護衛騎士の事情(sideジェスト)
ジェスト視点のお話です。
ある日、主君であるアレン・マクセイン第一王子殿下から、とある書籍を手渡された。
「殿下、これは?」
白い表紙に描かれているのは青い薔薇に黒い剣。タイトルは「薔薇の騎士」。今一度目線を上げれば、母譲りの水色の髪に、デュート国王陛下と同じ深い碧の瞳を湛えた主君が唇の端を吊り上げていた。
「ここ最近、私たちのことを遠巻きに見てはひそひそと囁き合う者たちが増えていただろう? その理由がどうやらこれらしい」
「この本が、ですか?」
アレン殿下は第一王子、私は侯爵家の人間。それなりな立場にある自分たちだが、その出自や身の上から、積極的に交流しようとする貴族はそう多くはない。皆、王太子であるダミアン第二王子とその外祖父フォード宰相、それに王宮騎士団団長である父に阿っている。騒々しいことを好まないアレン殿下はかえって都合がいいと気楽にしているが、本来離宮でひっそりと暮らさなければならない立場の方ではない。
そんな事情から人気が少ない私たちの周囲だが、最近輪をかけて遠巻きに見られることが増えた。もしやフォード宰相の新手の嫌がらせか謀りかと警戒を強めていたのだが、その理由が一冊の本だと主君は言う。
「これは小説ですか? 珍しいですね」
アレン殿下の遣いでたまに王立図書館に出向くことがあるが、彼は小説の類をほとんど読まない。そんな彼がその手の本を勧めてくるのが意外だった。
「最近王都の女性たちの間で密かにブームらしい」
「女性向けというと、恋愛小説ですか?」
「……ジャンルとしては恋愛なんだろうが、確かに“珍しい”話だよ」
やや歯切れの悪い殿下の物言いを不審に思いつつ、許可をもらってその場で読み進めてみれば———。
「なっ! なんだこれは……っ!?」
「いわゆる“男色”というものだろうね。しかもその登場人物に思い当たる節がありすぎるときている」
「まさかこの“アラン殿下”というのは……っ」
「私のことを彷彿とさせるよね。そして君は……」
「護衛騎士の“ジェシー”」
世の中に男色家と呼ばれる者たちがいることは知識として知っている。だがそれはもっと、こう、秘められるものではないのか。わざわざ書物にしたためて衆目に晒すのもおかしな話だし、王族であるアレン殿下を貶める行為ともなりかねない。
「いったい誰がこんな、こんな……不遜なことを!?」
「作家名はナツ・ヨシカワとある。聞き慣れない名だから外国人かとも思ったが、おそらくペンネームだろう」
「今すぐ出版社に抗議して差し止めにします。作家本人もすみやかに罰するべきです」
「まぁ、ちょっと落ち着きなよ、ジェスト」
「これが落ち着いていられますか!? 私のことならともかく、殿下の評判に関わることです! もしやフォード宰相による新手の攻撃かもしれません。それにしたってこんな卑怯な手段、いくら宰相といえども許されることではありません!」
「もちろん、私もこのまま見過ごすつもりはないよ。かといって宰相本人を問いただすこともできない。だから本人に聞いてみたらいいと思ってね」
「本人? このナツ・ヨシカワにですか?」
表紙に印字された珍しい名に指で触れる。見慣れない綴りは男性名か女性名かもわからなかった。作家ともなると識字率の関係から貴族の可能性が高い。正体は男性貴族か、働く必要にかられた下級貴族の女性なのか。
「ちょうどこの小説の下巻の発売に合わせてサイン会が開かれるらしいんだ。ジェスト、君、このサイン会に潜入してナツ・ヨシカワという作家に接触してくれないか。ちなみに今のところ罰する予定ではないから丁重にね」
「接触するのはかまいませんが、本人を処罰するのでは?」
「それは話を聞いてからだ。……もしかしたら、以前からカトリーナも含めて相談してきた例の件について、切り札を得られることになるかもしれない」
「———!」
カトリーナとはカトリーナ・エイムズ公爵令嬢のこと。私の血のつながらない従姉妹だ。そして彼女は、アレン殿下の母親違いの弟・ダミアン王太子の婚約者でもあった。幼き頃にダミアン殿下の外祖父、フォード宰相肝入りで結ばれた政略的な縁だ。
