腐女子、悪役令嬢を噛む
前半にいじめのシーンがあります。苦手な方はご注意ください。
また、BL作品や文化に対する偏見に満ちた描写があります。
この話はフィクションです。BL作品や文化を貶めたり攻撃したりする意図は一切なく、あくまで物語の一要素として展開させています。
読まれた上でご不快な思いをされる方がいらっしゃいましたら、陳謝いたします。
心の奥の狭く暗い部屋に押し込めていた、焼印のように消せない前世の記憶———。
『あの子、男同士の恋愛小説書いてるんだって』
『うわ! キモっ!! 痴女じゃん』
『吉川の前で着替えするなよ! エロ小説のモデルにされるぞ!』
『先生ぇ! 吉川さんが男子のプールの授業を盗み見してますぅ』
『なぁ吉川、特別に俺のオレ、見せてやろうか?』
『やめとけやめとけ、観察されてネット小説とかに晒されるぞ。ひゃははははは!』
『気持ち悪っ。よく生きてられるよね』
『ほんと、消えてほしい』
私を嘲笑うたくさんの顔、顔、顔。中には高校の入学式で偶然隣に合わせになったあの子もいた。ラノベと漫画が好きだと初対面から意気投合して、次の日からさっそくお互いのお気に入りの本を貸し借りするようになって……。初めは私もごく普通の女子が好む本を中心にお勧めしていた。
でも1ヶ月ほど経った頃。
「私、本当はBLが一番好きなんだ」
その子とは本当に馬があったから、おもいきってそう打ち明けた。彼女は「へぇ、そうなんだ」と笑顔で頷いていた。特に拒否もなかったのでとっておきのBL作品を貸してあげた。2、3日してから返却してくれて、そのとき簡単な感想も言ってくれたから、てっきり彼女もまたBLを受け入れてくれるタイプの子なのだと思ってしまった。
「どう? 面白かった? あのね、もし気に入ってくれたんだったら、私が書いた二次制作のBL小説も読んでくれないかな。実は読むだけじゃ物足りなくて、自分でもBL小説を書くようになったんだ。試しに小説投稿のサイトにアップしてみたら、ブクマが100件超えてね。だから自信作だよ!」
得意げにそう語る私は、そのときの彼女の表情をよく見ていなかった。たぶん引き攣った顔をしていたか、笑顔の下でドン引きしていたのだろう。
そして次の日から、彼女は私から離れて、別のグループの子たちと行動するようになった。程なくして私がBL小説を書いていることがクラス中に知れ渡り、あらぬ誹りを受けるようになった。噂は瞬く間に学年中に広がり、廊下を歩くたびに白い目で見られる毎日。夢にまで描いていた花の女子高生生活は、一転、思い出したくもない暗黒歴史に成り下がった。
私が腐らず、登校拒否にもならずに高校に通えたのは、同人活動の仲間の存在があったからだ。BL好きが集まれば、この手の経験のひとつやふたつは皆持っていたりするものだ。学校生活に絶望した私はネットで知り合った彼女たちに励まされて、なんとか日々を乗り切った。幸いというか、クラスメイトたちは陰口は叩くけれど、直接的な攻撃やいじめはしてこなかったので、身の安全は守られた。中には中立的な立場の人もいて、仲良くはできなくとも、避けられないようなグループ活動には入れてもらえるなど、最低限の学校生活も確保されていた。
何より私には書くことがあった。どんなに辛いことがあってもパソコンに向かってキーを叩けばすべてが忘れられる。虐げられた思いは小説という形で昇華させた。3年間かけて書き散らしたBL小説は、同人イベントで毎回完売する程度には認められていった。
あの頃、小説を書くことは文字通り、私の心の支えであり、命綱だった。
命そのものでさえあった私の大切な作品が、目の前で穢されていく。
(あぁ、そうだ。とっくにわかっていたことじゃない……)
前世でも散々非難されたのだ。今世ではきっと受け入れてもらえる———だなんてこと、あるはずない。
BLが生理的な意味で受け入れられない人々がいるということくらい、私もわかっている。蛇蝎の如く嫌っている人だっている。そして我々はいつだって日陰の身だ。心の友である同人仲間たちも、堂々とカミングアウトしている人は少なかった。陽の当たる場所で堂々と語れる文化ではなく、またそれすらも美しいと、忍ぶことに酔ってもいた。
隠すことは普通。隠すことが当たり前。前世でも今世でも、私はいつだって日陰の身。
(でも、本当にそれでよかったの?)
BLだからって伏せるのは当たり前のことなの?
BL好きを隠すのは普通のことなの?
この世界で貴族女性が働いてはいけないことは当然なの?
自分がナツ・ヨシカワだと名乗るのは許されないの?
———おかしいだろう。
BLだからって伏せなければいけないのはおかしい。
BL好きを隠さなきゃいけないのはおかしい。
この世界で貴族女性が働いてはいけないのもおかしい。
自分がナツ・ヨシカワだと、堂々と名乗りをあげられないのがおかしい。
私自身、この世界でデビューが決まったとき、ごく自然にペンネームを使った。貴族令嬢であるから身バレをしないようにと家族に言われ、当然のこととそれを受け入れた。目指すのは孤高の覆面作家だと、自身が声に出して憚らなかった。
すべての根本に、前世の暗黒記憶がなかったと言えば嘘になる。
私は小説を書いていることを恥じているのだろうか。ナツ・ヨシカワとして正体を晒すことを恥じているのだろうか。
いや、恥じる気はない。だって私の小説を認めてくれる人たちがいる。私が書いている姿を見て、楽しそうだと目を細めながら、支えてくれる人がいる。
彼らが、彼が私のことを認めてくれる限り、私は堂々と声を上げたい。
私は作家、ナツ・ヨシカワだ。私が私を隠すのは、自分の命を散らすことと同じだ。
「……BLの何が悪いって言うんですか」
床に散らばったページの一枚に手を伸ばした。そこに印刷されたヒーローの名前に触れると、胸の奥で渦巻いていた感情が言葉となって、私の口から溢れ出た。
「BLだけの話じゃない、好きなものを好きと言って何が悪いの? 好きなことを仕事にして何が悪いの? その行為は……好きな人に好きと言うのとまったく変わらない。その気持ちは崇高で、誰だって穢す権利のない、正当なるものよ!」
私の反撃に、メリンダ様はページを破る手を一瞬止めた。
「あ、あな、あなた……っ」
言い返されるなどと思いもしなかったのだろう。怒りで声を失ったという体の彼女から、私の大切な矜持を取り戻そうと立ち上がった、そのとき。
「グレース! ここにいるんだろう!!」
個室の扉を蹴破る勢いで、ジェスト様が飛び込んできた。




