婚約をもって尊しとなす2
こんな最終盤で急に人が増えたので整理を。
アーノルド・クインザート
侯爵。王宮騎士団の団長。ジェストの義父。
エロイーズ・クインザート
上記の妻。ジェストの義母。
キース・クインザート
長男。騎士団の諜報部所属。クインザート家の中では一番小柄。
イヴリン・クインザート
上記の妻。女性騎士。
へルマン・クインザート
次男。騎士団の槍部隊所属。一番デカイ。
ルナ・クインザート
上記の妻。お色気担当。元お針子という設定。
緊迫していた部屋に、夫人の声が朗々と響いた。
「そこまでです。室内で大の男2人が剣を振り回すなど、狂気の沙汰。旦那様、そんなにジェストちゃんと遊びたいなら外でおやりくださいませ。我が家の庭は広うございますわ」
「う、うむ、そうだな」
「ちなみに旦那様。キースとヘルマン、それにイヴリンは3人がかりで10分と抑えられませんでしたわよ。ジェストちゃんは相当腕を上げたようですから、お気をつけくださいましね」
「……ほう。あいつら纏めてかかってそのザマか。まったく、だらしがないな。まぁいい。それならそれで十分楽しめそうだなぁ、ジェストよ」
「お断りします。私は婚約の挨拶に伺ったまで。それも済みましたのでこれで失礼します」
「あら、そんな我儘、許しませんわよ? 待ちに待ったかわいい系の嫁を私から奪うつもり? もう着せ替えごっこ用のドレスも靴も宝石もたくさん準備してあるのよ?」
「グレースはまだ嫁ではありません。それにあなたのおもちゃでもありません」
割り込んだ夫人に対してすげなく言い返せば、夫人は唇をへの字に曲げた。
「まぁなんてひどい。継母だからって、そんなにつれないことを言うなんて。ジェストちゃん、あなたやっぱりうちに引き取られたときに開いた“ジェストちゃんウェルカムパーティ”の席で、私が5段重ねのチョコレートケーキを準備していたこと、未だに怒っているのね。だって私、知らなかったのよ。あなたがチョコレートケーキよりもバターケーキの方が好きだったなんて。あ、それともあれかしら。あなたが離宮で暮らすことになってしまって、寂しいだろうからとプレゼントした添い寝用のテディベアの色が、あなたの好きな緑じゃなくて青だったこと、やっぱり恨んでいるのかしら。でも緑は入荷待ちで、すぐには手に入らなかったから……」
「そんなこと今も昔もまったく関係ないでしょう!? 私でも憶えてないことを蒸し返さないでください!」
間髪入れずに反論するジェスト様の頬と耳が赤く染まっている。これは確か、怒っているわけではなくて、もしかしなくても……。
「ジェスト様って、バターケーキがお好きだったんですか? あと、緑?」
「おまえもいちいち反応しなくていい! その厄介な記憶力と観察力の使い所はここじゃない!」
あれぇ、なんか怒られたぞ。やっぱり怒っているのかな?
「とにかく、私たちは帰ります。そろそろ10分経ちますので」
ジェスト様が再び私の肩を抱こうとしたそのとき。
「そうはさせませんよ!」
またしても上から声と人が降ってきた。くり返すけど、なんで上? どうやって上!?
