小説も方便
エイムズ公爵家の客間で、私は羽ペンを片手に固まっていた。
「……書けない。何も思いつかない」
実家の伯爵家よりもさらに豪華な客間に戦いたわけでも、始まった社交界デビュー向け淑女教育にうなされているわけでもなく。
「書けない……というか書き方がわからない! NL小説って何書けばいいの!?」
作家ナツ・ヨシカワ、生まれて初めてのスランプに陥っていた。
ダミアン第二王子を王太子の座から引き摺り下ろすための小説を書くこと。それが第一王子であるアレン殿下からの命令。小説を使ってダミアン殿下の行動を操り、世論を煽って彼が王太子に相応しくないと突きつける。そんなことが果たして可能なのか。
「可能性はあるさ。弟は流されやすい性格なんだ。たとえば、周囲からそそのかされて浮気相手を真実の愛のお相手だと勘違いし、政略で決められた婚約者を捨てるという愚かな選択すら簡単に取ってしまいそうなくらいにはね」
「真実の愛!!」
久々に聞いた懐かしいワードに目が飛び出そうだった。真実の愛———それは前世で散々読み散らかした異世界小説のド定番。真実の愛に目覚めた王太子とヒロインが、衆目を集める場で悪役令嬢に婚約破棄を言い渡すストーリーは、どれだけ手垢がついても美味しいと、誰もが主食の白米ばりに掻き込んでいた大好物。
「それはつまりダミアン殿下と平民上がりの貴族女性が街中で偶然出会って堅苦しい貴族社会とは違う価値観を持つ破天荒なヒロインに惹かれた殿下が真実の愛に目覚めたからと淑女の鑑とも言われるカトリーナ様にパーティ会場で婚約破棄を言い渡してお相手であるヒロインとハッピーエンドを迎えるという筋書きのことでしょうか!?」
「おい、息継ぎぐらいしろ。顔が歪んでるぞ」
ジェスト様のじっとりした視線もなんのそのだ。BL一筋の私にとっては門外漢の世界だけど、久々に前世を思わせるワードに触れてつい興奮してしまった。
「なるほど、そのストーリーはなかなかいいね。さすがは新進気鋭の作家ナツ・ヨシカワ殿だ。ダミアンに似せて書いた王太子のお相手が身分が低い女性となれば、彼の判断力に疑問を持つ貴族も多く出てくることだろう。公爵令嬢であるカトリーナを捨ててまで結婚したいと主張するなら余計にね」
私が考えたというより前世で流行っていたテンプレ展開を披露しただけだ。褒められるほどのものではないが、この世界では斬新な概念であることは間違いないだろう。
「でも私が婚約破棄モノを書いたからといって、ダミアン殿下が本当にその通りに行動してくれるとは限りませんよ?」
「その点は心配しなくていい。君の書く小説に合わせた仕込みは抜かりなく行うよ。先ほども言った通り、弟は流されやすい性格だ。“真実の愛”とやらがどれだけ素晴らしいか、サクラを撒いて吹聴させれば勝機は十分だ。私たちが目指すのはまずはカトリーナの解放だからね。加えて王太子の座が狙えれば言うことはない」
「わかりました。でも、ひとつ問題点が。ストーリーの都合上、カトリーナ様には悪役を担ってもらうことになります。嫉妬からヒロインをいじめたり、ならず者を雇って襲わせたりという行動を取らせたいのですが、それってカトリーナ様の評判に関わりませんか?」
双方同意の婚約解消でなく一方的な婚約破棄、加えてヒロインいじめという悪評を立てられ断罪イベントとなれば、完璧な淑女カトリーナ様といえども、のちの縁談や社交に差し支えるんじゃないだろうか。
そう心配の目を向ければ、アレン殿下は組んでいた指を解いた。
「その心配はいらない。カトリーナの今後についてはちゃんと考えがあるからね」
幼馴染だというアレン殿下がそう言うのであれば大丈夫ということか。
どうにか納得する私に、アレン殿下は厳かに言い放った。
