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やんやん  作者: きじねこ
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4.一触即発


「私の寿命は短いの」

 静かに、しかしはっきりと、相変わらずの無表情で、姫風がそう告白した。

 絶句する、とはこんな時に使用する言葉に違いない、と心底思った。

 告白された僕の思考はまとまらず、現状に追い付かないのだ。

 浮かんでは消えていく言葉が脳内を占めていて、吐き気すらもよおしてくる。

「み――」

 やっと口を突いて出たのは、こんなありふれた言葉だった。

「短いって、その……どれくらい?」

 姫風が応えるまでに要した時間は、三十秒もなかったかも知れない。

 けれど僕には一時間にも二時間にも感じられた。

「私の寿命は――」

 姫風は静かに応えた。


「あと百年と二ヶ月」


「長いよっ! 真面目な話かと思って心配して損したよっ!!」

 僕の心配を返せ!

「これは真面目な話。ゆうを愛すには百年程度では時間が足りない。具体的に言うと一万年と二千年足りない。八千年過ぎた頃からもっと恋しくなる予定」

「意味がわからないっ!」

「ゆうは長生きしたくない?」

「百歳越えてまで生きたいと思わないよ!」

 無表情だった姫風が微妙に破顔。クスリと笑う。

「ふふ、ゆうは相変わらず謙虚で欲のない人」

「……ありがとう」

 反論する気も失せた。

 止めていた足を動かしてアスファルトを蹴り、「海の家」に歩き出す。

 無駄に脱力したせいもあり、足取りはかなり重い。

 そこでふと気づいた。

 頭上でオレンジ色に輝いていた茜空が、いつの間にやら夜のとばりへと移り変わっていたことに。

「そろそろ今日も閉店か」

 携帯電話の液晶ディスプレイに表示されている時間は《18:35》だった。

 遠方に捉えた「海の家」では、ラストオーダーの時間を迎えている頃合いだ。

「ゆう」

 警戒しつつ姫風へ振り替える。

「……なに?」

「好き」

 少しドキッとした。

 今までなら姫風の「好き」などなんとも思わなかったのに。

 自分の変化に戸惑いつつ、それをさとられたくなくて、姫風に対して素っ気なく対応する。

「……あっそ」

「ゆう」

 今度はなんだろう。

「……なに?」

「毒殺して防腐処理エンバーミングして自室に飾っておきたいくらい好き」

「例えが怖いわっ!!」

 アプローチの仕方が間違ってる!

 そもそもそれを愛の告白だと勘違いできる姫風の思考に恐怖・身震いした。

 戦慄せんりつする僕を無視して姫風が続ける。

剥製はくせいは嫌い?」

 死後処理の好みをかれても困る!

「一度病院に行け!」

「まだ妊娠してない」

「産婦人科じゃなくて脳外科っ! 一度脳の精密検査を受けてこいっ!!」

 ふふ、と姫風が笑う。

「面白い冗談」

「本音だよっ!! 病院行けよっ!! 毒殺とかエンバーなんたらとか妊娠とか普通の高校生には関係ない単語だよっ!!」

 姫風が静かな口調で「ゆう落ち着いて」とのたまう。

「落ち着いかせないのは姫風が原因だろっ!?」

 なにその棚上げっ!?

「私の魅力で落ち着かない?」

「ある意味そうだねっ!!」

 もうヤケクソだ。

「あ、一つ訂正」

「……なにを?」

 姫風が僕に向けて人差し指を突き出す。

「そもそも妊娠は身近な単語」

「どこがだよっ!?」

「想像妊娠なら毎日可能」

「意味が解らないっ!!」

「毎日一人ずつゆうの子供を想像出産」

「もぉやだっ!!」

 痴女ひめかによる精神汚染マインドレイプは尽きない。


 ◆◆◆


 翌日。つまりは八月十九日。バイトは二十九日目に突入。残すところ、今日を含めてあと二日。

 段階を経た姫風の水着が、紐のようなブラとキレのあるTバックから全裸に変わりそうだったので必死になだめた日でもある。頼むから誰か僕に変わって姫風を止めてくれ。


 バイトを終えて夕食を叔母別荘宅でご馳走になりつつ、各々思い思いの場所で時間を潰したり、国府田さんを潰したりしてゆったりとしていた午後九時四十分頃のこと。

 男性陣は三階の一室に固まりながら、寝そべりつつ、ジジイの語る豆知識に耳を傾けていた。

 その最中、佐竹くんがこう切り出した。

「――あ、そろそろ鈴城嬢も風呂に入ってこいよ」

 ちなみに今は女性陣の入浴タイムだったりする。

「いや、昨日も一昨日も一週間前もバイト初日も説明したけど、僕、男だから」

 佐竹くんが苦笑しながら短髪をかきあげる。

「バカ言うな」

「「お前がバカ言うな」」

 灰田くんとピロシキがツッコンだ。

 ツッコミもなんのそのと言った感じで、佐竹くんはさわやかな笑顔(本人談)を僕に向ける。

「鈴城嬢が恥ずかしいだろうから、俺は今日も一緒に入らないよ。お前らも鈴城嬢とは入るなよ?」

 佐竹くんは紳士度をアピールしつつ、男性陣がこもる一室から退室して行った。

「……あやつは本気でお主を女と見ている気がするのは、わしの気のせいか?」

「……気のせいだと思いたいよ」

 僕とジジイは顔を付き合わせて同時に嘆息する。

「二学期からのプールの授業はどうするつもりなんだ佐竹のやつ」

 僕の傍らに寝そべるピロシキがあごで指してきた。

「僕に訊かれても困るよ!」

佐竹かれしの思惑くらい周知しとけよ」

「だ、誰が誰の彼氏だ!」

 話の内容に興味をなくしたのか、立ち上がったピロシキが、「ヤニ吸ってくる」と部屋から出て行ってしまう。

「あの気分屋め!」とピロシキの後ろ姿に悪態をつく僕。

「……そうかのぉ?」

 苦笑するジジイ。

「そうだよ! 僕をおちょくって楽しんで! 飽きたらいつも話をぶった切るんだピロシキは!」

 ただただ苦笑するジジイ。

「……なんだよジジイ。ピロシキの態度になにか知ってることでもあるの?」

「わしはなにも知らんよ?」

 これは問いただしてもはぐらかされるパターンだね。

「まぁ、良いや。そろそろ女性陣は風呂から出る頃かな?」

「ボクがまだだよぅ!?」

 姫風の策略により、隅っこで布団に押し潰されていた国府田さんが、布団の下から這い出てくる。

「あ、ボク田さんがまだだったか」

「ボク田じゃないよぅ! 国府田だよぅ!」

 ボク田さんこと国府田さんがわめくのでうたた寝していた妹尾くんが目をましたけど、話に絡んでこないので会話内容は省略された。

 さっさと部屋を出ていくかと思いきや、国府田さんが僕の傍らにまで寄って居座り始める。

「ボク思ったんだけどさ」

「国府田さんはなにも思わなくて良いよ?」

「鈴城くんに滅茶苦茶爽やかな笑顔であっさりと酷いこと言われたよぅ!?」

 国府田さんが凄く驚いた。

「それでなに? 国府田?さん」

「なんでボクの苗字に疑問符が付くの!? 酷いよぅ!! ボクの話を聞いてよぅ!!」

 ここに残るジジイ、灰田くん、妹尾くんを見回して「やれやれ、国府田さんは困ったやつだ」って顔をする僕。

「ボクに非がないのに『やれやれ、国府田さんは困ったやつだ』って顔しないでよぅ!!」

 見抜かれた。

 さっきの佐竹くんとの会話を盗み聞きしていただろう国府田さんが、僕をいぶかしむ感じで眺めてくる。

「そもそも鈴城くんはホントに男の子なの?」

「え、ここでパンツ脱ぐの?」

「脱いじゃだめだよぅ!!」

「ではわしが」とジジイが立ち上がり履いていたハーフパンツに手をかける。

「いや俺が」と灰田くんが立ち上がり履いていたジーパンに手をかける。

「いやいや僕が」と僕も立ち上がり履いていたジーパンに手をかける。

 乗り遅れた妹尾くんも急いで立ち上がり履いていた短パンに手をかける。

 僕らの行動に「じょ、冗談だよね?」と引きつる国府田さん。

 カチカチ言わせながらベルトを外し始める僕ら。

「や、やややややめてよぅ!! ボクそんなつもりじゃないよぅ!!」

 国府田さんが室内から脱兎の如く退場した。


 ◆◆◆


 叔母さん別荘宅は別荘と言うだけに風呂場も広い。

 男性陣が余裕で一度に十人も入れる規模なのだ。

 そんな湯船に体を洗い終えた、僕、ジジイ、灰田くん、妹尾くんが四人で浸かっていた。

 毎度女性陣が入り終えた湯船なので気分はちょっと桃色だ。


「あ〜……気持ち良いな」と一同の感想を代弁する灰田くん。

「ん? 今のなんだ?」

 そんな灰田くんに、バイト初日から必死に隠していた僕の秘密が、とうとう露呈してしまった。

「鈴城乳毛長!」

「抜くなよ。絶対抜くなよ。一年物なんだから、抜いたら……殺すよ?」

「こいつ殺人鬼の目だ!」

 乳首の真下――乳輪に生えた六センチの毛を守護する僕。

 殺人鬼の目をしているらしい僕から距離を取る一同。

 仕切り直すように僕は言う。

「ま、そんなことは排水溝に流すとして」

「乳毛をか」とすかさず灰田くん。

「こいつ殺人鬼の目だ!」

 殺人鬼の目をしているらしい僕から更に距離を取る一同。

「……排水溝に流すとして」

「鈴城排水溝好きだな」と灰田くんが呟いたが、僕はそれをスルーしてジジイに問いかける。

「今更こんなこと訊くのも変なんだけどさ、バイトに来て良かったの?」

「要領を得んが、もしかすると、お主はわしがすっぽかした家業の手伝いをおもんぱかっておるのか?」

 僕は首肯する。

「理解が早くて助かるよ。去年単車の免許を誘った時に断られたこともあって、今年はバイトへ強引に誘い過ぎたかなって思っててさ」

「そんなことを心配しておったのか」

 真面目に話していると急に気恥ずかしくなってきて、ジジイの視線から逃れるようにそっぽを向いた僕は、「ん、まあね」と受け答えた。

「例え強引に誘われたとしても、本当に嫌ならばここにはらんぞ、わしは」

「そっか」

 ジジイが角刈り頭をボリボリとく。

「今じゃから言うが、実はのぉ、最初はバイトを断ろうと思っておったんじゃ。しかし、祖父母や両親に反対されてのぉ」

「え、と言うことは?」

「ご明察通り、わしは説得されてここに来たんじゃ」

 ご明察ではなかった。

「え〜と、ごめん。意味がわからない」

 ジジイの実家は農家だ。夏でも作物に対して手をかけなければならないことが盛り沢山のはず。

 ましてやジジイは長男で家業を継ぐ担い手。祖父母や両親に今夏は家業を手伝わなくて良いと言われる理由が理解できない。

「もしかして、僕のせいで家族と揉めたとか? 喧嘩しちゃったとか?」

 だとしたらヤバイ。あとで頭を下げに行かなきゃ……。

「逆じゃ」

「逆?」

「『お前は今まで休暇と言う休暇を家業に捧げてきた。来年には受験を控えておるし、今年くらいは羽を伸ばしてこい』と家長の爺さんに言われてのぉ」

 ジジイのジジイに言われたのか。

「それとな、今や我が家でお主は人気者じゃ」

「な、なんで人気者なのさ?」

「この歳まで、わしは家業に追われて遊びに行くと言う行為を殆どしてこなかったが、お主とつるみ始めた去年から、遊びに行く回数が増えた」

「寂しいやつめ!」

 場の雰囲気に耐えられなくなり僕はツッコミを入れたけど、ジジイが「茶化すな」と苦笑する。

「恥ずかしい話じゃが、家族から見れば、最近のわしは生き生きしておるらしい」

「つまり?」

「わしに良い変化をもたらしておると言ったところじゃのぉ」

 これはもしかして褒められてる?

「ほ、褒められても、別に嬉しくないんだからねっ!?」

「湯船の中で立ち上がって粗品を見せつけながらわしにツンデレしてどうする?」

「粗品言うな!」

 股間を隠しながら湯船に沈む僕。

おおとりからすれば俺たちのは粗品だよな」

 灰田くんと妹尾くんが頷き合う。

「……最悪だ」

 どんよりした声音とともに、スライド式となっている風呂場のドアをガラガラガラッと開けて、ピロシキが姿を現した。

「まあ確かにピロシキの人生は最悪だよね」

 僕を無視したピロシキがドアを閉め、シャワー前の椅子に腰掛けて、コックを捻り、水浴びを始める。

「スルーされることほど虚しいものはないのぉ。特に嫌味は」

 ジジイがニヤニヤしながら僕を眺めた。

 先ほどのこともあり、ピロシキに対して、ぐぬぬぬぬぬぬっと内心で歯噛みする僕。

「優哉、朗報だ」

 ピロシキが後頭部で縛っていた髪をほどき、シャンプーを付けてワシャワシャしながら、こちらを向かずに僕へ呼び掛ける。

「朗報? なにさっ!?」

「なにキレてんだお前」

 シャワーで頭髪のワシャワシャを流しながら、至って冷静にピロシキから返される。

「それはさっき――」

「んなことよりも朗報だ」

「――ピロシキがって朗報?」

一姉かずねえが明日ここに来る。あとピロシキ言うな」

 ……は?