「キース義兄上っ! バカな、さっきの峰打ちから復活したのかっ」
「キースだけではないぞ、ジェスト」
「イヴリン殿まで……っ。肩の関節を外してやったはずが!」
先ほど玄関でドンパチやっていたはずの3人のうち、長男のキース様とその奥方・イヴリン様がジェスト様を両脇から固めて押さえ込んでしまった。
「ふっ。確かに一度気は失いましたが、イヴリンが張り手を連発して蘇らせてくれました」
「その蘇った夫に関節を入れ直してもらって、元通りだ」
言われてみればキース様の頬が若干どころかまぁまぁ腫れていた。そしてイヴリン様の左肩にあるはずの飾り尾が引きちぎられている。
「あの、キースお義兄様、イヴリンお義姉様、ヘルマン様はどうなりましたの?」
「あいつはまだ伸びている。キースを昏倒させた流れで、ジェストがへルマンの頭を狙って剣の柄を叩き込んだからな。あいつの石頭のことだから問題ないだろうが、ルナ、ちょっと見に行ってやってくれ」
「まぁ、仕方のないヘルマン様ですこと。イヴリンお義姉様、ありがとうございます。ちょっと行ってきますわね」
女豹のごときお色気のルナ様はしゃなりとした優雅な腰つきで部屋を出ていった。……っていうか頭を殴り飛ばすなんて、生死を彷徨う大怪我をさせたことになるんじゃないだろうか。
「問題ない。ヘルマン義兄上は素手で虎を倒すような規格外だ。あれくらいでは簡単に死なん」
もう色々ツッコミどころがわからない。婚約の挨拶に来ただけなのに、あまりにも言葉が見つからない。
「さてジェストよ。覚悟はいいな。キースにイヴリン、そのままソレを庭に連行しろ。最後は私の番だ」
「承知しました、父上」
「御意」
長男夫婦が抜群の連携でジェスト様の上半身の動きを封じつつ、部屋から引き摺り出していく。
「離せ! 私の用事はもう済んだんだ。グレースを連れて帰る……!」
「せっかくかわいい末っ子が帰ってきたというのに、父上がそうやすやすとおまえを逃すわけがないでしょう。諦めなさい」
「そうだぞ、ジェスト。おまえが来ると知ってから義父上は実にそわそわと落ち着きがなく、ウェイトトレーニングを倍に増やして腕に磨きをかけておいでだった。私もキースもヘルマンも巻き込まれて、この数週間でまた一段と強くなれたのだ。おまえには感謝している」
「感謝しているというなら、今すぐ帰らせてください。そもそもあなた方3人を相手にしたあとで義父上とやりあうなど、釣り合いがとれていないでしょう!」
「大丈夫だ、義父上はそんな些細なこと気にされまい」
「私が気にするんです!」
なおも激しく抵抗するジェスト様に、長兄のキース様がふっと口を寄せた。
「ときにジェスト。取引をしませんか」
「取引、だと?」
「えぇ。私の希望を叶えてくれるなら、おまえの帰宅の手助けをしてあげましょう。おまえはかわいい婚約者を連れて、さっさとこの家を後にできます。残った時間でデートでもしてくればいい。年頃のお嬢さんがお好きな店の情報もつけてあげますよ。何せ私は諜報部員。女性の心を射止めるための準備に抜かりはありません。ときにおまえ、婚約者にはまだドレス一式と万年筆、それに露店のリボンしかプレゼントしていないそうですね」
「な、なぜそのことを……!」
「先ほども言ったでしょう。諜報部の情報を舐めないでいただきたい。その贈り物のセレクトは悪くありませんが、圧倒的に質と量が足りません。そんなんでは愛想を尽かされますよ」
「しかし……っ、グレースはあまり物欲がなくて、普通の令嬢の好みそうなものは喜ばないのです」
「そこをどうにかしてこその男でしょう。私だって一般的な令嬢とは一味も二味も違うイヴリンを口説き落とせたのですよ。如何様にもやり方はあるのです。知りたいですか?」
キース様の心地よい囁きにジェスト様の喉がごくりと鳴った。
「おまえは知りたいはずです、ジェスト。婚約者を永遠に繋ぎ止めるための秘策を。こちらの希望を聞いてくれさえすれば、その秘策はおまえのものです」
「あ、義兄上の希望とはいったい……」
「何、簡単なことですよ。おまえはただ呼べばいいだけです。私のことを———おにいちゃん、とね」
「———断る!!」
流されかけたかに見えたジェスト様が息を吹き返し、キース様の腕を振り払った。
「ふざけるな! この年になってそんな気色悪い呼び方なぞできるか!」
「……ちっ。王宮騎士団諜報部きっての手練れのこの私の誘いに堕ちぬとは。さすがは私のかわいくて愛らしい義弟ですね」
待って、今の超くだらないたらし込みのテクニックが王国屈指の諜報機関の常套手段なの? え、この国本気で大丈夫? そして自分よりデカい図体の義弟を捕まえて「かわいくて愛らしい」って形容詞の使い方、おもいっきり外していませんか??
