三人寄れば悪い知恵
説明回(とくに後半)になります、頑張っておつきあいください。
私の前にはお姫様がいた。
金のさらさらした髪をハーフアップにして、植物をモチーフにした上品な髪飾りで留めている。アンバーの瞳は控えめな色ながらも理知的で、淡く色づく頬と唇はどこまでも芳しい色香を放っていた。
「ぺっ!」
「……ぺ?」
「ペンと紙をください! この美しさを今すぐ書き留めねば……間違いなくヒロイン枠! あぁでも私の小説に女の子ヒロインはいらないんだった! いやでもこのクオリティを前に書かないなんてことは作家としての魂を売るも同義っ。は! そうよ、女の子だって登場させればいいのよ! アラン殿下に政略結婚の話が舞い込み、美しいご令嬢を前に殿下が惑わされる……それを見たジェシーは嫉妬の炎を燃やして、思わずアランを押し倒……むぐっ! んむむむむっ」
「おまえは! ここをどこだと思ってるんだ! 恐れ多くも公爵令嬢の前だぞ!」
私を羽交締めするのは、休日だというのに相変わらず黒づくめのジェスト様。そして私の前にいらっしゃるのは今ほど紹介された麗しい公爵令嬢、カトリーナ・エイムズ様。由緒正しきエイムズ公爵家の長女でいらっしゃるお方。
そんなカトリーナ様は、私の口を抑えて怒鳴りつけるジェスト様を見ても眉ひとつ動かさなかった。こんな光景を前にしても落ち着きを払っていらっしゃるのはさすがだ。慣れてるのかな。カトリーナ様のお母様と、ジェスト様が養子に入ったクインザート家の侯爵夫人は姉妹なのだそう。ジェスト様とは義理とはいえ従兄弟の関係になり、小さい頃から交流があったと聞いている。
少々言いにくそうに軽く咳払いをしたカトリーナ様は、私とジェスト様を交互に見た。
「ジェスト・クインザート侯爵令息の突然の婚約。しかもお相手は未成年のご令嬢ということで、妙な噂が立っていのだけど……」
「妙な噂? なんだそれは」
眉を顰める黒騎士様。
「その、あなたが実は……ロリコンだったって。だからどんな女性のアプローチもすべて袖にしていたのだろう、と」
「なんだそれは……っ!」
「でもグレース様にお会いして、それが杞憂だとわかってよかったわ。16歳といえば社交界デビューしていてもおかしくない年齢ですもの。そのうち噂も沈静化するでしょう」
微笑むカトリーナ様の白百合のような顔に思わず見惚れてしまった。え、ジェスト様はどうしたって? 隣で額に手を当てて激しく俯いていますよ。そうか、ロリコンの噂が立っていたのか、知らなかったわぁ。
それにしても。
「男色家の噂の次はロリコンですか。いろいろ忙しいですね」
「だから誰のせいだと思っている!? なんでそんなに他人事なんだ!」
えぇ? だって他人事ですもの。私はただの物書きであって、それを受け止めた読者のみなさんがそれぞれに想像を膨らませるのは自由だと思うの。
つーんと横を向いて目を逸らせば、カトリーナ様がまたしてもクスリと笑った。
「それにしてもグレース様、あなたが最近王都で話題の作家、ナツ・ヨシカワ女史なんですってね。作家の方にお会いするのは初めてだわ。私もあなたの小説を読んでみたいと思っているのだけど……」
「君は絶対に読まなくていい。アレン殿下もそうおっしゃっていただろう」
「……この通り、過保護な幼馴染2人がなぜか執拗に止めるのよ。使用人たちも彼らに懐柔されていて、こっそり入手することもできずにいるの」
「でしたら今度私がお持ちしますね! しばらくお世話になるお礼です!」
麗しいお姫様が同好の士になってくれるなら鬼に金棒だ。めくるめく腐の耽美なる世界は、美醜関係なく誰にでも門戸を開いてはいるけれど、こんな美人さんなら個人的に大大ウェルカムだ。
「……絶対持ち込むなよ。そんなことしたら殿下に消されるぞ」
唸るジェスト様をふり仰げば、その表情がガチだった。う……っ、アレン殿下なら本気でやりにきそうだとさすがの私も肩をすくめる。
それでも名残惜しげにカトリーナ様を見つめれば、彼女は優雅に目を細めた。
「そうね。小説は読めなくともぜひお話しを聞かせてほしいわ。グレース様の社交界デビューまで3ヶ月、我が家で過ごしていただくのですから時間はたっぷりありますもの」