「僕の聞き間違えじゃなければ、今、一葉かずはさんがここに来るって言った? そんな訳ないよね。ね?」

「鈴城必死だな!」

「必死で悪いか!」

 灰田くんを睨視していたら、隣のジジイに肩をポンポンと叩かれた。

「誰彼構わずキレるでない」

「足が三本ある人は黙ってろ!」

「足が三本?」とジジイが自分の下半身を確認する。

 体を洗い終えたピロシキが「足っつ〜か山だろ」と呟きながら、湯船に着水。

 ジジイが僕に背を向けた。

 どうやら、第三の足を死角に入れたかったようだ。

「……人のナニを足だの山だのと失礼なやつらじゃのぉ」

 僕と顔を見合わせたピロシキが、同時にジジイへ振り向く。

「気にするな。オレサマのは、ただのひがみだ」

「僕のは、ただの嫉妬しっとね」

「なおさらたちが悪いわ!」

 声を張るジジイを後目しりめに、「そろそろ出るか」と苦笑混じりの灰田くん。

「だね」と頷き浴槽よくそうから立ち上がる僕。

 ジジイ、灰田くん、妹尾くんも浴槽から立ち上がる。

「なんだよお前らもう出るのかよ? 付き合いわりいな」

「わしらは二十分ほどまえにここへ来たからのぉ」

 これ以上湯船に浸かっていたたら、逆上のぼせた挙げ句、けて脳震盪のうしんとうを起こしかねないので、湯船の端に居た妹尾くんから順に、灰田くん、僕、ジジイと洗い場へ出る。

 その最中、僕の目の前で灰田くんが足をすべらせた。

 体勢をたもとうとした灰田くんが「うおあっ!?」と悲鳴をあげながら僕に抱きつき、抱きつかれた僕も「うわっ!?」と叫びながら体勢を崩して洗い場のタイルの上で、灰田くんと一緒に尻餅をつく。

 尻が痛い。ジンジンする。

 時を同じくして、ガラガラガラッとスライド式のドアが開いた。

 とうとう僕と風呂に入ることを拒み続けた佐竹くんが来たのかな、と全員がドアを見やると、そこに居たのは――無言で仁王立ちしている姫風だった。

「芸術的なM字開脚に賛美」

 姫風が僕を見下ろしながらパチパチと拍手する。

「芸術的なM字開脚? うわっ!!」

 開いていた両足を閉じて急いで股間を両手で隠す。

「サービスシーン終了?」

 無表情で姫風が首を傾げる。

「サービスシーンでもなんでもないよっ!! ここから出ていきなさいっ!!」

視姦しかんしに来た妻に対して酷い言いぐさ

「しか――早く出てけっ!!」

「まさか尻穴まで見れるとは思わなかった」

「尻あ――出てけぇっ!!」

 悲鳴を上げた僕は、片手で股間を隠しつつ、姫風を風呂場の外へ押し出して、どうにかドアを閉める。

 間髪入れずジジイが言う。

「閉めた矢先に悪いんじゃが、ここは袋小路じゃ」

「逃げ場がないっ!?」


 袋のマウスだった。


 ◆◆◆


 文字通り風呂場で恥部を晒した僕は、姫風を警戒しつつ、泣きながら風呂場を脱出し、着替えを済ませて、ジジイ、ピロシキとともに、三階の寝所兼拠点室へと移動した。


 敷き終えた布団の上に転がりながら、目を細めて半眼になったピロシキが、僕に強い口調でこう告げる。

「いい加減泣きめ」

「無理だよ!」

 全裸でM字開脚だよ!?

「お前ウザいんだよ」

「僕の身になってみてよ!」

「バカか。オレサマには関係ねえだろ。いいから泣き止め」

 まだ言うか!

「それ以上僕になにか言ってみろ! 寝ている間に裸にしてここから海へ投げ捨ててやる!」

「やめろよっ!?」

 上から目線プラス命令口調から一変、焦燥したようなピロシキが裏返り気味に言った。

 それをどう受け取ったのか、隣で立原透耶のひとり百物語に目を通していたジジイが、「ふむ」と頷く。

「寛貴よ、強気にいくのか弱気にいくのかそろそろ固定してくれんか?」

「弱気にもなるだろ!?」とピロシキがキレた。

「実際に父親を海へ投げた捨てたやつがオレサマに向かって『海へ投げ捨てる』宣言してんだぞ!?」

 自分のことは棚上げか! ピロシキだって佐竹くんを海へ落としたじゃないか! あと加齢臭を投げ捨てたことを誰から聞いたのさ?

 僕はピロシキを睨み付ける。

「で、最後に言い残すことは?」

「なんだその遺言を促す発言は?」

「いやだから明日ピロシキは瀬戸内海に浮いてる予定だから――」

「お前マジで三階ここからオレサマを投げ捨てる気だろっ!? あとピロシキ言うな!」

「え?」

「『なにを今更』みたいな顔すんな!!」

「落ち着け寛貴」とジジイ。

「激昂し過ぎると脳溢血のういっけつで倒れるぞ」

「オレサマは脳溢血になるほど歳喰ってねえよ!!」

 本を閉じたジジイが「どうどう」とピロシキをいさめる。

 その傍らに立ち上がり僕は言う。

「脳溢血になるほど歳を喰ってないピロシキくん。投げ捨てる前に一ついておきたいことがあるんだけど良い?」

「お前キャラ変わってんぞ。あとピロシキ言うな」

「投げ捨てる前に一つ訊いておきたいことがあるんだけど良い?」

「あくまでそれで通すのか。……なんだよ訊きたいことって」

一葉かずはさんのことだよ」

「姉ちゃんがどうした。年貢でも収める気か」

「それだけは勘弁して下さい」

「優哉が土下座したっ!?」

 ジジイが凄く驚愕した。

他人ひとの姉ちゃんに酷い言いぐさだな」とピロシキ。

 僕は続ける。

「ならピロシキが一葉さんと他人だった場合」

「恐ろしい例えを言うな。あとピロシキ言うな」

 恐ろしい例えを僕は続ける。

「一葉さんから結婚してくれって頼まれたらどうする?」

「それだけは勘弁して下さい」

「寛貴が土下座したっ!?」

 ジジイが凄く驚愕した。

「自分の姉に酷い言い種だねピロシキ」

「誰もあんな化物ばけものと結婚なんかしたくねえだろ。あとピロシキ言うな」

 ピロシキの姉・一葉さんはとても怖い職業の人な上に、肉体的、精神的にも強靭を誇るお方なのだ。

 姫風並に遭遇したくない人物の一人を思い浮かべて、僕は身震いした。

「一葉さんが明日、ここに来るって言ったけど、どうにか来て貰わないようにできないかな?」

「無理無理。俺に姉ちゃんをどうにかできるなら既にやってるし」

「だったら双葉ふたばさんは? 双葉さんなら一葉さんの言うことを聞いてくれるはずだよね?」

 双葉さんはピロシキの姉であり、一葉さんの妹にあたる人だ。坂本家ヒエラルキーで頂点に君臨する物静かな大学生でもある。

双姉ふたねえは今、スカンジナビアだ」

「スカ……なんだって?」

「スカンジナビア。NPOでバイト中。なんでも日本語を教えに行ってるとか……俺もあの人だけはよく解んねえんだ」

 一葉さんを止める手立てはついえた。

 ピロシキが顔をひきつらせながら続ける。

「ま、明日は一姉かずねえのお守りを頼む」

「……お腹痛くなってきた」

「……奇遇だな。俺も姉ちゃんから電話がかかってきて以来胃が痛いぞ」

 微妙に同情し合う僕らを見つめながら、ジジイが他人事ひとごとのように言う。

「お主らは大変だな」

「お前もだろ祐介ゆうすけ。姉ちゃんと一緒にかえでさんも来るし」

 ピロシキが言うや、ジジイが僕とピロシキの視線を窓に誘導する。

 窓の向こうは断崖絶壁。つまり落下したら海へ真っ逆さま。

「……寛貴、四〇メートルの高さを体感できる飛び込みは、好きか?」

「大嫌いだっ!!」


 どうやら明日ジジイにも、突っついて欲しくない人物が来るらしい。


 ◆◆◆


 時は翌日の八月二十日。バイトは三十日目に突入。残すところ、今日を含めてあと一日。つまりは本日がバイトの最終日。

 現在はその日の早朝。体感で恐らく午前四時〜五時。

 時間が確認できない僕は、布団の中で、ただただ困惑していた。

「しぃ可愛いよ。お兄ちゃんはしぃをお嫁さんにしたいよ。しぃ可愛いよ」

 先ほどから耳元で紫苑しぃちゃんの囁きが聴こえてきているのだ。

「お兄ちゃんはしぃにキスしたくなる。お兄ちゃんはしぃにキスしたくなる。お兄ちゃんはしぃにキス以上し――」

 これは血筋なのか冗談なのか、判断に迷う。冗談なら放置しても構わないけど、血筋ならやめさせた方が良いよね。

「お兄ちゃんはしぃを押し倒して――」

「おはようしぃちゃん」

「あ、おはようお兄ちゃん」

 僕は目をこすりながら身を起こす演技をした。

 しぃちゃんは何事もなかったかのように笑顔で僕に抱き付く。

「お兄ちゃんはしぃのことお嫁さんにしたくなった?」

「この子真性だっ!!」

 しぃちゃんのホールドをいた僕は、急いで飛び退き、ピロシキの上に正座で着地。

「ぐぉっ!?」

「助けてピロえもん!」

「降りろ!! 他人ひとの上に正座で乗っかって見下ろしてんじゃねえっ!!」

 ピロシキの上からゆっくり降りた。

「助けてピロえもん!」

「助けをう前にまずオレサマに謝ろうか」

 嘆息する僕。

「ピロえもんは役に立たないな〜」

 ピロシキが勢いよく立ち上がり拳を固める。

「テメエ半殺しだっ! 歯ぁ食いしばれっ!!」

「来いやぁっ!!」

 僕も勢いよく立ち上がりファイティングポーズをとった。

 しいちゃんが間に割って入る。

「暴力はダメだよお兄ちゃん」

 しぃちゃんにいさめられたので、僕はあっさりとファイティングポーズをく。

「命拾いしたな、ピロえもん」

「勝手に喧嘩吹っ掛けて勝手にやめてんじゃねえよカス!」

 しぃちゃんがピロシキの真下へ移動して口を開いた。

「ピロえもんお兄ちゃんも喧嘩はダメだよ?」

「そのネーミングはやめてくれ」

 しぃちゃんのたしなめにピロシキが激しく落胆した。

「……朝から元気じゃのぉ」とジジイが首を鳴らしながら、潜っていた布団から顔を出す。

「いつものことだよ。気にしないで」

 そつなくジジイに返すと「……嫌な日常風景だな」とピロシキから苦言が来た。

「お兄ちゃんこっちに来て」と僕がさっきまで寝ていた布団にいつの間にやら移動したしぃちゃんが、横座りをしつつ、小さな掌で僕を手招きする。

 招かれた僕はしぃちゃんの隣に腰かけた。

「なにかな?」

「しぃをね、お兄ちゃんのお嫁さんに――」

「しぃちゃんストップ!」

 ピロシキにジジイ! 僕を白い目で見るのはやめて!

 誰だしぃちゃんに変なことを吹き込んだヤツは!

 しぃちゃんは今まで「お嫁さん」とか口走るような子じゃなかったよ! 誰かが裏で糸を引いているに違いない!

「それ誰に言えって言われたのかな?」

「昨日お風呂で未紀みきお姉ちゃんに言われたんだよ」

 未紀? あ、国府田こうださんか。あとで事情聴取だね。

「『面白いことが起きるから言ってみたら良いよぅ』って。そのあと未紀お姉ちゃんは姫風ひぃちゃんに秘孔ひこうを突かれて大変だったけど」

 国府田さんの頭上には死兆星が輝いていたんだね。

「それで、面白いことは起きたかな?」

 子犬が毛に含んだ水分をプルプルと飛ばすように、しぃちゃんがツインテールをプルプルと左右に揺らした。

「まだ起きてないから試してる最中だよお兄ちゃん」

 しぃちゃんが満面の笑顔で続ける。

「続きをしても良い?」

「よしめようか」


 しぃちゃんがんでなくてホッとした。


 ◆◆◆


 目覚まし時計を眺めると午前五時を示していた。朝のラジオ体操までまだ一時間もある。一時間もある! 眠いよぉ!