だが放蕩癖があるダミアン殿下は、優秀で真面目なカトリーナのことを好まず、常に蔑ろにしてきた。恋人を取っ替え引っ替えしては遊び歩き、エスコートすべき場所でもカトリーナを顧みない。国王夫妻も息子の行動を諌めるどころか「カトリーナがあまりにも素晴らしい女性だから照れているのだ」とあさっての方角を向くのみ。フォード宰相に至っては、カトリーナに至らないところがあるからダミアン殿下が外に癒しを求めるのだと、彼女を叱責する始末。
そんなカトリーナの境遇に誰よりも心を痛めてきたのは私とアレン殿下だ。大人たちが私たちをいない者として扱う中、王太子妃教育で登城する機会が多かった彼女だけは、私たちを厭わず慕ってくれた。彼女自身も周囲がすべてダミアン殿下やフォード宰相の味方という状況で、年上の私たちと過ごす時間だけが唯一、本音をこぼせる貴重な場だった。
味方の少ない子どもたちが結束するのは当然の成り行きだったろう。
そして今。
ダミアン殿下は3ヶ月後に18歳の誕生日を迎え、カトリーナとの成婚の儀も半年後に迫っていた。殿下の素行は改善するどころか悪化の一途を辿り、帝王学の授業も教師がさじを投げる状態。王太子としての執務をこなせる素養も身に付かず、カトリーナがすべて代行している。口を開けば婚約者の悪口とあんな女と結婚などしたくないという我儘。その周囲には着飾った愛妾候補の女性たち。
結婚したくないのはダミアン殿下だけではない。カトリーナもまたそう思っているし、何より私とアレン殿下がこの婚約を白紙にしてやりたいと願っていた。ダミアン殿下にカトリーナはもったいなさすぎる。だが、高度な政略のうちに結ばれた婚約をひっくり返すだけの材料はなかなか揃わない。
そんな焦りを抱えていたときに、追い打ちをかけるかのような不穏な噂。アレン殿下と私をモデルにしたと思われる小説が世に出回った。2人の境遇も王城に隣接する離宮の描写もやたらと似通っている。所詮小説と侮っていたが、にわかに降って湧いた私の見合い話が、先方からの申し込みであったにもかかわらずありえない理由付きで断られたことを思えば、やはり件の作家の連行と尋問はやむなしと考えを改めた。見合いの話は実家の顔を立てるために受けただけで、もとより断る予定だったからまったく問題ないのだが、私と殿下がただならぬ関係という、ありもしない噂を放置するわけにはいかなかった。
そして出向いたサイン会場で。やたらと私とアレン殿下の名前を口にする女性たちの波の先にいたのは、怪しげなベールとローブに身を包んだ年齢不詳を装う女。こいつが諸悪の根源かと腰に穿いた剣に手をかけたくなるのを我慢して、まずは本人確認のために声をかけた。
「……あなたの小説のファンです。サインを、いただけないだろうか」
アレン殿下から借りてきた例の小説を差し出す。女がここに名前を書けば、それが十分な証拠となる。彼女は隣に座った女性に何やら目線で訴えかけていたが、最後にはこちらに向き直り、さらさらとサインをした。
「ふむ、やはりあなたが小説家のナツ・ヨシカワで間違いないのだな」
再度の確認に頷く女。証拠は押さえたとばかりに彼女との間合いを詰めた。
「ナツ・ヨシカワ。あなたには出頭命令が出ている。速やかに私と来てもらおう」
騒ぎを起こすのは得策ではないと、囁くように耳元で告げつつ、彼女の背後を取ってその右腕に手をかける。相手の腕の細さと身体の小ささに一瞬ぎょっとしたが、隣の女性の「ちょっとお客様! 困ります!」という呼び声に、もう一度気を引き締めた。
細いのも小さいのも当たり前だ。すでに作家ナツ・ヨシカワの素性は割れていた。
「ご希望なら本名での出頭命令にするが? グレース・ハミルトン伯爵令嬢」
「―――!!!」
驚いて身じろぎする彼女を逃さぬよう、取った右腕にさらに力を込めた。
「ご令嬢は右利きと見た。腕を痛めれば執筆は難しいだろうな」
丁重に扱えとアレン殿下から言われていたため、そうするつもりでいた。だがそんな不穏な台詞をつい口にしてしまったのは、ベール越しに透けた彼女の瞳を見てしまったからだ。
清々しいオリーブグリーンの大きな瞳。桜貝のような唇がぽかんと開かれ、邪気もなくまっすぐにこちらを見上げている。
彼女の正体はグレース・ハミルトン伯爵令嬢。馬の生産で名高いハミルトン家の16歳になる長女。ハミルトン家は領地暮らしで、社交界デビューも果たしていない彼女の情報はあまりにも少なく、その素顔もまたほとんど知られていなかった。
(この少女が、本当にあの小説を書いたのか?)
