2.夏期休暇
スムーズなステアリング捌きで、ハイエースコミューター(十五人乗り大型車両)が、一戸建てに完備されたコンクリート打ちの駐車場へ、ゆっくりと停車した。
毎年の送迎を、バスと断言しても過言ではないこの車両で行っているらしく、叔母さん有する大型免許印の車内は、終始一貫して潮の香りが充満していた。ちょっと吐きそうだった。
各々キャリーケース、スポーツバック、カバン等々を携えて下車し、最後部のカーゴスペースから国府田さんを下ろして、施していたアイマスクとガムテープの拘束を解いた僕たちは、何事もなかったかのように荷物を担いで、下宿先へ進路を取った。
「うぅ……こ、怖かったよぅ――って、ここどこ!? ボクのスポーツバックがなんでここにあるの!? え!? 今日から一ヶ月間住み込みでバイト!? 聞いてないよぅ!? ボク、帰るよぅ!!」
自宅で寝ているところを姫風により突然拉致されたパジャマ姿の国府田さんが、わんわん泣き出した。
「人災だけど、天災だと思って諦めなさい」とドライな相庭さん。
新海さんがよしよしと慰めている。ほんと、気の毒に。
下宿先へと先導する叔母さんは国府田さんを眺めながら、「大人になればそれもまた良い笑い話になるわよ」と保護者失格な暴言を吐いていた。
潮の香りと照り付ける太陽、寄せては返す波の音に、担いだ荷物の重さを忘れて、僕は思わず傍らの姫風に呟く。
「空気が澄んでるね」
駐車場から見回した風景は北に一面の広大な山と、その中に埋もれる赤い鳥居、なにを奉っているか解らない神社、進行方向東にはリアス式海岸のように崖となった岬と、そこに佇む叔母さんの一戸建て、西には車が通過してきた国道、南には瀬戸内海を一望できる海岸――砂浜が広がっている。
ここの海岸線へ来るまでに見かけた店舗は、コンビニとホテルと民宿とファミレスだけ。都市部とは二十キロほど離れているので、排気ガスの匂いより、潮の香りがいっそう強かった。
海水浴場に来た回数が皆無の僕は、太陽の光を受けてキラキラと輝いている水平線に感動する。
「海も綺麗だね」
「ちょっと海を干上がらせてくる」
「なんで!?」
「ゆうが私以外を綺麗と表現することは許されない。濡れない」
「相手は海だよ!? あとさりげなく痴女語を混ぜないで!!」
その場に荷物を置いて、スタスタと海岸線へ歩き出す姫風。
ピロシキや新海さんだけじゃなく、海(無機物)にまで嫉妬するとか驚きだよ!!
姫風なら本気で海をどうにかしてしまいそうで怖い。
だから、即刻呼び止める。
「姫風待て!」
「待つ」
みんなの視線を一身に背負う姫風がピタッと止まった。
相変わらず変なところが素直で良い子だ。
こちらに振り返らず、眼前の大海原をガン見しているであろう姫風に、僕なりの引き留め口上を告げる。
「み、水着! そう、水着が見たいなぁ!! 姫風の水着はどんなのだろうなぁ? きっと僕が好きそうなのをチョイスしてくれたんだろうなぁ……」
流石に見え見えの引き留めでは苦しいかも、と冷や汗を垂らしていたところ――
「見せる」と踵を返した姫風がこちらに戻ってきた。
うん、単純で助かる。
姫風が自分のキャリーケースを漁り始めるや――
「水着のお披露目は、まず荷物を室内に置いてからでもよくないかしら」
叔母さんがそう助言をくれた。
叔母さんの助け船に、これ幸いと乗っかる。
「叔母さんもああ言ってるし、荷物を置いてから水着を見せてくれる?」
「見せる」と姫風が素直に頷く。
そして、一同はほっとしながら、目と鼻の先にある一戸建てへと進行を再開した。
◆◆◆
玄関口にて、順にキャリーケースのコロコロ(キャスター)を水布巾でふきふきしている僕らに、叔母さんがこう言った。
「三階に六畳が三部屋、二階に七畳半が四部屋あるから、好きに部屋割りして頂戴。部屋に荷物を置いたら昼食にしましょう。バーベキューでいいかしら?」
「飯より先に泳ぎたいッス!」
元気良く佐竹くんが挙手した。
駅前に集合したのが八時で、車内では殆どの人間が寝ていた。現在の時刻は十一時を少し回ったところで、佐竹くんに同じく僕もお昼ご飯はまだ食べたくない気分だ。
「みんなも?」
国府田さん以外が叔母さんに首肯した。
「それなら、バーベキューは砂浜でしちゃいましょう」
敬礼した佐竹くんが「イエスマム!」と叫んだ。
今更だけど人選を間違えた気がする。
僕らは叔母さんになつく佐竹くんを放置して、リビングに上がり込み、さっさと話を進める。
「んで、部屋割りはどうする?」
面倒臭そうにピロシキがそう告げた瞬間、姫風が僕を脇に抱えた。
「私はゆうと二人きり」
「お、お姉さんだからってそんな横暴は許せません!」
「俺だって鈴城嬢と同じ部屋が良いぞ!」
新海さんと放置に気づいた佐竹くんが、姫風に言争を吹っ掛け始めるけど、姫風はいつもの無表情で涼しい顔だ。
そんなことよりも、なぜか僕の世界(視界)は横向きだよ?
「――はっ!? 下ろしてよ!?」
新聞紙やサーフボードばりに、あまりにも自然に抱き抱えられていたので、僕自身の脳が現実逃避をしていたらしい。
ジタバタもがくけど姫風は放してくれる気配なし。
「鈴城くんが下ろしてって言ってます!」
「そうだそうだ!」
「イヤよイヤよも好きのうち」
それは恋愛の機微でしょ!?
「僕を平然と小脇に抱えたまま言い争わないでよ!!」
「イヤ」
「好きのうち!?」
なにその応用実践編。
「姐さん姐さん、そいつと同室の場合、寝込みを襲うイベントとかできなくないですか?」
「なに言ってんのピロシキ!?」
「それも捨てがたい」
「姫風は僕を速く下ろしなさい!」
「ゆうやから襲われるなら、別室の方が良いと思わないかい?」
「椿さんまでなに言っちゃってんの!?」
カオスが呈し始めたところにジジイが割って入る。
「わしからも提案なんじゃが、こんな感じはどうかのぉ?」
ジジイが口頭で提案した部屋割りは以下の通り。
1.優哉 寛貴 わし
2.鈴城姉妹
3.新海 相庭 国府田
4.灰田 佐竹 妹尾
姫風以外はすんなりと納得した。
僕は姫風に説得を試みる。
「妥協しようよ!」
「ここは譲れない」
「いつも譲らないよね!?」
名物・押し問答に発展するところで――
「逢い引きするのもありじゃないかしら?」
しれっと叔母さんが言い切った。
姉弟でセックスを助長するような発言は良いのか、保護者として。
「とりあえず、鳳くんだったかしら? その子の言う部屋割りにして、さっさと荷物を置いてきなさい。明日からバリバリ働いて貰うから、今日のうちに遊んでおかないと後悔するわよ?」
「だってさ。どうするの姫風?」
叔母さんと僕に視線を往復させた姫風は、「この件は保留する」と一言告げて、僕や荷物を抱えると、疾風の如く二階へ移動。勝手に七畳一間を占拠した。
「これ保留してないよね!?」
姫風は人の忠告を聞かない。
◆◆◆
各自、バーベキューセットや食材、水着用具を携えて拠点たる「海の家」へ移動する運びとなった。
後発組の遊具運搬係たる姫風、椿さん、灰田くん、妹尾くんを残して先発組の僕らは、夥しいほどの太陽光を浴びつつ、炎天下のコンクリートを歩く。
叔母さんの別荘(?)から「海の家」までは目測三〇〇メートルくらいの距離だ。
視界を遮断する障害物がない為、まさに目と鼻の先と言った表現がぴったり。
各々額から吹き出す汗を拭いつつ、荷物を輸送する。
そんな中、僕だけが手ぶらだった。
「どっちか僕も持つよ」
「バカを言うな。鈴城嬢にこんな重い物を持たせる訳にはいかない」
そう言って憚らないのは、備長炭袋二十キロとバーベキュー用鉄板十キロを担ぐ佐竹くん。
「……いや、でも」
「甘えた声を出して、俺を誘惑するのはやめるんだ、鈴城嬢」
※誘惑してません。
「佐竹くんがそう言ってるんだから、持って貰えば良いじゃない」
「相庭さん」
玉葱を入れた袋を抱えたシニヨン頭さんは、先行するピロシキへ追い付くと、「これも持ちなさいよ」と押し付けてさくさく歩いて行く。
「梨華てめえ、ざけんな!」
鉄の塊たるバーベキューセット本体二十キロを、えっちらおっちら運んでいたピロシキがキレた。
しかし、相庭さんはどこ吹く風で、新海さんから奪った牛肉や国府田さんから奪ったトウモロコシを次々上乗せしてゆく。
重量はどうにかなるにしても、バーベキュー本体は非常に持ちにくく、運びにくい。
些細なことでイラつくのは解る。相手がピロシキの天敵・相庭さんなら尚更だよね。
「ま、じゃんけんで負けた故に、それらは甘んじて受けることじゃな。それとも、わしのこれと代わるか?」
ピロシキの隣を歩くジジイは、ポリタンク(二十キロの飲料水)を二本担いでいる。
それを眺めたピロシキはなにも言えなくなった。
「ピロシキ、僕も手伝うよ」
「お前は佐竹とちちくりあってろ! あとピロシキ言うな!」
僕をにべなく切り捨てたピロシキは、バーベキューセット本体を掴み直すと、「あのクソ女眼鏡ドブスがああああああぁぁぁっっっ!!」と悪態をついて、先行する相庭さんを追い抜き、「海の家」まで全力疾走して行った。
「お〜若いわねぇ〜」と叔母さん。
全身全黒ずくめのサマードレスを纏い、真っ黒な日傘を差して僕の隣を歩いている。紫外線対策はバッチリみたいだ。
「優哉くんは友達に恵まれてるわね」
叔母さんはいつも陽気な加齢臭(父親)とは似ても似つかない、静かな微笑みを浮かべている。
「みんなにはいつも助けられてます」
「あら、いつも助けて貰ってるの?」
「僕は超絶バカなので」
叔母さんは口元に手を当てて「まぁ、そうなの?」と微笑む。
「でも、その理由だけでは、お友達たちは助けてくれないと思うわよ?」
「……そうですか?」
首を傾げる僕に、みんなを見回した叔母さんが、「ね?」と微笑む。
「お互いになにかしら惹かれるところがあるから、友達関係を続けているのよ」
周囲のみんなは、神妙な、あるいは納得したような表情で首肯している。
救いようのない僕だからこそ、みんなは助けてくれていると思っていたんだけど……違うのかな?
「人徳とでも言い換えれるわね」
「……じんとく?」
首を捻りに捻っている傍らで、叔母さんは僕らから目を逸らし、眼前を眺める。
しかし、眼前とは違う、どこか遠くに思いを馳せるような表情に見えた。
「学生時代の友達は一生ものよ。社会人と違って、打算なく付き合える関係は幸せなことだから、これからもみんな仲良く、この関係を大切にしなさいね」
一生ものと言われてもピンと来ない僕だけれど、大切なことを言われたのは理解できる。
「さぁ、先ずは中で着替えてきなさい」
そうこうするうちに「海の家」へ辿り着いていた。
叔母さんとの一時は、思考を廻らせるに値する、貴重な時間だった……と思う。
◆◆◆
叔母さんの運営する「海の家」は、外観が所々錆びていた。
「海風の影響だから仕方ないのよ」とは叔母さんの嘆き。
和風な雰囲気を醸す室内・一階層は吹き抜けとなっていて、全面畳み張りのお座敷仕立て。まるで餃子の○将だ。「海の家」開放時は御食事処兼遊具貸出しフロアだとか。二階層は休憩処兼着替処、三階層は貴重品預処となるらしい。
「詳しい説明は明日に持ち越すとして、まずはバーベキューにしましょう。水着に着替えたら手伝ってちょうだいね」
叔母さんに促された女性陣は二階へ移動。僕の周囲を軌道衛星ばりに寄り添う姫風だけど、水着に着替えるとなると、グズるかと思いきや、意外にもすんなりと二階へ移動した。
なにが狙いか解らなくて怖い。
叔母さんがキッチンに消えたことを確認した僕らは、水着をそれぞれ引っ張り出す。
「パンツパンツと」
持参した手提げから僕が海パン(トランクスタイプ)を取り出していたところ――
「――え? ……す、鈴城嬢?」
佐竹くんが疑問符満点の声音を上げた。
ついで鼻からツツーと赤い流液を垂らす。
「あ、あれ? 鈴城嬢も二階へ行かないのか? まさか……俺の為にサービスシーンを!?」
「その発想がむしろサービスシーンだよ!?」
ツッコミし過ぎで体を壊した場合、労災は適用されるだろうか。
「されるかバカ」とピロシキ。
「心の中を読むな!」
「お前口に出して喋ってんじゃねえか」
また!?
