷いた。

「……ほんとに、海にたくさん華が咲いてるみたいだね」

 ひっきりなしに華開く夜空の彩りに、ただただ言葉を失って、ポカーンと見上げるばかりの僕。多分今は口が開いていて間抜け面だと思う。

 放心していた沙雪さんも、盆踊りを踊っていた面々も、周囲のギャラリーも、露店の方々も、手を休めて僕と同じように花火に見入っている。

 そんな中、姫風だけは僕の横顔をガン見している。視線が痛い。

 沙雪さんを揺さぶっていた僕の両手は、いつの間にやら姫風にがされ、いつの間にやら左側にいる姫風と手を組まされ、体を寄せ合う状態にされている。

「……花火の間だけだからね」

 一応姫風に釘を指す。

「タヌキに触れていた件をそれでチャラにできると思ったら大間違い」

「うぐっ」


 墓穴を掘った瞬間、一際巨大な華が、夜空に咲き乱れた。




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