影響
事件は納沙布岬沖合で生起した事もあって目撃者も多く、ビデオカメラを持つ観光客によって撮影され、夜にはテレビによって瞬く間に世界へと発信されていくこととなった。
テレビによって映像が流れる中、日本政府は即座に対応を行う事ができず、ありきたりな声明や状況説明に四苦八苦していた。
10月4日、ロシアではクーデターを鎮圧した大統領がテレビで演説し、その中で事件に触れ「我々は石ころひとつたりとも外国に売り渡すことはない」との声明を発した事で、手をこまねいていた日本側への大きな打撃となって返って来た。
日本は海上保安官に50名近い犠牲者を出し、その対応すらなかなか進められない中でのロシア大統領の声明であった。
10月11日、ロシア大統領は予定通りに訪日を果たし、総理と会談を行っている。
納沙布岬沖での事件はロシア側の誤解であるとして謝罪と遺族への補償にこそ言及したが、ついぞ北方領土問題に関しては何ら口にすることなく、日本側も言及せず、経済協力についてのみ東京宣言として発表されることとなった。
北方領土問題に言及しない総理の態度は会談直後から批判されていたが、事件において日本側の犠牲者が多く、ロシア側が非を認めて謝罪し、補償にも応じた事からその声は大きくなる事は無かった。
しかし、秋に開かれた国会質疑の中で、総理が北方領土問題と経済協力を別けて対応すると答弁した事から問題が再燃。
日本側の犠牲者が多かった事も砲塔の問題であり、自衛隊と同じ無人砲塔ならば犠牲者は半数していただろうとの解説が浸透するに至り、内閣支持率は2割を割り込むところまで低落してしまった。
こうしてロシアとの経済関係は迷走をはじめ、「石ころひとつ売り渡さない」という大統領声明も相まって、漁業権交渉すら開けない状態が出来上がってしまった。
年末の深夜、突如会見を開いた総理は辞任を表明し、後任は予算管理内閣として予算成立後に辞任する事が宿命付けられ、政権として何か政策を実現する事はなく、「のつけ」型をどうするかも棚晒しのまま、次の政権へと投げ渡す事となった。
「オリョール」の名を持つ戦艦は日本海海戦に参戦し、日本側に降伏している。今回も近在にタグボートが存在しなかったロシアは、損傷した艦の曳航を日本側へ依頼し、あまつさえ予算難と資材不足から、日本へそのまま売却、解体という経緯をたどったことは大きな禍根を残す事となった。
ロシアにおいて、この事件は「日本沿岸警備隊水雷部隊との交戦事案」として公文書に記録され、以後「のつけ」型はロシアにおいて大型水雷艇として表記されることになった。
日本側は期せずしてロシア国境警備隊の現役艦艇を入手する機会を得た訳だが、売却に際しての契約条項に従って武器や電子設備の類はロシア側技術者の立ち合いの下で作業が行われ、返却する事となった。
その為、専門的な調査の機会は与えられなかったが、国境警備艦が主に対潜戦闘を主とした武装となっている事は把握できた。
これまで対水上戦闘を警戒し、「のつけ」型に長魚雷を搭載するに至った事がただの勇み足であったことは大きな批判を呼ぶことに繋がったが、情報が正確に入手できていなかった以上は仕方がない。
その様な関連した事柄が過ぎ去ったのち、「のつけ」型の去就が検討されることとなった。
大きく損傷した2隻は改役となり解体が決まり、残された4隻については、搭載する3インチ砲や魚雷発射管を撤去する事となった。
海上保安庁はこの事件を契機として武器類を遠隔操作とすることを決め、銃撃に対する防護を目的にブリッジに装甲を施す事として、以後の巡視船艇に適用されていく。「のつけ」型に関しても、その方針から3インチ砲の撤去を行い、プルトニウム輸送護衛の目的で建造した「しきしま」に採用したボフォース57ミリ砲1基を搭載して再就役させている。
北方領土問題については、ロシア側の態度硬化もあって以後、首脳会談でも話題の上ることはなく、事件を機に海上保安庁とロシア国境警備隊の間で衝突防止コミュニケーション協定が締結され、相互に位置情報や訓練情報を連絡し合い、随時意思疎通を図る事となり、友好的ではないにせよ、以後、武力衝突に至るような事態は発生していない。