 しぃちゃんをどうにかなだめ終えた矢先、ジジイが「ときに優哉」と次の話題を運んできた。

「なに?」

 優哉こと僕は、眠たそうなしぃちゃんを僕が寝ていた布団に横たえる。

「お主に姉はおるか?」

「姉?」と僕は首をかしげる。

「義理でなら椿さんと姫風がいるけど」

「いや、義理でなく血を分けた姉じゃ」

 血を分けた姉? と僕は首を傾げつつ、思考しながら答える。

「一応いるよ」

 三歳の(みぎり)に、離婚した母親の連れ子となって、離ればなれになった姉ならいる(加齢臭談)。それ以来再開していないので、皮肉なことに、母親と姉の顔が僕の記憶にはない。

「それがどうかしたの?」

 ジジイが「ふむ」と頷く。

「その姉とお主は容姿が似ておるか?」

 加齢臭曰く、姉は母親似。そして僕も母親似。つまり僕と姉はそっくりだそうだ。

「親父はそっくりだって言ってた」

 ピロシキが眉根を上げて疑問顔になる。

「『言ってた』? なんで過去形なんだよ」

 幼い頃から「鈴木家」では、母親と姉の話をしてはいけない、と暗黙のルールと言うか、そんな雰囲気が出来上がっていたのだ。

 答えにくい質問に、僕は額をいた。

「うちも色々と複雑なんだよ」

「ふ〜ん」と呟き、ピロシキは珍しく追及してこなかった。

「そんで僕に姉が居たらなんだって言うのさ?」

「昨日じゃが」とジジイ。

「焼きそばを売っていたら、お主によく似た女が横切って行ってな。わしと寛貴は一瞬お主と見間違えたんじゃ」

 僕に似た女の人?

「お前が女に生まれていたらこんな感じだったんだろうなって思わせる容姿だったな」

 あ〜だから「姉は居るのか?」と問われたのか。

 その人は万が一にも姉じゃないだろうね。それはさておき。

「へ〜。どれだけ似てるんだろう?」


 その人にちょっと会ってみたかったなぁ、と思った僕を説教したくなるイベントが、この数日後に起きるとは、この時の僕に、予想できるはずもなかった。


 ◆◆◆


 三階にあるお兄ちゃんの寝室部屋から抜け出した紫苑しぃは、姫風ひぃちゃんと椿つぅちゃんが寝室として使用している二階へやってきました。


姫風ひぃちゃん、もぉ起きてる?」

 ドアを開けて入室すると、ひぃちゃんは既に起きていて、布団に転がったまま、広辞苑並に分厚い本を黙読していました。

 傍らには同様の本が十数冊積まれていて、つぅちゃんがその下で潰れてます。

 つ、つぅちゃん、大丈夫?

「ゆう、起きた?」

 本に埋もれているつぅちゃんからひぃちゃんに視線を移します。

「うん、起きたよ。それでね? お姉ちゃんの話をしてたよ?」

 ミミズみたいな文字で書かれている文章の本に視線を落としたまま、ひぃちゃんが「そう」と相槌をくれました。

 足元からつぅちゃんの声が聞こえてきます。

「ゆうやの姉? 私かな? 姫風かな?」

「うくっ……体が重い」と嘆きながら、つぅちゃんが分厚い本の山からどうにか抜け出してきました。

「二人と違うみたい。お兄ちゃんの本当のお姉さんの話だったよ」

「肉親か。新キャラかい?」

「……それ黒に近いグレーのネタだよつぅちゃん」

 つぅちゃんがフッとキザに微笑み、肩をすくめて見せます。

「姫風が騒がないところを見ると、前からこの情報は知っていた様子だね」

 つぅちゃんが「どうなんだい姫風?」と問うと――

「ゆうのことなら全て熟知済み」

 お兄ちゃん以上にお兄ちゃんのことを知っていそうなひぃちゃんが、そう発言しました。

 丁度その時、一瞬の間隙かんげきうように、目覚まし時計が鳴ります。

 時刻は五時半みたいです。

 しぃたち三姉妹は、パジャマから夏服に着替えを済ませて、各自水着を手に取りました。

「ゆうが来る」

 訂正です。

 ひぃちゃんはパジャマから全裸になり、室内のドア前で、腕を組んで仁王立ちを始めました。


 ◆◆◆


 姫風の水着は段階を経た結果、昨日は紐(ブラジリアン水着?)だった。今日は恐らく全裸に近いビキニに違いない。

 そんな物を着られていたら、鈴城優哉ぼく羞恥しゅうちで倒れてしまうので、「海の家」へ行く前に、姫風に忠告しなければ。

 そう思い立ち、五時四十分頃、姫風と椿さんと紫苑しぃちゃんの寝室となっている、鈴城三姉妹居室に僕はやって来た。

 コンコンとノックすると、姫風の「ゆうが来た」発言。

 いつの間にやら僕らの寝室から消えていたしぃちゃんの「姫風ひぃちゃんはなんでノックだけでお兄ちゃんって判別できるの?」と言う声も聞こえてくる。

 しぃちゃん。貴女のお姉さんは異常者なんです。

 僕は嘆息しつつ、「入るよ」とドアを開けて室内へ踏み込むと、生まれたままの姿でこちらを見つめてくる姫風と目が合った。

「なんで全裸で仁王立ちなんだよっ!? なんで全裸で仁王立ちなんだよっ!?」

 乳首とアンダーが丸見えな姫風から背を向けてしゃがみ込み、頭を抱えて「姫風バカじゃねえのっ!? 姫風バカじゃねえのっ!?」と僕は繰り返す。

「意表を突いてみた」

「全力で突かれたよっ!!」

 早朝から絶叫してごめんなさい!!

 背後のしぃちゃんが冷静な声音こわねで言う。

「ひぃちゃん、そろそろ服を着ないと風邪をひいちゃうよ?」

「ゆうを喜ばせる為だから問題ない」

 しぃちゃん。貴女のお姉さんは痴女なんです。

「お兄ちゃんを喜ばせる……お兄ちゃんはひぃちゃんの全裸が嬉しいの?」

「んな訳ないからっ!!」

「※ゆうはシャイ」

「ここで注釈ちゅうしゃくを入れるな!!」

「と言うことは、しぃの裸も……見たいの?」

「今の『と言うことは』の使い方は間違ってるからねっ!?」

「これは私も脱ぐ流れか?」

「椿さんは黙っててっ!!」

 気づけば正面に姫風が居た。

「ゆう、私をよく見て」

「ぜ、全裸のまま前に来るな!!」

「ありのままを受け止めて」

「ありのまま過ぎるよ!! ちょうわバカやめ抱き付いてくるな服を着ろ誰か助けてっ!!」


 ※ 鈴城姉妹の取り扱いは、用法用量を正しく守り、適切に使用して下さい。


 ◆◆◆


 痴女と一悶着終えてその痴女から逃げ出した鼻ティッシュ男こと僕は、疲労困憊を背負いつつ歯磨き&洗顔を済ませて、ラジオ体操の場となっているリビングへやってきた。

 見渡すと、リビングには既に、鈴城三姉妹と国府田さんを除いた面子が揃っていた。

 なにをするともなしにボーと突っ立っていた僕の隣へ、茶髪スレンダーポニーテールの天使こと新海沙雪しんかいさゆきさんが、タートルネックTシャツ&ハーフパンツ姿で出現する。

「ゆ、優哉くんおはよう」

「おはようさんです、さ、沙雪さん」

 呼称を名字から名前に変更して数日経過したけど、未だに慣れない僕と沙雪さん。

「んい! 『さん』は要らないです!」

「あ、うん。おはようさんです、さ、沙雪」

「えへへ」と沙雪さんが満面の笑みになり、続けて言う。

「な、名前で呼び合うのって意外とテレちゃうね」

「うん。でも良いよね名前で呼び合うって」

 呼び合いながら互いにテレる僕らを、沙雪さんの隣に居た相庭あいばさんが揶揄やゆする。

「ラブフイールドを展開するのは良いけど、鈴城くんは鼻をどうしたの?」

 相庭さんにちょんちょんと鼻をつつかれる。

「らぶふぃ、あれ? ホントだ。鼻にティッシュ詰めてるけどゆう――鈴城くん、鼻血でも出たの? それとも花粉症?」

 人前では僕の呼称が鈴城に戻る沙雪さん。素で気づいてなかったんかい。

「……色々あって鼻血が吹き出ました」

 ※危うく出血多量で死にかけるところでした。

「色々って?」

 ち、乳首とか。

「秘密です!」

 言えない。脳内を全裸の姫風――特に乳首とアンダー――がチラついて鼻血どころか下半身が大変なことになってるなんて言えない。

 更に追及してこようとした沙雪さんに対して、僕が答えるよりも先になぜか相庭さんが答える。

「きっと鈴城くんは毎朝鼻血を出す趣味があるのよ」

「んい? 鈴城くんてマゾ?」

「違うよっ!?」

 沙雪さんの妙な誤解を解こうとした瞬間――

閣下かっかやめてよぅ!」

 そんな声音とともに、姫風に抱えられた国府田こうださんが、M字開脚させられながらリビングへ登場を果たした。

「ボクもうお嫁に行けないよぅ!」

 M字田さんが顔を覆ってメソメソ泣いている。

「ちょ、姫風! えむじゲフン国府田さんになにやってんの! 速く下ろしてあげなさい!」

 言いながら僕はM字田さんから顔をそむける。

「罪には罰を。ゆうには愛を」

「朝から迷言吐くな!」

「紫苑にまた妙なことを吹き込んでいた罰」

「股を裂いてやれ」

「優哉くん!?」

 一転した僕に沙雪さんが凄く驚愕した。

 そこへ、なごやかな声音とともに、叔母さんが乱入。「注目」とばかりに手を打ち鳴らす。

「はい、みんなおはよう。揃ったわね? 早速ラストのラジオ体操をやるわよ!」

 みんな「おはようございます」と返して叔母さんに向き直る。叔母さん、百合さん、加齢臭は姫風にノータッチ。

 見て見ぬフリとか腐ってるな。

 登場してからずっと国府田さんはメソメソ泣いている。

 段々いたたまれなくなってきた僕は、ラジオ体操をしながら、両手を大きく横に振る運動の掛け声とともに国府田さんの両足を開いたり閉じたりしている姫風に言う。

「姫風、国府田さんを放してあげて」

「命令?」

「命令じゃなくて。お願い。目のやり場に困るし」

 姫風が国府田さんを抱えていた手をパッと放すと、ドサッと国府田さんがフローリングに落下した。

「いっ! うぅ、痛いよぅ」

 打ち付けた臀部でんぶさすりながら、国府田さんは泣いている。

国府田これで目のやり場に困るのは許さない。目のやり場に困るのは私にだけ」

「うん。まずは国府田さんに謝ろうか」


 姫風自体は異常だけど、その行動原理には、常に一貫した理由がある。

 良いか悪いかは別として。


 ◆◆◆


 時刻は午前七時半。

 ラジオ体操&朝食が終了すると、『「海の家」へ移動と』言う流れになる。

 営業時間は午前十時から午後七時までなので。開店まで「海の家」内部で品物の下拵したごしらえ、点検等をする。

 三十日目ともなると、それらも即終了するので、午前九時から午前十時までの一時間は、暇な時間帯となっている。

 んで、その暇な時間帯に僕がなにをしているかと言うと――

「ボクはやるよぅ!」

「やめた方が良いって」

「止めたってダメだよぅ!」

「姫風になにかしても無駄だってば」

 いきどおる国府田さんをなだめていた。


 暇潰しを兼ねた姫風の苛めから逃げ回っていた国府田さんに呼び出された僕は、叔母さん別荘宅で身をひそめていた国府田さんと落ち合い、上記のやり取りを行っている。


「閣下に!」

「あ、国府田さん!」

 国府田さんが僕の制止を振り切り走り出す。

「ちょっ、僕を呼び出した理由はいったいなんだったのっ!?」

「閣下にやられっぱなしじゃないところを――見せてやるよぅ!」

 姫風を自然と閣下名称で呼んでいる国府田さんに死亡フラグが見えた。


 猛然と突っ走る国府田さんのあとを僕は追う。

 バイト開始まで暇だしね。

 疾走していた国府田さんが「海の家」入り口前でピタリと止まり、室内へ入らず、そこからちょこちょこと後ろに下がって、外壁にベチャリと張り付いた。

 要するに室内から死角になる曲がり角で、閣下こと姫風を待ち伏せするようだ。

 僕も国府田さんのはるか後方に張り付き、それとなくことの成り行きをうかがうことにする。

 国府田さんが二秒に一回くらい曲がり角の向こう側をチラチラと確認し始めた。

 国府田さん確認自重。このままだとバレるよあれ。

 ともすれば国府田さんの体が小刻みに揺れ始めた。

 縦揺れ横揺れミックス小刻み。恐怖か緊張だろうけど、ごめん、凄いウケる。

 今か今かと小刻みに痙攣しながら姫風を待ち構えていた国府田さんの動きが、ピタリと止まった。

 ここからでは見えないけれど、向こうから姫風が来たようだ。

 あ、不味い!

 止まったと思った国府田さんの痙攣が、さきほどより激しくなってる。ヘッドバンキングしてる。

 あ、さらに揺れが激しくなった!

 とうとう姫風が来たのだろうか?

 誰かが曲がり角を曲がった。

 そして、それに合わせて国府田さんも、跳んだ!