素朴な見た目と小説のギャップに狼狽えてしまい、誤魔化すために脅すような台詞を言ってしまったが、すぐにそれを後悔した。
(怯えさせるつもりはなかったんだが……くそっ)
言ってしまったことは取り返しがつかない。彼女を馬車へと連れ込みながら、口の中に苦いものが広がるのを感じた。
だがそんな私の反省の色も、離宮に到着して彼女の口を開かせた瞬間に綺麗に霧散した。
見た目は素朴でおとなしそうなのに、桜貝のようだと思った唇からこぼれて止まらないのはよくわからない、いや、わかりたくない説明の数々。黒騎士と恐れられるこの私が何度雷を落としても怯むことないその態度はいっそあっぱれだ。フォード宰相の策略ではないかという疑いも、あまりの馬鹿馬鹿しさに呆気なく晴れた。
疑いが晴れたとはいえこのまま野放しにするのも危険と、そう殿下に進言しようとした矢先。
「そうだな、彼女と婚約してもらおうか」
主君と仰ぐその人から下された、あまりに破天荒な命令。彼が立案した、ダミアン殿下とカトリーナの婚約を解消させ、かつ王太子の座から引き摺り下ろす計画を実行するために、グレース・ハミルトン嬢と偽装婚約することになってしまった。我々の目の届くところで彼女に小説を書かせるための策略だ。
不敬罪回避のためにその提案を呑んだグレース嬢は、どこまでも楽観的だった。実際に婚約する前に破談になるのだから彼女の経歴に傷がつくことはないだろうが、年頃の娘ならもっとこう、いろいろ気にするものがあるのではないのか。
「私、婚約とか結婚とかどうでもいいんです。小説さえ書ければそれでオッケーなんで」
むしろこのまま独身を貫いて小説を書きたいのだと彼女は言った。この国で貴族女性が仕事を持つことは未だはしたないこととされている。カトリーナなどはその状況を改善したいと思っているようだが、前途多難だ。
そんなグレース嬢を利用するようで申し訳ない気持ちもあるが、今優先すべきはカトリーナのことだ。半年すれば彼女がダミアン殿下と結婚することになってしまう。その前になんとか婚約解消に持ち込んでやりたい。そのためにはグレース嬢の協力が不可欠だった。計画が成功すれば、アレン殿下が次の王太子となる可能性も強まる。私と彼女の婚約はアレン殿下の命令で為されるわけだから、破談になっても殿下が責任を持って次の良縁を見つけてくれるだろう。王家のお墨付きの縁なら、素性の怪しい自分よりずっと相応しい相手のはず。その頃にはグレース嬢の気持ちも変わって、結婚に夢を見る女性になっているかもしれない。
そう自分を納得させながら彼女の父親であるハミルトン伯爵にも応対したし、カトリーナにも説明した。自分のためにグレース嬢を巻き込むことに難色を示したカトリーナだったが、彼女の言う通り、事態はもう取り返しのつかないところまで来てしまっていた。きっとこれが、カトリーナを解放する最後のチャンスだ。
伸ばされた彼女の手に自分の拳をぶつける。子どもの頃から続く、私たちだけの合図。
(私は君の味方だ———)
王城に隣接する離宮は、いつもカトリーナの逃げ場所だった。そこで暮らすアレン殿下は、いつでも彼女を笑顔で迎えてあげていた。たまに向かう王城で、大人たちの前で言葉を交わせなかった私たちの、秘密の暗号。そんなことくらいしか許されなかった、幼い頃の記憶。
いつか拳をぶつけるだけでなく、その手を取れる立場になれたら———。
その思いをなんとしても守るのが、護衛騎士である私の使命だ。
そのために巻き込むことになってしまったグレース嬢には、できるだけの協力をしたいと思っている。事が成った暁には彼女の名誉を守るべく、私の有責で婚約をなかったことにしてすみやかに彼女から離れよう。




