小説書いて地固まる2
やがて舞踏会の幕が上がり、アレン殿下とカトリーナ様、そして国王夫妻が入場された。アレン殿下の今日の衣装は白地にゴールドという煌びやかさ。カトリーナ様の美しい金の髪色を取り入れた意匠だろう。対するカトリーナ様は青のグラデーションが美しいドレス。水色の手袋はあの日アレン殿下がキスを落としたものと同じだ。
アレン殿下がいるということは、きっとジェスト様も会場にいるのだろう。今日は護衛としてか、それとも出席者としてなのか。まさかメリンダ様をエスコートしているなんてことは……ないと思いたい。けれどもしそうしていたとしても、今の私には異議を唱える資格もない。エスコートのお断りを入れて以降、向こうからは何も音沙汰がなかった。あちらもアレン殿下の立太子で大忙しの身だろう。落ち着いた頃にでも書面で婚約の白紙撤回の通達が届くのかもしれない。
国王陛下による開会宣言が出され、アレン殿下の立太子が今一度盛大に告げられた。今日の主役はアレン王太子だ。舞踏会の幕開けは殿下とカトリーナ様のお二人のダンスから始まった。若い二人の、初々しいながらもすでに威厳を見せる姿に皆が感動の視線を送った後、壇上へと引き上げた2人を待っていたかのように、国王陛下が次の宣言を出した。
「皆の者に告ぐ。3ヶ月後のアレンとカトリーナ嬢の結婚式をもって、私は国王を引退することとする。なお王妃とフォード宰相も同様だ。アレンとカトリーナ嬢が次代の国王夫妻となって、マクセイン王国の新時代を築いていくことになるだろう。どうか若い2人を皆で盛り立ててやってほしい」
陛下の宣言は、アレン殿下の立太子と前後してすでに囁かれていたこともあり、大きな混乱は起きなかった。満場の拍手が陛下とアレン殿下を包み込む。
その拍手が冷めやらぬうちに、陛下は次の言葉を述べた。
「なお、本日は7名のデビュタントが社交界の仲間入りを果たす。本来であれば私が紹介すべきところだが、皆、アレンとカトリーナ嬢の治世を支える若者たちだ。ここはひとつ、映えあるその役目をアレン王太子に譲ることにしよう。アレンよ、頼んだぞ」
「御意」
すでに話がついていたのだろう、アレン殿下は優雅な足取りで玉座の前に進み出た。そのまま家格順にデビュタントの名前が読み上げられる。私の順番は4番目だった。前に高位の令息が1名と令嬢が2名、後ろには子爵家以下の令息1名と令嬢が2名。それはそれは綺麗なサンドイッチ状態だ。
(ということはダンスの順番は2巡目かしらね)
自分の名が呼ばれた途端にざわめく会場を尻目に、磨きをかけたカーテシーを披露しながらそんな算段をつけた。令息2人は1巡目で終わらせて、回しきれない令嬢を3巡させて片付けることになるのだろう。真ん中というのは実に都合がいい。
(お相手が陛下になるのかアレン殿下になるのかはわからないけれど、どっちも大差はないでしょう)
できることならアレン殿下と踊って、小説の話やジェスト様との婚約解消についての相談がしたかったのだけど、慣れないダンスでそんな話を繰り広げてうっかり足でも踏んづけようものなら、せっかく回避した不敬罪に逆戻りしそうだ。二兎追うものは、というやつだ。
私の想像通り、まずは男性2人と、私より高位のご令嬢2人が呼ばれてファーストダンスを踊った。その他の貴族たちも参加を禁止されてはいないので、何名かがフロアの中央に出てくる。デビュタント用のダンスは短めのワルツと決まっているから、1、2分であっという間に出番が回ってきた。
「続いてはマリアン・リーガ子爵令嬢とサラ・モンド男爵令嬢!」
「え?」
王家の侍従が読み上げたのは、うちよりも家格が低い令嬢たちの名前だった。私の名が呼ばれるだろうと、送り出す準備をしてくれていた兄もまた動きを止める。待機していたご令嬢本人たちも驚いた表情をこちらに向けたが、呼ばれるままにフロアへと進んでいった。
2巡目の音楽が始まっても周囲はざわざわしていた。私が故意に飛ばされたことは明らかで、「ほら、ハミルトン家のご令嬢だからじゃない?」「実は国王陛下もお怒りなのでは……」と、慶事に紛れて収っていた噂がここにきて再燃しだした。
「まさか、陛下と王太子殿下がこんなことをなさるなんて……」
「ジェシカ、落ち着きなさい。誰が聞いているかわからない」
娘を蔑ろにされたと青ざめる母を父が嗜めていた。そんな両親を見ても私にはなす術がない。唇を噛み締めながら、デビュタントを優雅にリードするアレン殿下に視線を送るしかない。
わざわざ招待状を送りつけてまで私をこの場に呼び出したアレン殿下。いったい何がしたいのかわからないまま、とうとう私の名前が呼ばれた。