「穴があったらそこで悠々自適三昧したい!」
「どんな理想郷だそれ」
さっさとゾウさんを解放したピロシキが、デイパックから海パンを取り出す。
すると僕とピロシキを遮断するように佐竹くんが割って入った。
「坂本! 鈴城嬢に密集したヒジキと粗品を見せるな!」
「いや僕自分の見慣れてるし」
と言いつつ各々自分のヒジキを見下ろす。
僕も自分のトランクス内を覗き込んで「……ヒジキ?」と首を傾げる。
最初に顔を上げたピロシキが、佐竹くんに半笑いで返した。
「粗品とか地味に傷つくな。つ〜か、初めて聞いたぞ、密集したヒジキって」
「言い得て妙じゃな」とジジイは覗き込んでいたボクサーブリーフから顔を上げた。
「そりゃ鳳からすれば俺たちのナニは粗品だろう」
灰田くんはいち早く脱ぎ脱ぎして、すでにTシャツ・海パン姿にチェンジしている。
「そんなことはなかろぉ」
言いつつジジイがボクサーブリーフを脱ぎ脱ぎ。
その瞬間、僕、ピロシキ、佐竹くん、灰田くん、妹尾くんの目が同時に点となった。
時が――止まった。
ジジイだけはマイペースで海パンへの履き替えを終える。
「お主らも早く着替えてバーベキューの手伝いに来い」
言い残すとジジイは一人、叔母さんが食材を切っているキッチンへ消えていった。
時が――動き出した。
「……ば、バカな」
僕の呟きに、辛うじてピロシキがこう応えた。
「……あ、足が、三本あるだと?」
僕らのプライドはズタズタだった。
◆◆◆
ジジイに深傷を負わされた僕らは、どうにか着替えてキッチンへ移動した。
ちなみに陽射しと姫風対策で、僕はTシャツを着用したままにしておいた。あの痴女は僕の乳首をこねくりまわす悪癖があるのだ。
叔母さんによって、食べ易いように切断された食材たちをバケツリレーの要領で運び、次々とバーベキューセットの周囲に設けた簡易テーブルへ置いていく担当と、火を起こす担当に男性陣――僕らは別れた。
着火担当その1のピロシキが備長炭に着火。着火。着火。着火。着火。着火。着火。
「着かねえええぇぇぇっ!!」
役立たずが絶叫した。
新聞紙に着火しては、それに備長炭を近づける行為を十数度繰り返していたピロシキ。
端から見ると遊んでいるようにしか見えない。
「ピロシキ、そう言うネタは良いから」
「いやネタとかじゃなくて、マジで火が着かねえんだよこれが。あとピロシキ言うな!」
「ほんとに〜?」
「やってみろよ」
備長炭を幾重にも新聞紙にくるみ、ピロシキから借りたライターで着火。ちょっと燃焼したところでそれをバーベキューセットの炭設置場に放り込んだは良いけど……火種はくるんだ新聞紙だけを焼き尽くして、その役目を中途半端に終えた。
「あれ〜?」
「言った通りだろ?」
※備長炭は着火し難く、一度燃焼すると、長時間燃え続ける性質を持ちます。
強敵・備長炭を前に着火担当の僕とピロシキが懊悩していたところ、「火を着けたいの?」と背後から鈴を鳴らしたような声音が響く。
僕が「うん」と首肯するなり、鈴を鳴らしたような声音の持ち主――姫風が、ピロシキからライターを受け取り、備長炭にドボドボとサラダ油をかけて、炭入れの中にピロシキのライターを放り投げた。
「ちょっ!? オレのジッポっ!!」
ボッと備長炭が一気に燃え盛る。
「着かないのなら、着くようにすれば良い」
豪快と書いて「ひめか」と読む。
◆◆◆
「……サラダ油入れ過ぎだよ」
熾烈な勢いで備長炭がキャンプファイアー並みに燃え盛っている。
容疑者である姫風は、僕の背後に無言で直立していて、その前に居る僕は業火に砂をかけたり備長炭を分散させては、火力の調整を行っていて、ピロシキに至っては、火柱の中からどうにかライターを回収しようと試みていた。
プチカオスだ。他のメンバーはまだか。
バーニングされたライターをどうにか回収した涙目のピロシキが、「……ステンレスで良かった」と呟いて、それを砂中に埋葬してゆく。
「なにしてんのさ?」
「熱いから冷ましてんだよ」
「海水かければ良いじゃん」
「錆びるだろっ!?」
納得。
ちなみに、これ以後も、ライターを廃棄されかけたにも関わらず、姫風に喰ってかからなかったピロシキには正直がっかりした。
曰く、強い相手には下手に出る。これがピロシキの渡世術だそうだ。
ピロシキがこの話は終わりだ、とばかりに姫風へ向き直る。間髪入れず「ありゃ?」と疑問符を零すイケメン野郎。
騙されて悔しい思いをしたくないので、僕は振り返らない。
用心する僕を尻目に、ピロシキが続ける。
「拍子抜けっつ〜か、姐さんの水着は控え目なんスね。てっきり優哉を落とす勢いで、ビキニタイプをチョイスしてくるかと思ってましたよ」
落とされて堪るか!
「ゆうの寮室本棚三段目右隅に競泳用水着を着用してくんずほぐれつセッむぐ」
「ああああああぁぁぁぁぁぁ!?」
死に物狂いで姫風の口元を押さえ付けた。
今のピロシキ以外聞いてないよね!? 特に新海さんはまだ来てないよね!?
へ〜、とピロシキ。
「イ○ポくんは、水着が好きなのか」
イ○ポくん言うな!
「付け加えると、ゆうは過度なヌードよりもチラリズムが好み」
「僕の趣味嗜好を暴露するな!」
「恥ずかしい?」
「当たり前だよ!! もうお婿さんに行けないっ!!」
頭をかきむしる僕。
「私がゆうを嫁に貰うから安心して」
無表情な姫風がなに食わぬ顔で僕の隣――左側にポジションを取る。
ええい、距離を詰めるな!
サイドステップで姫風から距離を取る。そしてモンクの一つでも言ってやろうと痴女に向き直って、僕は驚いた。
「よ、嫁入り!? 僕を性転換させるな! ――って、あれ? ホントだ」
ピロシキが告げた通り、痴女の二つ名を持つ姫風にしては予想外な、露出面積の少ない真っ白な競泳用水着だった。
長髪の黒髪によく映える、自分の見せ方を熟知した白水着。白黒のコントラストにちょっとだけドキマギ。ど、ドキマギってなにさ。
「水着姿の私を見て」とばかりに姫風が僕の隣で肢体を強調する。
無視すると誰かが被害にあうので、姫風の顔から足元のビーチサンダルまで視線をスライドさせた。
相変わらず巨大なメロンさんに二回ほどコンニチハをして、日本人離れした腰の高さやくびれ――プロポーションの良さに改めて驚き、体のラインをはっきりと浮き立たせている水着に「凶器だ」と感じた。
競泳用水着なので、生乳の谷間やお臍が見えないことにちょっとだけしょんぼりする僕。
それを察したのか、僕を覗き込みながら姫風が言う。
「ガッカリした?」
「しょ、しょんなことはないよ?」
「でも安心して」
「……なにを?」
「私の水着は徐々に露出度が変わる」
「どんな未来素材だよ!?」
僕の「未来素材発言」を「意味合いが違う」と姫風が否定した。
「今回は三十着の水着を持参した。日を追う毎に露出度が変わる仕組み。あと二十九着を楽しみにしていて」
「お前は日替わり定食か」
……気のせいだろうか。最終日の水着が凄く卑猥な気がする。
「そっちはどうじゃ?」
バケツリレー組の好好爺が現れた。
「おぉ、お主たち、よく火が着けれ、た、のぉ……な、なんじゃ? この業火は……」
バーベキューから噴き出す火柱を見上げたジジイが呆然と立ち尽くしている。その手には四角くて白いなにかが握られていた。
「なにそれ」
「ん? あぁ、これは固形燃料じゃ」
我に返ったジジイが固形燃料の説明を斯々然々(かくかくしかじか)と行なった。
固形燃料とやらは火種の一種らしい。
「それさえあればオレのジッポは無傷だったのに!」
ピロシキが悔しそうに固形燃料を睨みつけている。
「親の敵ばりにわしを睨むな」
「祐介がそれを早く持ってくりゃあ睨まなかったんだよっ!! クソがっ!!」
八つ当たりも甚だしいね。
激昂するピロシキに対して、ジジイがやれやれと首を横に振り、僕へ耳打ちする。
「寛貴が荒れておるのは、わしのせいか?」
「ジジイは一欠片も悪くないよ」
ジジイに「悪いのはそこの豪快」と指摘するも、いまいち要領を得ないと言った表情で、ジジイはバケツリレーを続行するべく、室内へ戻って行った。
指摘した豪――あらゆることを意に介さない姫風は、火柱を沈静化させたあと、鉄板と網をバーベキューの台座に載せて、網の上に数本のトウモロコシを転がした。
「なんで最初にトウモロコシを焼くのさ?」
お肉は?
「火が通り難く冷め難い。なによりゆうの好物」
僕を見つめながらトウモロコシにハケで醤油を塗る姫風。
「なんでトウモロコシが僕の好物だって知ってるのさ……」
「ゆう歴十一年の私からすれば常識」
「常識なんだ……」
焼きトウモロコシの合間を縫って、隣の鉄板には焼きそばの玉、卵、もやし、青海苔、ソース、鰹節を落とし、両手に装備したヘラで、巧みな麺捌きを見せつつ、あっという間に姫風風焼きそばを完成させる。
姫風曰く、この焼きそばは、出来上がるまでに時間がかかる焼きトウモロコシの“繋ぎ”らしい。
手際の良さに関心していた僕へ、「火力が命」と姫風が紙皿に盛った焼きそばと割り箸を渡してくれる。
。
アピールポイントは火力?
「あ、ありがと」
姫風の手際の良さに空腹を刺激されたのか、怒髪天だったピロシキが自分の顔を指差した。
「姐さん、オレのとかは……?」
「あ、じゃあこれあげるよ」
そうピロシキに手渡そうとした瞬間、姫風がヘラを僕とピロシキの間に突き刺した。
「坂本が食べた場合、黒マッチョを婿に行けない体にする」
「ジジイ関係なくないっ!?」
僕をスルーしつつ姫風が続ける。
「同級生の結婚報告を耳にする度、ゆうや坂本はこう思う」
一呼吸置いた姫風の迫力に「ごくり」と生唾を飲み込む僕とピロシキ。
「黒マッチョが結婚できない理由は、あの夏の昼下がり、坂本が焼きそばを食べたせいだ……と」
地味にキツイ嫌がらせだ!
精神への攻撃に耐性がないピロシキは早々に音を上げる。
「ゆ、優哉! これはお前が食べろ! いや食べるべきだ!」
「そうだね! 僕が食べるべきだね!」
焦燥感に駆られるピロシキを無視した姫風が、無表情で僕を見つめてくる。
早く食べろ、と無言で催促をされているっぽいので、両手を合わせていただきます。
ぱく。もぐもぐ。ごくん。
一口、三口、七口、完食と嚥下した瞬間、双ヘラを空中に放り投げた姫風が、ズズイと顔を近づけてきた。
「味はどう?」
「近い近い!」
キスまで五ミリ!
急いで顎を引く僕の動きをトレースしながら姫風が距離を詰めてくる。
「思わず婚姻届に判を押したくなる味?」
なにその味!?
今にも重なりそうな僕と姫風の唇。それに加えて姫風からの甘い吐息のせいで、焼きそばの味なんて完全に吹き飛んでいる。
「お、美味しいけど判を押す程じゃないかな? あとちょっと顔が近いかな? ひいっ!?」
姫風が離れ際に僕の鼻頭を「れろ」っと舐めた。
「精進する」と言い残した姫風は、空中から落下した双ヘラをキャッチして、炙り中のトウモロコシ前へ戻る。
姫風の舌攻撃により、僕が無様に尻餅をついていると――
「わ〜♪ 良い匂いだよぅ!」
「もうなにか焼いてるようね」
「んいっ! 手伝わないと!」
ドタバタキャッキャッと華やいだ声音が「海の家」内部から聞こえてきた。
「閣下閣下、なにをすれば良いの? ボク手伝うよぅ!」
「あら、まだ焼きそばとトウモロコシしか焼いてないのね」
「えっと鈴城さん、わたしはお肉を端から焼いていけば良いのかな?」
玄関口にあたる場所から声の主たち――国府田さん、相庭さん、新海さんが出現して、バーベキューセットの周囲が一気に騒がしくなった。
話しかけられている姫風に至っては、トウモロコシを凝視したまま、総スルーだ。
え〜ここで、姫風の水着を紹介した手前、他の女性陣の解説もしちゃいます。
決して姫風の露出が少なくてがっかりしてるからとかじゃないよ? 断じてないよ?
