焦る護衛騎士の事情(sideジェスト)
ジェスト視点です。
養子と言いながらも侯爵家の息子をやっていると、あちこちから縁談が舞い込む。王宮騎士団団長という要職にも就いている父の顔を立てるために、受けざるを得ない見合い話もある。
メリンダ・ハーパー侯爵令嬢との話もそのひとつだった。ダミアン王太子の強力な後押しでもある家門の一人娘。時の権力者フォード宰相も気にかけているとあらば、なおさら断れず、一度会うだけでいいという言質を父からもぎ取って会うことになった。どこで見染められたのか知らないが、ご令嬢が私にご執心らしい。
そんな前情報にも、当日会ったご令嬢にも心動かされることはなく、見合いは進んだ。一度会うだけでいいと言われたのだ、これで終いということは先方も承知のはず。だがメリンダ嬢はそうとは思わなかったらしい。私の無難な断り文句では引きそうになかったので、無粋は承知ではっきりと告げることにした。
「私はアレン第一王子に仕えるただの護衛だ。爵位も身分も何もなく、これからもその境遇が変わることはない。加えてクインザート家からも距離を置かれている。メリンダ嬢に相応しいものは持ち合わせておらぬ身ゆえ、別の相手を探されるといい」
「あら、ジェスト様に相応しいものは私がご用意できますわ。私と結婚すればあなたは次期ハーパー侯爵となりますもの」
「悪いが、私は領地経営のことは門外漢だ。そのような椅子は分不相応だな」
「領地のことは私がある程度見れますわ。一人娘ですから婿養子を取る前提で、ある程度のことは仕込まれています。それにジェスト様は騎士でいらっしゃいますから、私と結婚した暁には、ぜひ王宮騎士団の一翼を担っていただきたく思いますの」
「先ほども言った通り、私はアレン殿下の私的な護衛だ。様々な思惑が絡んで殿下に王宮騎士の護衛がつかないがために私がいる」
それがフォード宰相の策略だということを、メリンダ嬢は知らないのだろうか。アレン殿下の側仕えの人間を王宮騎士団に迎えることなど、彼が許すはずもない。許すならとっくに父が私にその職を与えている。
憮然とそう言い返せば、メリンダ嬢は信じられない言葉を吐いた。
「あら、アレン殿下の護衛など辞めてしまえばよいのです。ジェスト様にはダミアン王太子の護衛を担っていただけるよう、フォード宰相にお願いしますわ。そうすればあなたは未来の国王陛下の側近として、また未来のハーパー侯爵として、日の当たる道を堂々と歩くことができます」
「なんだと……っ」
「ジェスト様ほどの実力をお持ちの方が、なんの力もない第一王子の護衛でくすぶっていらっしゃる姿を、私、これ以上見ていられないのです。私でしたらあなたに相応しい、輝かしい立場を用意してあげられますわ。ね? 私と結婚すると言いことづくめでしょう?」
「ふざけないでいただきたい!」
テーブルを叩き割る勢いで席を立てば、悲鳴を上げたメリンダ嬢が信じられないものを見るかのような目でこちらを見上げていた。
「私の主君は未来永劫アレン第一王子殿下のみ……! 間違ってもダミアン王太子につくことはないっ! 未来の侯爵位も王宮騎士の肩書きも、俺には不要のものだ。二度とそのような世迷い事を言わないでいただきたいっ!」
震えて声も出ない令嬢を置き去りにして見合いの場を後にした。当然これでご破産の話と気にもとめていなかったが、なぜか向こうから再三の婚約の申し出が届く上に、考え直せとメリンダ嬢自身が付き纏ってくる始末。一人娘かわいさに親馬鹿のハーパー侯爵も、あらゆる手段でもってこちらを懐柔しようとしてくる。外では人の耳目や実家の立場もあり、また無闇に敵対すればアレン殿下にも迷惑がかかってしまうという状況下で、無難に躱すか無視するかといった手段しか取れないまま今に至っている。