「事がうまく運べば、君の不敬罪は問わないと約束しよう。期待しているよ、グレース嬢」
そう、元はと言えば(不本意ながら)私がやらかしたことになっている風評被害についての贖罪のための執筆命令だ。作家としての将来と家族を守ることにもなると、エンジン全開で臨む所存だったのだけど。
「書けないとはどういうことだ。腐っても作家の端くれだろう」
背後で睨みをきかせるのはジェスト・クインザート様。執筆活動の補佐という名目でアレン殿下から遣わされ、先ほどからずっと私を見張っている。
「腐っているのは大歓迎ですし作家の端くれも間違っていませんが、そもそもジャンルが違うんですよぉ」
「……肯定するポイントがズレている気がするんだが」
「腐るっていうのは褒め言葉だからいいんです。それはそうとして、そもそも私はBL作家。NL作家とは住む世界が違うんですよ。そりゃ両方美味しく料理できる作家もいるでしょうが、私の場合はBLに全振りです。普通の男女の恋愛の入り込む隙は私の人生において皆無です。そんな隙があればひと組でも多くの薔薇カプをねじ込みます」
「意味がわからん……。そもそも、お、男同士の恋愛話は書けて普通の恋愛話が書けないということがあるのか!?」
「その“普通”という固定観念からいい加減離れませんか。世の中は多様性の時代です」
「言っていることは真っ当だが中身は腐敗しきっているとわかっているから賛同しかねる」
「へへへ、また褒められちゃった」
「褒めてない!」
こんな不毛なやりとりをしている間にも無常に時間は過ぎていく。なおこの小説は書籍出版でなく新聞連載することがすでに決まっていた。オードリー社長を通じて新聞社につなぎを取り、アレン殿下が手を回して枠を押さえた。週に1度の掲載で全8回。2ヶ月の連載だ。締め切りがタイトだから早いうちに書き溜めておきたいのだが、いかんせんNL小説に慣れていないせいで筆が重い。
「おまえが本物のご令嬢を参考にしたいというからカトリーナのことを紹介してやったんだぞ。エイムズ家に滞在できるような手配もな。これで書けないなどと言えばアレン殿下にもカトリーナにも申し訳が立たないだろう」
そう、平民上がりのヒロインちゃんは私の想像で十分書ける。何せ前世の私がド庶民だ。対する高貴なる悪役令嬢のリアリティを追求したくて、カトリーナ様と交流させていただいた。あの美貌と優雅な佇まい、執務もこなせる頭脳は完全無欠の悪役令嬢に相応しい。
(あれだけ完璧なご令嬢が傍にいて、惚れないわけないわよね)
苦虫を噛み潰したようなジェスト様を見て、心の中で息を吐く。しかもその女性は望まない婚約に悩んでいるのだ。カトリーナ様は公爵令嬢、ジェスト様は侯爵令息。彼は自分のことを実家とも疎遠な養子だと卑下しているけど、時に本物の血筋よりも身分が尊ばれるこの世界。婚約を破棄されたカトリーナ様とジェスト様が結ばれるのに障害はないはずだ。
(アレン殿下がカトリーナ様の今後については考えがあるっておっしゃってたけど、きっとジェスト様がいるから大丈夫ってことだよね)
カトリーナ様を紹介された席で、お互いを心配しあう2人の姿を見せつけられた。小さい頃から苦労してきた幼馴染の2人が幸せになれる道筋があるなら、私だって協力くらいしてあげたい。だから苦手のNLであっても頑張って書かなくてはと思うのだけど。
無駄に入っている力を抜くためにひとつ息をつけば、なぜかジェスト様の態度が不審になった。
「その、私には小説のことはよくわからないから、まともなアドバイスなどできないが、そんなに気負うことはないんじゃないのか。いつも通り、普通に書けばいい。おまえの小説は評判がいいのだろう? 私も読んでいて引き込まれる場面もあったし……」
「ジェスト様? 急にどうしたんですか?」