んん。ゲフンゲフン。
まずは姫風の周囲をマメシバばりにうろちょろする国府田さんに目を向けます。
茶髪ボブカットを後で二つにくくっているボクっ娘は、トップ(上半身)がタンキニタイプ(キャミソール型)で背中は大きく露出していて、ボトム(下半身)はボーイレッグ(ショートパンツ型)だ。色気よりも可愛らしさが際立ち、元気印ここにありって感じ。
続きまして長髪を今日もシニヨンにされている泣き黒子がエロい、狐顔な相庭さんに解説を移行します。
ミスコン上半期一位を獲得した相庭さんこと、エロい巨乳美人さんは、セパレーツタイプ(ビキニを控え目にした感じの型)を纏っていて、胸に自信がある証拠らしく、ストラップレス(肩紐がない型)だ。しかしストラップレスなので、頻りにブラと胸の間に指をつっこんでそれの位置をクイッと調整している。
クイッぽよんクイッぽよんクイッ――けしからん! あのズレ易い代物は実にけしからん! このままでは生乳ポロリのYOKAN。はっ!? 僕、そんなこと思ってないよ!?
つ、続きまして、網にお肉を乗せて焼き始めた新海さんの解説に移行させていただきます!
いつものヘアースタイルたる茶髪ポニーテールはそのままで、真っ赤なハイビスカスをあしらったワンピースタイプの“白水着”を纏っていらっしゃる。
新海さんの正面で睨殺せんばかりにトウモロコシを凝視する人物と、新海さんをつい見比べてしまう僕。
配色がモロ被りだ! け、けど気にしない!
新海さんの背中は、なんとベアバックタイプ(背中を大きくカットした型。バックレス)で、思い切って冒険した感じなのだ! 胸が薄いから背中で勝負って感じだね!
フォローって難しいね……。
これ以上なにか言うと全力で墓穴を掘りかねないので、僕のコメントは控えさせていただきます。遅いか。
僕も「なにか手伝うよ」と話しかけようにも、男性陣と女性陣の間で、『見えない壁』みたいな隔たり――遮蔽物ができていて、おいそれとは喋りかけれない。
これがドキドキ水着効果か!
それはそうと――
「熱ぃ!」
僕は砂から臀部を跳ね上げた。
真夏の砂浜恐るべし!
バケツリレーを終えてすっかり手持ち無沙汰なジジイが、僕を見下ろして好好爺ばりに笑顔を向けてくる。
「ほれ」と差し伸べてくるジジイの手に掴まり、僕は「せいっ」と立ち上がった。
「一々リアクションがウゼエよお前」
僕を見下すピロシキの物言いにカチンときた。
素早くしゃがみ込み、太陽光線で熱された砂を掴んでピロシキに投げつける。
「メラゾーマメラゾーマメラゾーマ!」
「わっちょっ目が! あちっバカっやめっ口に! メラゾーマヤメロゴラアアアァァァッ!!」
僕全力逃走。ピロシキ全力追走。背後からみんなの笑い声が聞こえてくる。
よく解んないけど、笑いが取れてるよ僕ら!
結果――二分でバテた。
ぜーはーぜーはーと荒い呼吸を繰り返す汗だくなピロシキと僕。
二人して「海の家」のお食事処にあたる畳敷きのそこへ、大の字で倒れ込んだ。
……疲れた。「スタミナがない」の一言に尽きる。
「お」とピロシキ。「ん?」と僕。
不意に二人して真上で揺れているなにかに気づき、それを眺める。
目を凝らさなくても、鴨居から伸びたそれは、紐で吊るされている風鈴だと認識できた。金魚の絵柄が描かれていて、ゆらゆらと風に靡いているのだ。
「……なにやってんだオレたち」
「……青春の一ページとか?」
「……痒いこと言うな」
「……そうだね」
呼吸が調ってきたところで、なんとはなしに目を瞑る。
風鈴の音だろうか。チリンと鳴る涼音が、耳朶に心地好い響きを届けてくれる。
僕は「長閑だなぁ」と内心で独りごちた。
腹筋を使い「よいせ」と半身を起こし、ここから目測十メートル離れたバーベキューセットの周囲を静観する。
佐竹くん、灰田くん、妹尾くん、叔母さんもバーベキューの具材を携帯して、姫風たちの輪に加わった。
程無くして、バーベキューの周囲は、誰からともなく笑いが零れ始める。
僕とピロシキを抜いた総勢十人がバーベキューの前で談笑しつつ、焼き肉なり、野菜なりをつつき回している。
「なんか良いね。こう言う光景」
「梨華が居なきゃな」
ピロシキが憎まれ口を叩きつつ、『二十歳未満は口にしちゃいけない物』を海パンのポケットから取り出し、それの端をトントン叩いて、一本ニョキッと出てきたところを、パクッと食わえる。
「どんな因縁があるか知らないけど、そこまで毛嫌いしなくても良いんじゃないの?」
不機嫌も顕にピロシキが鼻を鳴らした。
「同じ状況下に置かれてねえヤツに言われてもな」
僕と姫風みたいな特殊関係じゃあるまいし。
「簡単にキレイだねって言っちゃうこともできない、と」
「そもそも梨華をキレイだとは思ってねえし」
「実は恥ずかしくて言えないだけとか?」
「ウゼエ」
バッサリ言い捨てられた。
わざとらしく肩を竦めるリアクションを取る僕。
「そもそもあっちが絡んでこなけりゃ、オレサマはどうこうする気なんかねえんだよ」
バツが悪いと感じたのか、ピロシキが言い直した。
「自分から事を荒立てるつもりはないってことだね」
無言で肯定を表したピロシキは、『二十歳未満は以下略』に火を着けることなく、海パンから取り出した携帯用灰皿に、それを押し潰してしまった。
雰囲気が重苦しい訳でも、喋り難い訳でもないけれど、それっきり会話もなく、どちらからも口を閉ざしてしまう。
どれくらい経過しただろうか。
「オレサマのことは良いとしてだ」
僕に視線を移さず、眼前の蒼い海原を見つめたまま、不意にピロシキがこう言った。
「――お前の本命は、誰だ?」
僕の本命……? それは、その、新か――
「ゆう食べて」
丹精込めて焼き上げたトウモロコシを、姫風が紙皿に載せて現れ、僕の隣に腰を下ろした。
「ん? あぁ、ありがと」
空気を読んだピロシキは、さっきまでの雰囲気はどこへやらと言った感じで、姫風に向いて「優哉とごゆっくり!」と自分のスペースを空け渡し、ここから逃亡を果たす。
敵前逃亡はあとで銃殺刑だね!
脱兎の如く逃げ出すピロシキの後ろ姿を睨んでいたら、姫風に紙皿ごとトウモロコシをぐいぐい押し付けられた。
「丹念に焼いた」
「眼球に押し付けられるとちょっと見えないかな!」
視界が黄色一色だよ!
姫風が紙皿を引いた。
「丹念に焼いた」
「とある事情でたった今目が見えなくなったからちょっと待っててくれるかなっ!?」
なぜだか涙が止まらないんだ!!
姫風に顔を掴まれた。
「丹念に焼いた」
「だからって、瞼を全力で開かないでくれるかなっ!?」
瞼断裂の危機だよ!?
姫風と距離を置くこと数分、漸く僕の視力は回復した。
「丹念に焼いた」
他の台詞はないのか。
「……はぁ、あ、ほんとだ」
紙皿の上にあるトウモロコシは、一粒一粒の焼き色が均一で、完璧な職人芸の領域だった。
「む、無駄に凄いね」
「愛情七〇〇〇パーセントを込めた」
「それ呪いの域だよね!?」
また無言で早く食え、と姫風がプレッシャーを与えてくる。
「……い、いただきます」
両手に持った職人芸の塊にかぶり付く僕。もぐもぐ。歯と歯の間に挟まらないようもぐもぐ。
「味はどう?」
「醤油味」
「違う。美味しいのか、凄く美味しいのか、今すぐ私を押し倒したいのか訊いてる」
「できれば張り倒したい」
「味はどう?」
スルーか! ならば僕もこう答えるまでだ!
「凄く醤油味」
無表情な姫風が僕を見上げながら唇を尖らせて拗ねる。
「いぢわる」
「幼児退行するな」
「ツンデレはやめて」
「誰がツンデレだ!」
「デレ期はいつ?」
「誰がデレるか!」
「今の一言で愛情計測器が最安値を更新」
「なにその計測器!?」
要所要所でツッコミをいれつつ、焼きトウモロコシ醤油風味を完食。姫風にご馳走様と両手を合わせる。
「お粗末様」
「それ言いたいだけだよね?」
「付け合わせに私も食べて」
「胃がもたれそうだから嫌だ」
「私は薄味」
「濃い口醤油より濃厚だよね」
「酷い」
「酷くない」
言うほどにめげない姫風がちょんちょんと自分の胸を指差す。
「特にここが食べ頃」
姫風が両腕でメロンさんを寄せつつ、競泳水着越しに豊満なそれを僕の二の腕へ押し付けてくる。
凄く柔らかゲフンゲフン。
「噛む?」
「か、噛みた――噛まないよ!!」
「本音は?」
「ちゅっちゅし――したくないよぉ!?」
やばい! このままじゃ悪循環だよ!!
姫風と距離を取るべく、挟まれているのとは反対の腕で姫風の肩を押し退け、押し退、押し、押――
「びくともしない!?」
いくら押しても微動だにしない。
それどころか――
「肩を抱くならもっと優しくして?」
豪快に勘違いされた。
しかも一切羞じらうことなく真顔で。
「肩を抱きたいんじゃないよっ!! 恥ずかしんだよっ!! だから離れてよっ!!」
裏返る僕の声。
ホントにやめて! 新海さんやクラスメイトたちが、僕と姫風のやり取りを時折見てるんだ!
「羞恥も過ぎれば快感に――」
「ならないよっ!!」
なにその持論!?
「視点を変えれば目眩く新世界に――」
「誘うな!」
ツッコミのし過ぎで、はぁはぁと荒い呼吸を繰り返す僕。
「私を見て鼻息を荒くしてる。嬉しい」
「そんな目で見てないし、喜ぶところでもないよね!?」
今すぐこの悪循環から抜け出す方法考えろ考えるんだ僕!
愚考しかできない僕の脳内に、その時パッと浮かんだものは――「たたかう」「じゅもん」「とくぎ」「ぼうぎょ」「どうぐ」「やばい」――ドラ●エ風選択肢だった。
「じゅもん」とか無理だよ!? あと「やばい」ってなに!?
どれを選んでも捕獲フラグにしか見えない不思議!
僕は自分の脳に残念な気分となった。
仕切り直すことも兼ねて、一先ず、手に在るトウモロコシの棒を捨ててこよう。
「これを捨ててくるから、腕から――む、胸と手を離してくれないかな?」
姫風に抱かれている腕を指摘した。意外とすんなり離してくれる。
「一緒に行く」
言うと思った。
切り返しを捻ってみる。
「……今まで黙ってたけど、僕はトウモロコシの食べ滓を一人で捨てないと、原因不明の発作が出る特異体質なんだ」
明らかな嘘を終えると同時に、「そんな!? 鈴城くん可哀想っ!! 理不尽な神様のバカアアアァァァムグッ!?」と、遠くから新海さんの絶叫が聞こえた。
声音の聴こえた方角――バーベキューの周囲に目を向けると、「むうむう」言う新海さんの口を塞いだ相庭さんが、「こちらは気にしないで」とジェスチャーを送ってくる。
気になるけどここは気にしちゃいけない気がする。気が多いね。
僕が姫風に対して更なる嘘を上塗りするべく口を開こうとした瞬間――姫風がこう告げた。
「今の発言が嘘だった場合、私の下半身が大変なことになる」
自分を人質に取るとか画期的過ぎる!!
「冗談で済ませられるのは、今だけ」
真意の読めない無表情は質が悪い。
「姫風の、か、下半身が、どうなるのさ?」
「まずゆうを押し倒す」
「まず」の時点でアウトだった。
「ごめんなさい! さっきのは超冗談です!」
得も言われぬ迫力と、身内から公然猥褻罪、または強制猥褻罪、あるいは貫通罪を出さない為に、畳の上でジャンピング土下座。
ストーキング歴約十年の姫風には、僕の嘘はお見通しだったらしく、特にお咎めなしだった。
ただ一言能面のような表情で、こう宣われた。
「私を困らせて楽しい?」
「そっくりそのまま返すよ!!」
「似た者夫婦?」
「嫌な似た者夫婦だね!! ふ、夫婦じゃないけどね!!」
顔面が熱い。きっと赤面中だ。僕とは対象的に、姫風はいつもの無表情。
少しはテレて欲し――くないよ?
