作家もサインすれば護衛騎士にあたる
サイン会、それは作家の夢。
作家のサインと初版特典を求めて、朝早くからブースに並ぶのは世界の常識。
「サイン会を開いて、薔薇の騎士をさらに広めたいんです。大丈夫、グレースお嬢様の正体がバレないよう、変装して臨みましょう。顔はベールで隠して、服装も体の線が出ない神秘的な感じに。お化粧はお任せください。声も出さない方向で。私が隣で通訳します。グレースお嬢様は口元だけ見せてにこやかにしてくだされば、それでOKですから」
オードリー社長の出版社では作家とファンとの交流会イベントをよく企画しているのだそう。作品だけでなく作家込みでファンやパトロンになってもらおうという試みだ。
オードリー社長の提案に、私は迷いもなく乗った。ちなみに父と兄は反対したが、母は無言でベールを渡してくれた。母、すっかり貴腐人化してくれて私も嬉しいような複雑なような気持ちだ。幼い弟は「僕も王都に行きたい」と頬を膨らませていたが、「大人になってからだ、いや、大人になってからでもダメだ」と父と兄に説得されていた。安心して、お姉ちゃん、ショタはあまり好みじゃないのよ。
迎えた当日。黒のベールに黒のレーシーなローブという、いかにも水晶玉が似合いそうな格好をさせられた私は、出版社のブースに座っていた。隣にはオードリー社長。
誰も来なかったらどうしよう、いい恥晒しだとびくびくしていたものの、定刻前にはすでに長蛇の列。そのほとんどがうら若き&妙齢の乙女たち。腐に年齢は関係ないのよ。老いも若きもすべてに寛容な腐の世界。あぁ、彼女たちを集めて同人イベントしたらきっと楽しいだろうな。コスプレ文化も流行らせたら華やかなイベントになりそう。
この日のために練習したサインを披露する。ナツ・ヨシカワは前世の私の名前。前世で使っていたペンネームはおふざけがすぎるものだったので、思い切って本名にしてみた。今世で本名を知っている人はいないし、もし同じ転生の士がいれば、このいかにも日本人的名前にぴんときて連絡してきてくれるんじゃないかなと期待して。
「あの! ナツ先生の大ファンです! サイン会があるときいて、朝6時から並んじゃいました! 絶対第一号になりたかったので!」
そう声をかけてくれたのは、いかにも庶民的なこざっぱりした格好の女の子。きゃわゆい。お礼の言葉を述べたかったけれど、これでも貴族の端くれ。ちょっと爛れた小説を書いていることを知られるにはリスキーな身だ。
「ありがとうございます。第一号のあなたには特別サービスですと、ナツ先生がおっしゃっています」
横でオードリー社長が私の声を代弁する。そうだった、第一号には特典として、薔薇の騎士特性オリジナル栞をプレゼントするんだった。私はそれを彼女に渡す。感激のあまり言葉を失う彼女の背後で「いいなぁ」「私も欲しかった!」と憧憬と怨嗟の声が溢れる。
次に並んでくれていたのは、鮮やかなデイドレス姿の女の子2人組だった。
「私、アラン殿下が好きです!」
「私は護衛騎士のジェシー!」
「ありがとうございます。ちなみに特定のキャラのファンであることを“推し”、または“○○担”と表現するのだと、ナツ先生はおっしゃっています」
「“推し”?」
「“○○担”?」
「はい。“私はアラン推し”ですとか、“私はジェシー担”といった感じです。ファンという言葉よりも深く重く、愛情をこめた表現方法になるそうです」
「なるほど! 私はアラン殿下推しで!」
「私はジェシー担よ!」
「同じ人を推すことを“同担”ともいいます。同担同士が集まれば、話に花が咲きますね」
