ペンに勝る宝なし
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店を出た後、ほかに行きたいところはあるかと問われたので、「原稿用紙の買い足しをしたい」と希望した。
「ならば文房具屋だな。アレン殿下が気に入っている店がある」
「あの、原稿用紙はどんなものでも構わないので、そんな高級店でなくても大丈夫ですよ」
「かまわん。必要経費だと言っただろう。素直に受け取っておけ」
そう言われればやぶさかではない。案内された店はさすが王都と思わせる上品な品揃えのお店だった。ありきたりの原稿用紙ですらほんのり上質感が漂っている。
荷物になるのでエイムズ公爵家に届けてもらうよう手配していると、店の一番目立つ位置に飾られたペンが目に入った。
「まさかあれは……!」
「おや、お嬢様、お目が高いですな。こちらは最近入ってきたお品で、万年筆といいます」
ですよね! 前世では普通に出回ってましたとも。こちらの世界の文房具事情は前世よりも数周回遅れだ。パソコンやスマホがないのはまぁしょうがないとして、筆記具も羽ペンにインクをつけてちまちま書くしかない状況で、すこぶるよろしくない。私に前世チートがあれば生み出したいと思っていた商品のひとつが筆記具だった。けれどボールペンにせよ万年筆にせよ、中身って細かいし複雑だから、作り方がわからず諦めていた。鉛筆や消しゴムも然りだ。
万年筆、この世界にあったのか。
「職人の国として名高いダリ王国から輸入されたばかりの品物で、中にインクが入れられる仕組みになっているのです。羽ペンよりもずっと長く書き続けることができます。手入れをすれば一万年は書けるという意味で万年筆と呼ばれているのですよ」
「あの、ちょっと試し書きすることはできますか?」
「もちろんです」
そうして店員さんは紙と万年筆を渡してくれた。すでにインクは充填されていて、ペン先を動かせばさらさらと文字が書ける。羽ペンよりも重みがあって、手にしっくり馴染むところもいい。
「素敵ですね。これなら何百枚だって書けちゃいそう」
「おや、お嬢様は筆まめな方でしたか。ご友人や恋人にお手紙をよく書かれるのでしょうか」
「い、いえ、あの……まぁ、ソンナトコロデス」
好んで書くのは詩的なお手紙ではなく、ちょっと爛れた小説ですとは口が裂けても言えず、頬をひくりと上げてごまかす。
「あの、この万年筆おいくらですか?」
「こちらは希少な輸入品となりますので、少々お値段が張りますが……このくらいですかね」
私が返した万年筆でさらさらと値段を書く店員さんの手元を見て……目玉が飛び出るかと思った。いや、ちょっと待って。うちで出荷している比較的お手頃な農耕馬さんの半値くらいのお値打ちなんですけど。え、ペン先にダイヤモンドでも仕込んであります?
頭の中で手持ちのお金を素早く計算してみる。“薔薇の騎士”の印税が入ってくるから私にも収入があるけど、両親が管理してくれているので自由には動かせない。事情を話せば購入許可が下りそうな気もするけど、父はすでに領地に戻っているから、一度手紙でお伺いをたてて……。
「なお、こちらは一点ものでして、ひとたび売れてしまえば次またいつ入荷するかお約束が難しいのです。この職人技は我が国ではまだ再現できないものでして」
……くそぅ、商売上手な店員だな。でも、この国では作れず、隣のダリ王国の専売というならその事情はわかるというもの。
ハミルトン領への速達なら往復2日で返事がくる。許可をもらって、それから銀行に行って……って。ダメだ、私はまだ未成年だから、ひとりで銀行に行っても手続きができないんだった。それなら小切手を入れてもらうよう頼んで……でも郵便で高額の小切手を送るのは安全とは言い難い。ならば父に王都に出向いてもらうしかないけど、次にこちらに来るのは私の社交界デビューのパーティのときだ。あぁもう、なぜ私は社交界デビューを先延ばしにしてきたのだろう。さっさとデビューして成人だと表明していたら、お金の管理もある程度自由にできて、今ここにある希少な一点ものの万年筆だってゲットできたのに。
泣きそうになりながら、置かれた万年筆を見つめる。次にここに来たときにはもう売れてしまっているかもしれないと思えば、諦めるのも辛い。
「あの、実家の父にすぐ相談して……」
一縷の望みにかけるしかないと、顔を上げて言いかければ。
「店主、そちらをもらおう。すぐに包んでくれ」
小切手でかまわないかと問いながら、ジェスト様が精算し始めた。
「じぇ、ジェスト様!? な、何を……っ」
「これが欲しいのだろう」
「欲しいです! 欲しいですけど、ほら、値段が、お値段が……」
「気にするな。素直に受け取っておけ」
再び繰り出される男前な台詞に、私ははくはくと口を開け閉めするしかなかった。いや、こんな高級なお品、ぽんと買い与えちゃだめでしょう。たとえ必要経費とわかっていても何かの好意だと勘違いしてしまいそうじゃないですか。
あれよあれよという間に包装された万年筆が私の前に差し出された。
「どうした、いらないのか?」
「いります! 貰います!」
受け取った箱を撫でながら、胸の奥がじんわりとしてきた。
「すごい、万年筆だ。どうしよう、嬉しい……」
隣でふっと空気が緩む気配があって、思わず見上げてみれば。
無表情か怒っているかがデフォルトの黒騎士様の、貴重な笑顔がそこにはあった。
「いや、ドレスよりも髪飾りよりも万年筆が嬉しいだなんて———おまえらしいな」
初めて見る綻んだ口元。なんだこの色気は……! ただ笑いを漏らしただけなのに壮絶に美しいじゃないか!
これ以上見ていてはきっとダメなことになると、本能が警告するままに再び万年筆に目を落とした。
「あ、ありがとうございます! 大事にします一生使います手入れだって怠りません朝な夕なに撫でくりまわします食事時も常に思い出します寝るときも抱きしめて寝ますので……っ!」
ごかますようにそう叫ぶと、店員さんが満面の笑みを浮かべた。
「恋人からのプレゼントを、その人自身だと思って大切にするだなんて、お嬢様は情熱的な方でいらっしゃいますね」
「へ?」
頓珍漢な感想にしばし惚ける。
「いやっ、違います! 万年筆を大事にするって言いたかっただけで、決してジェスト様を抱きしめて寝るとか、そういうことではっ」
ないのだと言い訳しながら隣を振り仰ぐと、またしても片手で顔を覆うジェスト様の姿。隠された表情はわからないが耳が赤くなっているということは———。
(また怒ってるぅ————っ!!)
ただ万年筆が欲しかっただけなのにどうしてこうなる、と空を仰がずにはいられなかった。
筆記具について、羽ペンの起源は7世紀頃。そこから18世紀まで使われていたそうです。万年筆が登場したのが1800年頃。
ガラスペンは明治時代に日本で生まれたとのことで、この作品では羽ペンと万年筆を採用しました。時代背景がぐちゃぐちゃではありますが、そこはなんちゃって異世界あるあると思ってください。




