46-2.ノースディア領(2)
この大きな建造物は、ノースディア領にとっても恵みをもたらす。
というのも、この地は他と比べて圧倒的に雨量が少ない。砂漠の民ほどではないけれど、彼らもまた、水に飢えていた。
ダイア砂漠との国境に近いこと、共通の悩みを抱えていること、これがノースディア領に貯蔵庫を作るという決め手になった。二つの地で水を共有すれば、まさに一石二鳥で問題は解決する。
当初は、ノースディアの領民たちから不安の声が多数あがったという。
無理もない。彼らにとって、砂漠の民の存在自体が未知だし、悪行を働いていたという事実も包み隠さず伝えたことで、その不安は更に増した。
けれども、エルが辛抱強く領民たちと向き合い、話し合いを重ね、砂漠の民との約束の件もきちんと話をしたことで、彼らを納得させることができた。
砂漠の民の行いについては、隠すことだってできた。でも、何らかのきっかけで後でそれを知ることになれば、彼らは裏切られたと感じるだろう。
ノースディアの民は、前領主に見捨てられていたようなもので、ただでさえ統治者を信じられなくなっている。その上、新しい領主にも裏切られたとなれば、彼らの絶望は計り知れない。そんな彼らのために、エルは最初から全部打ち明けることを選んだのだった。
「レティシア様がご到着されました」
アリソンが貯蔵庫の扉を開ける。中には、カミーユをはじめとする騎士団の面々と、エル、そしてカミルがいた。アシムとスードの姿もある。
「レティシア」
エルが立ち上がり、私を迎えてくれた。
エルは私の両手を包み込むように握り、優しくさする。
「外は寒かっただろう。それに、ドラゴンでの飛行は冷える」
「まったくです。フラムなら、それも軽減されたと思うのですが」
カミーユが苦笑しながら、私の席をエルの隣に用意してくれた。私はそこへ腰を下ろし、暖を取る。
「前に乗らせてもらった時、暖かったわ。でも、今回はシエルに乗りたかったの。シエルにだけは、まだ乗ったことがなかったんですもの」
エルは相好を崩し、カミーユと顔を見合わせた。
「今回、ようやくレティシアを乗せることができたとファビアンは喜んでいるのだろうな。シエルもそうだろうが」
「ファビアンのにやけ顔が目に浮かびます」
「満面の笑みで、リバレイ領に戻っていきました。そしてまた、その顔でこちらへやって来るかと。レティシア様は、お帰りの際にもシエルに乗るとおっしゃっておられますので」
アリソンがそう言ったものだから、二人は声をあげて笑う。
「やれやれ。今度はネージュとフラムが拗ねそうだ」
「ドラゴンたちは、レティシア様を相当慕っていますからな。フラムなど、今日は私の顔を見るなり「なんだ、レティシア様じゃないのか」という感じで、少々傷つきましたよ」
「傷つくなど、ご冗談を。団長は、不満そうな顔をするフラムにもそれほど気にしておられませんでした」
「アリソン!」
泣く子も黙るリバレイ騎士団最強と謳われる第一騎士団団長も、見目麗しい副団長には弱いようだ。
アリソンは豪快なカミーユについていけるだけでなく、フォローやら後始末なども超速でこなす優秀な右腕だから、それも頷ける。
「本当にドラゴンに乗ってくるとは思わなかった。それにしても、あのドラゴンどもを操れる人間が魔王の他にもいるってところが、いまだに信じられねぇ。クラウディアを本気で敵に回さなくてよかったぜ」
おどけたようにそう言いながら、笑顔を向けてくるのはカミルだ。アシムは側で小さく頭を下げ、スードも静かに会釈する。アシムとスードに会うのはあの裁判以来だけれど、二人とも元気そうだ。
私は改めて、貯蔵庫の中をぐるりと見渡してみる。雪の入った大樽を見たいと思ったのだけど、どこにも見当たらない。きょろきょろする私を見て、カミルは笑いながら奥を指差した。
「レティシアの目当てのものは、この奥にある。あの分厚い扉で、この部屋とは完全に隔離してあるんだ」
カミルの言うように、そこには大きな扉があった。閉じてあるのでその厚さはわからないけれど、完全に隔離してあるということは、かなり分厚いのだろう。
だって、この部屋は暖かい。これだとあっという間に雪は解けてしまうし、水だって温まってしまう。
「向こうの部屋は、寒いの?」
私が尋ねると、今度はエルが答えてくれた。
「あぁ、外とさほど変わらない。陽が当たらないことを考えると、昼間の外よりも寒いかもな」
「窓もないのね」
「そうだ。外からは全く見えないようになっている」
この巨大な貯蔵庫は、事情を知らない他の砂漠の民にとっては、とんでもなく怪しい建物として映っているだろう。クラウディアが何か企んでいるとも取られかねない。
私は心配になって、カミルに尋ねた。
「この貯蔵庫の存在は、他の砂漠の民はもう知っているわよね?」
カミルは大きく頷く。
「これだけでかいんだ。というか、建ててる最中からかなり警戒されてたよ。だから、交渉は早めに進めた。下手に隠し立てして争いでも起これば、元も子もないからな」
「交渉は上手く進んでいるの?」
「誰に物を言っている?」
カミルは挑戦的な瞳で、私をじっと見つめた。挑むような強い視線に吸い込まれそうになる。
力の差や身分の上下など、ものともしないカミルのその佇まいは、まるで王者のそれだ。アシムやスードが彼に従う気持ちがよくわかる。カミルなら、他の砂漠の民も従えることができる。
私は彼の視線を受け、それを確信した。