すでに立派な貴腐人と化したオードリー社長の言葉に、少女たちは目をきらきらさせながら「今度のお茶会で同担探しをしてみましょうよ!」と去っていった。お茶会ってことは貴族のお嬢さんかな。見れば明らかに身なりが庶民じゃない子たちも列に混ざっている。領地ガールでぼっちな私にもそのうち腐女子仲間ができるかも、とわくわくしてくる。
そうやって初めてのサイン会を堪能しているうちに、私はあれ?と首を傾げた。
「私はアレン殿下の儚げな感じがたまらないと思うんです!」
「でもそれはジェスト様の逞しいお姿が隣にあってこそ、映えるものよ」
「確かに。アレン殿下の隣にはジェスト様」
「カップリングと言うのだそうですわ。先ほど、ナツ先生の隣の通訳の方から教えていただきましたの」
「まぁ、あなたもアレン殿下推し?」
「この子はジェスト担ですわ。同担ですわね」
サイン会を通じて仲良くなった腐女子たちがあちこちで会話に花を咲かせているのだが、彼女たちが口にする主人公の名前が、微妙に違うのだ。特に貴族っぽい人たちの会話にその誤りが多い。
「アレン殿下の病弱設定はどうしてもはずせなかったと、ナツ先生はおっしゃっています。散りゆく薔薇だからこその美しさを表現したかったそうです。ジェスト様の逞しい腕をもってしても救うことはできない、その定めの悲哀も描きたかったと」
ファンたちだけでなく、オードリー社長もまた間違えている。アレン殿下ではなく、アラン殿下だし、護衛騎士はジェストでなく、ジェシーだ。訂正したいが、今日の私は口を開かぬ設定。特に貴族令嬢も多く混ざっているサイン会で、身バレは勘弁したい。
いったい何が起きているのか掴めないまま、次の女の子の本にサインをし、微笑みながらお返しすると、栗色の髪の貴族令嬢らしい彼女が「あの!」と身を乗り出してきた。
「この小説に出てくるアラン殿下って、アレン第一王子殿下のことですよね? 護衛騎士のジェシーはジェスト・クインザート侯爵令息だと。その、お2人は本当に、そういう関係なんでしょうか」
「へ……?」
思わず溢れた私の声にかぶせるように、隣からオードリー社長が慌てて身を乗り出した。
「お客様、これはあくまでフィクションだと、ナツ先生もおっしゃっています」
「けれど、そっくりですよね? 名前だけじゃなくて、生い立ちも。離宮や庭の描写も王宮そのもので、本物を見知っている人にしか書けないと思います。だからアレン殿下とジェスト・クインザート様のことかと……」
「ちょっとそこのあなた、無粋ですわよ」
背後から別の既婚者ぽい女性の横槍が入ると、本を受け取った少女は驚いたように目を丸くした。
「あ、あの、私、そういうつもりじゃなくて。私はただ、もし本当のことなら応援してあげたいって、そう思ったんです。だって生まれたときからずっと側でアレン殿下のお命を守り続けたジェスト様が、あまりにもおかわいそうで……」
涙ぐむ少女ファンに、彼女を詰った先ほどの既婚者女性が声をかけた。
「まぁ、ごめんなさい。私ったらつい勘違いして、あなたを俗な噂好きかと思ってしまいました。ご安心なさって。ここには同好の士しかおりませんわ。誰もがアレン殿下とジェスト様の秘めたるお気持ちを見守りたいと、そう思っていますのよ」
「そうですわ。お体が弱いと、社交の場にもほとんど出ていらっしゃらないアレン第一王子殿下と、武門と名高いクインザート侯爵家のジェスト様。成人を迎えながら婚約者もおらず、浮いた噂ひとつないお二方でしたが、その理由がこれでわかったとしても、そっとしておくのが乙女の嗜みですわよ」
「あのぉ、小説の主人公は“アラン殿下”と“ジェシー”ですけど……」