「キース兄上よ! 俺がいない間に抜け駆けしようとしたな! ジェストに“おにいちゃん”と呼ばれるのは私の役目だ!!」
部屋の入り口から大音声を振り撒きながら駆け込んできたのは、次男のヘルマン様だった。よかった、生きてた……!
「ふん! そんなかわいくない図体で“おにいちゃん”と呼ばれたいなど、図々しいにもほどがあるでしょう。愚弟のくせに生意気な」
「なんだと! 小賢しい愚兄めっ。こうなったら俺と勝負だ! 勝った方がジェストに“おにいちゃん”と呼ばれるのだ!」
「貴様は他人行儀に一生義兄上と呼ばれればいいのです。”おにいちゃん”の呼び名は私のものです」
今にも長男に飛びかかりそうな次男という喜劇、じゃなかった、寸劇……でもなかった、惨劇が繰り広げられている隙に、ジェスト様が突然私を抱き上げた。
「ふぇっ! ジェスト様!?」
「まったく、埒があかぬ! だから帰ってきたくなかったんだっ。10分の滞在で済ませるはずが……もういい、グレース、このまま逃げるぞ!」
「ええぇぇぇっ!?」
勢いのまま扉でなく、開け放たれていたテラスへ向かって駆け出そうとすれば———私たちの前に、音もなく巨大な壁が立ちはだかった。
「逃さんぞ、ジェスト。どうしてもここから立ち去るというなら、私を“おとうさん”と呼んでからにしろっ!!」
聳え立つ山の如きアーノルド・クインザート王宮騎士団団長が、末息子に対して言い放った、まさに同じタイミングでのことだった。
くるっくー!! くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!くるっくー!!!
壁に備え付けられた鳩時計が、呑気な鳴き声で正午の時を告げた。
私たちが屋敷を訪れて、ちょうど10分が経過したところだった。
話をまとめると。
今でこそ逞しく成長したジェスト様だが、幼少のみぎりにクインザート家に引き取られた頃は、細身で小柄のあどけない少年だったらしい。長男キース様、次男ヘルマン様は共に父似のいかつい風貌だったこともあり、チビッコだったジェスト様をクインザート家総出で猫可愛がりした結果———家族間でジェスト様を取り合うバ○ルロワイヤルの様相を呈してしまい、よれよれのジェスト少年を見かねた側妃のリュドミラ様が離宮に彼を引き取ったのだそうだ。フォード宰相の差金で王宮騎士がつけられず、離宮が閑散として警備が手薄だったのは本当の話。騎士爵の父を持つジェスト様がクインザート侯爵に見込まれて引き取られたのも間違いないのだが、背景にはそんなアホらし……じゃない、複雑な事情があった。
「幼いながらもジェストの実力は光るものがあった。身体を鍛えて正しく剣を修めれば、必ずやアレン殿下をお守りできるであろうと、そう思わせる強さもあった。フォード宰相に対抗するだけの力がない当時の騎士団が取れる唯一の切り札がジェストだったのだ。宰相を欺くために、捨て置くような家族関係と世間には見せかけておったが……その逆境に負けず見事に期待に答えてくれた息子を、私は誇りに思う」
正午の合図とともに昼食の準備ができたと家令から告げられて、あれほど荒れに荒れていた面々は皆大人しく食卓についた。なんか調教された馬みたいに皆スムーズだった。予定の10分は過ぎていたものの、私もジェスト様も使用人の方々に流されるように誘導されて、同じ席につくことになった。さすがはクインザート侯爵家、使用人の腕も一流だ。