「最後のデビュタントです。グレース・ハミルトン伯爵令嬢!」
名前を呼ばれる直前、陛下が玉座へと戻られ、フロアにはアレン殿下のみとなった。私のお相手は必然的にアレン殿下であることが示された。皆の視線が一斉に私へと集まる。デビュタント以外の人も踊ることが許されるはずのフロアに、殿下と私の姿しかない。
殿下の前に歩み寄り、再びカーテシーの姿勢を取る私に、頭上から声がかかった。
「グレース・ハミルトン伯爵令嬢、どうか顔をあげてほしい」
そう言われてしまえば、いつまでも顔を伏せているわけにもいかない。言いつけ通りに目線を上げれば、深い碧の瞳がこちらを見下ろしていた。
「デビュタントのファーストダンスの前に、まずは皆に紹介させてほしい」
「え?」
そしてアレン殿下は私の手を取り、周囲へと顔を見せるよう促した。
「今宵の舞踏会で私と並び立つべき、もうひとりの主役を皆に紹介しよう。その名もナツ・ヨシカワ殿だ。マクセイン王国に彗星の如く現れた新進気鋭の女流作家であり、王家に二組の真実の愛をもたらした、偉大なる愛の伝道師でもある!」
「はい!?」
突如として飛び出した二つ名に目を丸くした私は、隣に立つ殿下の顔をまじまじと見つめた。え、この人何言ってるの? 愛の伝道師って語彙セレクト正気? 幸せが過ぎて頭のネジが飛んじゃったとか?
「彼女が生み出した真実の愛の小説のおかげで、義弟ダミアンと私は、生涯を共にする素晴らしい女性と巡り合い、結ばれることになった。作家ナツ・ヨシカワ殿はいわば、王家にとっての恩人。マクセイン王国が未来永劫続くための礎となる女性と言えよう!」
「アレン殿下のおっしゃる通りですわ」
いつの間にか壇上から降りてきたカトリーナ様も傍に立ち、尊い2人に挟まれる形になった。
「グレース嬢は貴族女性が仕事を持つことが忌避される現代において、その殻を打ち破り、己の才能ひとつで文壇に新たな風を起こした勇者でもいらっしゃいます。彼女の存在こそが王国の新しい光。私は次期王太子妃として、未来の王妃として、この国のすべての働く女性たちが光輝く時代を作り上げることを、ここにお約束いたします。グレース嬢が私とアレン殿下のために切り開いてくださった道を、決して失わせはいたしません。永久に続く道を、ここにいらっしゃる皆様とともに作り上げていく所存です」
そして両隣の2人が、大勢の貴族相手に軽く挨拶してみせた。私も慌てて彼らよりさらに深く膝を折る。
「素晴らしいわ! アレンもカトリーナちゃんも、ナツ・ヨシカワ様も。真実の愛がもたらすマクセイン王国の新時代の幕開けね!!」
立ち上がったクララ王妃と国王陛下の拍手に、周囲の貴族たちも「……そう言えばそうだよな」「アレン殿下が王太子になって確かにようございましたね」「国家転覆というより、世直しになるんじゃないのか?」などと口々に言い始めた。どこから始まったのか再び拍手が伝播し始め、最終的には万雷の拍手に包まれることになった。
「だから“絶対来い”って言ったんだよ」
「アレン殿下……。もしかして私がナツ・ヨシカワだっていう噂も……っ」
メリンダ様がひとりで広めたにしては周到すぎると思っていたのだ。魔王殿下の仕業と考えれば納得のクオリティだ。下げに下げてからの方が上がりやすいし、下げていた者は罪悪感から積極的に上げる手助けをしてくれるだろう。王家のお墨付きまであれば尚更だ。
仕込みは得意なんだとほくそ笑む彼は、うさんくさい笑顔を貼り付けたまま、小さく咳払いをした。
「さて、デビューを迎えるグレース嬢のために、王家を代表して私がファーストダンスのお相手を担う栄誉に拝するのが常だが、今回は特別にその役目を別の者に委ねたいと思う」
そうだった、私のファーストダンスがまだだったと気を取り直しつつ、そのお相手を殿下が別の人に譲るという。すでに陛下は壇上の玉座に戻っておいでだから、王族以外の人が務めてくださるということだろうか。
誰が出てくるのだろうと周囲を見回す隙もなく、アレン殿下はその人の名を宣言した。
「今宵デビューを迎えるご令嬢であり、この国の礎ともなる偉大なる女流作家、ナツ・ヨシカワ殿のお相手を務める栄誉を———私の長年の腹心であり親友でもある、ジェスト・クインザート侯爵令息に譲ろうではないか!」
「————!!」
まさかの名前の登場に驚き過ぎて声も出ず———。立ち尽くす私の背後に近づく影があった。
「グレース嬢。どうか、私と踊っていただけないだろうか」
はっと振り向けばそこには、艶やかな黒の正装に身を包んだジェスト様が立っていた。