「閣下! くたばってくださいよぅ!」

 飛び上がってのしかかったボディープレスした相手は――椿さんだった。

「うわっ!?」

 折り重なる椿さんと国府田さん。

 うん、双子で似てるから仕方ない。

 そこへお約束のようにやって来る姫風。折り重なる二人の前で立ち止まる。

「国府田」

「はっ!」

 椿さんの上に折り重なっていた国府田さんが、姫風の一声で即立ち上がり、声の主にビシッと敬礼した。


 骨のずいまで下僕に成り下がっているクラスメイトを目の前にして、僕は涙が止まらなかった。


 ◆◆◆


 姫風がどこからか持ってきた十字架により、はりつけにされた国府田さんを眺めながら、各々バイト開始。

 最終日の今日、僕は飲料水の売り子を割り当てられていて、現在はクーラーボックスを抱えながら、砂浜を悠々自適に闊歩かっぽしている所存です。

「ビールにコーヒー、コーラに紅茶、オレンジジュースにポカリはいかがですかー?」

「コーヒーいくら?」

「一○○円になります」

「はい」

「毎度あり〜」と定例句を述べた僕は小銭をガマ口財布に投入する。

「あ〜熱い」と顎にしたたる汗を手の甲でぬぐう。

 それにしてもこの一ヶ月は、あっという間だったなぁ、とシミジミ僕は思った。

 そうそう。今回のバイト――ことの起こりは「鈴城優哉身代金要求未遂事件」=「友達宣言記念日」以降から始まったんだよね。

 バイトに来れたのはクラスメイトのみんながノートを作製してくれたお陰で、バイトの手伝いまで頼んでしまったり、みんなにはお世話になりっぱなしでホントに申し訳ない。

 お世話になりっぱなしと言えば、しぃちゃん、百合さん、加齢臭のバイト参戦は正直助かった。

 食事の面や配膳、大人視点からの気遣いは素直に感謝を述べたいけど、百合さんにしか言わない。

 その感謝を述べたくない相手・加齢臭と言えば、口止めをしっかりと守ってくれているようだ。姫風、椿さん、しぃちゃんと僕は、未だに血縁関係で通っているのが良い証拠だ。

 あ、そうだ、しぃちゃんと言えば、あの身長。小学生から中学三年生現在までずっと一四○センチのままだそうだ。完全に成長が止まってしまったようで、ご愁傷様です。

 それはそうと、全然脈絡ないけど、佐竹くんはいつになったら僕を男だと認めるのだろうか。いっそ目の前で全裸になるべき?

「お兄さんお兄さんトウモロコシある?」

「トウモロコシは『海の家』でのみ販売してます」

「ふ〜ん。面倒臭いね」と言う提言に僕は苦笑いしか返せない。

 あ、トウモロコシと言えば、トウモロコシの食べかす。姫風からの代価物要求をどうにかしなきゃね。

 姫風で思い出したけど、夏休みの課題を済ませてくれたお礼もしなきゃならいよね。

 お礼と平行して僕に対する執着をどうにか改善する方法も考えなくちゃ。

 このままだと僕が沙雪さんに告白して、例えOKを貰ったとしても――

「……姫風は沙雪さんを殺しそうな気がする」

 暗い想像に身震いを一つした間際、目の前を『僕』が通り過ぎた。

「え」

 目の錯覚を疑い目をこする。そして、遠ざかる『僕』――二人組の女性たちによくよく目をらす。

「もしかしてジジイやピロシキが言ってた人?」

 二人組は母娘の組み合わせのようだった。

 両方とも顔を化粧メイクで昇華させていたけど、化粧を落とせば僕とよく似た顔の作りをしている気がする。

 特に娘の方は僕にそっくりな気がした。失礼かもしれないど『今すぐ顔を確かめたい』と言う衝動にられて――

「ポカリある?」

 あとを追おうとした矢先、客に捕まってしまった。

「一○○円になります」

「二本ちょうだい」

「はいどうぞ。毎度あり〜」と再度定例句を述べた僕は、受け取った小銭をガマ口財布に投入しつつ、二人組の去って行った方角を眺める。

 眺めるけれど、既に視界では認識できない程遠くへ消えてしまったらしい。

 にも角にも確認したい衝動を抱えているので、駆け出そうとした矢先――

「ビールちょうだい。優哉くん」

 また新たな客に遭遇してしまった。

 客――二十代中盤くらいの女性から声をかけられた僕は、相手を認めると、思わず「うわっ!?」と悲鳴を上げながら数歩後退あとずさってしまう。

一葉かずはの水着姿を見てテレるなんて、うぶで可愛いわね」

 一人称は一葉。姓は坂本。

 ピロシキの姉であり、尚且なおかつピロシキ似の美形。髪型はセミロングを無造作に伸ばしている。

 その場に居るだけで男性は誰もが振り返り、余りの存在感に目をらす。

 ここまで説明すれば世に言う美少女ってやつを誰もが妄想するかも知れない。

 しかし、しかし、だ。ここから更にオプションが付く。

 身長は一八○センチ。つまりジジイ並みの長身。腹筋が六段に割れている引き締まった肉体美。ボディービルダーばりの筋肉質。

 職業は警視庁刑事部の組織犯罪対策部(主に暴力団や銃器薬物を担当する部所)所属警部補で、極めつけが身体中切傷痕だらけ。

 そんな危険物指定筋肉質女性が、異様なオーラをまとい、マイクロビキニ姿で、僕の目の前に立っていた。

「……か、かかかじゅはしゃん、こ、こんにちは」

 一葉さんに缶ビールを手渡した僕は、一葉さんの目を見ないように、ゆっくりと後退あとずさる。

「待って優哉くん。どうして一葉から遠ざかろうとするの?」

 森で熊に遭遇した心境だからです。

「あ、あのあのあのあの……」

 意味のある言葉が出てこない。恐らく今僕の目は物凄い速度で泳いでいるに違いない。

「もぉ……一葉のボディーを見て恥ずかしがるのは良いけど、人と話をする時は目を見て話なさいと、ね?」

 上背のあるマッチョボディー女性が、僕にズズイと顔を近づけてくる。

 捕食される。

 そう思った瞬間――


「ゆうやに近づくな」


 抑揚のない声音とともに、目の前に居た一葉さんが吹き飛んだ。

「……お腹痛くなってきた」


 ◆◆◆


 優哉が飲料水の歩き売りに旅立ってから一時間が経過した頃のこと。

 屋外にて、パラソルを突き刺したその影の中で、かき氷を増産していた鳳祐介わしは、遠方から微かに反響してきた男性の声音に、眉をひそめて振り向いた。

「のぉ寛貴ひろき、今優哉の悲鳴が聞こえなかったか?」

「……腹が痛くなってきた」

 顔面蒼白となった親友が、腹部を両手で押さえながらうずくまる。

「凄い汗の量じゃな……大丈夫か寛貴?」

 寛貴は無言で首を横に振る。

「腹痛が酷いなら、室内で横になっておれ」

「横になってもこの腹痛は治らねえんだよ」

「どういうことじゃ? ――まさか!」

「そう。そのまさかだ」

「下痢なら便所へ――」

「下痢じゃねえよ! 優哉みてえなノリはやめろ! 多分優哉のところに姉ちゃんが来てんだよ! うぅ……腹がいてぇ……」

「大丈夫寛貴くん?」

「大丈夫じゃねえよ! って……かえでさん?」

 気づけば、わしらの目の前には、新海を一回り大きくして美人に仕立てたような女性が、心配そうに、しかし、微笑みながら立っていた。

「こんにちは、寛貴くん。それに、祐介くん」

「……わしは急に頭が痛くなってきたぞ」

 わしは楓さんを視認しながら、頭痛をやわらげるように、頭部をゆっくりと揉み始めた。


 ◆◆◆


 海原うなばらと砂浜を背景に、空中で一葉かずはさんへ華麗なライ○ーキックを決めて着地した椿つばきさんが、一葉さんから守護するように、身を張って僕の前に立つ。

 片や、吹き飛んで一回転したと思ったらかろやかに跳ね起きた一葉さんが、身体中の砂を払いつつ、「一葉はなんで蹴られたの?」と一撃を喰らった自分の肩を、不思議そうに眺めている。

 見たところ一葉さんの肢体したいには砂が付着した程度で、特にダメージを負ったようには見受けられない。吹き飛ぶほどの攻撃を喰らったのに……バケモノか。

「今優哉くんとイチャイチャしていた一葉を蹴ったのは、アナタね?」

 ※イチャイチャしてません。

「人違いだ」

 無い胸を張る椿さんが自信満々に言い切った。

「そう。人違いなら仕方ないわね」

 一葉さんがニッコリと微笑ほほえむ。

「なんて言うとでも思ってるの?」

 刹那でをつめた一葉さんが、いつの間にやら振り上げていた拳を、椿さん目掛けて叩き込んだ、が――

「良い拳だ。だが、この程度では、私は倒せない」

 椿さんはその拳を易々やすやすと受け止めて、鼻で笑って見せた。

「潰れろクソガキ」

 一葉さんが怒気をはらんだ声音とともに、止められていた拳を振りおろすと、椿さんが粉塵ふんじんを巻き上げながらうつ伏せに砂浜へ倒れ込む。追い討ちで筋肉ムキムキの足が椿さんに降ってくる。

「ちょ!? 椿さんっ!!」

 一葉さんの豪足がズボッと砂地にめり込んだ。

 椿さん死んだっ!? と僕は足元に目をらす。

 一葉さんの周囲をおおっていた粉塵が沈下ちんかすると、そこに椿さんの姿はなかった。

 刹那――ゴギッと鈍い音が鳴り響き、一葉さん・・・・が尻餅をついた。

 空中から落下した椿さんが音もなく僕の目の前――砂地に着地する。

 意 味 が 解 ら ん 。

 なんで椿さんが空中から降ってきたの? なんで一葉さんが頭を押さえて尻餅をついてるの?

「上等」と立ち上がる一葉さん。

 その一葉さんに拳を突き出し、人差し指を向けて、カモンって感じで挑発する椿さん。

 一葉さんが地を蹴った。

 椿さんが頭一つ分違う一葉さんに、合わせて飛び膝蹴りを放つ。

 その膝を片手で受け止めて椿さんを真上に打ち上げる一葉さん。

 椿さんが落下してきたところに豪腕を繰り出す一葉さん。

 それを空中で体を捻りかわして、一葉さんの腕に抱き付き、サブミッションかんせつわざへ移行する椿さん。

 空中腕挫十字固くうちゅううでひしぎじゅうじがための態勢に入った椿さんを地面に叩き付ける一葉さんの行為を先読みして、腕から飛び退すさり、距離をとって着地した椿さん。

 二人とも格闘家的な構えを取る。

 一定間隔を保ち、ぐるぐると円を描きながら、互いの出方やら隙やらをうかがっているようだ。

 ふ、二人ともやめて! ジャンルがコメディーから戦記になっちゃう!

 気づけば周囲に居た海水浴客は誰一人として居ないし、僕も逃げたいけど逃げるに逃げられないし!

 固唾かたずを飲んで見守るしかない非力な僕の目前で、また拳や太股が行き交う。

 パチンだのゴッだのビシッだの肉と肉の衝突する音が、何度も何度も周囲をとどろかせる。

 やがて膠着こうちゃく状態におちいったのか、再度距離を取り、一定間隔を保ちながら、ぐるぐると円を描き始める。

 互いの出方やら隙やらをまたうかがっているようだ。

 一葉さん、椿さんともに瞳は獲物を狙う肉食獣のそれで、殺気だっていて、おいそれと声をかけたり、逃げ出したりすることができない。

 標的が僕に変更となったら二人の攻撃を防ぐすべがないので、静観にてっする僕。そこチキンとかののしらない。

 互いの出方を窺い、ぐるぐる状態に陥って体感で五分が経過した頃、突然、一葉さんが僕をチラ見した。

 僕が「ひぃっ!?」とひるんだ直後、肩を押さえてその場に座り込んだのだ。

「い、痛い。優哉くん、一葉、この人に肩を蹴られたの。一葉、凄く肩が痛いの」

 え!? 今更痛がるの!?

「ゆうや、私もこの女?に殴られた。頭が痛い」

 椿さんも座り込んで頭を押さえた。

 立ち上がった一葉さんが、肩を押さえて近寄ってくる。

「優哉くん一葉痛いよぉ」

 椿さんも立ち上がり、頭を押さえて近寄ってくる。

「ゆうや、介抱してくれ」

 二人ともさっきまでピンピンしてたよね!?

「ひ、ひぃぃ」

 迫ってくる二人が怖くて僕は悲鳴を上げながら後退あとずさる。

 そこへ――


「鈴城嬢をイジメるなあああぁぁぁぁっ!」


 佐竹くんが駆け付けてきた。

 傍らにやってきた佐竹くんは、僕の前に回り込み、「大丈夫か鈴城嬢?」と心配してくる。

 うわ、椿さんと一葉さんが佐竹くんを滅茶苦茶睨んでるよ。

「さ、佐竹くん? どうしてここに? バイトは?」

 確か佐竹くんは給仕ウェイターをしていたはずだ。

「助けを求める鈴城嬢の声が俺に届いたんだ! バイトは坂本に任せてきた!」

 僕はいつ佐竹くんに助けを求めたの?