食後のお茶を飲む段階で———ちなみに食事中はいかに昔のジェスト“ちゃん”がかわいかったかの自慢合戦が繰り広げられ、嫁役であるイヴリン様とルナ様と私はひたすら聞き手に回っており、ジェスト様は何度も「余計なことを言うな!」と爆発していた———、クインザート侯爵はジェスト様のことをそのように評した。ここまでくれば私も、ジェスト様と実家との不和説が誤解だったと完全に理解していた。要はみんなジェスト様のことを好き過ぎて、義父上や義兄上と呼ばれることすら不満で、構い過ぎた結果のジェスト様の方から避けられるという負のループに陥っていただけだった。……いや、“おにいちゃん”でも“あにうえ”でもどっちでもよくない?と思ったことは、懸命にも心の中に留めておいた。私はできる嫁予備軍だ。
和やかな食卓———ちなみに誰がジェスト様の隣に座るかでかなり揉めた———を囲むクインザート家の面々と、苦虫を噛み潰したような表情ながら明らかに肩の力が抜けているジェスト様を見比べているうちに、不意に涙が溢れてしまった。
「グレース!? どうした!」
「ごめんなさい。ただ……良かったぁって思って。ジェスト様が家族に疎まれているんじゃなくて、ちゃんと大事にされてたんだって、アレン殿下の護衛も、見込まれたから託された役割だったんだって、そうわかって……本当に良かったです」
“薔薇の騎士”の中でのアラン殿下とジェシーは不幸な生い立ちを背負った人たちだった。現実のアレン殿下もジェスト様も似通った境遇だったかと思いきや、2人ともちゃんと家族に大切にされていた人たちだった。事実は小説より奇なりと言うが、こんな奇ならいくらだってあってほしい。安堵や感激の涙ならいくらだって流したい。
ぽろぽろと落ちる涙を自分で拭おうとすれば、不意に温かい感触が目元に触れた。すぐ近くに、大好きな人の気配がある。
「ジェ、ジェスト様!?」
「おまえの涙を拭う権利を、俺はもらったはずだ」
言いながら彼はまた———その薄い唇を寄せて私の涙を拭い取った。……っていうか舐めた。
「な、な、舐め……っ」
いや確かにデビューのやり直しパーティの会場でそんなこと言ったかもしれないけど……でもやり方ってものがありますよね? あれだけあなたのことで大騒ぎだったご家族が静止してガン見してますけど!?
三度キスされそうになるのを手で押し退けてやり過ごせば、クインザート家の皆様は何事もなかったかのようにぬるい笑顔で食後のデザートを楽しみ始めた。ねぇ、みなさん、何か言ってくれません? あなたたちのかわいくて愛らしいジェストちゃんはここにいますよ!? そんな急に今日も1日平和だなぁって感じで普通にされたら、かえっていたたまれないんですけど!!
私の切なる祈りが通じたのか、侯爵と夫人が実に牧歌的な会話を再開した。
「まぁ、あれだな。我が家ほど嫁取りに恵まれた家はないな」
「えぇ本当に。先ほどのグレースちゃんの愛の宣言、旦那様にもお聞かせしたかったですわ。“ジェスト様のことは私が幸せにしてみせます!”って、それはそれは勇ましかったんですのよ」
「ふむ。グレース嬢は度胸も素晴らしいものがある。先ほどもジェストを庇うかのように私の前に立ってみせた。そのような女子はイヴリンだけかと思っていたが、世間は広いな」
「グレースちゃんのためにあれこれ準備していたのですけれど、本物を見てますます楽しみが増えましたわ。ルナにも協力してもらって、かわいいドレスをたくさん作ろうと思いますの」
そんな両親の話を聞きながら、ジェスト様が面白そうに耳元で囁いた。
「ほぅ、グレース、義母上相手にそんなことを言ったのか。詳しく聞きたいところだな」
再開を願った会話で墓穴を掘ってしまい、あやうくお茶を吹き出しそうになった。それ、壮大なる勘違いの末の行動ですから、どうか忘れてやってくだい……。
ジェストの義理の兄と兄嫁たちは全員30代の設定ではありますが(ちなみに文量の関係で出てこないだけで子どももいる設定ではありますが)…全員変人なので大人げないのは許してあげてください。




