腐女子から出たサビ
「あの、もうそろそろよろしいでしょうか。ホテルに帰りたいのですが」
サイン会のために2日前に王都に出向いた私。同行してくれた父と2人、ホテルに滞在していた。うちは王都に近いためタウンハウスを所有していないのだ。父の商談が終わり次第、一緒に領地に帰ることになっている。その前にオードリー社長と次回作の打ち合わせもしたい。
「あぁ、そのことなんだけどね。残念ながら帰してあげるわけにはいかないんだ」
「はい!? なぜですか?」
「だって君には不敬罪の容疑がかかってるでしょ?」
「そ、それは許していただけるんじゃ……」
「まさか。あの小説が世に出たことで、私とジェストが恋人同士だと密やかに思われてしまってね。かわいそうに、ジェストは婚約間近だった女性に逃げられてしまったんだ。“どうせ私はアレン殿下との仲を隠すための、偽装結婚の相手にすぎないのでしょう”と言われてね」
「そんな……あれはあくまで小説でっ!」
言い訳を述べる私に対して、アレン殿下は突如として声を低めた。
「でも、実際にはそれを信じる者たちが大勢出た。君は王族である私の品位も貶めた。私も王位継承権は2番目とはいえ王家に連なる身。いずれは駒として他国に婿がねとして差し出される未来もあったかもしれない。けれど君の小説のせいで、その未来も立ち消えそうだな。何せ私は今、男色家と思われている。種馬にもならない婿を欲しがる国はないからね。そうなればこの国の政治上の政策にも暗雲が立ち込めることになる。君がしたことは、一国の未来を潰す行為と言えなくもない」
ひゅっと空気が漏れたのは、それまで温和な表情を見せていたアレン殿下が目を細めたから。表情らしい表情が削げ落ちたその顔には、なんの感情も乗ってはいなかった。護衛騎士のジェスト様を初めて見たときも無表情怖いと思ったが、それとは比にならないほどの冷たさと恐怖。これに比べれば、ジェスト様はまだわかりやすかった。無表情らしい仮面の下に、躍動的な怒りや呆れの感情がこもっていたから。
これが為政者の目。王族や高位貴族相手に驚きながらもふてぶてしく対応していた私でも、これに逆らってはいけないとわかった。自分がこの先どうなるのか、それを問うことすらできない。ただただ恐ろしい。
息をすることも苦しい中、震える私の肩に、不意に触れるものがあった。
「殿下……」
先ほどまでイラついていたジェスト様の声が、今は少し温かい。アレン殿下の絶対零度の視線の前で、私はすがるように肩に置かれた手の先のジェスト様を見上げた。
「殿下、恐れながらこの者はまだ社交界デビューも果たしておりません」
「子どものしたことだと、見過ごせというのかい? ジェスト。王族である私をコケにしたのだよ? あぁ君も、小説のように忘れられた第一王子など、取るに足らないのだから今更と、そう思っているのかな」
「そのようなことはありません。殿下の尊き御身は、何よりも尊ばれるべきものです」
「……まぁいい。だが、君がその少女を庇うなら、それなりに監督責任を持ってもらうよ」
「は? 責任とは……」
「そうだな、彼女と婚約してもらおうか」
「「はい!?」」
目を丸くして声を重ねた私たちに、アレン殿下はなんでもないように言った。
「クインザート侯爵家のお相手として、ハミルトン伯爵家は悪くない。武門として名を馳せる侯爵家に、軍用馬の生産もあるハミルトン家。つながりもないわけじゃないだろう。その筋から婚約が成り立ったとすれば言い訳もたつ」
「しかし……! 私は侯爵家とはいえ養子の身です。ハミルトン家のご令嬢と釣り合いが取れるとは思いません」
