鳴ける作家が身を焦がす
会場が混乱を極めていたため、結局家族とは別々に帰宅することになった。私とジェスト様を乗せた馬車はエイムズ家へと向かっている。帰りはカトリーナ様も一緒にという話もあったはずだが、この状況だ。渦中の彼女は今日は屋敷に戻れないかもしれない。
「なんだか、とんでもないことになりましたね……」
「……あぁ」
婚約破棄劇場だけでも大事だったのに、王太子の挿げ替えに国王の代替わり〜連座で宰相を添えて〜という、スペシャルディナーコースも真っ青の盛り合わせだ。
それに加えて。
「まさかアレン殿下がカトリーナ様にプロポーズなさるなんて……」
「……あぁ」
いったいいつから2人はそういった関係だったのだろう。確かアレン殿下はずっと以前からカトリーナ様のことが好きだったと告白していた。カトリーナ様の狼狽する様子から察するに、彼女自身は殿下の気持ちに気づいていなかったようだ。けれど彼女がアレン殿下の手を取ったとき、今まで見たことのないような穏やかな表情をしていたような気もする。
もしそうだったとしたら。
「カトリーナ様もアレン殿下のことが好きだった、ということなんでしょうか」
「…………」
カトリーナ様の立場はダミアン殿下の婚約者。また筆頭公爵家の娘としてすべての貴族子女の模範となるよう行動していた方だ。己の気持ちを押し殺して表情に見せぬことくらい簡単にやってしまうだろう。そうやってお互いが隠していたものは、まさに“秘めたる愛”と呼べるのではないだろうか。
「アレン殿下とカトリーナ様こそ、“秘めたる愛”を育んでいらっしゃったということ?」
「…………」
ぽつりと落とした呟きが、薄暗い馬車の中に響く。ほぅ、と溜息が溢れた瞬間に、向かいにいるその人の存在を思い出した。
「ジェスト様……!」
「……なんだ」
そうだった、いろんなことがありすぎて意識の彼方に飛んでしまっていたけど、この人のことがあった。
「い、いえっ! あの……」
弾みで名前を呼んでしまったが、特に用事があったわけではない。それ以上かける言葉が見つからずに「なんでもないです……」と誤魔化すより他なかった。
ジェスト様が無機質な表情のまま、こちらを見てくる気配があった。顔色を変えないのはカトリーナ様もこの人も一緒だけど、わかりにくい表情の中にいろんな変化があることを、私はすでに知っている。
そして今彼の目に浮かんでいるのは……何かを押し殺すかのような寂しい光だった。情熱の薔薇の色と例えたその薔薇が、痛ましくも散りかけているような、そんな気配。
(そうだった、彼は、カトリーナ様のことが好きだったのだ……)
だがその愛する女性は、自身が忠誠を誓った主君の想い人でもあり、そして彼女はアレン殿下の手を取った。ダミアン殿下との婚約解消が成立し、ようやく自分の気持ちを打ち明けられると安堵した矢先の、まさかの急展開。あのときもしアレン殿下がカトリーナ様に告白しなければ、いや、せめてジェスト様が先にカトリーナ様に告白できていたら———事態は変わっていたかもしれない。今帰りの馬車で向かい合っているのは、偽の婚約者ではなく、真に愛する女性だったかもしれない。
ジェスト様はきっと、己の思いをこのまま封印してしまうのだろう。アレン殿下はすでに王太子、そしてカトリーナ様はその隣に並び立つ決意をされた。多方面が丸く収まる今回の婚約破棄騒動と新たな婚約に水を差すようなことを、ジェスト様がするはずない。
(でも、それってあんまりじゃない……)
アレン殿下がダミアン殿下を王太子の座から引き摺り下ろすためのプロパガンダ小説を書くよう、私に命じたとき、殿下は婚約が白紙撤回された後のカトリーナ様の処遇については当てがあると言っていた。てっきりジェスト様がカトリーナ様に告白するのだろうと思って、その後押しとなるようにと思って全力で取り組んできたのに、こんなトンビが油揚げを掻っ攫うような真似をするだなんて、あまりに酷ではないか。アレン殿下はジェスト様の秘めたる思いに気づいていなかったのだろうか……おそらく気づいてはいなかったのだろう。そうであると信じたい。もし知っていた上で自分が先んじてカトリーナ様を得たのだとしたら、私はあの人を許せない。