もしかして慰めてくれているのかと目を見張れば、彼は歯切れ悪くも言葉を続けた。
「いや、その、男女と思うから書けないのであれば、男同士の話のつもりで書いてみてはどうだ? 書いた後で片方を女性に置き換えてみればいい。それならいつもの妄想で話を膨らませることができるんじゃないのか?」
「いつもの妄想……してもいいんでしょうか」
私が得意の妄想といえばもちろんアラン×ジェシーだ。そして目の前にはジェシーのモデルと噂される黒騎士様がいる。短く刈り込んだ黒い髪、冷静ながらも情熱を秘めた赤い瞳。
「ジェスト様の瞳の色って、綺麗ですよね」
「……なっ!?」
「“薔薇の騎士”の中にも出てくるんです。小説では血の色だと蔑まれていたジェシーの瞳を、アラン殿下は“情熱の薔薇の色だ”って評するの」
「……それは憶えがある」
片手で顔を覆っていたジェスト様は、私がぼーっと妄想している前でしばし逡巡した後、ゆっくりと口を開いた。
「———この目は忌むべき色だと家族にも疎まれてきました。情熱の薔薇などと……慰めはおやめください」
彼の口から紡がれたのは私が描き出した耽美な世界の一端。その瞬間、本物の護衛騎士ジェシーが私の前に舞い降りた。低く重みのある声が何かを振り切るように、それでも縋らずにはいられぬほどに切々と響く。
「———僕は思ったことを正直に言っただけだよ、ジェシー」
彼らの台詞はすべて誦んじることができる。アラン殿下の魂を己のうちに呼び覚ました私もまた、その続きを紡いだ。
「———ジェシー、これは僕からの命令だ。今日からその瞳は情熱の色。血の色と口にすることを禁じるよ。どうかその情熱の薔薇を僕のために咲かせてほしい」
「———卑賎なこの身にこの上ないお言葉です。殿下のお言葉通り、私のこの胸にある情熱をすべてあなたに捧げると誓いましょう」
「———あぁ、ジェシー。嬉しいよ。その綺麗な瞳を隠さないでもっとよく見せて。うん、前髪も上げた方がいいね」
言いながら彼の額髪に手を伸ばし、顔を寄せていく。
「———あぁ、君の情熱の中に、僕が映っている。なんて幸せなんだろう」
美しくも熱いその瞳を覗き込んだ、その瞬間。
「グ、グレース嬢!?」
「え?」
現実の名を呼ばれてしばし惚ける。目の焦点を合わせれば、至近距離に彫りの深いジェスト様のご尊顔があった。彼の高い鼻と形のいい唇に、今まさに触れなんとしている自分。
「え、えぇ!?」
なんでこんなに近くに!と声をあげ、自分の手が彼の前髪を掻き上げていることに気づいた。
「ごごごごごめんなさいっ!」
「い、いや、大丈夫だ」
私が手を離せば彼もまた一歩後退する。ようやく適正距離に戻った私たちはどちらからともなく顔を逸らせた。
「あああああああの、そう! 練習に付き合ってくださったんですよね、ありがとうございます! おかげさまでなんだかちゃんとしっかりはっきり書けそうです!」
「そ、それはよかった。私も、その、やりすぎてしまったようだ。すまない」
「いえ、ジェスト様が謝られることなんて何も!」
どう考えてもノリにノリすぎた私の失態だ。慌ててジェスト様に向き直れば、ほんのりと頬を赤く染めた彼が口元を押さえて佇んでいた。その色気にどきりと胸が高鳴る。
(お、落ち着くのよグレース。この人はカトリーナ様のお相手。両思いの恋人がいらっしゃる人。本物のジェシーではないんだから)
許されるのはせいぜい小説や妄想の中で餌食にしちゃうことくらいで、現実ではお近づきになることすらありえなかった距離の人だ。そう自分に言い聞かせながらも火照る頬がなかなか治らない。
結局再び羽ペンを持つまでにかなりの時間がかかってしまった。
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