いやいやいやウチの方こそ釣り合い取れませんからね? 今世の貴族社会には疎い私でも、侯爵家が伯爵家よりすごいことはわかるというもの。それにうちは伯爵家といえ、父も兄も領民たちに混ざって畜産に励んでいるような家。馬小屋の掃除とか、普通にしてるからね、あの人たち。その家の娘である私も、馬の世話は一通り仕込まれている。最近は執筆が忙しくてあまり手伝えてはいないけれど、なんなら馬にも乗れるし馬車も御せる。
加えて前世の庶民感覚。どう考えても侯爵家に嫁入りしてやっていける身上ではないだろう。何より執筆ができなくなっては困る。今の私は目指せ職業婦人! 孤高の覆面BL小説家だ。
「困ります! 私、小説が書けなくなるの嫌なんで!」
「おまえはそれしか言うことはないのか……」
横で獣のような唸り声をあげるジェスト様だったが、それとはなんだそれとは。私にとっては命の水が絶たれるのと同じことだ。ノーBL、ノーLIFE。
「あぁ、安心するといいよ。君の執筆活動をジェストは邪魔しやしないから。むしろ応援することになるんじゃないかな」
「本当ですか!? 私、小説が書けるの?」
「だからおまえは、それしか頭にないのか!? 婚約の話が出ているんだぞ!」
「まぁまぁ、ジェスト。ちょうどいい話だよ。グレース嬢、実は君の作家としての腕を見込んで頼みがある。それをきいてくれたら、今回の不敬罪は水に流そう。なに、難しいことではない。君にはとあるテーマで小説を書いてもらいたいんだ」
「小説、ですか?」
「そう。執筆に必要な環境はこちらで整えよう。衣食住や道具のことだ。君はその恵まれた環境の中で、思う存分腕を振るってもらえればいい。必要であれば王族しか入れない王立図書館の閉架図書の閲覧も許可しよう。資料になりそうな書籍がたくさんあると思うよ」
「王立図書館の閉架図書……」
そう、薔薇の騎士の執筆にあたり通ったのが王立図書館だった。なるべくこの世界の常識を小説に落とし込みたくて、歴史や芸術などについての知識を学ぶべく、図書館で資料となる本を読み漁ったのだ。おかげで小説はリアリティを増してベストセラーとなった。離宮の描写がなんとなく被っていたのも、参考図書が王宮の建築図鑑だったからかもしれない。
あれ以上の知識に臨める閉架図書の誘惑に、ごくりと唾を飲む。
「加えて執筆期間中はジェシーことジェストの護衛付きだ。君の生み出した黒騎士が、君のことをすぐ側で守ってくれるシチュエーションは、男色が好みの君と言えども味わってみたいんじゃないかい? そう、アランの視点として」
「アラン殿下の視点……」
私がジェスト様を見上げれば、彼は驚きながらも咄嗟に顔を顰めた。初めて見たときと同じ、無表情を取り繕う中で、うっすらとその耳が赤くなっていることに気がついた。それが照れではなく怒りからだと推察できたが、そこは私の妄想でカバーだ。
「……いい、すごくいい。無表情でクールなジェシーだけど、実は己の感情を表に出さぬよう訓練していただけ。そのことに気づいたアランは、その仮面を剥がそうとひたむきに彼に接するうちに、やがてはアランの感情に揺さぶられたジェシーが、彼の前だけでは紳士の仮面を脱ぎ捨てる。そして身も心も生まれたままの姿になった2人は、互いの愛情をその身に注いで……」
「だからその爛れた妄想から離れろ! 痴れ者!!」
ついに怒りを爆発させたジェスト様がまたしても私の両目を塞いだ。
「離してください! いえ、離さなくとも大丈夫です! いつだって心の目は真実を見つめられるもの……っ! そう、腐は虐げられてこそ豊かに醸成されていくものなのです!」
「頼むからもうやめてくれ……」
ついには崩れ落ちるジェスト様を前に、なぜかアレン殿下が爆笑していたのだけど、私には関係のないことですよね、はい。