「そんなことよりも、あとは俺に任せて、鈴城嬢はここから逃げるんだ!」

 僕をかばうように後ろ手で守りながら、椿さんと一葉さんに立ちはだかる佐竹くん。

 椿さんと一葉さんは一時休戦でもしたのか、くつわを揃えてこちらに迫ってきていた。

「危機に颯爽さっそうと駆け付けたからって、俺に惚れんなよ鈴城嬢ぶふっ」

 あ。

 佐竹くんが悲鳴を上げることなく明後日あさっての方向へ飛んでった。そして海にぼちゃん。

「……さ、佐竹くん」

 唖然あぜんと佐竹くんを眺めていた僕に、椿さんと一葉さんが声をかけてくる。

「優哉くん、今の男の子はなに? まさか彼氏?」

「私も前から気になっていたんだ。あのサタケと言う男はゆうやのなんだ?」

「友人です」

 二人に零距離まで詰め寄られた。

「本当に彼氏じゃないの?」

「彼氏じゃないのか?」

「ゲイ認定しないで下さい」

 本気で泣くよ?

「それなら良いけど……ってアナタ優哉くんに近いのよ。離れなさい」

 一葉さんが腰溜めにした右拳ライトコークスクリューを繰り出す。

「そっちこそゆうやに馴れ馴れしいね。さっさと離れるべきだ」

 椿さんが一瞬だけ右掌で拳を受け止めて、即刻払い、お返しとばかりに左掌低をお見舞いする。

 今度はその掌低を一葉さんが叩き落とし、僕の目の前――零距離で拳の応戦が始まる。

 二人を止めようにも僕に止められるレベルじゃない。

 手を出せば即死だろうし、はなから止めようと思わない。命がしいからね。

 拳と拳が同時にぶつかり合う。

 肉と肉の衝突音が一際ひときわ巨大に響き、僕のきもが冷える。

 また距離を取りなにやら格闘家的な構えを取る二人。

かろやかによくけるわね」

 不敵に笑う一葉さん。

「私はまるで鉄を殴っているみたいだよ」

 抑揚のない声音で嘆息する椿さん。

「ふ、二人とも、もうめない? めようよ!」

 意を決して僕は殴られる覚悟で二人の間に飛び込んだ。

「ゆうや、危ないから下がっておいた方が良い」

「そうよ優哉くん。危ないから退いてなさい」

 二人から離された。

 僕の意は無駄になった。

「潰れろクソガキ!」と飛び込む一葉さん。

「砕けろ年増!」と迎え撃つ椿さん。

 もう好きにして。

 僕が盛大に嘆息してやるせない気分にひたろうとした瞬間――


「お待たせ」


 鈴を鳴らしたような心地好ここちよい声音が聞こえた。

 確実に姫風だ。

 背後に居るであろう姫風に対して、僕は振り返らずに言う。

「……待ってないけどね」

「心の底では私をほっしてた。速く来てくれ姫風、と」

「……心の中を読むな」

 僕の苦言をスルーした姫風が、音もなく背後に寄りい、僕の首筋を「くんかくんか」してくる。

「……なにがしたいのさ?」

 僕の側頭部内で頭痛が始まり、そこを押さえつつ、姫風へ振り返った。

「ゆうスメルの補給」

 姫風は初日に着ていたワンピースタイプの白水着姿でそうおっしゃられた。

「……ああ、そう」

 力なく項垂うなだれる僕。

 その心情を一切おもんぱからないマイペース姫風が、相変わらずの無表情で、僕と肩を並べてくる。

 そして、スッと一葉さんに向けて指を差した。

「知り合い?」

「一応、知り合い……かな?」

 ピロシキの姉であり、恐怖の体現者だ。

 姫風は品定めでもするように一葉さんを眺めて、続けざまこう言った。

「マイエネ?」

 マイエネミーの略か。略すな。

「マイエネと言うか、一葉さんは……み、味方のはず」

 椿さんと徒手空拳としゅくうけんで殴り合う姿からは、とても味方に見えないけどね……。

「つまり、私の敵」

「へ?」

 なにかの結論に至った姫風が――


「ゆうに近づくものは――私が壊す」


 颯爽と駆け出した。

 台風の目と化し殴り合う、二人の猛者もさに向かって。


 ◆◆◆


 駆け出した姫風(ワンピースタイプの水着:白色)。

 その通り道に居た椿さん(トップス・キャミ、ボトム・ショートパンツの水着:黒色)。

 結果――

「私を踏みだ――」

 椿さんの頭をぎゅむっと踏みつけ、跳ね上がり、その中空で前宙(一回転)した姫風が、距離を詰めた一葉さん(マイクロビキニタイプの水着:赤色)の頭頂部に、華麗なかかと落とし決めた。

 同時に、一葉さんの頭頂部と姫風の踵が接触した箇所から鈍い音が炸裂する。

 すると、今まで椿さんと向き合っていた一葉さんが、初めて、苦しげに顔を歪めた。

「……クソガキが!」

 一葉さんが踵落としを決めている態勢の姫風に向けて右拳を一閃。

 その拳は残像を残す程のスピードで姫風の脇腹に命中した――かに見えたが、姫風は顔色一つ変えず、掌でそれ受け止めた。

 拳を払うと、その場で綺麗なバクちゅうを決めて、椿さんの上に着地する。

 椿さんは荷重に耐えきれず、砂浜に倒れ込んだ。

「……私の背中から降りてくれないか?」

「?」

「そこ首をかしげるところ!?」

 たまらず僕はツッコンでしまった。

 姫風を追って来た一葉さんがまた姫風の頭部目掛けて左拳を一閃。

 今度は拳が目にも止まらなかった。

 一葉さんから発生した風圧に耐えきれなかった僕は、無様に砂浜へ尻餅を着く。

 一葉さんの拳は空を切り、椿さんが「ぐあっ!?」と悲鳴を上げた。

 一葉さん! 椿さんを踏んでる踏んでる!

 一葉さんの踏み込みに合わせて沈み込んでいた姫風が、その場で一歩前進して踏み込み椿さんがまた悲鳴をあげるのを無視して一葉さんの腹部に昇竜○アッパーカットを見舞った。

 途端、肢体したいをくの字に曲げる一葉さん。

「こ、この程度で――」

 強制的に、姫風の頭上に居る形となった一葉さんの顔面は、苦痛で真っ青になっていて、しかし、強靭な精神力の賜物たまものか、腹部にメリ込んでいる姫風の左拳を、ガシッと両手でつかんだ。

 一葉さんは姫風の左腕を折る気だ。

 腕を掴まれた姫風が、踏み込んでいた右足の重心を左足に移動させて、椿さんを更に踏み込み、


「頑丈な体に生まれたことを――後悔すると良い」


 頭上でくの字に体が折れ曲がっている一葉さんの左脇腹を、右拳で殴った。殴った。殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った殴った。

 殴った。グシャメキブシュと殴った。臓器を潰す音が、姫風の拳と一葉さんの腹部レバー辺りから鳴り響いている。

 殴った。殴った。殴り付けた。

「ひ、姫風ストップ! ストォォォォォォップッ!!」

 僕が叫ぶやピタリと拳の乱打音がむ。

 すると、一葉さんの両手から力が抜けたのか、掴んでいた姫風の腕を放し、姫風の頭上から崩れ落ちるように、一葉さんが膝から着地した。

 無表情な姫風が四つん這いになって顔をしかめている一葉さんを見下ろしている。

 恐らく姫風は僕の指示待ちだ。

 姫風を放置した僕は、座り込んだまま一葉さんに声をかける。※僕は腰が抜けてます。

「一葉さん大丈夫ですか!?」

「……っ」

 一葉さんは顔が真っ青で息もえだ。

 姫風にアレだけの打撃をらったのだ。

 一葉さんの左脇腹は青紫色に変色しているはずだ。

「あ、あれ?」

 左脇腹に視線を移したところ、青紫どころか殴られる以前の肌色――無傷のままだった。

 姫風の一撃は鉄板をへこませ、易々やすやすとピロシキを吹き飛ばす程の威力を持つ。

 その拳を何発も受けて無傷とは……化物ばけものか。

 その化物が、顔をうつむけたまま、足をプルプル震わせながらゆっくりと立ち上がり、なにかを呟く。

「……える」

 なんだって?

「……まだ……える」

 一葉さんが俯けていた顔を上げて、キッと姫風を睨み付けた。


「一葉は! まだ! 戦える!」


 苛烈な形相に僕は頭を抱えてちぢこまる。

 一瞥いちべつした姫風と言えば、椿さんをサーフボード代わりに乗っかったまま、相変わらずの無表情を通している。

 睨む一葉さん。無表情の姫風。その距離わずか五十センチ。向き合う二人の下で、踏まれて両手両足をバタバタさせている椿さん。その五メートル背後で腰を抜かして丸まっている僕。

 そのうち、一葉さんの足下を中心に風と砂が収束して行き、生温い風が溢れ、周囲には海水を含んだ小規模な竜巻が発生し水と砂をき散らして……竜巻?

 なんか一葉さんの周囲だけポルターガイスト現象が発生してるんですけど!?

 水を含んだ砂嵐の直撃を受けている椿さんが「いたたたたたたたたたっ!?」とよりジタバタしながらわめいている。

 対する姫風は涼しい気な顔で僕に目をくれている。

《これ廃棄して良い?》

《姫風さん超クール!!》

 ちょっとはポルターガイストてんぺんちい現象にビビろうよ!!

「潰れろクソガキ!」

 叫ぶ一葉さん。

「老害」

 冷酷な姫風。

「一葉はまだ二十五歳だ!」

 憤慨した一葉さんが一歩踏み出して拳を振り上げた瞬間、ぷるるるる、と電子音がどこからか聞こえてきた。

「ちょっとタイム!」と一葉さん。

 え……なにそれ?

 姫風から距離を取りつつ、おっぱい……なんかしっくりこないな。あ、あれだ。大胸筋だ。大胸筋とビキニブラの間に手を突っ込んでモゾモゾする一葉さん。そこから取り出したるは、携帯電話。それを一葉さんは自分の耳に押し当てた。

「はい。一葉は今日オフですよ。はい。え〜。一葉今フレッシュ休暇中ですってば。え、マルタイが急遽入港予定? よりにもよって今日?」

 どうやら職場から呼び出しがかかったようだ。

「はぁ。ごめんね優哉くん。一葉、仕事に戻らないといけないの。デートの埋め合わせは今度するから許してね?」

 通話を終えた一葉さんが、僕に理解不能な言葉を一方的につらつら述べると、手を振りながらここからスタスタ去って行った。


 ◆◆◆


 僕は極度の不完全燃焼を抱えたまま、姫風と椿さんに両側から抱えられるように「海の家」へ帰還した。

 戻ってきた理由は売物品の補充とピロシキへの報告で、抱えられている理由は、腰が、ね、その、抜けてるからなんだ……。

 店先のかき氷売り場にて、角刈り一九五センチの巨漢、一七○センチの茶髪イケメン、イケメンと同身長の茶髪ポニーテールの天使を発見した。

 んん? ポニーテールの天使こと新海沙雪さんて、一七〇センチ近く身長が有ったっけ?

 それにポニーテールじゃない。髪の流さはいつの間にやらセミロングだ。

 姫風と椿さんに「ちょっと止まって」と制止させて沙雪さんに声をかける。

「新海さん新海さん、髪切ったの?」

 今までジジイと談笑していたらしい、沙雪さんが「え?」と僕の方へ振り向く。

 あ、あれれ? 遠目ではそっくりだったけど、零距離だと違う。この人、沙雪さんじゃないよ?