私がつい口にしてしまった台詞は、突如として沸き起こった乙女たちの悲鳴のような歓声にかき消された。
何事!?と目を白黒させる私の前に、颯爽と表れたのは長身の男性。細身ながら引き締まった体躯をきびきびと運ぶその背中には、短めの黒のマント。腰に履いた剣の大きさに目を見張りつつ見上げれば、短い黒髪に赤い瞳。
はっきり言おう。BLファンはほぼ女性である。だからこそ朝からサイン会会場に詰めかけたのは老いも若きも女性ばかりだ。熱気と勢いから若い女性が目立っていたが、妙齢のご婦人もたくさんいた。それは置いておいて。
BLファンはほぼ女性である。前世において、男性ファンもいないわけではなかったが、比率的に圧倒的に女子で占められる。
そんな中、見上げるような長身で現れたひとりの美丈夫に、周囲が黙っているはずがなかった。
「「「きゃーーーーーー!!! ジェスト様よ!!!」」」
「「「本物の黒騎士様よーーー!!!」」」
乙女の叫びと現れた青年と。両方に度肝を抜かれた私の前で、くだんの黒騎士は一冊の本を取り出した。よく見るまでもなくわかる、白い表紙と青薔薇、黒き剣。
似ている、と唐突に思った。誰にって、薔薇の騎士のメインキャラ、護衛騎士のジェシーにだ。
現実と妄想の間を忙しくいったりきたりする私の前で、ジェシー似の騎士はその薄い唇を開いた。
「……あなたの小説のファンです。サインを、いただけないだろうか」
いや、どう見ても「ファンです」って顔じゃないよね。眉尻ひとつ動かさず、鋭い目をさらに細めて、何やら威圧感も漂わせながら言う台詞じゃないよね!っていう私の心の叫びを発するわけにもいかず。
ぎぎぎっと首をオードリー社長の方に向ければ、海千山千の社長もまた、なぜか苦しげな笑顔を顔に貼り付けつつ、『グレースお嬢様、さっさとサインしてください!』とばかりの圧で返してきた。
双方からの圧に負け、震える手でサインする私。本をおずおずと渡し返せば、彼は鋭い瞳でこちらを射抜いた。
「ふむ、やはりあなたが小説家のナツ・ヨシカワで間違いないのだな」
圧に負けてこくんと頷くと、「そうか」と小さく呟いた黒騎士は、次の瞬間、私との間合いをあっという間に詰めた。
「ナツ・ヨシカワ。あなたには出頭命令が出ている。速やかに私と来てもらおう」
耳元で言うや否や、目にも見えぬ速さで背後に回った彼は、流れるように私の右腕をとった。
「ちょっと、お客様! 困ります!」
さすがにオードリー社長が抗議する。しかし黒騎士は他のファンには見えない角度から彼女をひと睨みし、私たちにしか聞こえない距離まで近づいた。
「ご希望なら本名での出頭命令にするが? グレース・ハミルトン伯爵令嬢」
「―――!!!」
なぜ私の名前を!?と驚く間もなく、彼はさりげなく、かつ決して振り解けない力加減で私の右腕を掴んでいた。
「ご令嬢は右利きと見た。……腕を痛めれば執筆は難しいだろうな」
端から見れば女性をエスコートするような身軽さだが、そこに込められた力と殺気は本物だ。腕を取られている自分にしかわからない緊張感に、私は目を瞑った。
(お、脅されてる? っていうかこの人だれ? ジェスト様、だっけ? っていうかそれが誰だかわかんないんだけど!)
助けを求めて今一度見開いた視線の先には、困り顔のオードリー社長の姿。その口元が何かを訴えている。
『……ご? ごめん……ば、れ……た?』
ごめんはわかるけど、ばれたって何? え、オードリー社長、助けてくれないの? これってなんのための連行!?
訳もわからず黒づくめのジェシー似の騎士に連れられた私は、そのまま会場外に控えていた馬車に押し込められてしまった。