13.氷の国(1)
ネージュはいつもよりかなりゆっくり飛行してくれているらしく、空の旅は快適だった。
自国の姿を空の上から眺めるなんていう経験は、誰でもができるわけじゃない。ドラゴンで飛行しない限り不可能だ。そして、それができる人間はごく僅か。その中に入ることができるなんて、私はなんて幸運なのだろう。
心を弾ませながら、私は忙しなく視線を動かす。時折エルと目が合い、その度に優しく微笑まれ、私の心臓が大きく跳ねる。それを何とか押し隠しながら、私も微笑みを返す、それの繰り返しだ。
ふと思う。もし、私がシャルル様から婚約破棄などされずにそのまま結婚していたら……。たぶん、こんな気持ちは知らないままだった。
シャルル様のことは、決して嫌いだったわけじゃない。でも、エルに感じているような気持ちは一切なかった。こんな風に胸がドキドキすることもなく、胸がいっぱいで上手く呼吸できなくなったりすることもなく、いつもの私でいられた。
シャルル様と婚約していた時、私の心はいつも平静だった。王太子妃にふさわしくあらねばならない、その気持ちが大半を占めていた。
今思えば、私が婚約破棄されたのは、戦う聖女ということだけが理由ではない気がする。ドラゴンの背に乗るなんていう非現実的なことを経験している今だからこそ、別の視点で物事を考えることができる。
シャルル様だって、いつも平静ですましている女より、自分に夢中になってくれる女の方がいいに決まっている。例えそれが、地位目当てであっても。
シャルル様にはお気の毒だけれど、今の婚約者のリゼット・ボードレールはそういう女だ。父親からして、地位や名誉に異常に固執していて、娘を何とか王室に入れようといろいろ画策していたことは誰もが知るところだ。
そしてリゼット自身も野心家だった。シャルル様の婚約者だった私のことも、ことあるごとに目の敵にしていたし、数えきれないほどの嫌がらせもされた。
彼女はおそらく、シャルル様に近づいては私の悪口や勝手な噂話を耳に入れていたのだろう。シャルル様はおとなしく控えめな女性がお好きだから、自分はそのように振舞いながらも取り巻きたちを使って、私がいかに乱暴者であるかを語り尽くしていたと思う。
そんなことをぼんやりと思い出していると、不意に身体が温かくなり、私は後ろを振り返る。
「そろそろ北方に入る。気温が下がってくるからこれを」
私の肩には分厚いコートがかけられていた。袖を通すと、ふんわりしていながらもとても温かい。風を通しにくい素材で作られているそうで、北の領土に住む人たちの必須アイテムなのだという。エルもすでにコートを羽織っていた。
どこにあったのかと聞くと、私たちのいる後方に、備え付けの箱のようなものがあり、そこに必要なものが収納されているのだという。
「とても温かいです」
「ほら、前もしっかりと留めないと。もうすぐ氷の国に到着する」
「はい」
私は開いていたボタンをしっかりと閉じていく。コートにくるまれ、ますますほっこりと身体が温まった。
北方に入ってから空気が変わった。風は穏やかというより鋭く、また冷たい。空気全体がピリッと引き締まっているような、そんな感じ。
同じクラウディア国だというのに、全く別の国みたいだ。改めて、我が国の領土の広さを思い知る。
「あ! 白い……。エル、あれは地面に何か敷き詰めているのですか?」
私が真っ白に染まった地を指差しながら尋ねると、エルは笑いながら首を横に振った。
「雪だよ。といっても、まだうっすらとしか積もっていない。本格的な冬になれば、こんなものじゃないぞ」
「雪!? これが雪……。私、本物を初めて見ました!」
書物で雪の存在は知っていた。けれど、年中温暖なセントラルに雪は降らない。だから、本物を見るのはこれが初めてだった。
「北の領土は、これからもっと白に染まる。辺り一面が白一色になるんだ。そして、川や湖も氷に閉ざされる。雪と氷の国、それが北方の地。そして、その最北端に位置するのが、我がリバレイ領だ」
「雪と氷……さぞ美しいのでしょうね」
「美しいが、寒さが尋常ではない。身体が慣れるまでは大変だろうが、レティシアならすぐに慣れるだろう。だが、無理は禁物だ。それは俺が許さない」
エルはそう言って、額に口づける。
こうして口づけられる度、私の頬は赤く染まり、体温が上がる。リバレイがどれほど寒くても、これだけで寒さをしのげるかもしれない、なんて思ってしまう。
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