そんなメリンダ嬢を招いて、カトリーナが茶会を主催することになった。カトリーナひとりであれば微妙な関係のメリンダ嬢のことも問題なくいなせるはずだが、今回はグレース嬢も参加する。クインザート家の末息子の婚約者の社交界デビューには、本人が思っている以上に注目が集まっているようだ。事前に顔見せをしておかなければ、カトリーナがいない場に呼び出されてしまう可能性もあると説明されれば、止めることもできない。
アレン殿下の鶴の一声で決まったかりそめの婚約に過ぎないのに、グレース嬢にそのような気苦労を負わせるのが申し訳なかった。彼女には執筆に集中してほしい。小説を書くことが彼女の役目なのだから、それ以外のことをするなと言いたいわけではない。グレース嬢が小説を書くことを心から楽しんでいるとわかっているからこそ、世間のいらぬいざこざから距離を置かせてやりたいと思った。
初めこそ怪しげな令嬢という印象だったが、付き合ううちに彼女の本来の魅力が次々と顔を見せるようになった。偽の婚約者として最低限の礼節は尽くさねばと、社交界デビューのドレスをプレゼントしようとすれば、それすらも取材と割り切って、それ以外の物は髪飾り程度でも受け取らない。物欲がないのかと思えば、輸入品の万年筆を涎を垂らさんばかりに見つめる。すぐ傍に適度な財布がいるというのに、頼るそぶりなど微塵も見せず、自分で算段をつけようとする。贈った万年筆を「抱きしめて眠る」と言ったときには思わず吹き出しそうになった。店主がそれを俺に例えたのだと見当違いのことを言い出して、うっかり想像してしまいそうになり、慌てて顔を伏せるはめになってしまったが。
小説を書いている彼女の姿は実に興味深い。ただ座ってペンを走らせているだけなのに、その背中が雄弁に何かを語っている。楽しそうに弾んでいるときもあれば、苦しげに揺れているときもあるし、悲しげに震えていることもあれば、力が抜けて幸せそうにしていることもある。彼女が見せる素直な感情を思い出しながら完成した小説に目を通せば、あぁきっとあのときにこのシーンを書いていたのだろうなと繋がって、それがまた面白く、最近の私の楽しみのひとつになっていた。もともと文章力や物語展開に長けた作家と評判だったのだ。新聞連載の人気に火がついたのも当然のこと。かといって、アレン殿下と私に似せたアノ小説は未だに頂けないが。
俺にできることは、グレース嬢が心ゆくまで自由にのびのびと執筆できる環境を整えることだ。だからカトリーナにも、彼女とメリンダ嬢が絡まないよう気を配ってほしいとよくよく頼んでおいた。だが俺の願いもむなしく、グレース嬢とメリンダ嬢はかちあってしまった。ただ、一方的に攻撃されるのでなく、むしろ子爵令嬢をかばってグレース嬢から吹っかけていったと聞いて、肝が冷える思いがした。
メリンダ嬢は俺があれだけ邪険にしても絡み続けてくるような人物だ。グレース嬢にやりこめられたことを逆恨みして、敵意をむき出しにしてくる可能性もある。カトリーナは自分が助けられたこともありグレース嬢を庇っていたが、見通しが甘すぎる。グレース嬢に何かあってからでは遅いのだ。もし危害を加えられるようなことがあれば、新聞小説が未完のままに終わってしまいかねない。あれだけ情熱をかけて書いている作品がそんなことになれば、グレース嬢は深く傷ついてしまうだろう。そう考えてしばらくはエイムズ家で大人しくしているよう忠告したが、臍を曲げて逃げるように立ち去ってしまった。
出ていく直前のやり取りの中で、彼女に振り払われた手をはたと見る。そして今自分が何をしようとしたのかはっと気づき、愕然とした。俺は彼女の頭を撫でようとしていたのだ。偽の婚約者に不用意に触れられるなど、令嬢にとっては恐怖でしかないだろう。もしや気持ち悪いとまで思われてしまったかもしれない。
「いや、そんなつもりではなかったんだ。つい……なんというか、イタズラが過ぎる小動物を嗜めるというか、愛でるというか、そんな感覚だっただけで……」
そう言い訳する俺を、年下の従姉妹はなぜか白い目で見ていた。




