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王太子妃になり損ねた公爵令嬢は氷の国で魔王に溶ける  作者: 九条 睦月


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53.黄金の海と新たな芽吹き(1)

 リバレイ領にも、待ちに待った春が訪れた。まだ雪は残っているけれど、新たに雪が降ることはほとんどない。太陽の光も日に日に暖かさを増し、穏やかな日々が続いていた。


「さぁ、いよいよ収穫段階までいくわよ」


 私は小麦畑に向け、聖女の力を放っていく。

 リバレイ邸の庭に作られた小さな小麦畑には、いつも以上に人が集まっていた。

 ユーゴやファビアンといったお馴染みの面々以外には、エル、そしてセシルをはじめとする使用人たち、そして何故か、カミーユも顔を出していた。騎士団の方はいいのかと問うと、アリソンに任せていると答える。それはそうだろうけど、アリソンも小麦が色を変える様子を見たいと言っていたのに。


「おぉ……」


 そうこうしているうちに、小麦が徐々に変化を見せていた。

 緑の葉や茎が少しずつ黄褐色に染まっていく。穂にはたくさんの実がつき始めた。


「レティシア様、この辺りで十分でしょう」


 ユーゴの声に、私は力を注ぐのを止めた。一息ついてから、改めて小麦を見てみる。


「綺麗……」


 小麦の穂が柔らかな風に煽られ、ゆらゆらと揺れている。そして、黄褐色は陽光を受け、金色に輝いていた。

 穂が揺れる様はまるでさざ波のようで、私はしばしその光景に見惚れた。それは私だけではなく他の人たちも同じで、皆一様にうっとりと溜息を漏らしている。


「本当に美しいですわ! 私、これほど美しい小麦畑を見たことがありません!」


 セシルが興奮気味に言うと、皆も口々に美しい、綺麗だと褒めたたえてくれた。それが嬉しくて、誇らしくて、私はつい涙が出そうになってしまった。

 セントラルにいたままでは、絶対に味わえなかった気持ちだ。嬉しい。……とても幸せだ。


「レティシア、よく頑張ったな。おめでとう」

「ありがとうございます。……どうしましょう、私、嬉しすぎて」


 言葉に出すと抑えきれなくなり、一筋の涙が頬を伝う。エルはその雫をそっと指で掬い取り、私の眦に唇を落とした。


「もっと面積を増やそう。この庭だけじゃ足りないな。仕方がないから、レティシアの要望どおり、別に畑を設けよう」

「……はい!」


 満面の笑みを浮かべる私の頬を優しく撫で、エルは再び唇を押し当てる。


「えーあー、ゴホン」

「え……」

「邪魔をするな、カミーユ」


 きゃあああ!

 すっかり二人きりの雰囲気に浸ってしまっていたけれど、他にもたくさんの人がいたんだった!

 周りを見渡すと、セシルは嬉しそうに、いや、むしろニヤニヤと頬を緩ませていて、他の使用人たちはどう反応すればよいのやらという顔をしており、ユーゴはすっかり顔を俯けていた。カミーユとファビアンはやれやれと慣れた様子……。

 恥ずかしくてどこかに隠れてしまいたかったけれど、エルは私を抱き寄せたまま離そうとしない。拗ねた視線を投げると、エルは私を宥めるように優しく囁いた。


「もっと大きな畑であの美しい小麦が風にそよいでいる様は、さぞ美しいだろうな。さながら、黄金の海といったところか」


 黄金の海……。

 なんて美しい表現なのだろう。

 エルも、揺れる穂がさざ波のように見えたのだろうか。だとしたら、とても嬉しい。


「私、リバレイ領に黄金の海を作ります!」

「あぁ。見られる日を楽しみにしている」


 エルや皆の表情を見ても、心から楽しみにしてくれていることが伝わってくる。


 ここへ来るまでは、こんな充実感など味わったことがなかった。

 名門ブラン公爵家の長女として、王太子妃候補として、聖女として、常に行動は制限され、気持ちも自由にならず、諦めることが当たり前になっていた。それを不幸だと思ったことはないけれど、幸福だとも思えなかった。お父様やお母様、マリアンヌがいてくれたからこそ、私はあの状況を受け入れられていたのだと思う。


 それが今ではどうだろう。

 重い枷は外れ、自分の思いを正直に伝えていいのだと教えられた。そして、自分の役割を見出すことができた。それに力を貸してくれる人たちと出会い、こうして一つのことを成し遂げることができたのだ。

 そしてなにより……これからの人生を共に歩む最愛の伴侶を得ることができた。

 ドラゴンに乗ってここへ来たけれど、私の心も空高く解き放たれたような気がする。


「私、リバレイ領を、ここで暮らす領民たちを、本当に愛しています」


 皆に向かってそう言うと、それぞれが優しい笑顔を返してくれる。


「皆も、そして俺が、誰よりもそう思っている。レティシアを愛していると」


 私はエルのその言葉に、最上級の笑みを返そうとした。でも、突然の眩暈に足元がふらつく。


「レティシア!」

「あ……ごめんなさい。少し眩暈がしただけ」

「無理するな。力を使いすぎたのかもしれない」

「そんなことは……」


 ない、と言いたかった。しかし、どんどん気が遠くなっていく。皆の表情が歪んでいくのが見える。

 あぁ、せっかく幸せな気持ちでいっぱいだったのに。

 自分のせいでこの場の雰囲気を台無しにしてしまったことが悔しい。そう思いながらも、私は自分の意識を繋ぎとめておくことができなかった。

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