そう、なんと私は今から3ヶ月間、このエイムズ公爵家で暮らすことが決まっていた。表向きは社交界デビューに向けた淑女教育のためだ。カトリーナ様の父方の伯母様が名の知れたマナー講師で、今まで数々のデビュタントを世に送り出してきたのだとか。今回私は、婚約者(仮&偽)であるジェスト様のつないでくれた縁で、エイムズ家に滞在しながら淑女教育を受けさせていただくことになった。我が家は王都にタウンハウスを持たないため、私が王都に留まるための理由と場所がどうしても必要だった。ひとりでホテル暮らしはさすがに許可がおりないし、正式な婚約前の身でジェスト様のご実家にというのも外聞が悪く、さりとてアレン殿下の離宮というわけにもいかず、ちょうどよい解決策がエイムズ公爵家だった。
公爵家でデビューのための準備をと申し出があれば父も断るわけにはいかない。ジェスト様のクインザート家とエイムズ家は縁戚関係にあり、養子である三男の婚約の箔付のために有名なマナー講師を頼ったという筋書きも不自然ではない。
加えてもうひとつ。目の前におわすカトリーナ・エイムズ公爵令嬢は、マクセイン王国の第二王子・ダミアン殿下の婚約者でもあった。ダミアン殿下のお母様はこの国の正妃で、彼は第二王子ながら王太子に任命されている。アレン殿下にとっては母親の違う4つ下の弟だ。
ハミルトン伯爵家は中央の権力闘争からは距離を置いているいわば中立派。実際はめんどくさいのと権力怖いガクブルの一心で避けているだけなのだけど、そこはまぁ腐っても伯爵家。その令嬢である私のデビューにカトリーナ様が便宜を図ることで、ダミアン王太子殿下の治世を支える貴族をひとつでも多く増やそうとしているという表向きの筋書きも成り立つ、らしい。
「もちろんグレース様のデビューは精一杯お世話させていただきますわ。でも……さすがに私とダミアン殿下との婚約解消についてグレース様を巻き込むのは、やっぱり気が引けるわ。しかもジェストと偽装婚約までするだなんて。彼女は私たちとはなんの関係もないご令嬢なのよ?」
「カトリーナ、その件についてはもう何度もアレン殿下も含めて話し合ってきただろう。私たちは君がダミアン殿下に嫁ぐことを良しとはしていない。君もそうだろう?」
「それは……もしダミアン殿下との婚約がなくなるとすれば、私としても願ったりだけれど」
「そもそもダミアン殿下は、王太子としての資質にも疑問がある。最低限の執務すら部下と君に丸投げで、自身は悪友たちと遊びまわってばかりだ。王も王妃も婚前のことだからと大目に見過ぎだし、何より君があまりにも蔑ろにされすぎなことに、私もアレン殿下もこれ以上我慢がならない」
「ダミアン殿下は変わってしまわれたのよ。昔はまだ、ここまでではなかったのに」
アンバーの瞳を伏せ、なおも婚約者を庇おうとするカトリーナ様に対し、ジェスト様は少しも引かなかった。
「それでも、これだけの時間がありながら、ダミアン殿下は何もなさらなかった。むしろ悪手ばかりを選んでおられる。彼が国王となればこの国の未来も危ういとアレン殿下も憂いている」
「殿下に足らぬところがおありだったとしても、フォード宰相もいらっしゃるわ。クララ王妃様の父君であり、ダミアン殿下の外祖父となられる彼がいれば、政治面はある程度は……」
「それこそ大問題だ。フォード宰相は好戦的な性格。嬉々として隣国ダリとの開戦に踏みきるだろう。アレン殿下の母君であらせられたリュドミラ様の祖国との戦争となれば、彼がどれほど傷つくか」
ジェスト様の言にカトリーナ様ははっと瞳を見開いた。「アレンが……そうね、そうよね」と弱々しく呟いた後、毅然と顔を上げた。
「わかったわ。私が我慢をして丸く収まるならとずっと思っていたけれど、事態はもう、取り返しがつかないところまで来てしまったのね」
「カトリーナ、君が悪いわけじゃない。君はいつだって未来の王太子妃として努力を続けてきた。悪いのはダミアン殿下とフォード宰相だ。私とアレン殿下はそれを正したいと思っている。君を縛るものを断ち切り、自由に選べる未来を差し出すと約束しよう」
「ジェスト……。あなたの気持ちはありがたいけれど、どうか無茶をしないで。絶対に。私にとってあなたもアレンも、とても大切な人たちなのよ」
「わかっている」
カトリーナ様がテーブルの上に差し出した右手に、ジェスト様が自身の拳を軽くぶつけた。アンバーの瞳と赤の瞳がまっすぐ結ばれる。
(えーっと、これは何を見せられているのかしら……って、ナニ、かしらね、やっぱり)
NL専門外の私でも簡単に想像がつく光景を見つめながら、頭の中でひたすら情報を整理していた。
マクセイン王国には2人の王子がいる。
ひとりはアレン第一王子、年は22歳。彼の母親は隣国ダリの王女様だった。側妃としてこの国に嫁いできたが、当時のマクセイン王国とダリ王国の関係は相当きな臭かった。戦争もやむなしと言われていたところを、時の宰相同士の尽力でどうにか回避し、王太子だった今のディート国王陛下がダリから側妃を迎えることで決着がついた。