「……グレース嬢!? 大丈夫かっ!」
「え……?」
「その、涙が……」
ジェスト様に指摘され、私は自分が泣いていることに気がついた。涙が溢れ、頬を伝ってぽたりと落ちていく。せっかくエイムズ家のメイドさんたちが仕上げてくれた鉄壁のメイクがこれでは台無しだ。止めなければならないと思うのに、なぜか涙は次から次へと溢れて、綺麗なドレスに滲みを作っていく。ジェスト様が買ってくれた、私のためのドレス。彼の髪と瞳の色を密かに刺繍した、“秘めたる愛”のドレス。
(いやだ、私、ちょっとだけ………嬉しいと、そう思ってしまった)
何が嬉しいのか———ジェスト様とカトリーナ様が結ばれないことが、だ。
それに気づいた瞬間、自身のあまりな身勝手さに背筋が凍った。
(確かに私はジェスト様のことが好き……。でも、ジェスト様が幸せになれない未来を喜ぶだなんて)
こんな気持ちは愛などではない。これは単なる欲望であり、傍迷惑な思い込みだ。ジェスト様を意のままに操ろうとしたメリンダ様と何も変わらない。
「ごめんなさ……っ」
誤って許されることではないとわかっていながら、空虚な謝罪言葉が舌の上を滑っていく。
不意にジェスト様の指が私の頬に伸びてきたかと思うと———触れる直前で止まった。
「ジェス、ト、様」
「…………すまない」
彼の大きな手は私に触れることなく、そのまま落ちていく。
「……いえ、大丈夫です」
私がいつまでもぐずぐず泣いているから、咄嗟に手が出てしまったのだろう。けれど触れる気になるはずもない。
———私は所詮、偽の婚約者。
彼が涙を拭いたいと思った人は、ここにはいない。彼はその機会を永遠に失ってしまった。……私が書いた小説のせいで。
沈黙を乗せた馬車は、まだ夜が始まったばかりの王都を走り抜けていった。
カトリーナ様はあのまま王宮に残ったようで、翌朝になっても帰宅しなかった。
日が明けて私は当初予定していた通りにエイムズ家を引き払い、家族が滞在しているホテルに移動した。私がエイムズ家にいたのは社交界デビューの準備と小説執筆のためであり、2つともが昨日までに終わったのだから、これ以上滞在する理由がない。カトリーナ様に直接お礼が言えなかったことが心残りだけど、あちらもこれから目が回る忙しさになるだろうから、後でお礼状をしたためることにしようと思う。
昨日の王宮パーティは開幕する前に例の騒動で終了してしまい、私の社交界デビューは宙に浮いてしまっていた。国王陛下からのお言葉も賜っていないのだから、実質行われていないことになる。いったいどうなるものやらと思っていたら、さすがは王宮の仕切り、翌日にはデビューを予定していた子女向けに、二週間後に急遽開催されることになったアレン殿下の立太子記念パーティで、再度社交界デビューの場を設けることとするというお達しが届けられた。私のデビューを見届けた後は即座に領地に戻る予定にしていた家族も含めて、せっかくの機会だからとこのまま王都に残ることになった。
やり直しの社交界デビューを前にして、いくつもの問題が浮上することになった。
「王宮からの招待状には、前回と同じ装いを推奨とありますわね」
母がそう読み上げれば、父もまた頷いた。
「社交界デビュー用のドレスとなれば、皆一生の思い出となる素晴らしいものを用意するものだ。家によってはそう簡単に新しいものを準備できないところもある。そのための配慮だろう」
お貴族様といえば、一度袖を通したドレスは着ないもの……とまではさすがに言わないが、続けてのパーティで同じ格好というのはさすがに哀れに思われる。だが今回は事情が事情だから気にしなくてよいと、わざわざ配慮があったようだ。
となれば、私はまたあの赤と黒の刺繍ドレスを着ることになるのだけど。
「私、もうあのドレスを着たくありません」