「きみは沙雪の同級生かな?」

 沙雪さんを一回り(特に胸と背の辺りが違う)成長させた女性が、沙雪さんによく似た笑顔で問いかけてきた。

「え、あ、はい。お姉さんは?」

「私は沙雪の姉のかえで。そこでうずくまってるピロシキひろきくんジジイゆうすけくんとは小学生くらいからの知り合いよ。ヨロシクね」

 掌を差し出されたので「あ、はい」と僕も握手でもって返す。握手中に姫風から刺すような視線を感じたけど気にしない。

「僕はそこの二人の友人をさせてもらってる鈴城優哉です。新海さんにもよく面倒を見てもら――」

「え? きみがあの『優哉くん』? 一葉と沙雪がむぐっ!?」

 ジジイが自称新海さんの姉・楓さんの口を、巨大な掌で押さえつけた。

「フライングはいかんぞ、楓さん」

 ジジイからされるがままになって、瞳をトロンとさせている楓さん。

 次第に呼吸困難になってきたのか、ジジイの掌からのがれると、僕からジジイに向き直り、コクコクと頷いてみせた。

 なにそのコント。ま、良いや。

 ともすれば、朧気おぼろげだけど、ここ数ヵ月のうちに、楓さんをどこかで見かけたことが有るような……。

 これもどうでも良いか、と僕はうずくまっているピロシキへ振り向き、本題について口を開く。

「ピロシキピロシキピロシキピロシキ」

 しゃがみ込んでいるピロシキに呼び掛ける。

「ウルセエよ! ピロシキ言うな! お前は何度言ったらオレサマのアダ名を改めるんだ!」

「今さっきそこで一葉さんに会ってさ」

「……腹がより痛くなってきた」

 ピロシキの威勢が死んだ。

「会ってたんだけど、すぐに帰っていったよ」

「それを早く言えよ!」

 ピロシキの威勢が復活した。

「嘘だけど」と僕。

「……腹が痛くなってきた」

 ピロシキの威勢が死んだ。


 何度か繰り返すうちに、嘘を見破られた僕はピロシキに殴られて、ピロシキは姫風と椿さんのツインラリアットで一回転した。


 ◆◆◆


 バイト最終日は、定時としている十九時に最後の客をけさせて、どうにかこうにか終了を迎えた。

 叔母さんの提案で、「バイトの慰労会を兼ねた打ち上げをしましょう」と言うことになり、「店内の在庫をていよく処分する会」の準備が始まる。

 叔母さん別荘宅に食料在庫を担いで移動した僕らは、スイートルームひとつなぎのへやとなっている、推定二十五畳以上の一室に、黒檜材質作りの長方形テーブルを挟んで並び、百合さんが次々と運んでくる料理を並べていった。

 以下は座位置。

 上座の右手一列に、百合さん、しぃちゃん、椿さん、姫風、僕、ジジイ、沙雪さんの姉・楓さん。

 上座の左手一列に、相庭あいばさん、沙雪さん、国府田こうださん、妹尾くん、ピロシキ、佐竹くん、灰田くん。

 楓さんが混じってるのはご愛敬です。

 ※ジジイにべったりくっついていて離れません。

 加齢臭の手により、「海の家」のメニューにアレンジを加えた料理が、所狭しとのきを連ねたところで、叔母さんが慰労の挨拶をして、乾杯の音頭おんどを取る。

「みんな一ヶ月間よく頑張ってくれたわね。本当にありがとう。長くなるのもアレだから、さっさと食べましょうか」

 上座に居る叔母さんが、ビールを注いだジョッキを片手に「かんぱーい」と叫ぶ。

 僕らも果汁飲料水や炭酸飲料水を片手に、近場にいる相手と乾杯の応酬おうしゅうを始める。

 一通り乾杯を終えた僕は、人の間をい、一人上座で僕たちをニコニコしながら見つめている叔母さんに、歩み寄った。

「叔母さん、アルコールを飲む前に聞いて欲しいことがあるんですけど」

 今にもビールで喉を潤そうとしていた叔母さんに待ったをかけた。

「あら、なにかしら?」

 僕は窓の向こう――山の中腹に見える鳥居を指差す。

「明日、あそこの汐実しおみ神社ってところで夕方から夏祭りがあるみたいなんです。だから、それに行く為にも、今日を入れてここであと二泊させて貰えないでしょうか?」

 例の納涼祭についてだけど、クラスメイトには数日前に既に話していて同意を得ている。

 バイト三昧で終わる夏は味気ないとのことで、みんな夏の思い出イベントを作りたい感じだった。

 僕も沙雪さゆきさんと露店を見て回りたいからね!

「最初からお祭りに行ってもらうつもりで、毎年『海の家』を二十日に閉鎖してるの。みんな明日は夕方までゴロゴロして、それからお祭りを楽しんでくると良いわ」

 にこやかな叔母さん曰く、バイト後に夏祭り、と言うコンボが、毎年の恒例行事のようだ。

「了解です!」と元気に挙手する僕。

 ついでに、疑問に思っていた事柄をたずねてみる。

「素朴な疑問なんですけど、どうしてバイトは二十日きょうまでなんですか? やっぱり夏祭りに合わせた結果だったんですか?」

 良い質問ね、と叔母さん。

「バイトについては、夏祭りに出掛けるようになる前から、毎年二十日までと決めていたのよ。九月に近づくと海月くらげが増えてしまって怪我人が続出するから、その対応に苦労したとしがあって大変だったの。それにね、遊び足りない学生が毎年暴れて悪さをするから、その被害に会う前に、店終みせじまいをするって訳なのよ」

「お店の経営は大変ですね〜」

 叔母さんにそう返答した僕は、自分の座位置へテクテク戻る。

 当然のように聞き耳を立てていたピロシキが、「経営には先見のめいが必要だな」と正面の座位置から話しかけてきた。

「何事も経験則じゃろうな」と左隣に座るジジイが合いの手。

「年の功だね」と僕もそれっぽい言葉で話に加わった気になる。

 急に叔母さんが背後に現れて僕の後頭部をはたいた。

「えっ? えっ?」

 なんで僕叩かれたの?

「今、叔母さんを年寄り扱いしたでしょ?」

 笑いながら叔母さんがそう言った。

「し、してないですよ、はい」

 目が怖いので全力で否定する。今にも暴れだしそうな姫風の腕を掴みながら。

 僕の否定に気が晴れたのか、叔母さんは上座に戻っていった。

 加齢臭の二つ歳上たる叔母さんに「年寄り」関連は禁句らしい。気を付けよう、と肝に命じておく。

 ふと隣を見やれば、僕の左隣に座るジジイを押し退けて、佐竹くんがそこへ腰を下ろしていた。

「鈴城嬢バイトお疲れ様」

「あ、佐竹くんもお疲れ様」

 僕と佐竹くんは飲料水入りのグラスをカチンと鳴らし合う。

 夏休みに有った事柄をあれやこれやと語るうちに、内容はお風呂話へと移行した。

「そう言えばさ、結局、一度も僕とはお風呂に入らなかったよね」

 僕が言うや、佐竹くんはアルコールを含んだように、その顔面を真っ赤に変化させた。

「す、鈴城嬢、と、突然なにを言い出すんだ。もう少し、は、じらいってものを持ってくれよ……」

 突然上を向いた佐竹くんが、鼻の付け根を押さえて、首の後ろをトントンと水平チョップし始める。

「なんで鼻血を押さえる素振そぶりをしてるの!?」

 やべっ、誰かティッシュを……と、周囲に訴えながら立ち上がり、僕の対面へ戻って行く佐竹くん。

 佐竹くんの背後で胡座あぐらをかいていたジジイが、「相変わらず罪作りな男じゃのぉ」と言い放ち、元の座位置に収まった。

「罪作りって……」

 嘆息しつつ飲料水を飲み干す僕に向いてピロシキが告げる。

「佐竹の誤解を解きたいなら、今ここで全裸になれよ」

 ピロシキが隣に座る佐竹くんや妹尾くんに「なぁ?」と相槌を求めているけど、佐竹くんは鼻血をぬぐうのに必死で、妹尾くんはただただ苦笑するばかり。

「なんの罰ゲーム?」

 僕はピロシキを睨む。

「そっちが先に全裸になるなら良いよ」

 あごで指すとピロシキがにべなく返答する。

「誰が脱ぐかバカ。あとピロシキ言うな」

のぼる足を押さえろ。坂本をくぞ」

「よしきた」

 鼻ティッシュマン佐竹くんに指示を出した灰田くんがピロシキに迫る。

「ざけんな!」

 灰田くん&佐竹くん対ピロシキが始まった――けど、三人を無視した僕は、イチャつくジジイと楓さんを横目に、バイト終了のねぎらい&挨拶回りをすることにした。

 まずは、対面に上座付近で談笑する新か――沙雪さん、相庭さん、国府田さんへ接近。

 炭酸飲料水コーラ片手にすり寄り、「お疲れ様でした〜」と三人のグラスへオカワリを注いでゆく。

「んい! お疲れ様!」

「鈴城くんもお疲れ様」

「わわわっ!? ボクのはオレンジジュースだよぅ!? コーラ入れちゃだめだよぅ!!」

 国府田さんのオレンジがコーラに侵食されてゆく。

「イッキ! イッキ!」と僕。

「鈴城くん酷いよぅ!」

「イッキ! イッキ!」と相庭さん。

梨華りかちゃんまで酷いよぅ!?」

「イッキ! イッキ!」と沙雪さん。

「みんながボクをイジメるよぅ!?」

 わんわん泣きわめき始めた国府田さんを生暖かい目で見守りつつ、僕は相庭さんに話を振る。

「盛り上がってたみたいけど、さっきまでなんの話をしてたの?」

 切れ長のつり目を持つ相庭さんから流し目攻撃を受ける。

 相変わらず泣きボクロがエロい。

「さっきまでは、確か、婚活の話をしてたわ」

 婚活と言うと……あ、思い出した。

「『高学歴高収入のイケメンなら誰でも良いからゲットしてやんぜ!』ってやつ?」

大雑把おおざっぱに言うとそんな感じね」

「んい」と相庭さんに相槌を打つ沙雪さん。

 テキトーに言ったつもりなんだけど、的外れじゃなくて安心した。

 だから、調子にのって続けてみる。

「相庭さんが婚活パーティーとかに出掛けたら、『お願いです。僕を踏んでください』と結婚を申し込んでくる人が大多数な気がする」

 狐顔に鎮座しているつり目を細める相庭さん。

「……鈴城くんは、私をなにと勘違いしてるのかしら?」

「女王様」

「なにの?」

「Sの」

 Sの女王様が盛大に嘆息なされた。

「あのね。私は女王とか陰口叩かれてるけど、本意ではないの。取り巻きも勝手に付いていっただけで……なにニヤニヤしてるのよ?」

 うっすらと耳を赤くした相庭さんが、『生まれたての雛を見守る感じで相庭さんを眺めていた僕』の様子にようやく気づいた。

「僕も相庭さんのことを『お嬢』と呼んだ方が良いのかな? とか思ったり」

 瞳を潤ませた相庭さんが、ぱくぱくと口を何度も開閉したあと、ギロリと僕を睨み、

「呼んだら、イジメるからね?」

 脅迫してきた。

「呼びませんすみません自分調子にのり過ぎました!」

 土下座の態勢を維持しつつ、ズリズリと後退あとずさりながら、上座の叔母さんの背後を通り、百合さん、しぃちゃん、椿さんの背後を通過したところで、背中を抱き締められた。

「私を誘うなんて罪なゆう」

 服の中に姫風の手が潜り込んで来る。

「……姫風がなにを言ってるか僕にはさっぱりわからない」

「ゆうが私に尻を向けて迫ってくるなんて――もう誘っているとしか思えない」

「オーケー。理解した。まずは僕の乳首をいじるその指を止めてくれ」

 い、いろんなところが、気持ち良くなるじゃないか!