「捨てて来る」
すっかり捨てることを忘れて握りしめていたトウモロコシを、寄越せとばかりに姫風が手を差し出してくる。
「これくらいは自分で捨てるよ」
「遠慮しないで」
特に断る理由もないので、トウモロコシを渡す。
すると、うっとりした表情で姫風が呟いた。
「増えた。ゆうコレクション」
「返せ! つか、それ捨てる気ないよね!?」
寧ろ大切に保管する気満々の姫風から、トウモロコシを引ったくる。
「あぁ、酷い」
「酷くない! 食べ滓まで保管しようとするな!!」
「ゆうの物は私の物。私の物はゆうの物。つまり共有財産」
食べ滓まで財産にするな!
「今まで僕の所持物が時々なくなってたけど犯人はお前かっ!!」
「犯人? 私は妻よ?」
「夫婦設定はやめようか!」
「今だけやめる。その代わりにこれを貰う」
トウモロコシの棒を僕からかっ拐い、両手で握りしめて、それを僕から庇う。
「そんな物は捨てなさい!」
「やだ」
「やだじゃない! 我慢しなさい!!」
「我慢する条件として代価物を要求する」
「食べ滓の代わりってこと? これをコレクションに加えないって約束するなら、あとでなにかあげるよ」
「………………解った」
姫風さんてば凄く渋々な感じです。
「まだ食べる? トウモロコシ」
言った先からコレクションを増やさせる気か!? その手には乗らないぞ!
「もう要らな――」
あれ? そう言えば……ちょっと待ってよ?
さっきジジイに手を牽かれて起き上がった時、姫風はジジイに攻撃してこなかったよね? 自分以外との接触を嫌う、この姫風が。
もしかして、焼きトウモロコシ職人と化している最中は、行動不能になってるってこと?
――試す価値はある!
――ほんとにある?
――ある!
僕脳内会議終了。
閃きを実行に移して実験開始。
「――要る! 姫風が焼いたトウモロコシ、僕はまだまだ食べ足りないZE!」
「任せて」
正座の僕が言うや、隣の姫風がすくっと立ち上がり、スタスタとバーベキューフィールドに戻りかけて、こちらへ振り返った。
「椿」と双子の姉に声をかける。
呼ばれた椿さんは「なんだい姫風?」と室内・上階から声だけ飛ばしてきた。
そうかダークフォース(つばきさん)はまだ上で着替えていたのか。すっかりその存在を忘れていたよ。
「ゆうをお願い」
「ゆうやを? 喜んで引き受けようじゃないか」
上階越しの椿さんは、理由を訊ねることなく承諾してしまった。
刹那で二階から降りてきた椿さんが、僕と姫風の前に姿を現す。
トップは国府田さんと同型のタンキニタイプで、ボトムはキュロパン(ショーツとキュロットスカートが一体になったもの)を纏っている。
こうして見ると、鈴城姉妹は本当にスタイルが良いなぁ、と感心させられてしまう。
って……あれ? 椿さんの胸、少し大きくなってない? いや、実際に生で見たことがないから正確なことは言えないんだけど。
微妙な違和感を覚えた僕は、椿さんの胸部をジッと凝視する。
「ゆうや、姫風、不躾にジロジロ見られると、私としては気分が良くないな」
「あ、ご、ごめんなさい」
頭を下げる僕とは裏腹に、姫風は瞬き一つせず、ジーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッと椿さんを見つめている。
「姫風?」と椿さん。
実姉に呼ばれようが、姫風は気にしていない様子。
そのまま椿さんを見つめ続けた姫風は、自分の胸部に視線を移行して、また椿さんの胸部に視線を往復させる。
「な、なにかな? 姫風」
椿さんは不機嫌面から、怪訝な表情に変わる。
ややあって、椿さんの胸部を鑑賞し終えた姫風が、視線を椿さんの顔へ移行すると同時に――嗤った。
「ひ、姫風、なにが面白いのかな?」
「パッド――はみ出てる」
「嘘っ!?」
椿さんが両手で胸を覆い、僕を見て、姫風を見て、恐る恐ると言った面持ちで、自分の胸元に視線を落とす。
「嘘」
「騙すなんて酷いじゃないかっ!!」
鼻声プラス涙目の椿さん。
「胸を騙すのも酷い」
「うぐっ」と椿さんが胸部を押さえて一歩後退さる。
事実(?)を突き付け終えた姫風は、「ゆうを任せる」と言い捨てて回れ右をし、バーベキュー前に陣取って居た国府田さんを押し退け、網の上にトウモロコシを転がしてゆく。
国府田さんが「閣下酷いよぅ!」と抗議したけれど、案の定黙殺された。
取り残された僕と椿さんの間には、微妙で気まずい空気が巡っていた。
ここはなにか話を振らなきゃいけないよね。
あ、知らない単語を訊ねてみよう。
「椿さん――パッドってなに?」
「……ゆうやは知らなくて良いものだよ」
凄く悲しい目をされたので追求はやめておいた。
再び微妙で気まずい空気が巡り始めたところで――
「……し、姉妹フィールドだと!?」
素っ頓狂な声音が聞こえた。
この声は佐竹くんだ。
バーベキュー周辺で灰田くんとふざけていた佐竹くんが、驚愕に顔を歪めながら、姫風、椿さん、僕を順に見回している。
「くっ……考えたな鈴城姉妹め!」
佐竹くんが悔しそうに歯噛みをしている。
僕には理由が解らないけど、恐らく知らない方が幸せな気がする。
◆◆◆
熱心に焼きトウモロコシを製造する姫風を眺めつつ、国府田さん、相庭さん、新海さんがキャッキャウフフしながら肉、野菜、魚、麺を焼く姿を堪能する。
ん〜眼福眼福。
「女が三人寄ると姦しいとはよく言ったものだね、ゆうや」
隣に居座るダークフォース卿がそう宣った。
カシマシイってなに? それ日本語?
「それはそうと、ゆうやは誰の水着で、鼻の下を伸ばしているのかな?」
不機嫌面な椿さんの指摘に、僕は急いで鼻の下を両手で覆う。
「の、伸びてました?」
「七メートルくらいね」
それ人じゃないなにかだよ。
「一つ良いことを教えてあげよ」
「なんですか?」
「女の子と言うものは、視線に敏感な生き物なんだ」
「つまり?」
「つまり、胸の谷間や股間はあまり見つめない方が良い」
ギョッとした。胸のない椿さんから谷間と言う単語が出たことにギョッとした。
「チラチラ盗み見されていると、こちらとしてはあまり気分は良くないものだよ」
「……き、気を付けます」
本気で気をつけよう、とミニマムな新海さんの可愛い水着姿に誓う。
それはそれとして、また気不味くなってしまった。さっさとここ(椿さん)からエスケープしたい。
周囲を見渡せど、海原とバーベキュー風景のコラボレーションのみ。逃亡できそうにないね。逃亡は諦めて、いっそ海の感触でも楽しんでこようかな?
「……ちょっと泳いでこようかな」
「行ってくると良い」
不機嫌面の椿さんは保護者然とした言い方だった。
そんなに僕が嫌いなのか。
「つ、椿さんは泳がないの?」
マナーとして形だけ誘ってみる。
「塗ったばかりの日焼け止めが海水で流されてしまうから、今日のところは遠慮しておくよ」
言質獲得!
即「椿さんは海に近づかない」と心の中の項目欄に○を付けた。
椿さんからのお許しが出た僕は、尻ポケットからゴーグル(水中メガネ)を取り出して、ビーチサンダルを脱ぐや、海へと駆け出す。
「海だあああぁぁぁっ!!」
視界に映るは大海原。陽光を浴びてキラキラ輝く。
寄せては返す波と波。ぶつかり合って泡となり、焼けつく浜を撫でては冷やす。
焼ける砂の上を跳び跳ねながら、眩いばかりに輝く海水に「キラキラ自重!」と叫び、ゴーグルを装着して、ばしゃーんと海中へ飛び込んだ。そのまま潜水を開始する。
――海綺麗海綺麗!
――おおおぉぉぉっ!! 魚が泳いでる魚がっ!!
――海藻ユラユラしてる海藻!
――うぐっ、そろそろ息が続かない!!
酸素を求めて急いで海面に浮上した。
「水、冷てぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
真夏の外温と海中の水温のギャップに心臓が悲鳴を上げている。
「海水はしょっぱいって言うけど、本当のお味はどんなかな?」
ごくごくごふっげほげほげほげほ。
「や、ヤバイ! 海ヤバイ! 綺麗で冷たくてしょっぱくて冷たくてしょっぱい!」
海初体験の僕レポートでした。
◆◆◆
坂本寛貴と祐介は、バーベキューセット前を陣取る姫風姐さんのプレッシャーから視線を逸らして、一人海中で「海ヤバイ!」とはしゃぐ優哉に目を向けた。
「なにがヤバイんじゃろうか」
傍らの祐介が顎で優哉を指す。
「あいつの頭ん中だろ」
こりゃこりゃ、と祐介に窘められた。
砂浜でばた足を始めた優哉が、「海しょっぱい!」と歓喜に沸いている。
「ガキだな」とオレ。
「じゃが、アレはアレでちと羨ましくなるのぉ」
好好爺の視線と口調で、祐介がやんわりとオレの意識を海方面へ誘導する。
優哉は純粋さが利点であり武器だ。
祐介の言は全くもってその通りだが、対象が優哉なので素直に首肯することはオレの癪に障る。
「あそこまではっちゃけられるのは、羨ましいつ〜より最早才能の領域だろ?」
「あれもラベリング効果の一種かのぉ」
祐介が然り気なく論点をずらした。
オレはそれに気づかないフリをする。
「いくらでも『楽しい』を上乗せできるって意味ではそうだろうな」
「ふむ、ならばわしらも『楽しい』に混ざらぬか?」
祐介は相も変わらず人心把握の巧みなヤツだ。ま、ここいらで乗るか。ツマンネエヤツと烙印を押されても困るしな。
「そうだな、オレらも混ざってガキになるか!」
「合点承知!」
バーベキューもそこそこに、オレと祐介は優哉へ向かって走り出した。
◆◆◆
鈴城優哉は海面に膝まで浸して、寄せては返す波の感触を堪能していた。
「おぉ〜波にひっぱられる感じがゾクゾクするねこれ!」
指と指の間を波が抜ける瞬間が良い意味で堪らない。
「優哉あああぁぁぁっ!!」
背後からピロシキの声音が聴こえてくる。
「んん? ――うがはっ!? ぶくぶくぶくぶくぶくぶく!?」
背中に痛烈な衝撃――恐らく飛び蹴りをくらい、僕は頭から海水に突っ込む。
「ぶはっ!! は、鼻に、水がっ!! がはっがふっげへっごほっ!!」
噎せる僕の背後ではピロシキが「ははははははははははっ!!」と大笑中。
にゃろう、ぶっ転がしてやる!!