強めの口調でそう告げれば、両親はひどく驚いた。それはそうだろう。今までオシャレにはまったく興味がなくひたすら小説を書くことだけに熱中していた娘が、突然こんな我儘を言い出したのだ。
「その、実は、ジェスト様とはもう……うまくいっていないんです。王都で時間を過ごすうちに、お互い合わないなと思うことが増えてしまって。だから婚約の話もなかったことにしてほしいんです。社交界デビューのエスコートも、ジェスト様はもうしてくれないと思います」
カトリーナ様への想いが実らなかったから、はい次、とはならないはずだ。まして偽の婚約相手だった私のために、彼が手を差しのべることはない。婚約の白紙撤回についてはアレン殿下が責任をもって両親に説明してくれるという話だったが、あちらも今それどころではないだろうから、自分でできることはなんとかしなくてはならない。
「まぁグレース、それは本当なの?」
「えぇ、お母様。不出来な娘でごめんなさい。だからエスコートはお兄様にお願いできたらと思うの。ドレスは……持ってきているものの中から適当に選ぶことにするわ」
本当は出席しない選択が取れれば一番だが、王太子お披露目のパーティに出席しないという不敬は一貴族として許されない。デビュー申請をしている者ならなおさらだ。
私が淡々とデビューの準備について変更を申し出れば、眉を顰めた父が待ったをかけた。
「グレース、待ちなさい。一度ジェスト様にも確認してだな……」
ちょうどそのとき、渦中のジェスト様からの手紙が届いたと使用人が知らせてきた。父が開封して中身に目を通した後、あからさまにほっとした表情を見せた。
「なんだ、大丈夫そうじゃないか。ジェスト様は二週間後のパーティでもグレースのエスコートをさせてほしいと言ってきているよ」
「お断りしてください」
「グレース、しかしだな」
「ジェスト様は律儀な方なので、一度約束したことだからと礼儀を通そうとしているだけなんです。それに彼には……ほかに愛する方がいらっしゃいます」
「なんだって? そんなことは一言も言ってなかっただろう」
「あのときは言えなかったのです。その……そう! ジェスト様はハーパー侯爵家のメリンダ様のことがお好きなんです」
「ハーパー侯爵家だと? あそこは確か、ダミアン殿下を擁護する家門だったな。ご令嬢は……一人娘か」
「そうなのです! ジェスト様がお仕えするアレン殿下とは相容れないこともあって、諦めてしまわれて。それで仕方なく私と婚約しようとなさっただけなんです。でもダミアン殿下が王太子の座を降りられましたので、ハーパー家もアレン殿下につかざるをえなくなりますから、ジェスト様とメリンダ様の間の障害もなくなります」
まさかのメリンダ様がこんなところで役立つとは。持つべき者は友達だ。お茶会に招かれたくらいだから友達でいいだろう。いろいろあったことは……簡単に許せはしないが、今は棚上げしてあげよう。
つらつらと立板に水のごとく嘘が口をついて出るのは、私のストーリーテラーとしての能力と、ここにほんの一部の真実が混ざっているおかげだった。その一部の真実が私の言い分に信ぴょう性を与えている。父も腕組みをしながら何やら思案顔だ。
「話はわかった。だがここはやはり一度ジェスト様にお会いして……」
父がそうまとめようとした矢先、外出していたはずの兄がバタバタと足音を響かせて部屋に飛び込んできた。
「父上、母上、大変です!」
「どうしたんだ。騒がしい」
「今、若者たちの社交場に出かけていたんですが、一部の貴族たちの間でどうやらグレースの噂が広まっているようなんです」
「グレースの噂だって!? まさか、小説を書いていることがバレたのか!?」
「そのまさかです、いや、それよりさらに酷い話になっています。作家ナツ・ヨシカワことグレース・ハミルトンは小説を使ってダミアン殿下を陥れ、こ、こ、こ、国家転覆を狙った稀代の悪女だと噂されているんですっ!」
ハミルトン家の家族会議に激震が走った瞬間だった。




