小説書いて地固まる1
今日を入れて残り3日で完結となります。あと少しおつきあいください。
宵の口の王都の空が、うっすらと赤く染まっていく。
季節は夏。開け放した馬車の窓から入る心地よい風が、私の後れ毛と髪に飾った生花の白百合を揺らしていく。
やがて馬車が王宮の前に到着した。私にエスコートの手を差し出すのは、一足先に降りた兄だ。母が社交界デビューしたときの衣装を身につけた私は、その手を取る。顔を上げれば弾みでエメラルドのイヤリングが耳元で小さく揺れた。
ダミアン殿下の誕生日パーティから二週間後。今日はアレン第一王子の立太子記念パーティの日だ。
あの怒涛のパーティの数日後にはダミアン殿下の王族籍離脱とアレン殿下の立太子の手続き、両王子の婚約の調印までが済まされてしまった。暴走したクララ王妃があれよあれよという間に整えたそうだ。社交界デビューが先延ばしになった子女がいたことに胸を痛めて、なるはやでの仕切り直しを命じたのも王妃様だったとか。我が国の王妃様、実はかなりの事務処理能力をお持ちだったことが判明した。なんというか……いろんな意味で国家の損失だったようだ。
そんなわけで今日の主役であるアレン殿下は、名実ともにすでに王太子でいらっしゃる。カトリーナ様はその婚約者だ。ちなみに3ヶ月後には結婚式が控えている。もともとダミアン殿下とカトリーナ様のそれとして準備されていた国家事業。すでに各国の要人も招待済みとあって、キャンセルも延期も困難と判断された。何より主役のお二人が実に合理的で「枠が整っているんだったらそこに入ればいい」とおっしゃったとかで、準備は恙無く進んでいるらしい。
一方、自ら主役を降りたダミアン殿下の方は、一代限りの名前だけの公爵位を授けられた上でヒロインちゃんに引き取らせる予定なのだとか。なお、おバカ息子に脅されたベルカ男爵家の泣きの訴えが認められ、ヒロインちゃんと男爵家の養子縁組は白紙撤回された。これにより前代未聞の公爵様と平民ヒロインちゃんのカップルが爆誕した。「これこそが“真実の愛”ね!」とうっきうきのクララ王妃とは対照的に、おバカ息子の方は未だ吠えているらしいが、それもまた王妃様の「うちの息子はマリッジブルー」という謎理論で黙らせられているのだそう。我が国の王妃様、実はかなりの最強説をお持ちだったことが判明した。なんというか……いろんな意味で国家の損失だったようだ。
そんな事情から、今日のパーティにダミアン殿下とヒロインちゃんの姿はない。王族からは国王夫妻とアレン王太子、それに王太子妃に内定しているカトリーナ様が准王族として立たれる。主役は当然ながら劇的な展開で結ばれた若い2人のはずだが、それだけでは済まない噂が王都中に蔓延っていた。
「あの家紋はハミルトン伯爵家の……」
「ではあれが作家のナツ・ヨシカワ」
「ダミアン殿下が王太子の座を失ったのも、あの方の小説が原因よね」
「おとなしそうな顔をして、内実は国家転覆を狙っているだなんて、とんだ悪女じゃないか」
家紋入りの馬車で登場すれば、目敏い貴族たちはひそひそと噂話に興じ始める。あの日、兄が社交場で聞きつけてきた私の噂は、あっという間に王都中に広まってしまった。新聞小説が庶民の間でも広く読まれていたこともあり、文字通り貴賎なく広がりを見せた。噂の出所としてメリンダ様の顔が浮かんだが、それがわかったところで、家格が下の我が家から侯爵家に抗議することもできない。そもそも事実なのだから抗議のしようがない。
こんな状況で、渦中のナツ・ヨシカワことグレース・ハミルトンが社交界デビューを果たす。注目が集まらないはずがない。家族会議の結果、ジェスト様から頂いたエスコートの申し出はお断りすることになった。国家転覆を謀る悪女とまで言われているのだ。エスコートをすることでジェスト様にもクインザート家にも多大な迷惑をかけてしまうことになる。奇しくも私の希望が叶う形となってしまった。
ドレスについては急遽、領地からいくつかめぼしいものを取り寄せ、届いた物の中から、母が昔デビューしたときに着用したドレスを選んだ。白いシフォン生地で仕上げたドレスで、繊細なレースと縫い取られたパールは今でも色褪せない職人技だ。ジェスト様に頂いたドレスよりもややおとなしいデザインのため、全体的な調和を考えて、首元のネックレスはパールに、頭の飾りは白百合の生花に変えた。小ぶりのイヤリングだけはエメラルドのままだ。
「馬子にも衣装っていうのはこのことかな」
私に肘を貸しながら兄が揶揄ってきたので、私も軽口を返した。
「あら、私だってハミルトン家の娘ですもの。馬引きくらいお手のものよ」
「違いない。ついでにおまえだけじゃなくて、うちのかわいい仔馬たちにもドレスを着せてやることにしようぜ。きっとプロポーズが殺到して大混乱だ。あちこちの王子や騎士たちが決闘まで始めて奪い合うに決まっている」
兄の言葉に、着飾った仔馬たちを前に跪く男性陣の姿を想像してしまい、吹き出した。
「それはそれは情熱的なプロポーズね。アレン殿下とカトリーナ様みたい」
つい二週間前に見た光景に想いを馳せる。本音を言えば、今日のこの場に出席することをかなり躊躇った。両親も兄も体調不良を理由に欠席してもいいと慰めてくれた。けれど一方で、父の商談がすでにいくつかご破産となっていることを知ってしまった。どう考えても私が原因の悪評のせいだ。そこへきてアレン殿下とカトリーナ様連名で念押しの招待状が届いてしまい、引きこもるわけにはいかなくなった。
いつもよりゆっくり歩いてくれる兄の隣で顔を正面に向ければ、両親がすでに待ってくれていた。
「グレース、大丈夫だよ。我々がついている」
「お父様、お母様も、申し訳ありません……」
もう何度目かわからない謝罪を繰り返せば、父も母も笑顔で首を振った。
「あなたが謝る必要はないわ。子どもを守るのは親の役目よ。グレース、いい? デビュタントの出番は最初だけよ。陛下が開会を宣言されて、その後デビュタントの紹介とひとりひとりへの寿ぎのお言葉。その後は王族の代表の方とのファーストダンス。今回は陛下とアレン殿下のどちらかがお相手くださるわ。遅くとも2巡目にはあなたの順番が回ってくるでしょう。それさえ済めばお役目は終わりになるから、あまりにも居づらいとなれば帰ってしまいましょう」
デビュタントには王家からのプレゼントとして、ファーストダンスを王族の方と踊れる栄誉が与えられる。今回はダミアン殿下がいないため、王族男性がひとり少ない。デビューを迎える子女は男性が2名、女性が5名。男性陣のお相手は王妃様とカトリーナ様が務められるので1巡で終わるが、女子が多いので最大で3巡する計算だ。もちろんデビュタント以外も踊るから、2巡目辺りで紛れて踊ってしまえば目立つことなく終えられる可能性もあった。
「わかりました」
深く頷いて再び兄の手を取る。多くの視線が突き刺さるのを感じるが、私は敢えて胸を張った。
(隠さなくてはいけないことなんて何もない。私は作家ナツ・ヨシカワだ。自分の作品にも、自分にも恥じることなどないもの———)
あの日、メリンダ様の前で守り切った矜持は、未だこの胸に輝いている。
温かい家族に見守られる中、絢爛豪華な王宮の舞台へと足を踏み入れた。