「はっはっはっ!! 逝け寛貴!!」
反撃に転じようと起き上がった僕の眼前ではピロシキに悲劇が降りかかっていた。
ジジイがピロシキの腹を背後から抱き抱えて、後ろ向きに投げようとしていたのだ。
「ちょっ、おま、祐介、ジャーマンはヤメロよジャーマがぼぼぼぼぼぼぼ!?」
ジジイはピロシキを後方に反り投げた。哀れピロシキは、そのまま海面とキスをする。
◆◆◆
相庭梨華が紫外線を嫌がるので、「海の家」の軒下に、新海沙雪と国府田未紀は連れ添って移動していた。
わたし達と入れ替わるように、バーベキューセット前では、鈴城姫風さんとそのお姉さんがトウモロコシを睨み付けている。
なにを話しかけても返答を貰えなかったこともあり、わたし達は自ずと軒下に退避する構図になった訳です、かしこ。
傍らでモデルのようなスタイルを披露している梨華が、脚線美を見せ付けながらこう言った。
「楽しそうね鈴城くんたち」
梨華は「暑いわね」と自分を団扇で扇いでいる。
「混ざりたいけど気後れしちゃうね」とわたしも団扇で自分を扇ぐ。
「混ざりたい? あれに?」
梨華の目配せした先では、鳳くんにより坂本くんが何度も宙を舞っている。
「あの雰囲気に混ざりたいだけで、投げられたくはないよ」
「私はてっきり沙雪がマゾにでも目覚めたのかと思ったわ」
「ひどッ!」
わたしを小馬鹿にする梨華の隣では、なぜか「うぅーうぅー」と未紀が唸っている。
「ボク田どうしたの?」と梨華。
「ボク田じゃないよぅ!? 国府田だよぅ!?」
最近未紀の扱われ方が半端ない。
「大した違いじゃないわよ」
梨華は小蝿でも払うかのように、未紀にあっちへ行けと手でジェスチャーを送った。
「梨華ちゃん酷いよぅ!!」
未紀が涙目で声を張り上げるも「あっちへ行け」のジェスチャーを繰り返す梨華。
「ま、まぁ、梨華も未紀をイジるのはそれくらいにしてあげてよ」
「そうね」と物憂げな梨華。
「ボクイジられてたの!?」と今更ながら驚愕する未紀。
気づいてなかったんだ……。
「そ、それより未紀はなんで唸ってたの?」
「ボク唸ってた? ボクは鈴城くんや鳳くんたちと混ざって遊びたいなぁって思ってただけだよぅ?」
ボブカットを後頭部で二つに縛っていた未紀が、それを解きながら首を傾げる。
「誰かに憚ることでもないし、行ってくればいいじゃない」
物憂げな表情を崩さない狐顔の梨華が、御団子頭をイジりながら返した。
「え、鈴城くんたちと遊んでも良いの?」
未紀はわたしに振り向きながら、再度ボブカットを二つに縛り直す。
「良いもなにも、わたしに聞く必要はないと思うけど」
「でも、沙雪ちゃんは鈴城くんが好きなんだよね?」
鼻水が出た。
「そ、そそそそんにゃことはないよっ!?」
「え? でもでも、教室でよく告白紛いなセリフを口にしてるよね?」
涙が出た。
「そ、それは気のせいだよ!? べ、別に鈴城くんと未紀が遊んでもわたしには関係ないよ!? わたしは全然気にしないよ!?」
「そうなのぅ?」と再度首を傾げる未紀。
「そうだよッ!?」とわたしは何度も首肯して見せた。
未紀はパチパチと瞳を瞬かせたあと、「じゃあボク行ってくるよぅ!」とマメシバみたいにちょこちょこ歩き、鈴城くんたちのところへ行ってしまった。
あの物怖じしない感性が羨ましい。
「無理しちゃって」
梨華にはお見通しだったみたいだ。
「……だって、わたしに未紀を引き留める権利なんてないもん」
尖らせた唇を梨華に摘ままれる。
「引き留める権利はないけれど、一緒に遊ぶ権利は平等にあるんじゃないかしら?」
唇から指を離した梨華が「違う?」と目で訴えかけてくる。
「そ、そうだよね! わたしにもその権利はあるよね! わたしも遊んでくる!」
「そして今夜は日焼けに苦しんで一睡もできない沙雪が誕生するのね」
駆け出そうとしたわたしの足が止まる。
焼き過ぎた体はその日の夜や翌日が地獄。小学生の頃から身を持って体験してきたわたしは、日陰から日向においそれとは踏み出せない。
「日焼け程度で立ち止まる恋なら、悪いことは言わない。やめときなさい」
一見、諦観しろとも取れるセリフだけど、梨華の表情は違った。嘆息混じりに「速く行ってきなさい」と後押しをくれている顔だった。
「ひ、日焼けになんか負けないんだからね!?」
わたしは太陽を指差して宣言する。
「太陽にツンツンしてどうするの。さっさと行きなさい」
言われてわたしも鈴城くんの元へ――真夏の炎天下へと駆け出した。
◆◆◆
国府田さん、新海さん、ジジイに見守られる中、鈴城優哉とピロシキは波打ち際で相撲を取っていた。
取っ組み合いの末、先に焦れたのは僕。
張り手と見せかけてグーでピロシキの顎を打ち抜――「ぐふっ!?」――くより先にピロシキに腹を打ち抜かれた。
「……ひ、卑怯なやつめ」
僕は腹を押さえて踞る。
「どっちが卑怯なんだ。テメエの行動パターンなんかお見通しなんだよほっ!?」
ピロシキの額に紙皿が刺さった。
アレ刺さるんだ……。
「ゆうお待ちどうさま」
「へ? あ、焼きトウモロコシができたの?」
首肯しつつ、音もなく波打ち際まで訪れた姫風が、腹を押さえて踞る僕に、焼きトウモロコシを持たせた。
紙皿が刺さったショックからかピロシキは棒立ちとなり、一切微動だにしないでいる。
僕はそれを視界に入れつつ姫風に感謝を伝えつて、焼きトウモロコシを一口かじった。
焼きトウモロコシは一粒一粒にまで醤油味が染み渡り、仄かな香ばしさもミックスされていて、それらが口内にじんわりと広がってゆく。
うん、相変わらず無駄に良い仕事してる。
焼きトウモロコシを噛み締める僕の傍らでは、当然のように姫風がピロシキに詰め寄り、彼の肩にポンと手を置いていた。
途端に「はっ!?」と左右を見回すピロシキ。現実逃避から帰還したようだ。目前の姫風を認めて、瞳を潤ませているのが証拠です。
そんなピロシキへ、姫風は定例句を浴びせかける。
「ゆうに触れて良いのは?」
「……ね、姐さんだけです」
素早くピロシキの両足を掴んだ姫風が、ハンマー投げの要領でグルグルグルグル旋回して――放り投げた。
「いっ!」
「あっ!」
「うっ!」
「いっ!」
「あぁーーーーーっ!?」
以上、人間水切りと化して海面で五段飛びを披露したピロシキのコメントでした。
これ以降は貸し出し用のビーチボールを拝借して、ビーチバレーをしたり、ビーチバレーをしたり、ビーチバレーをしたりした。うん。することが特に無かったんだ。
細分化すれば、姫風が砂山でタージ・マハールを建造したり、そこへインド人の方が巡礼に訪れたり、二キロ程遊泳した僕がサメ防止用ネットに引っ掛かり、ボートで回収されたり、離岸流でピロシキを沖まで流したり、西瓜の代用で国府田割りをしたりとそんな感じだった。
ちなみに、国府田さんの時世の句は「ボクが悪いことしたなら謝るよぅ!」だった。
国府田さんの名誉の為に伝えておくけど、彼女はなに一つ悪いことをしていない。
◆◆◆
時刻は過ぎて二十二時。
「海の家」から寝食場所である叔母さん別荘宅に移動して、メイドバイ叔母さんのカルボナーラとマッシュポテトを胃に流し込んだ僕らは、各々(おのおの)思い思いの場所へ移動していた。
ジジイは夜釣りに出掛けてしまい、ピロシキは食後の一服を兼ねて、それに付き合う形で出ていった。佐竹くんは僕に食べさせたい物があるらしく、厨房でなにかを作っている。
愛されてるな、僕!
ふぅ――で、現在は女性陣が順にバスタイムなので、残った僕、灰田くん、妹尾くんの三人は、微妙な雰囲気の中、三階の一部屋に入り浸り、トランプゲーム(UNO)をしていた。二十数回程。
「続き、する?」と僕。
「流石に飽きた」と灰田くん。プラス妹尾くん。
「次は麻雀でもするか?」
灰田くんが提案したところへ、階下(二階)から大袈裟なドアの開音が聞こえた。
『ハローマイサン!』
天井の壁が薄いのか、陽気なオッサンの声音が階下から聞こえてくる。
バタン。ガチャッ。
『あれ? こちらかな?』
バタン。
何事かと足元を一瞥したあと、顔を見合わせる僕と灰田くんと妹尾くん。
ガチャッ。
『ハローマイサン! あれ? こちらにも居ないね? 鳳花姉さん! 優くんはどこかな?』
陽気な声音が僕の名前を呼んだ。凄く嫌な予感がする。
『優哉くんなら三階に居るわよ』とは叔母さんの返答。
『OH! ここは二階だね! いざ三階へ!』
この凄く嫌な予感にタイトルを付けるなら「破滅への使者」――その「破滅への使者」が僕にドンドン迫って来ている気がしてならない。
『ここかな?』
オッサンの声音が軽やかな足取りと共に階段(すぐ近く)から聞こえてくる。
ガチャッ。
『う〜ん外れだね! ネクスト!』
僕が現在居座っている部屋は角部屋。つまり、陽気なオッサンは最後に必ずこの部屋へやって来る。
「ふぅ〜」と小さく溜め息を吐きつつ、僕は無言で扉の前に立った。
「鈴城、なに扉の前で構えてるんだ?」と疑問顔の灰田くん。
「男には殺らなきゃならない時がある。それが僕にとっての今なんだ」
「……訳解んねえけど、頑張れ」
灰田くんの熱烈な後押しを受けて、僕は指示を出す。
「灰田くん、妹尾くん、二人とも窓を開けて、そこから退いててくれるかな」
「窓? ここは崖に面していて真下は海だぞ? 高さ四〇メートルはある絶壁だぞ? なにをするかしらないが、落ちたら危険だから気をつけろよ?」
「灰田くん解説サンキュウッ!」
ガチャッ。
「ハローマイサン!」
三〇秒後、陽気なオッサンは僕によって、三階にあるこの部屋から、海面へ投げ落とされた。
◆◆◆
遥か真下の海面から、高らかな水飛沫が上がったことを確認して、僕は「よし」と頷き窓を閉めた。
何事もなかったように振り返ると、灰田くんが気遣わしげに声を掛けてくる。
「……今のお兄さん、『マイサン』とか『優くん』とか鈴城のことを親しげな感じで呼んでなかったか?」
見た目だけなら加齢臭は二十代後半で、兄と呼ばれても仕方がない。見た目だけなら。
「気のせいだよ」
「気のせいもなにも――」
「ドントシャラップ!」
「それ黙るなって意味だぞ?」
「ど、ドントドントシャラップ!」
「ドゥーノットを二回重ねる発想はなかったわ。それでも黙れにはならないぞ?」
「く、正論で僕を追い詰めるな!」
「……なんかもう俺が悪かった」
僕から目を逸らす灰田くんに詰め寄ろうとした矢先――
「雪哉さん――優くんに会えた?」
鈴を鳴らしたような声音が、開けっ放しのドアから聞こえてくる。この声は姫風だね。
「ああ、親父ならそこのま……百合さん!?」
ドアからこちらへ姿を現したのは――百合さんだった。
流石母娘、声質がそっくりだ。
「どうしてここにうぎゅっ!?」
「優くん会いたかった!」
掛け声と同時に抱き付かれた。姫風を一回り成長させたような、豊満かつナイスバディな肢体に。
「む〜む〜(離して下さいいい)」
「優くんに一年も会えなくて、私も雪哉さんも紫苑も寂しかったんだよ?」
「む〜む〜(僕は苦しいですううう)」
「姫風ったら優くんが寮に入ったその日に、等身大ヌイグルミを作っちゃったんだよ?」
「む〜む〜(お願いですからそれ廃棄しておいて下さいいい!)」
百合さんの名前通り、百合の花の香しい匂いと、柔らかな弾力の感触に包まれて、幸福な窒息死に陥りかける僕。
「あ、お兄ちゃん発見!」
トテトテと軽やかな足音と共に、女の子の声音が接近してくる。
視界は百合さんのお、お、おっぱいに塞がれていて見えないんだけど、ここに百合さんと加齢臭が居ると言うことは、今の元気な声音は義妹・紫苑こと、しぃちゃんかな?
「お母さんお母さん、しぃに代わって! しぃも兄ちゃんをぎゅってしたい! しぃもお兄ちゃんをぎゅっポキッてしたい!」
折る気かな!?
「もう少しだけお母さんがぎゅっポキッてしたいから紫苑は我慢してね」
え!? 今僕ポキッてされてるの!? どっか折られてるの!?
「しぃがお兄ちゃんをぎゅっポキッってしたい! 今ぎゅっポキッてしたい!」
母娘して壮絶な骨折合戦みたいになってるからヤメテ!?
百合さんは「もぉ、仕方ない子ね」と僕に対する抱擁を解き、しぃちゃんに僕の身柄を預ける。
「久しぶりだねしぃちゃん」
しぃちゃんとは一年と数ヶ月ぶりの再会だけど素直に驚いた。
彼女の身長は僕の胸部までしかなく、最後に会った時と今を比べて、身体的成長が全く見てとれなかったからだ。
もしかして、成長が止まっちゃったのかな?
なんてことを酸欠脳でぼんやり思考していたら――
「お兄ちゃっ!!」
クウォータの証たるふわっふわな金髪をツインテールに結ったしぃちゃんが、僕に飛び付いてきた。頭から。
「ぐふっ」
頭突きを腹部に喰らい、胃をグリグリグリグリッ圧迫される。
「し、しぃちゃん! 出ちゃう! 胃からシャワーばりにカルボナーラが出ちゃう!」
無邪気な「親愛の情」全開で抱き付かれているので、振り解きたくても振り解けない。
「お兄ちゃんだ! 一年と三ヶ月ぶりの生お兄ちゃんだ!」
僕ってば花●牧場の生キャラ●ルみたいになってるね! あとカルボナーラが出るからそろそろグリグリストップ!
「お兄ちゃんはしぃを忘れてないよね?」
漸く頭突きを止めてくれたしぃちゃんは、心細そうに僕を見上げてくる。
捨てられた仔犬のような瞳に見上げられた僕は、喉まで逆流したカルボナーラを胃に戻しながら、「忘れてないよ」と微笑みを作る。
「良かった♪ えへへ、お兄ちゃん大好き!」
再度胃にピンポイントでロケット頭突き。
「ぐふっ、ぼ、僕も好きだよ」
戻れカルボナーラ!