 乳首から手を放させて、「うぇ〜いどっこいせ」と元の座位置に戻る。

 当然のように姫風に抱き付かれたまま。

 誰かこの子泣きジジイばりの痴女を引き取ってくれ。

 周囲に視線を送るけど、誰もこちらを見ていない。僕の救助は無理か。

 姫風の気をらす為に、なにかの話題を振らなければ……。

「う〜んと、あ、そうだ。さっき相庭さんたちが婚活の話をしてたんだけどね」

「婚活?」

 ※姫風は結婚関連の話が大好きです。

「姫風なら性格を正せば、相手は選び放題な気がするんだけど、性格を直す気はない?」

 試しに姫風へ訴えてみたけれど、「性格を直す」をスルーさた上に、「選び放題?」と別の箇所をピックアップされてしまった。

「選び放題は困る」

 鼻の付け根を押さえる姫風。

 その言動に僕は首を傾げた。

「なんで?」

「ゆうが五人も六人も居たら……私」

 姫風が鼻血を垂らした。

「脳内で僕を増やすな!」

 急いで姫風の鼻穴にティッシュを詰め込む。

 詰め込んでいる最中、ジジイが「お疲れ」とねぎらってきた。

「先ほど、相庭たちに土下座しておったがなにかあったのか?」

 そっちこそ沙雪さんの姉・楓さんに後ろから抱き付かれてイチャイチャしているけど、それどうにかならないのかコンチクショー。

 ――とは言えないので、波風を立てないように、無難に応える。

「婚活の話をこじらせて相庭さんを怒らせたんだ。あとで謝らないといけない」

「要領を得んが、謝るなら早めにな」

「うん」

 ジジイの隣に居座る楓さんが、ジジイの肩に寄り掛かり、甘えた声音で告げる。

「祐介くん、やっぱりあのお団子頭の綺麗な子が好きなの?」

 どうやら僕が席を外しているうちに、ジジイと楓さんの間で、揉め事が勃発していたようだ。

「か、楓さん――じゃけえ、相庭とわしはなんの関係もないと何度もおるじゃろうが」

 いつも標準語が微妙なジジイは、焦ると完全に方言オンリーとなる。なのでジジイの日本語が巧く聞き取れない。

「ジジイ落ち着け。方言が出まくっててちょっとなに言ってるか解らない」

「ん? あぁ、コホン。今のはのぉ――」

「いや別に解説してくれなくて良いから」

「そうか?」

「うん」

 取りあえずここまで空気を読んで理解したことは、楓さんが、ジジイのことを好きってことと。

 ジジイは楓さんを満更でもないってこと。ラブか。二人はラブラブなのか。コンチクショー。

 近くに有った炭酸飲料水入りのアルミ缶を手に、周囲を見回す。

 百合さんと叔母さんはしぃちゃんを交えて談笑中。

 しぃちゃんの隣に居る椿さんは、慰労会が始まってからずっとかにの身をホジホジしている。

 その隣の姫風は、僕の衣服に腕を突っ込み、頬擦ほおずり中。時々スピスピとなにかを吸引する音が聞こえる。

 僕の隣に居るジジイは、楓さんとイチャイチャ中。

 僕の対面席――正面ではピロシキ&佐竹くん&灰田くんの手に寄り、妹尾くんが裸にかれている。合掌。

 その隣に居る国府田さん&沙雪さん&相庭さんはやっぱり楽し気に談笑中。

 なんか良いなぁ、こう言う光景。

 僕は炭酸飲料水をグビグビと胃に流し込む。

「けぷっ、こ、このオレンジジュース美味しいなぁ」

 ひっく、と僕の口からしゃっくりが出た。

「あ、あれ? な、なんだか、世界が、ぐにゃぐにゃするよ?」


 なぜだが凄く気分が良い。


 ◆◆◆


 国府田こうだ相庭あいばがトイレに旅立って間もなくのこと。

 鳳祐介わしの隣で鈴城姫風とイチャイチャしていた鈴城優哉ゆうやが、突然、ひっくひっくとしゃくり上げ始めた。

「どうした? って……大丈夫か?」

 返答しない優哉は、瞳をトロンとさせてしゃっくりを繰り返すばかり。

「ん〜これのオカワリどこ?」

 優哉が手にして居る炭酸飲料水のアルミ缶には、未成年の飲酒禁止カシスオレンジと表記があった。

 慰労会を兼ねた飲み会であることだし、ちょっとくらいの飲酒はとやかく言うまい、とわし見て見ぬふりをする。

「う〜体がポカポカするよ」とか「ひひひ、新海さん可愛いなぁ」とか「姫風右肩揉んで」と陽気につむぐ優哉。

 鈴城姫風に対して、やけに心を許している気がするのは気のせいじゃろうか。

 鈴城姫風からマッサージしあつを受ける優哉は「うやん」「はふん」「んあ」とあえぎ、細い体躯たいくをクネクネさせる。

は満足じゃ」

 殿様気分の優哉を気にしつつ、「寛貴」とわしは対面のイケメンに呼び掛けて、優哉へと目配せする。

優哉バカがどうかしたのか?」と上半身裸に成り果てた寛貴。

「酔っておる」

 不味い物でも食したように、寛貴が顔をしかめた。

「マジで? あいつすぐ酔うし酒癖悪いぞ。誰だよ飲ませたの」

「誰が飲ませたか知らんがなにやら楽しそうじゃぞ」

 優哉はへらへら笑いながら「しぃちゃんしぃちゃん」と誰かを呼んでいる。

「しぃちゃんこっちおいで」

 一際ひときわ大きく叫んだ優哉をこの場に居た全員が注目した。

 そんなことが気にもならない様子の優哉は、右隣に座る鈴城姫風の隣で一心に蟹の身をほじる鈴城椿の隣にて蟹の身を食べていた鈴城紫苑ゆうやのいもうとを手招きする。

「なになにお兄ちゃん?」

 優哉の妹が笑みを零しながら優哉の背後にやってきた。

「ぎゅってさせて」

 優哉の言動にわしは我が耳を疑った。

「しぃを?」

「うん」

 わしは勿論、クラスメイトたちも、新海や鈴城姫風の前で、いせいを抱くと言った優哉に驚きを隠せない様子だ。

「しぃちゃんを、ぎゅっポキッてしたい」

 こやつ、妹を折る気か!?

 妹を抱き締めるさばおりする為か「しぃちゃん♪」と、優哉が背後へ振り替える。

「――ゆう」

 しかし、隣人は黙っていなかった。

「紫苑を折るより私を折るべき」

 ドMか。

「ゆう」とドMが優哉の肩を揺する。

「姫風五月蝿うるさい」

 優哉がドM――鈴城姫風を押し退け、妹の背中に手を回して抱き締めた。

「「あああああああああっ!?」」

 新海と佐竹が絶叫し、鈴城姉妹が二人を引きがした。

「なんで僕からしぃちゃんを奪うんだ!」

 優哉が憤慨した。

 鈴城姫風が「ゆう酔ってる」と、水を注いだコップを、優哉に手渡そうとする。

らない。しぃちゃん返せ!」

 鈴城椿により羽交い締めにされている妹が、「お兄ちゃんにぎゅってされたい」と姉たちにせがんでいる。

「なに上戸じょうごだよこれ」と対面の寛貴。

「酒で理性のリミッターが外れて、本能の赴くまま、自分の欲求に従っておるだけじゃろう、これは」

 わしが分析して述べた結果、「鈴城優哉のあの態度は酒にる物か」と言った、ある程度の理解が、周囲のクラスメイトに浸透していった。


「なら姫風で良いや」


「妹を抱かせてくれ」とせがんでいた優哉が、突然、発言をひるがえした。

「姫風もっとこっちに来て」

 優哉の傍らに居た鈴城姫風が、呼び掛けに応じてピタリと寄りう。

「来た」

 胡座あぐらをかいていた優哉が、自分の太股ふとももをポンポンと叩いた。

「僕の膝の上に座って」

 鼻血吹いた。鈴城姫風が。

「ゆ、ゆゆ、ゆうの膝の上に座る? 私が?」

 どうした鈴城姫風。

「うん。ここに座って」

 優哉の催促に鈴城姫風が“戸惑い”を見せながら、おずおずと腰を下ろして、背中を預けた。

 これには佐竹、新海ともにわしらと同じく息を飲んでいる。

 優哉よ、なにを始める気じゃ?

「姫風のおっぱいってさ」

 なんじゃって?

「姫風のおっぱいってさ、大きいよね」

 みんな吹いた。

「一応九十二のE」

「触って良い?」

 みんなまた吹いた。

 無表情だった鈴城姫風が恥ずかしそうに頷く。

 どうやら鈴城姫風は優哉からの押しに弱いらしい。

 恐らく誰もが優哉を止めろと思っているに違いないが、何故か体が硬直して動かない。

「姫風、じかに揉みたいから服を脱いで」

 壊れた優哉がそう言った瞬間、国府田がトイレから戻ってきた。

「ドアを開けたら閣下と鈴城くんが恋人座りでラブラブしてるよぅ!? ドアを開けたら閣下と鈴城くんが恋人座りでラブラブしてるよぅ!?」


 何故か瞬時に硬直が解けたわしらは、優哉と鈴城姫風を引きがすことに成功した。


 ◆◆◆


 いつの間にかうつ伏せの態勢で寝ていた僕は、むくりと起き上がり、辺りを見回した。

 騒ぎが収まっていない様子をかんがみるに、宴会は継続中のようだ。

 それにしてもやけに頭が痛い。ガンガンする。風邪だろうか?

「うわっ!? なんで鼻血を垂らした姫風が隣で寝てるんだっ!?」

 傍らで仰向けに倒れている姫風にビビるけど、周囲の人たちは特に反応を示さない。

 つまり大事には至ってないってことで良いのだろうか。良いことにしよう。

凰花おうか姉さん! ぼくの魚包丁はどこかな!?」

 そんな中、焦燥感に駆られた加齢臭の声音が聞こえてきた。

「親父が落ち着きないんですけど、なにかあったんですか?」

 荷物を回収しつつ慌ただしに歩き回る加齢臭を横目に、叔母さんの傍らで紅茶をすすっていた百合さんへたずねてみた。

「あら、おはよう。優くんが寝ている間に編集長から直々の呼び出しを受けてね、私たち、急遽、東京に帰らないといけなくなったの」

 編集長? あぁ、確か、加齢臭が唯一苦手とする相手だったっけ。

「今から帰るんですか?」

「ええ。どうしても外せない用事で、ごめんね優くん」

「いや僕は良いんですけど……」

 百合さんの隣に座るしぃちゃんが、僕の腕にぎゅっと抱き着いてくる。

「お母さん、しぃ、まだお兄ちゃんと一緒に居たい……」

 しぃちゃんが切実な声音で訴えかけた。

「う〜ん、紫苑しおんごめんね。無理なの。一緒に帰りましょう」

「……しぃ、お兄ちゃんと一緒に居たい」

 しぃちゃんがより切実な声音で訴えかけた。

「紫苑は我がままを言わない子だからそのお願いは聞いてあげたいけど、でもね――」

 たまらす僕は口を挟む。

「百合さん、僕もしぃちゃんともう少し一緒に居たいです。夏祭りの露店も一緒に見て回りたいし、まだまだ話したいことがあるし。東京へは僕が送って行きますから、どうか、しぃちゃんの我が侭を聞いてあげて下さい」

 夏祭りの露店を沙雪さんと一緒に回りたかったけれど、ぼくにとっては家族も――しぃちゃんも大切な人だ。

「そうは言っても、優くんは迷惑じゃないの? お友達と遊ぶ時に紫苑は邪魔になると思うわよ?」

 僕は「邪魔とか有り得ないですよ」と笑った。

「友達とは夏休みがあけても遊べますけど、しぃちゃんと次に会えるのは正月休みです。だから、百合さん、僕からもお願いします」

 両手を合わせて「この通りです」と僕は懇願する。

 百合さんが「仕方のない子ね」と言う顔をした。

「優くんの邪魔しちゃだめよ? 紫苑」

 百合さんの同意を得たしぃちゃんは「うん」と満面の笑みで頷いた。

「お兄ちゃん大好き!」

「僕もだよしぃちゃん」

 互いに抱き合う僕としぃちゃんを微笑みながら見守る百合さん。

「優くんは紫苑にちょっと甘過ぎると思うの」

「仕方ないないですよ。しぃちゃん可愛いし素直だし」

 椿さんみたいに怖くもなければ、姫風みたいに痴女でもないし。

「しぃちゃんがどこかの誰かと結婚する時、きっと僕は号泣ごうきゅうしちゃうだろうなぁ」

 唐突に、そう遠くない未来へ想いをせた僕は、ちょっとだけ寂しくなった。

「そこまで紫苑のことを愛してくれてるなんて嬉しいわ。ありがとう」

 しぃちゃんをで撫でする百合さんが、優しい声音でそう告げた。

 対するしぃちゃんは僕の肩をつんつんする。

「なにかな?」

 百合さんからしぃちゃんへと視線を移した僕に「どうして号泣するの?」としぃちゃんが首を傾げた。

「しぃが誰かと結婚したら、お兄ちゃんは悲しいの?」

 しぃちゃんの思考の中では「泣くイコール悲しい」といった図式らしい。

「『悲しい』とはちょっと違うかな。『寂しい』と『お幸せに』って気持ちでいっぱいになると思うよ」

「『誰か』が『お兄ちゃん』の場合はどうなるの?」

「え?」

 なんだって?

「お兄ちゃんがしぃと結婚した場合は――寂しくないよね?」

 しぃちゃんが満面の笑みで言い切った。

 これも国府田さんによる入れ知恵だろうか?

 寂し――結婚云々うんぬんについては、なんと答えたものやら。

「え〜と……」

 しぃちゃんの手合いを上手にさばく自信がない僕は、《百合さん助けて下さい》と視線で援護を要請する。

 僕の要請を受け止めた百合さんが、《任せて》とばかりにウインクして見せた。

 百合さんはしぃちゃんを撫でていた手を止めて、「そうね〜」と少しだけ思案顔になり、ややあってからこう告げる。

雪哉ゆきやさんの息子の優くんだもの。寂しいどころか幸せになるに決まってるじゃない。優くんと紫苑ならずっとラブラブなままね」

 百合さんはなんの話をしてるの!?

「しぃとお兄ちゃんはラブラブ?」

「ラブラブよ☆」百合さんキラン☆

「ちょ、違うでしょ百合さん!? そこは普通『兄妹では結婚できないのよ?』となだめたり忠告したりするところでしょ!?」

 百合さんが「あ」と得心したあと、「てへ☆」とペコちゃんばりに舌を出して自分の頭をコツン☆

 百合さんは状況が悪くなったと見るや、すくっと立ち上がり、「私も帰り支度じたくしようかな〜」と僕としぃちゃんの前から逃げ去ってしまった。

 百合さんて典型的なダメ人間だね……。

 しぃちゃんが僕の脇腹をつんつんする。

「ん?」

「お兄ちゃんとしぃは、ラブラブ?」

 しぃちゃんの中で、問題はまだ解決してなかったようだ。

「ら、ラブラブ……」

「違うの?」

 しぃちゃんの瞳がうりゅっとうるみ出す。

 ああ、この子を泣かせてはいけない!