ただディート王太子には婚約を結んだ相手がすでにいた。当時宰相補佐の座にあったフォード侯爵の娘クララ様だ。クララ様はディート王太子よりも5つ下で社交界デビューを果たしたばかり。王家に嫁ぐにはまだ年若いからと期を見ていたその合間に、隣国との政略結婚が成り立ってしまった。
リュドミラ側妃は嫁いで後にアレン殿下を出産。ただ国内の貴族たちは次期宰相と噂されるフォード侯爵の味方がほとんど。国力としても劣るダリ王国の元王女・リュドミラ側妃は親子ともども城に隣接する離宮へと移り住み、ひっそりと暮らすことを余儀なくされた。
やがて年頃となったクララ様とディート王太子が結婚。長年の婚約者との成婚を待ち望んでいた王太子の気持ちは正妃へと傾き、ダミアン第二王子が生まれて後継に任命されると、リュドミラ側妃とアレン第一王子が顧みられることはまったくなくなってしまった。数年後には病を得たリュドミラ側妃が亡くなり、アレン殿下はひとりになった。
クララ王妃とダミアン殿下の護衛には王宮騎士団がつけられたが、アレン殿下の護衛は、宰相となったフォード侯爵が手を回して誰も配属させなかった。とはいえ王族の警護がゼロというのも外聞が悪い。何かあれば騎士団の責にもなる。王宮騎士団のクインザート団長がまだ少年だったジェスト様をアレン殿下につけたのは、そうした事情からだ。さすがに王族に対してどこの馬の骨ともわからぬ者をあてがうわけにもいかず、仕方なく自身の養子にしてかりそめの身分を与えた。護衛といってもアレン殿下よりも年下の少年。フォード宰相も捨て置くほど取るに足らない存在だったとジェスト様は言う。
こうしてアレン殿下とジェスト様はともに育つことになった。やがてダミアン殿下の婚約者候補として王太子妃教育のために登城するようになったカトリーナ様もその輪に加わった。ちなみに初めはダミアン殿下も混ざって、4人で勉強する機会もあったらしい。国王陛下もクララ王妃もおおらかな性質で、子どもたち同士が交流することまでは制限しなかった。しかし宰相となったフォード侯爵がこれに猛反発。王太子となるダミアン殿下への教育が、取るに足らぬ王子や護衛と同等であってはならぬと、ものすごい剣幕で彼らを引き離した。カトリーナ様も同じく一旦は引き離されたが、もともとジェスト様とは血はつながらぬとはいえ従兄弟同士。そのつながりを断てるはずもなく、アレン殿下とジェスト様を含めた3人の関係は水面下で今も続いている。
(……という我が国の王族事情らしいわ。これだけでまるっと一冊小説が書けちゃうレベルの話よね)
盛りに盛って書き散らせる自信はあるけど、それはあくまでフィクションの話。現実世界で突きつけられれば、さすがの私の妄想も止まってしまう。アレン殿下の生い立ちやリュドミラ側妃の置かれた状況はとても辛いものだし、ジェスト様がクインザート家に迎えられた事情もあんまりな内容だ。そして評判の良くないダミアン王太子と、その婚約者であるカトリーナ様の境遇も。
話をまとめると、ダミアン王太子は無能で素行が悪く、カトリーナ様は婚前だというのに王太子の執務もこなしているらしい。国王陛下と王妃様もそんなカトリーナ様のことを頼もしく思っているし、息子が婚約者を蔑ろにして別の女の子たちと遊び歩いていることも、思春期の男の子にありがちな照れとマリッジブルーだからと微笑ましく見ているのだとか。いや、そんなお気楽な王族が治めているだなんて大丈夫なの? この国。
カトリーナ様はダミアン殿下のことをなんとも思っていない。けれど公爵令嬢として王太子の婚約者として、己の責務を果たさなければならないと覚悟を決めていた。アレン殿下とジェスト様はそんなカトリーナ様を婚約者の立場から解放してあげたいと考えた。さらにダミアン殿下を傀儡にして隣国ダリとの開戦に持ち込みたいフォード宰相を引き摺り下ろすために、王位継承権を持つアレン殿下が立ち上がる必要があった。
国王夫妻は少々お花畑が過ぎるが特別な粗はない。フォード宰相にもこれといった隙がない。とすればどこを突くのが得策かと言えば。
「グレース嬢、いやナツ・ヨシカワ殿。君にはダミアンを王太子の位から引き摺り下ろすための小説を書いてもらいたい」
あの日、サイン会場からジェスト様によって連行された離宮で。深い碧の瞳を鋭くさせたアレン第一王子から下されたのは、小説家ナツ・ヨシカワへの新作執筆の命令だった。