「ほらほら紫苑、お友達の前で抱き付いちゃうと、優くんが恥ずかしいわよ?」
先に抱き付いた自分を遥か彼方へ置き去りにしつつ、急に大人然とした百合さんがしぃちゃんを窘めた。
「……あ、ごめんなさいお兄ちゃん。しぃのせいで恥ずかしい思いをさせちゃって」
「そ、そんなことないよ」とふわっふわでスベスベなしぃちゃんの髪をナデナデしつつ、中腰になりながら彼女と目線を合わせた。
途端にしぃちゃんが瞳をうるうると潤ませる。
「お兄ちゃっ!!」
感極まった結果なのか、体ごと飛びついてきたしぃちゃんにより、再び腹部に頭突きを喰らってしまった。
お願いだカルボナーラ。持ち堪えてくれ……。
痛烈な一撃に耐えきれなかった僕は、悲鳴を上げることもできず、口と腹を押さえながらその場に崩れ落ちる。
「お、お兄ちゃっ!?」
「あら? 優くん?」
「鈴城っ!?」
しぃちゃん、百合さん、灰田くんの声を耳にしながら、僕は暫しの眠りについた。
◆◆◆
藺草の匂いで、ここが畳の上だと気がついた。
畳の上へ直に寝ていたらしい僕は、「――ふむ、それでゆうやは倒れている訳か」と言う椿さんの淡々とした声音で目を覚ました。
目を覚ましたは良いけど、状況を把握する為に、僕は寝たふりを続けることにした。
薄目で辺りを見回す。
開けっぱなしの窓や、飾ってある家具の配置を確認しての結論。どうやら先ほどまでトランプゲームを行なっていた部屋だ。
見回した結果、凄く気になったことが一つある。
僕の隣では、百合さんとしぃちゃんと灰田くんと妹尾くんが行儀良く正座をしていて、ガックリと項垂れているのだ。
四人の正面では姫風が仁王立ちをしていて、その傍らでは不機嫌面な椿さんが黒いビニール袋を携えて、腕組みをしたまま壁に背中を預けている。
百合さんとしぃちゃんが頭を垂れている理由はなんとなく想像できるけど、どうして灰田くんと妹尾くんまで正座させられているのだろう。
いつものとばっちり?
おもむろに、姫風が袋を手にした椿さんから、掌サイズの細長く赤いなにかを受け取った。
「申し開きは聞く。聞いた順にこのハバネロをまるかじりして貰う」
それ申し開き聞く意味ないじゃん。
暴君ハバネロ以上に暴君な姫風を誰か止めて。そうだ、こんな時こそ役に立てよ加齢臭。どこでなにやってるんだ。ああそう言えば海の中か。
家長がだらしないので、不肖の長男たる僕が、家長代理を努めるとしよう。
お腹をナデナデしながら僕は半身を起こす。
「……ハバネロは姫風が食べるべきだよ」
僕に振り返った姫風が、あからさまに驚いた。
「ゆう、生き返った?」
「僕死んでる設定だったの!?」
その最中にハバネロがどうこうってかなり悠長だねっ!!
僕が起き上がった気配を察したのか、しぃちゃんが面を上げた。
「……お兄ちゃん、体は大丈夫?」
「超大丈夫!」
実際はカルボナーラと第一次食物大戦勃発中で死屍累々(ししるいるい)だけどね!
僕の受け答えにしぃちゃんは「ほっ」と安堵した表情になる。さらに安心させるように僕は言葉を重ねた。
「大丈夫だよ、しぃちゃ――」
僕としぃちゃんが交わす視線を遮断するかの如く、姫風が間に割り込む。
「ゆうが許してもゆうを亡き者にした紫苑を私は許さない」
「姫風ちゃんごめんなさい」
しぃちゃんを保護しなくては!!
「勝手に僕を殺すな! あと僕がしぃちゃんを許してるんだから、姫風がとやかく言う権利はないよ」
「面白いジョークだこと」
「ジョークじゃないよ!」
他者の意見を認めない性格は直した方が良いよ姫風。
「それでもゆうに一撃を与えた罰としてハバネロは食べるべき。母も紫苑も灰田もこれも」
妹尾くんを指差してこれとか言うな。
「百合さんもしぃちゃんも灰田くんも妹尾くんも悪くないし、ハバネロを食べる必要もないよ」
「ゆうは御人好し過ぎる。代わりにハバネロを食べたいの?」
姫風が僕にハバネロを突き出す。
「僕は自分が見ていて気持ち良いことが好きなだけであって、全然御人好しじゃないよ。それといつの間に僕がハバネロを食べることになってるんだ!」
「ゆうはいつも『僕ハバネロ大好物!』と叫んでる」
どこのドMだそいつ。
「またそんな嘘をつ――」
「ゆうや凄いなっ!!」
椿さんが普通に騙された。
「今のは姫風の嘘ですよ椿さん」
「姫風の嘘つき!」
最近椿さんについて気づいたことがある。椿さんは相手を疑わず、物事を深く考えず、思い付いたことを直に喋る、非常に扱い易い人だと言うことに。
「椿」と姫風。
「なんだい? 嘘つき姫風」
息巻く椿さんが不機嫌面で姫風を睨み付ける。
「話の腰を折らないで」
「解った」
不機嫌面な椿さんが素直に引き下がった。
「そこで椿さんは素直に頷かない! それと先に話の腰を折ったのは姫風じゃないか!!」
「そんなに腰を折りたいの?」
無表情な姫風が目の前でなにかを掴んで折るジェスチャーを披露した。
あれはエア優くんか。腰骨を折るジェスチャーをしているのか。つまり僕は姫風に脅されているのか。
このままでは呼吸をするように腰を折られかねないので、僕は沈黙に入った。
姫風がノリに乗る。
「ゆうも紫苑がハバネロを食べることに賛成した」
「お兄ちゃっ!?」
「してないよ!!」
姫風がエア優くんの腰骨を折るジェスチャーをした。
しぃちゃんが絶望した風に涙目で僕を見つめてくる。
そんな目で見ないで!! 僕がハバネロ団首謀者みたいに思えてくるから!! ハバネロ団首謀者は姫風だから!! ……ハバネロ団ってなに?
姫風は「さぁ、食べなさい」とハバネロを、百合さん、しぃちゃん、灰田くん、妹尾くん、椿さんへ手渡した。
「私もッ!?」
椿さんがハバネロを握り潰した。途端に粉が部屋中を舞って姫風以外が咳き込む。テロか。
「あぁ!? みんなすまないっ!!」
咳き込みながらもペコペコ平謝りする椿さん。
その渦中にも関わらず、姫風は一人だけ表情と仁王立ちを崩さない。それどころか、椿さんから黒いビニール袋を奪取してこう告げた。
「ハバネロおかわり自由」
鬼か!
「誰もおかわりしないよ! それにさっき言ってた罰は今ので充分だよ!」
「私が納得できない」
「つまるところ毎回そこに行きつくよね!」
姫風は無言。肯定を表しているみたいだ。
「その袋をこちらに寄越しなさい」
姫風が所持する袋を引ったくるべく僕は手を伸ばすけれど、バックステップで軽やかに避けられてしまった。
「ゆう動かないで」
言って姫風は顔の高さにまで黒いビニール袋を持ち上げて、それに指を差した。黒いビニール袋は膨張している。つまり単純に考えれば、ハバネロがいっぱい詰まっている状態だと言うとことになる。
「今から誰かが少しでも動けば」
微妙に緊迫感が漂う室内。
「……動けば?」
「袋を粉砕する」
「テロリストかっ!!」
僕と姫風のやり取りを、百合さん、しぃちゃん、灰田くん、妹尾くんは涙ながらに見守っている。うん、ハバネロで目と喉をヤられている状態なだけだよね。
これは完全にお手上げ状態なので援軍を要請しよう。
百合さんに向いて《そろそろ姫風を怒って下さい!》と視線で訴えてみる。
僕の視線に気づいた百合さんは、急に頬を赤く染めつつ、視線でこう返してきた。
《私には雪哉さんが居るの。ごめんなさい》
なんか僕フラれたよ!? 勘違いされた挙句フラれたよ!?
トライアゲイン!
《ち、違います! 母親らしく姫風の横暴を叱って下さい! お願いします!》
《いくら優くんでも姫風への八つ当たりは良くないと思うの》
ダメだこの義母! 娘と同じく構成物質は勘違いだ!
僕が袖で涙を拭う傍ら、果敢にも椿さんが要望を口にした。握り潰したハバネロを指差しながら。
「姫風、私は今回の件と無関係な気がするが、気のせいか?」
決して気のせいではない。
「椿は長女。連帯責任」
「連た……解った」
なぜか正座陣営に回り、百合さんたちと共に正座を始める椿さん。
「今ので納得しちゃうんだ!? ちょっとは疑おうよ!!」
姫風がエア優くんの腰骨を折るジェスチャーをした。
沈黙する僕。
椿さんと僕がアクションを起こしたせいだろうか、間を置かず、姫風がハバネロ袋を破――「待て待て待て待て!」――ろうとする手を制止させた。
「それをこちらに渡しなさい!」
テロを起こされては堪らない。
僕はハバネロ袋に手を差し伸べる。
袋を庇いながら、「やだ」と姫風が首を横に振る。
またループしそうだよこれ。
やるせない僕は「もぉ〜」と、ボリボリ後頭部を掻く。
どうにかしてこの現状を打破しなければ、と思考が脳を突っついてくるけど、残念な脳細胞を所持する僕に、どうにかする術はなし。
結論。とにかく――百合さん、灰田くん、妹尾くんはこの場から自力で抜け出して貰うとしても、しぃちゃんだけは僕が助ける! これしかない!
なんて意気込んでみてふと思ったんだけど、ハバネロって痛くて辛いだけで体に害はないよね? それなら姫風たちを放っておいても、大した被害はでないっぽい? あれ? もしかして現状は楽観視できるってこと?
ここに姫風や椿さんが居る以上、女性陣の入浴タイムは終了したみたいだし、今のうちに僕もお風呂を済ませちゃおうかな。
思い立ったが吉日なので、僕は無言で立ち上がり、さりげなく保護対象のしぃちゃんの肩を抱き、部屋を出ようとしたところで、姫風に呼び止められた。
「どこに行くの?」
「ここではないどこかへ」
「具体的には?」
「お風呂」
「紫苑を連れて混浴?」
「そんなことはあり得な――」
嘆息しながらの否定をしぃちゃんに遮られる。
「うん、お兄ちゃんと家族風呂だよ」
しぃちゃんが僕の顔を見上げながらニッコリと微笑んだ。
「え、しぃちゃんと家族風呂?」
僕はただ、しぃちゃんを姫風から引き剥がそうとしているだけであって――
「しぃとお風呂は……ぃゃ?」
ああ!? しぃちゃんが瞳を潤ませてる!! 今にも泣きそうだ!!
「か、家族風呂最高だねっ!!」
拳を突き出して親指を立てる僕。
「お兄ちゃん大好き♪」
嬉しそうに微笑む涙目のしぃちゃんに、ムギュッと抱き付かれる。
「あは、あはははは」
空笑いで再度部屋を切り抜けようとした瞬間、背後で姫風が威圧感を発生させた。
「やっぱりロリコン」
「またその疑惑か!」
とって返した僕は、即座に疑惑を否定する。
「疚しい気持ちは一グラムしかない!!」
「疚しい気持ちのグラム総量は?」
「一〇グラ――はっ!? しまったっ!!」
ぼ、僕はロリコンじゃないよ!?
流れで正座させられている灰田くんと妹尾くんが、「一〇分の一? それ疚しくないか? プラスこのお姉さんとちびっことさっきのお兄さんは誰だ?」と視線で伝えてくる。
二人には《あとで説明するから暫しのお待ちを》と視線で返しておく。
灰田くんと妹尾くんは互いに顔を見合わせて首を傾げる。
うん、伝わってないね!
両手で顔を掴まれてパキッと姫風側へ向けさせられた。僕の首、折れた?
「ゆうの瞳は私を見る以外に活用してはダメ」
「……瞳云々(ひとみうんぬん)は別として、とりあえず僕に謝ろうか」
特にデリケートな首の付け根さんに謝れ。そのうち分離するぞ。
抗議をすれども、姫風は不思議そうに首を傾げるだけ。
「ゆうの瞳は私を見る以外に活用してはダメ。それ以外では濡れない。濡れなくて良いの?」
「そ、そんなこと僕に訊くな!!」
謝罪する気なしな上に痴女発言か!! 油断してたよ!!
脳内で恨み台詞を選択している途中で、空気を読まないしぃちゃんが、姫風に質問をする。
「ひぃちゃんひぃちゃん。お兄ちゃんはしぃとお風呂に入りたいだけだよ?」
しぃちゃんはどこまでも純粋だった。
「違う」
姫風はどこまでも猜疑心に溢れていた。
姫風にとって僕はほんとに信用ないな!
しぃちゃんが続ける。
「しぃもお兄ちゃんとお風呂に入ってぎゅっポキッてするだけだよ?」
※そもそも一緒にお風呂へは入りません。
「嘘」と姫風。
「嘘じゃないよ?」としぃちゃん
「ゆうは紫苑とイチャイチャしたいし、紫苑はゆうとフレンチキスしたい。違う?」
また捏造か!