「ぼ、僕としぃちゃんはラブラブだよ! うん、ラブラブ!」

 そう告げるや、

「お兄ちゃっ! 大好き!」

 しいちゃんが僕の体に抱きついてぎゅっ。僕はクラスメイトの視線に胃がぎゅっ。

 針のムシロだった。


 数分後――


 宴会を一旦停止した僕らは、屋外の駐車場まで、加齢臭と百合さんの見送りへやってきていた。

 二十一時にも関わらず、辺りは鮮明で、月明かりのお陰で五十メートル先まで見通せる状態だった。

「忘れ物はないかしら?」

 叔母さんの問いかけに、ステップワゴンしゃないから「有ったら宅配便で送ってね!」と加齢臭。

 叔母さんは「はいはい」と疲れた声音で対応する。

 一方、百合さんは「椿、姫風、紫苑」と娘を呼ぶ。

「友達と仲良くして、凰花おうかさんと優くんにも迷惑をかけないようにね?」

「ふふ、勿論さ」と椿さん。

「抜かりはない」と姫風。

「頑張る」としぃちゃん。 

 双子は謙虚な妹を是非とも見習って欲しい。

 全員と別れを交わした加齢臭一行は、「みんな元気で!」と言い残し、エンジン音をとどろかせて、僕らの前から颯爽と去って行った。

 車体が暗闇で見えなくなるまで見送った僕らは、宴会を再開するべく回れ右する。

 やっと帰った、と深い溜め息を吐く僕。

 そこへ――

 こちらへ迫るステップワゴンのエンジン音。

 加齢臭が戻ってきやがた。

 忘れ物だろうか?

 ステップワゴンが僕らの眼前でドリフトを決めて停車した。

「……なにカッコつけてんのさ」

 加齢臭がウィンドウを下げて僕を手招きする。

「なに?」

「優くんに大切なことを言い忘れてたんだよ! 十月に会わせたい人が居るんだ!」

「会わせたい人?」

「詳細はあとで電話するね! さぁ、危ないから離れて!」

 僕の疑問に答えない加齢臭に言われるままステップワゴンから距離を取るや、車体はあっという間に走り去ってしまい、今度こそ戻ってくることはなかった。

「会わせたい人って……」

 誰だろう? と僕は首を傾げる。

「新キャラフラグか?」

「またか」

「次はクーデレとか?」

「オレっ娘もありだな!」

 ジジイ、ピロシキ、灰田くん、佐竹くんが次々に予想した。

「みんな先読みはやめて!」


 僕ではない僕が絶叫した。


 ◆◆◆


 宴会を終えた僕らは、後片付けのあと、女性陣から順次お風呂に突入した。

 残った男性陣は、一階にあるリビングルームで、テレビをボ〜と眺めている。

 のんびりできる時間て至福だよね。


「第一回好きなひと告白大会ぃ〜! わぁ〜! パチパチパチパチ!」

 拍手をしつつ叫びながら立ち上がった佐竹くんが、至福の時をぶち壊した。

 釣られた妹尾くんもパチパチしている。

「リモコンどこだよ?」

 ソファーに寝そべりそこを占拠していたピロシキが、辺りに目を走らせる。

「今日は金曜だろ? 映画見せてくれ映画」

「スルー!? 坂本ごときが俺をスルー!?」

 佐竹くんが凄く驚愕した。

 新聞紙に目を通していたジジイがあごで付ける。

「ほぉ、今日は二○世紀少年か」

「……二○世紀少年ねえ」

 ピロシキが感慨深かんがいぶかげに呟いた。

一姉かずねえの命令でこの漫画を買いに書店へ走らされたオレサマになにか一言」

「ざまあ!」

 僕はピロシキを指差してゲラゲラ笑った。

 ピロシキがいきり立つ。

「ぶっ殺す!」

「来いやぁ!」

 僕も立ち上がり、ファイティングポーズで迎え撃つ。

「二人ともうるさいぞ。外でやれ」

 ジジイがしっしっと追い払う素振りを見せた。

 舌打ちしたピロシキが玄関へと歩き出す。

「外行くぞ優哉ぁ!」

「一人で行けバ〜カ!」

 座り直した僕は、中指を立てて舌を出し、ピロシキを見送る。

「……てめえ」

 ピロシキがきびすを返して僕に迫ってくる。

 佐竹くんが拍手しながらピロシキと僕の間に飛び込んだ。

「第一回好きなひと告白大会ぃ〜! わぁ〜! パチパチパチパチ!」

 ピロシキが佐竹くん越しに睨みつけてくる。

「本気で半殺しにしてやろうか?」

「なにその格闘漫画的なセリフは。バカ? 言ってて恥ずかしくない?」

 あっかんべー。

「……てめえ」

 舌を出してベロベロベロベロ。

「再スルー!? 坂本どころか鈴城嬢にまでスルーされた俺の心は絶賛崩壊中!」

 ピロシキが佐竹くんを押し退けてノーモションで正拳を繰り出してきた――けど、ソファーから転がり落ちて紙一重でそれを避け、俊敏に立ち上がる。

「……今マジで殴る気だったよね?」

 僕は拳を握り締めた。

「悪いか?」

「悪いのぉ」

 睨み合う僕らの頭をジジイが同時に殴る。

「「いだっ!!」」

 二人して頭を抱えてうずくまる。

 目から火が出ると言うか視界が星でいっぱいになる。

「仲良くしていたと思ったらすぐに仲違なかたがい。何度繰り返す気かのぉ? どうしたらお主らは仲良くし続けるのかのぉ?」

 ジジイはやれやれと首を横に振り、腕を組んで嘆息した。

 殴られた箇所に手を当てつつピロシキが唇を尖らせる。

祐介ゆうすけの言い分だと、四六時中仲良くしなきゃならねえのかよ?」

 ピロシキと同意見だった僕も、殴られた箇所を押さえて顔の前で手をパタパタ振る。

「ピロシキと仲良く? はんっ、無理無理」

 ジジイから僕へと視線を寄越したピロシキが、疲労をにじませた声音で言う。

「ピロシキ言うなって何度言わせるんだ?」

「ピロシキピロシキピロシキピロシキィピィロォシィキィ!」

「……てめえ」

 ピロシキが犬歯を剥き出しにした。

「「いだっ!!」」

 またジジイに殴られた。

「仲良くとは言わん。喧嘩すな」

 先ほどよりも重い一撃にしばらくなにも言えない僕ら。

 僕より先に痛みがゆるんだのか、ピロシキがジジイを睨み付けながら僕を指差す。

「オレサマとこいつは思考思想主義が違うんだ。喧嘩するなっう方が無理だ」

 痛みが引けてきた僕は、うんうんと頷く。

「そうそう。それにさ、四六時中仲良くしてる人間なんて現実には居ないんだから、気持ち悪いこと言い出してそれを押し付けてこないでよね」

 ビシッとジジイを指差した。

「妙なところで意気投合してわしの人道を潰すな」

 微妙に落胆するジジイの肩を慰める感じでポンポンと叩いた佐竹くんが、僕たちを見渡してこう言った。

「良い具合に話が纏まったところで、好きな女の子の告白大会でもしないか?」

 所定のソファーに戻り、各々がそこに腰を下ろして金曜ロードショーの視聴を再開する。

「ちなみに俺の好きな女の子は――」

 佐竹くんの視線が僕の横顔に犇々ひしひしと伝わってくる。

「鈴城嬢だ――って言わせんなよテレるだろ?」


 誰も聞いていなかった。


 ◆◆◆


 風呂、歯磨き、寝支度と一通り済ませたのが日付変更の少し前。

 日課となっている鳳祐介ゆうすけの夜釣りに付き合い、隣でボーとすること二時間。

 見上げていた夜空に飽きてきた坂本寛貴オレサマは、祐介に一言告げて、一緒に優哉叔母宅へ戻ってきた。

「で、お前は玄関入り口でなにしてんだ?」

「ん? 姫――あ、いや、別に?」

 オレサマたちから逃げるようにリビングへ入って行った優哉の行動に、祐介と顔を見合わせたオレサマは、首を傾げながら優哉の後を追う。

 覗いたリビングには、優哉以外誰も居なかった。

 既に寝たか、絡ませた思惑を実行するべく準備をしているか……さて、オレサマはどう立ち回るべきか。

 優哉はリビングにあるテレビ正面のソファーに腰を下ろし、テレビを見ることなく頭を抱えていた。

 そして、数秒ごとに携帯電話の液晶ディスプレイを眺めては、「ん〜」と唸っている。

 単純と言うか解り易いと言うか。

 祐介が優哉をあごで指す。

「話、聞くか?」

 自分で言うのもなんだが、オレサマも付き合いが良すぎるな。大概にしろ。

「暇潰しにな」

 オレサマはテレビ右側面、祐介は左側面にあるソファーへ腰かけた。

 優哉はオレサマたちが座ったことにも気づいていないのか、頭を抱えて携帯電話を握りしめたポーズのまま唸り声を継続中。

「優哉よ、テレビは見ないのか?」

 促した祐介に対して顔を上げた優哉がコクコクと頷いて見せる。

「え? あ、見るよ。ニュース見る。フジテレビの安藤さん見る」

 安藤さんはフジテレビ十七時の顔だ。今は午前二時で安藤さんは就寝中だろうに。

 テレビの電源をつけてニュース番組を探すも、時間帯的に放送しておらず、またすぐに優哉は頭を抱え込んだ。

 かと思いきや、ソファーから離れ、玄関とリビングを何度も往復し、行方ゆくえを定着させない。

 祐介があごを撫で付けながら染々と呟く。

「さっきから落ち着きがないやつじゃのぉ」

「溜まり過ぎてんじゃねえの?」

 オレサマは冗談混じりにトイレを指差す。

「優哉、そこで抜くのは構わねえが、あえぐなよ」

 優哉はオレサマをスルーして「ん〜」と唸っている。

「優哉?」

 祐介が呼び掛けるも反応なし。優哉はただただ携帯電話を見つめるだけ。

「こいつ聞いてねえし」

 オレサマと祐介は顔を見合わせる。

「聞いてないと言うより、心ここに在らずを体現している、と言った具合じゃな」

 オレサマたちの心配を他所よそに、「……んにゃろう」と呟いた優哉は、頭をガシガシきながら、渋々と言った様子で部屋から出ていった。


 ◆◆◆


 現在の時刻は午前二時ジャスト。

 姫風が外出して二時間が経過した。

 最初は気にもめてなかった。

 けれど、出掛けた姫風がすぐに気になった。

 姫風のことを無視して寝ようとしたけど……なぜか落ち着かない。

 姫風の姿を確認しないと、なぜか眠ろうとする気が起きなかった鈴城優哉ぼくは、叔母さん別荘宅を出て、あてもなく姫風を探すことにした。


 捜索していた人物は思いのほか早く発見できた。

 別荘を出てから一○○メートルもない距離にある海岸線沿い――真っ白な砂浜にて、ポツリと座り込んでいたのだ。

 捜索していた人物こと姫風は、蒼白い月明かりに照らされて、ジーと海を見つめている。

 遠目から見る分には、具合が悪くて立てない、と言う訳ではなさそうだ。

 姫風を捜索してここまで来た訳だし、近寄って声をかけてみる。

「姫風」

 呼び掛けると、無表情な姫風が振り返り、僕を認めた。

「ゆう」

 僕は海の方角を指差す。

「なにを見てたの?」

 一拍置いて、姫風が告げる。

「波」

 姫風が視点を僕から海へと戻した。

「波? 二時間も?」

 姫風がコクリとうなずく。

 なんでまた二時間も? と問い掛けようとしたところで、姫風が口を開く。

「ゆうと波はよく似てる」

 要領を得ない僕は、姫風の隣に腰かけて、「どの辺りが?」と問う。

 すると姫風はこう答える。

「掴みどころがなく、常に変化し続けるところがよく似てる」

 僕は不定形生物スライムか。

「波を攻略すれば、ゆうも攻略できると思って、ずっと眺めてた」

 波を攻略した時点で僕は姫風と縁を切る自信がある。

 返答に詰まり、額をぽりぽりといた。

「僕は波より単純だよ」

 びゅおっと強い風が吹き抜けて行く。

 なんとなく、夏の終わりが近い気がした。

「風が出てきたし、そろそろ帰ろうか」

「寒い。ゆう暖め――」

「はいはい」

 こちらへ振り向いて差し伸べてくる姫風の腕をかわし、羽織はおっていたパーカーを彼女の肩にかける。

 途端にうつむく姫風。

「……ゆう、最近優しい」

「は?」

 姫風の突拍子もない一言に素で吃驚びっくりした。

 姫風が続ける。

「ゆう、本物?」

 手ぶらの状態で「自分で自分を証明する」って難しいよね。

「アイデンティティーの話なら僕には理解できないよ?」

 腕を引いて立ち上がらせた姫風と、連れたって歩き出す。

「アイデンティティーなんて言葉がゆうから聞けるとは思わなかった」

「今僕をバカにしたよね?」

「してない」

「したよね」

「してない」

「したでしょ」

 言い切ると、肩を並べて歩いていた無表情な姫風が、ピタリと足を止めて、僕に向き直った。

「ゆうと自己同一性について語る日がこようとは思わなかった」

「自己同一性ってなに?」

「ゆう愛してる」

「誤魔化されたっ!?」

 無表情から一変して、姫風が柔らかな笑みを浮かべる。

「なにがオカシイのさ?」

 姫風が何気無なにげない素振りで、右手を差し出してくる。

 手を繋いで帰ろう、と言ったところだろうか?

「ゆう可愛い」

 手を繋ぐくらいなら良いかな、と僕は姫風に左手を差し出す。

 けれど、その手はかわされて、僕は後頭部を掴まれてしまい、そのまま姫風に引き寄せられて、

「あのね、男が可愛いって言われても嬉しちょ放しなさ――」

 キスされた。


「ゆう愛してる」




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