ネタあれば憂いなし
執筆がひと段落した合間を縫って、私とジェスト様は王都のドレスショップを訪れた。社交界デビュー用のドレスを注文するためだ。偽の婚約だからデビュー自体がなかったことになる可能性もあるしと辞退しようとしたのだけど、社交界デビューの準備を何もしていないことが知れたら疑われるとアレン殿下に言われ、素直に従うことにした。
父と婚約についての打ち合わせをしたとき、ジェスト様は準備にかかる費用のすべてを自分が持つと言ってくれた。今回の計画の必要経費扱いらしい。けれど事情を知らない父は、自分たちも娘のために何かしてやりたいのだと主張して、話し合いの末にジェスト様がドレスを、ハミルトン家がアクセサリーを整えることとなった。
「私、王都でドレスを注文するなんて初めてです。楽しみですねぇ」
「ほぅ、おまえでも人並みの令嬢らしい感覚を持ち合わせていたのだな」
今日も今日とて黒づくめのジェスト様が意外な視線を向けてきた。
「恋人にドレスを贈るって恋愛小説の定番じゃないですか。“薔薇の騎士”ではそういうシーンが書けませんでしたけど、新聞連載の新作では絶対書きたいんです。今回のドレスショップはアレン殿下の紹介なんでしょう? 王都の一流店のお手並み、しっかり取材させてもらいます」
「なるほど、おまえがブレないのはよくわかった」
また馬鹿にされたのかとジト目で彼を見上げれば、意外にも彼の眉間に皺は寄っていなかった。あの皺、この人の顔に生まれたときから刻まれているデフォルトだと思っていたけど、どうやら違ったらしい。
拍子抜けしてぽかんとすれば、彼もまた訝しげな表情に戻った。
「どうした」
「いや、そこで絶対、“おまえの頭にはそれしかないのか”って呆れた叱責が来ると思っていたので、ちょっと驚いたというか……」
「別に俺だって、なんでもかんでも噛みつくわけじゃない。執筆を依頼したのは我々だし、おまえがそのために努力をしようとしている姿勢まで馬鹿にしたりはしない。むしろ研究熱心で良いと思っている」
「へ、へぇ……」
もしかしてこれも褒められているのだろうか。たぶんそうだよね? いやもう、出会い頭から不穏だった人がこうして普通の表情と声色になるだけで、こちらの調子が狂ってしまう。マイナスからゼロになっただけなのに好感度が上がるってずいぶんお得じゃないか。しかもアレン殿下やカトリーナ様の前では律儀に「私」と名乗っているのに、私の前では「俺」と言っているし。取り繕う必要もない相手だからだと思うけど、公私で使い分けるのって萌えポイント高いのよね。アラン×ジェシーだって、ベッ◯シーンでは俺って言ってて……。
「ほら、着いたぞ」
「はははは、はい!」
いかんいかん、せっかく褒め?られた端から妄想ダダ漏れにしてしまうところだった。今はドレスだ。ばっちり取材もしなくちゃいけない。
流れるようなジェスト様のエスコートに合わせて、私も店内へと足を踏み入れた。
さすがはアレン殿下お勧めの王都の一流店。お店の雰囲気も店員さんの接客もパーフェクトだった。うん、新聞連載の小説でダミアン殿下がヒロインちゃんを連れてくるのはこの店で決定。さすがにメモは取れないので、この目と耳と脳にしっかり焼き付けなくては。
「本日はお嬢様の社交界デビュー用のドレスでございますね。デビュタントのドレスの色は特に規定があるわけではありませんが、やはり若いお嬢様ということで淡い色や清楚な色が好まれます。またパートナーが恋人や婚約者の場合は、お相手様の髪や瞳の色を使用するのも流行ですわ」
「へぇ、ジェスト様の色ってことは……」
隣を見るまでもなくわかる。
「黒い髪に、情熱の薔薇の色の瞳……」
「まぁ、素敵な言い回しですわね。なんだか当てられてしまいますわ。婚約者様のことを本当に愛していらっしゃるのですね」
「へ……あ、愛!?」
そんなつもりはなく! いえ全然なく!! ただ先日の“薔薇の騎士”の2人芝居が記憶にこびりついていて、つい口を突いてしまっただけだ。
「いえ、あの、ああああ愛とかそういうのではなくてっ。ちょっとジェスト様もちゃんと否定してください! ジェスト様?」
そこでようやく彼を見れば、なぜか片手で顔を覆っていてその表情がわからない。いや、耳が赤くなっているような気がするから、これはたぶんアレだ。