「僕はしぃちゃんとイチャイチャなんてしないよ!?」
「どうなの? 紫苑」
また僕をスルーか!!
うっすらと頬や耳を赤く染めたしぃちゃんが、僕をチラチラ見ながら言う。
「……フレンチキスはよく解らないけど、お兄ちゃんとは、その、ちょっと、チュッてしたい」
「ぼ、僕とキスをしたいの?」
人差し指どうしをつんつんもじもじさせながら、しぃちゃんが僕を見上げてくる。
「……うん。チュッてしたい。あ、あのね? ちょっとだけだよ? お兄ちゃんが迷惑じゃなかったらだけど……」
「……そんな、迷惑だなんて」
今すぐチュッてされたい……。
「お風呂、行こうか?」
「うん」
しぃちゃんの肩を抱いていざお風呂場へ――
「痛たたたたたたたたたたたたたたたたたたたっ!? もげる腕が付け根からもげる!!」
姫風が僕の右肩を掴んで握り潰そうとしている。
「私以外とのラヴフィールド顕現禁止」
「らぶふぃ!? 痛い痛い痛い痛い!!」
なにそのフィールド!?
力強く「復唱」と姫風が発声する。
「痛い痛い痛い痛い!! 姫風顕現禁止姫風顕現禁止!!」
「私の存在を禁止しないで」
姫風の握力が上昇した。
「千切れるぅぅぅっ!?」
「私以外とのラヴフィールド顕現禁止。復唱」
「命令!? 嫌だよ!! 放せよ!!」
反動をつけて左手で姫風を突き放そうとするけど、あっさりと背後の姫風にかわされる。
「甘いわ、ゆう。狙うなら体の中心点よ」
「なんのレクチャーだ!! 早く放せよ!! 痛いんだよ!!」
「ひぃちゃんお兄ちゃんを放してあげて!」
姫風に縋りつくしぃちゃん。良い子だね!
流石に娘の暴行を見かねたのか、百合さんが正座から立ち上がった。
「暴力はダメよ姫風。痛みでは限られた相手しか縛れないの。愛諸々(あいもろもろ)で優しく包み込まないと相手には逃げられちゃう」
バツイチの百合さんが、とても説得力のあることを宣われた。
それはそうと、諸々の中に含まれている成分がなにか怖くて訊けない。百合さんの実体験ぽいし。
「これはとても大切なことよ?」とやけに神妙な面持ちの百合さん。
しかしそこはあらゆることを意に介さない姫風。
百合さんの握っているハバネロを指差して一言。
「母は早くそれを食べて」
俯きながら無言で正座に戻る百合さん。立場弱いな!
今まで隙を窺ていた僕は、姫風の意識が百合さんへ逸れた瞬間を見計らい――「るあ!!」と豪腕女の手を振り払う、振りは、振り……。
「……肩が付け根からとても痛いので、できれば手を放して下さい。お願いします」
「凄く下手だな鈴城!」
灰田くんが驚愕している。
下手にもなるさ。非力な僕は姫風を振り払えず涙するだけなんだ。
手の甲でグシグシと涙を拭う。
肩から圧力が消えたと同時に、背後に居た姫風が、正面(開けっ放しのドア前)に出現した。
「泣かないで、ゆう」
「泣かされた相手に慰められたくないよ!!」
どうにか姫風の魔の手から解放された僕は、文字通り転がるように、三階の一室から逃亡する。
「あ、ゆう、どこへ――」
「お兄ちゃっ!?」
その際、しぃちゃんをお姫様抱っこして。
二段飛ばしで階下へ降りる僕の鼓膜に、「誰か来てくれ!! 人を助けた!! 若い兄ちゃんだ!!」とピロシキの怒声が飛び込んできた。
くそっ、該当者は一人しか居ないじゃないか!!
一階のリビングに降りた僕の視界先では、人工呼吸&心臓マッサージをピロシキに施されている陽気なおっさんこと加齢臭が、ずぶ濡れ状態で横たわっていた。
まるで打ち上げられた魚だ。
ピロシキの周囲ではギャラリーと化した相庭さん、国府田さん、新海さん、加齢臭の姉・凰花叔母さんが、ピロシキの救命措置を、固唾を飲んで見守っている。
むむむ。多少ギャラリーの目は気になるけれど、これは僕にとっての害悪を仕留めるチャンス?
心配を装い溜まった鬱憤を晴らす機会をくれた神様、仏様、あとなんかそれっぽいモノありがとう!
「ピロシキ」
至極焦燥に満ちたピロシキが、背後の僕に振り返り、目を血走らせた瞳で睨んでくる。
「なんだよ!? この状況を見ろよ!? 邪魔すんなよ!! 抱いてるちびっこは誰だよ!? あとピロシキ言うな!!」
「とどめは僕が刺す」
「俺のセリフ総スルーかよ!? 話に脈略がねえよ!!」
ピロシキを無視して陽気なおっさんを踏み潰す為に足を掲げるけど、「お、お兄ちゃん……」と弱々しいしぃちゃんの声音が聞こえたので上げた足を元に戻す。
「……この体勢は、嬉しいけど……恥ずかしいよぉ」
しぃちゃんに体勢と言われて現状を確認する。
僕の首に手を回しているしぃちゃんを横たえた状態で抱き上げているね! 初お姫様抱っこだね!
しぃちゃんの身長は一四○センチちょっとと超ミニマムサイズで、とても軽くて全然苦にならないので、抱いていたことを声をかけられるまで、すっかり失念していた。
「ごめんねしぃちゃん」と謝りながら、しぃちゃんをフローリングの上に下ろす。
僕としぃちゃんのやり取りの最中も、ピロシキは懸命に心臓マッサージと人工呼吸を繰り返していた。
ピロシキは汗だくだ。人工呼吸なり心臓マッサージなりのどちらかを、誰か変わってあげれば良いのに。
僕? 僕は救命したくないので、手助けしません。
しぃちゃんは心配そうに陽気なおっさんを眺めて言う。
「お父さん……大丈夫かな?」
僕はしぃちゃんを安心させるように微笑む。
「大丈夫。僕がきっちり殺るから」
「お兄ちゃっ!?」
しぃちゃんが凄く驚愕した。
なにに驚いているのか解らないけど、まあ良いや。
加齢臭の息の根を止めようと足を踏み出した瞬間、僕の前にしぃちゃんが回り込んだ。
「お父さんを殺っちゃダメだよお兄ちゃん!」
「えっ!?」
「なんでそこで驚くの!?」
しぃちゃんが凄く驚愕した。
僕は説得を試みる。
「加齢臭を殺るチャンスは今しかないんだよ?」
「なんで殺る前提のお話になってるのお兄ちゃん!?」
あれ? 僕が加齢臭を大嫌いだって知らないのかな?
しぃちゃんに対して、いかに加齢臭が僕にとって迷惑な人間か説明しようとした矢先――
「私以外とイチャネチャするのは許さない」
もう追いつきやがったか。
唐突に背後から聞こえた姫風の声音で僕やしぃちゃんは勿論のこと、人工呼吸を執行していたピロシキ、相庭さん、国府田さん、新海さん、加齢臭、叔母さんがこちらへ振り返った。
加齢臭起きてんじゃねえか。
僕、Bダッシュ。半身を起こしている加齢臭の頭を鷲掴みにして握り潰す(アイアンクロー)。
「逝っけぇぇぇぇぇっ!」
「ゆ、優くん優くん頭蓋骨がミシミシ言ってる! 僕の頭蓋骨がミシミシ言ってるぅぅぅっ!!」
加齢臭悶絶。僕を引き剥がそうとやっきになるけど、僕も必死だ。「必ず死亡させる」と書いて「必死」と読ませるくらい「必死」だ。
新海さんたち(ギャラリー)が「鈴城くんっ!?」と可愛らしく悲鳴を上げているけど、愛でている暇はなし。
「ちょっ!? お前なにお兄さんの頭を潰そうとしてるんだ!?」
ギャラリーの一人――ピロシキが五月蝿く喚いている。
「話せば長くなる!」
「潰す前に話せよ!! どんな因果関係だよ!? ――って、ん? お兄さんとお前、顔が似てないか?」
僕を羽交い締めにしようと背後に立っていたピロシキが、なにかに勘づいたらしい。
僕は背後のイケメン野郎を牽制しながら叫んだ。
「この人はこれから鬼籍に入る僕の父親だっ!!」
「説明短っ!! つか父親!? 兄じゃなくて!? あと鬼籍って――殺す気かよ!?」
「だからこれと僕の親子喧嘩に口を出すな!」
僕は悶絶中の加齢臭を視線で示した。
示されたピロシキが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「今にも頭を握り潰されそうになっている状態を見て口を出さないやつは頭がオカシイだろ!?」
「ピロシキは頭オカシイから放っておいてよ!!」
「バカに頭オカシイ言われた!!」
ピロシキが解りやすく落ち込んだ。
一先ずピロシキを潰し終えて満足した僕は、改めて加齢臭の頭を潰そうと力んだところ、こう加齢臭が宣う。
「スキンシップって良いよね! でもそろそろ手を放してくれると僕としては嬉しいかな? 頭蓋骨からパキッてサウンドが聞こえてくるんだ! パキッてサウンドが!」
その旋律を耳にしながら死ぬが良い!
加齢臭を潰そうと更に拳に力を込めた瞬間――
「る〜るるるる〜」
はっ!? 母狐が呼んでいる。
加齢臭をその場に落として、母狐の隣でちょこんと座る(三角座りor体育座り)。
「流石は畑さん」と回復したピロシキ。
「遣っておいてなんじゃが、わしは動物王国の長要員か」
「大切じゃねえか畑さん」
「畑さん言うな」
いつの間にやら戻ってきていた畑さん(ジジイ)が、解りやすく落ち込んだ。
――で、叔母さんが仕切り直して、リビングに佐竹くんを除く全員を集合させた。
僕らの眼前には百合さん、しぃちゃん、加齢臭、叔母さんが居並んだ。
クラスメイトたちは加齢臭一行の説明をして欲しい感じで、僕に視線を送信してくる。
視線を総受信した僕は渋々ながら説明を開始する。
「こちらに居わす女性が、母です」
姫風を少し成長させたような女性――百合さんにクラスメイトたちの視線を誘導する。
「母です☆」と百合さん。横にしたピースサインを顔の側面にもってきてキラン☆
僕絶句。
クラスメイトたちからは口々に「若っ!!」「お母さん!? 鈴城くんたちのお姉さんかと思ったっ!!」「鈴城さんそっくりっ!!」「ボクのパンツどこっ!?」と所謂称賛の嵐。国府田さんになにがあったかは追求しない。
気を取り直して説明を続ける。
「百合さ――母の隣で、借りてきた猫ばりに縮こまっているのが、妹のしぃ――紫苑」
注目されることが苦手なしぃちゃんには申し訳ないけど、紹介の為にクラスメイトの視線をしぃちゃんへ誘導した。
「繊細な子だから驚かしたり苛めたりしないでねピロシキ。ちなみに中学三年生だから手も出さないでねロリピロシキ」
「ピンポイントで名指しするな。ロリ付けるな。あとピロシキ連呼するな」
僕とピロシキのやり取りを縮こまって眺めていたしぃちゃんが、百合さんに背を押されて前に出てくる。
おっかなびっくりと言った様子で「よろしくお願いします」と頭を下げるしぃちゃん。
クラスメイトたちからは口々に「ちっちゃっ!!」「中学生!? 小学生かと思ったっ!!」「可愛いっ!!」「人形みたいっ!!」「鈴城くんに似てないねっ!!」「金髪だっ! 染めてるのっ!?」「閣下! ボクのブラどこっ!?」と所謂称賛の嵐。やっぱり加害者は姫風か。
柏手を打ちしぃちゃんから視線を僕に移す。
しぃちゃんは注目されることが苦手と先ほど説明したよね。理由は双子の姉と違う髪色――金髪(地毛)がコンプレックスなんだってさ。
続けて、他人に説明したくない加齢臭を指差す。
「最後にそこのずぶ濡れなおっさんが、僕の父親」
「僕は優くんのパパ! 優くんともどもよろしくね!」
黙れくそ加齢臭。
百合さんの隣では、バスタオルで体を拭いている加齢臭が、ニコニコと笑顔を振り撒いている。
クラスメイトたちからは口々に「若っ!!」「鈴城の兄さんかと思ったっ!!」「鈴城くんにそっくりっ!!」「なんで溺れてたんですか?」「できたぜ渾身の牛乳プリン! 食べてみてくれ鈴城嬢!!」と所謂称賛の嵐。佐竹くんが僕の為に作製していたデザートは、牛乳プリンだったようだ。
笑顔で答えようとする加齢臭に対して、柏手を打ちクラスメイトの視線を僕に移す。
「百合さゲフン、母としぃちゃゲフン、紫苑は安全だけど、父親(この人)は危険人物だから、なるべく近寄らないようにね」と僕は加齢臭を指差した。
難点なところは加齢臭の見た目が「ヒトの好さそうなお兄さん」の部分。これでいてかなりのトラブルメーカー。見た目のせいで中身が害悪だとすぐに気づけないところが、質の悪いところなのだ。「の」が多いな。
クラスメイトたちは具体例のない僕の指摘に、なんと返答すれば良いか困惑している風だ。
一通りの家族紹介を終えた僕は、クラスメイトにコンビニへ行ってくると伝えて、生乾きの加齢臭にすり寄り、耳打ちした。
「親父、ちょっと買いたいものがあるからコンビニまで付き合え」
「なにを買いたいのかな?」
実際に購入したいものはない。
「え〜と……あとで話すから、一先ず外に行こう」
僕の真意は、なぜここに加齢臭一行が居るのかを知る為と、クラスメイトの前では語れない――釘を刺しておきたい事柄を伝えたいだけ。
なにを勘違いしたのか、加齢臭が「解った!」とばかりにポンと手を打つ。
「はは〜ん、あれだね? コンドーム(近藤さん)だね? 今夜の分が足りないから買いに行きたいんだね? それなら僕が持ってるから大丈夫さ!」
加齢臭の耳を引っ張りながら玄関を潜り抜け屋外へ出る。
玄関が閉じたこと確認して僕は怒鳴った。
「コンドームに妙な愛称を付けるな! コンドームは必要ないから!」
加齢臭が目を丸くした。
「OH! 生派? でもさ、学生のうちはしっかりと避妊をした方が良いと思うんだ!」
頭痛が込み上げてきた。
「なんで親父に性教育を施されてるんだ僕は! 違うよ、空気読めよ、話があるんだよ!」
「なるほど! コンドームをダースで買う相談んだね? それなら付き合うよ! 優くんとコンビニまでランデブーだ!」
「……もうやだこの人」
加齢臭がサラリーマン時代になぜ刺されなかったのか、凄く不思議でならない。
加齢臭の愛車たる白いステップワゴンに近づくと、車内の助手席には既に先客が居た。
「雪哉さん、優くん、私を残して行くのは冷たいと思うの」
百合さんが唇を尖らせてなぜか拗ね(す)ている。いつの間に僕たちは抜かれたんだ。
「残すもなにも、コンビニへ行くだけですよ?」
立ち尽くす僕は、なにかフォローを入れろと、隣の加齢臭を肘で突く。
「百合さんの為にコンドームをダースでフガフガ」
急いで加齢臭の口を塞いだ。
バカだバカだと思っていたけど、加齢臭がここまでバカだとは思わなかった。
「私の為にコンドームをダースで? もぉ、雪哉さんたら……」
いやんいやんと百合さんが可愛らしくテレてらっしゃる。
「でも今はそんなもの必要ないでしょ雪哉さん?」
「フガフガ」
百合さんの周囲は瞬く間にピンク色のオーラで満たされていく……気がした。
そう言えばこいつら子作りの真っ最中だった。
ちなみに、僕的聞きたくないものランキングトップテンに、親の情事と言うものがある。
状況はそんな僕の心情など関係ないようで、「雪哉」と玄関から叔母さんが出現した。
「ついでに坂本くんを連れて、銀行までの道程をナビゲートしてあげて」
ナビゲート?
「フガフガ」
「雪哉?」
加齢臭の口元から手を放す。
「ひーはーひーはー」
「雪哉?」と再度叔母さん。
「ひーはーひーはー」
「親父はOKって言ってます」
僕が告げるや、「それじゃあよろしくね」と叔母さんは室内へ戻っていった。
ピロシキが叔母さんと入れ替わるように、一抱えほどもある青いポリバケツを手にして、立ち尽くす僕の隣にやって来る。
「なにそれ」と青いポリバケツを指摘する僕。
「佐竹からの差し入れだ。もちろんお前にな」
青いポリバケツの中を覗き込んだ。
「……ば、バケツで牛乳プリンだと?」
香り立つミルク臭が凄い。
食べ物を破棄する訳にもいかず、託されたスプーンと青いポリバケツを抱えて、後部座席にピロシキと乗り込む。
「親父、さっさと銀行? に連れてけ」
「優くんはせっかちだね!」
友人の前で「優くん」はやめて欲しい。今更訴えても無駄かと達観しつつ、ピロシキに話を振る。
「なんで銀行に行くのさ?」
ステップワゴンがエンジン音を響かせながら緩やかに走り出す。
「お前の叔母さんが言うには、『海の家』で使用するレジの釣り銭が切れた時に銀行へ行ってもらう人員だとよ。バイクの免許を持ってんのがオレとお前だけだから、つまるところの足要員だな」
自動二輪中型免許は、高校一年の夏休みに、ピロシキと教習所で修了課程を済ませてある。
「あ〜両替要員ね、なるほど。それなら僕らは銀行までの道程を知っておかなきゃならないね」
首肯しながらも思考していたことは、これから加齢臭に訊ねたり釘を刺したりしようとする内容。
同乗するピロシキに聞かれて不味い内容はなにかあったかな?
一つ目が、なぜここに加齢臭一行が居るのか……これは別に聞かれても良いかな。
二つ目が、クラスメイトの前では語れない――釘を刺しておきたい事柄……両親が再婚していること、ひいては姫風や椿さんと姉弟で通している状態について、暴露したり、余計な口出しをして欲しくない、と言った内容だけど。ピロシキにはバラしている以上、これも聞かれて困る内容じゃないよね。
なんだ、ピロシキに遠慮しなくて良いみたいだ。
対向車の滅多に通らない県道を走行していたステップワゴンが、突如舗装された道路を逸れて、街灯のない農道に突入した。
ステップワゴンの両脇には水を張った水田があり、些か葉が伸びた稲が、風でざわざわと波打っている。
「こっちが近道ってこと?」
リーンリーン、ゲコゲコッと鈴虫、蟋蟀、蛙が絶賛大合唱中だ。
「そうだね! 二十分くらい短縮できるね!」
なんで無駄にテンション高いんだこの加齢臭は。
「それで、優くんはなにか僕に話したいことがあったんじゃないかな?」
「もちろんあるよ」
加齢臭が「なにかな?」と促してくれたので、一つ目の疑問を口にする。
「なんで親父たちがここに居るんだよ? 仕事は?」
「ん?」
「疑問を疑問で返すな」
加齢臭の後頭部に殴りかかろうとした僕を、文字通り体を張ってピロシキが止めた。
「……お前、親だろうがなんだろうが見境ねえな」
見境がないのはピロシキと加齢臭と姫風に対してだけなんだけどね。
次は後頭部を割ると念を込めながら、加齢臭に「なんでここに居るのさ?」と再度問い直す僕。
今度は茶化すことなく加齢臭が応える。
「ほら、僕たち夏休みに須磨へ家族旅行に出かける予定だったよね?」
「……第一部の適当設定がまさか伏線になっているとは思わなかった」
※作者もビックリです。
「第一部の適当設定?」と首を傾げる加齢臭。
「な、なんでもない」
「そうかい?」
僕は首肯して話を戻すように促した。
「家族旅行の行き先が須磨じゃなくて、なんで瀬戸内になってるのさ?」
間を取り持つように「お義姉さんから連絡が入ったの」と百合さん。
「そうそう、鳳花姉さんから連絡が入ったのさ! 『優哉くんには悪いけど、今年の夏はうちで住み込みのバイトをして貰うことになったから』ってね!」
「叔母さんはなぜ親父に連絡したんだ……」
「僕は保護者だよ?」
そうだった。
「まぁそれなら僕らも夏休みを利用して優くんの顔を見に行こうか? って話になって、今に至る訳さ!」
東京から岡山まで、このステップワゴンに乗って遥々やって来たらしい。フットワークの軽さに思わず涙が出た。
「来たのは仕方がないし、そこは百歩譲るけど、二人とも仕事は大丈夫なの?」
加齢臭も百合さんも土日祝日の関係ない職種に就いている。
「確か親父はなにかが今月〆切じゃなかったっけ?」
料理研究家として、加齢臭が十月になにかを出版すると、姫風が先月の下校時に教えてくれていたのだ。
「今月〆切のエッセイのことかい? ノートパソコンがあればどこでも書けるさ! 例えノートパソコンがなくても紙とペンがあれば書けるさ! もし紙とペンがなくても石で石に書き綴るさ! つ・ま・り・僕はどこでも仕事ができると言う訳さ!」
「……顔を見に来ただけならもう東京に帰れ」
「相変わらず優くんはつれないね!」
気を取り直してお次は助手席の百合さんに話を振る。
「百合さんはここに居ても大丈夫なんですか?」
「私は雪哉さんの担当編集だから大丈夫☆」
出版社に勤務する百合さんが振り向いてキラン☆
「……そうですか」
万年新婚夫婦め。
要約しなくても理解できる。
鈴城家御一行は子供の顔を見る為だけに、ここへやってきたらしい。
隣に無言で座っているピロシキの視線は、僕を哀れんでいる気がした。
「凄いだろ、僕の親」
「お前が去年、オレサマに泣きついてきた理由が少し解った気がするわ」
去年の夏休みも僕は実家に帰省しなかった。姫風と遭遇したくなかったのが大きな理由であり、小さな理由は加齢臭と顔を合わせたくなかったからだ。
夏休みになると寮は閉鎖となり、強制退去させられる。
帰省したくない僕からすれば、それはとても困った状況に追い込まれる訳で、実家に帰省しなければ九月頭まで路頭に迷うことになる。
なので、去年はピロシキに頼み込み、夏休みの間中、彼の自宅に居候させてもらった次第だ。
あ、僕の生活費はしっかりと払ったよ? 夏休みのバイト代で(The 後払い)。
夏休みはピロシキ宅に転がり込んで、ほぼ全日をバイトと教習所に費やしたけど、今年も転がり込むつもりだったので、それが避けられてちょっとだけほっとしている。
「話はそれだけかい?」
楽しげと言うか、陽気な声音で加齢臭がそう言う。
「まだあるさ」
僕はかいつまんで、二つ目を話した。
「ふむふむ、つまり、優くんはクラスメイトたちに、椿ちゃんや姫風ちゃんとは血縁関係である、と説明している訳だね! 僕と百合さんが再婚しているとバレたら……ん? バレたらなにか不味いのかい?」
「いろいろと不味いんだよ」
主に恋愛方面で。
「説明になってないじゃないか! ところで不味いってどのくらいなんだい?」
加齢臭が珍しく憤慨したと思ったら、あっさりと表情をもどしやがった。
「そりゃあもう僕が首を吊るくらいだよ」
加齢臭が急ブレーキをかけて、ステップワゴンを停車させた。
「親の前で自殺を仄めかすのは良くないと思うよ! 僕は! 『結婚してくれなきゃ死んでやる』並の脅迫じゃないか!」
こちらに振り返った加齢臭に真顔で怒られた。
百合さんも「めっ」て顔を僕に向けている。
「今のは僕が悪いの?」と隣のピロシキに訊ねてみる。
「怒ってるくらいなんだから、そうなんだろ」とピロシキ。
加齢臭と百合さんがジッと僕を見つめている。
なぜか謝らなきゃいけない雰囲気。
「…………い、今のは、悪かったよ」
「次に同じことを言ったら、僕は泣くからね?」
念を押してきた加齢臭が視線を僕からピロシキに移す。
「ところで、坂本くんだったかな?」
「あ、はい」
「坂本くんには我が家の内情を優くんが話している、でOKかな?」
「一応聞かされてます」
加齢臭がピロシキから視線を僕に移す。
「クラスメイトの中でも坂本くんは特別と言う訳だね、優くん」
「特別って……オーバーな言い方するな親父」
ニュアンス的には間違ってないけど、「僕にとってピロシキは特別」なんて言われ方はかなり気恥ずかしい。加齢臭に他意はないんだろうけど。
「テレてるね! 優くんのテレ度が上昇してるね! オウッ!?」
加齢臭の座席を無言で蹴る。
「お前の親父さん面白いな」とピロシキ。
うっさいわボケ!
その後都合四○分かけて都市銀行へ到着。殆ど車線変更や右左折もなく来れて、僕にも覚えやすい直進最短ルートだった。
そうそう。帰り道に姫風の愚痴を百合さんに零そうと、口を開きかけたところ、背後から蒼白い腕が伸びてきて、僕は酷い目に遭遇した。
誰が酷い目に合わせたかは、みんなの想像に任せるよ。
あ、そう言えば余談を一つ。
バイクの免許話で思い出したんだけど、ジジイはバイトに来て良かったのだろうか? 実家(農家)の手伝いは大丈夫だったのだろうか?
自動二輪中型免許(バイクの免許)は、高校一年の夏休みに、ピロシキと教習所で修了課程を済ませたとみんなには話したけど、その際、当然ジジイを誘った訳ね。でも、その時は、実家の家業が忙しいとのことで断られた覚えがある。
バイトに誘っておいて今さらだけど、今年は実家を手伝わなくても良かったのかな……。
ちょっと強引過ぎたかもしれないので、あとでしっかりと謝っておかなきゃね。