———怒っていらっしゃる。
(私ってばなんてことを言ってしまったの! ただの偽装婚約の相手にそんなことを言われて嬉しいはずないでしょうに)
せっかく私の小説への姿勢を評価してもらえて怒鳴られることがなくなったのに、これでは初対面の頃に逆戻りだ。それに愛だの恋だのという言葉は、カトリーナ様との間で育みたいと思っているはず。
「あ、あの、ごめんなさ……」
「ただ、黒と赤は鮮やかでとてもシックなお色ではありますが、デビュタントには少々難易度が高いかもしれません。お嬢様の亜麻色の髪やオリーブグリーンの瞳と合わせるのも、かなり上級のテクニックが必要になります」
私たちを見比べた店員さんが話を被せてきた。確かにグリーンに赤とくれば前世で見慣れたクリスマスカラーだ。華やかなのは結構かもだけどその派手さはいらない。
「いかがでしょう? ここはデビュタントに相応しく、白いドレスを着用されては。そこに赤と黒の糸で全面に刺繍を施すのです。赤を多めに刺せば、布地の白と合わさって遠目にはピンクに見えますわ。デビュー用のドレスに求められる清楚さと淡い色、両方を表現できます。それに、近づけばパートナーの色とわかる仕掛けは、秘めたる恋のようできっと素敵です。……ちょうど“薔薇の騎士”に登場する主人公たちのように」
「薔薇の騎士!?」
まさかの読者様がこんなところに! ここ一流のドレスショップだよね? 私が言うのもなんだけど大丈夫か、この店。何より怖くて隣が見られないではないか。
「い、いやぁ、今ここでアラン殿下とジェシーの話は禁句で……」
「まぁお嬢様もあの小説をお読みに? お嬢様の推しはどちらですの? ちなみに私はジェシー担で……。あら、そういえばお嬢様の婚約者様、どことなく黒騎士ジェシーに似ているような……」
「あああああの! ドレスの案、とっても素敵ですねっ。白もピンクも最高! それ採用で! よろしくお願いします!!」
店員さんの目線をジェスト様から必死に逸らせつつ、背中に冷や汗をかくのを感じた。
その後は採寸のための部屋に逃げ込んで、ついでにさきほどの店員さんも引っ張り込んで、ジェスト様から薔薇の騎士の話題を物理的に引き離した。時間を稼いで表に戻れば、ジェスト様はタイを購入しているところだった。表情は……うん、普通だ。たぶん。
「……お待たせしました」
「いや、こちらもちょうど済んだところだ」
店員さんから商品を受け取った彼が、ふと隣のブースに目を向ける。そこは女性向けの髪飾りが展示されている一角だった。
「……その、アクセサリー類はハミルトン伯爵が準備したいということだったが、髪飾りくらいはどうだ」
「え?」
「デビュー用じゃなくとも、普段使いするものなどでもいい。ほら、仮にも婚約する予定だしな」
まさかの髪飾りを買ってくれるというその行動に驚いて、一瞬言葉を失ってしまった。私たちが交わしたのはかりそめの婚約の約束。ドレス一式は必要経費と聞いていたので応じたが、本来は負担いただくのだって申し訳ない。その上さらなる出費をさせるわけにはいかない。
それにここは一流のドレスショップだ。置かれている髪飾りをちらっと見ただけでも宝石があしらわれていることがわかる。
(宝石を女性に贈るって、ちょっと意味深すぎるよね。それってカトリーナ様にも申し訳ないことになってしまうし……)
ジェスト様がダミアン殿下の婚約者であるカトリーナ様に宝石をプレゼントすることは、きっと許されないはず。晴れて恋人同士になった後に2人が気持ちよく贈り物を交わせるよう、私がここで過去の女(仮)になるのは避けた方がいい。
(でも、あの端にある髪飾り、ちょっと気になるかな)
赤い小さな宝石が小花のように散りばめられた小さなバレッタに少し惹かれたものの、首を横に振った。
「どうした? 気に入る物がないのか?」
「いいえ。私、アクセサリーはあまり興味がないんです。それに小説を書くときは長い髪をひとつにまとめた方が楽なので、髪飾りでは小さすぎて使えませんし」
私の髪はなかなかの癖毛だから嘘ではない。私が執筆する姿をすでに知っているジェスト様もそのことに思い当たったのか「なるほど」と頷いた。
少しだけ後ろ髪引かれる思いを抱きながらも、ジェスト様を促して店を後にした。




